星月夜☆さんのサイトより
http://ameblo.jp/hoshitukiyoru7/entry-11462051726.html
<転載開始>

見逃した回がほとんどでしたが、昨夜最終回でした。

NHKBSで火怨・北の英雄 アテルイ伝左矢印放送。



実に古代史逆転で興味深かったです、東北復興という名目がなければ

放送できなかった?


時は平安時代、桓武天皇の時代。


故郷を守るために戦ったのに、朝廷から獣同然に扱われ、

地元でさえ逆賊の汚名を、資料さえほとんどありません。

文字通り歴史の闇に消えた英雄です☆


長らく、アテルイが「日本史」の表舞台に出ることはありませんでした。


蝦夷征伐の坂上田村麻呂は有名で教科書にも登場、


試験に必ず出ますよね。


その戦った相手です。2度に渡る戦いで都の大群から一騎当千の

戦いで故郷から守ってます。


最期は囚われ今の大阪で斬首の刑・・・田村麻呂の助命嘆願も

有名だそうです。


幸せに豊かに暮らしてた東北に攻めり統一を図ろうとする桓武天皇の野望。

歴史の教科書にない一面が描かれてます。


植民地政策、チベットに侵攻した中国と同じじゃないと、どこも同じです。


ずっと思ってましたが朝廷に追われたほうが本来の縄文人ではと。


阿弖流為(アテルイ)の東北に残っていた妻子や残党は、

青森に逃げましたが大きな穴を掘らされて生きながら埋められ

惨殺されたとされてます。


(番組は逃げたとしか放送しませんその後は沈黙、こういうとこがNHK)


その生き埋めの上に土をかけ、その土を素直に降伏し奴隷となった

者らに踏みつけさせた。これが今の東北三大奇祭のねぶた(根蓋)の

起こり・・・・ひどい由来で驚きました。


原作は


火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)/講談社

¥800
Amazon.co.jp


200年の対談で高橋克彦は2003年の対談で、「蝦エミシ
夷の末裔だと胸を張って言えるような人が出てき
たのは、ここ15年とか、そんなものだと思う。


(1)。そのエミシの末裔という(民族)意識の醸成において、

象徴的な役割を果たしたのが、アテルイ復権運動であったといえよう。


アテルイ(阿弖流為)は8世紀末から9世紀初頭、今の東北への

版図拡大を狙う大和の侵略と戦ったエミシのリーダー☆


当時、アテルイらを倒すため、桓武天皇が第二次、

第三次征討軍の大将に授けた官名が征夷大将軍であり、

その称号は幕末に至るまで武家(徳川)の統領
の称号として残った。征夷大将軍の由来となった人物―


それほどの「重要」人物ですが980年代まで、地元でさえ、

その名を知る人は少なかったと語ってます。



声の威力に関する記事書いててそのサイトで興味深い資料を見つけました

こちらから貴重な情報を☆ 引用まとめてます。



 室町幕府公認の公的資料とでもいうべきもの絵が

『清水寺縁起絵巻(1517年 )』であり、ここに、坂上田村麻呂による

「蝦夷征伐の戦闘場面」が描かれています。


 http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_31/vol31img/toku10.jpg

 これは、蝦夷のリーダーの一人として、高名かつ、

多くの追慕を集めている「阿弖流為(アテルイ)」との789年の

「巣伏(すぶせ)村の戦い」の情景だとされています。


 ここに描かれている蝦夷の顔は「獣」のようであり

ツノを頭に生やしている者もあることから、蝦夷は、文字通りの

「鬼」として描かれています。


 その「鬼」である蝦夷の軍船に“奇妙なモノ”が描かれています。
 それは「日の丸」のマークです。


 この「日の丸」が9個、見方によっては10個、蝦夷の軍船に

描かれているのです。


 一方の坂上田村麻呂の軍勢には「日の丸」のマークが見当たら

ないことより、「日の丸」のマークをかかげた「鬼」の軍隊を、

坂上田村麻呂が征伐している情景の絵となっています。


 上記のとおり、これは、「清水寺」の縁起について描かれた、

幕府公認の資料とでも呼べるものであり、ここに、当時の蝦夷に

対する公的な「ものの見方」が現れているといわれています。


 その見方とは、「日の丸」をシンボルとする『太陽の民』、

それが『蝦夷』だというものです。


 「うんちく【49】~【50】【67】【70】」で、信州・諏訪地方の不思議な

習俗についてご紹介しました。
 

その諏訪の歴史を記した、14世紀中頃の『諏訪大明神絵詞

に、蝦夷の地(東北の大海の中央の蝦夷島)があって、

そこに「渡党(わたりとう)」「唐子(からこ)」、そして「日の本(ひのもと)」

の3種のグループがいると触れられているそうで、ここでも、蝦夷と

「日の本(太陽)」とのかかわりが記されているといいます。


当時の大臣、武内宿禰(たけのうち すくね)による


東国巡視の報告に

「東の夷の中に、日高見国がある。

土地は肥沃で広大であるから、征服して奪い取るべきだ」と。


現在も、正義をかかげ、その実、『資源の奪取』を目的とし、

軍事力を背景に、「現代のローマ帝国」との異名を持つ某国が、

砂漠地帯に侵攻していますが、『蝦夷征伐』」もこれと同じであり、

大義名分の陰には、広大な土地と、そこに眠る豊かな資源の奪取が

見え隠れしている。



特に、「ときの中央勢力」がねらったのが『鉄』であり、高度な鉄の技術を

持つがゆえに侵略の対象となり、滅ぼされた国の指導者の多くが

『鬼』とされ、正史に記録されていきたのは公然の秘密だそうです。


西日本を中心に、大陸から、ルーツを異にする多数の民族が流入した結果、

弥生時代は戦国時代さながらの動乱期であったことが、バリケードを幾重に

もはりめぐらした数々の集落址から推定されています。


 その後、弥生人は、西日本を中心に勢力を拡大させていきますが、

そのあおりを受けた縄文人たちは、アメリカ大陸の先住民である

インディアンが、開拓者に追われ僻地に居住地を移していったように、

北端と南端に、居住地を移していくことになったといわれています


 こうして、北と南へ追いやられた、『原始太陽信仰』のもとに生きる

縄文人は、やがて、南は熊襲、北は蝦夷などのような蔑称を与えられ

ることとなり、「野蛮な民」として、次々と『征伐』の対象となってい

きました。


とても長い詳しい記事ですので、省略も多くまとめきりません

歴史はいかようにも解釈ですので、まとめも不完全だと思います。


ぜひ全文はサイトでご覧ください。



<転載終了>