神仙組さんのサイトより
http://mujaki666.seesaa.net/article/319091192.html
<転載開始>
菅田正昭氏著『出口王仁三郎の大予言』に、神仙組1の記事が取り上げられているということで、友人が写メールを送ってくれた。



「666の獣・王仁三郎」と「五十六億七千万年」の恐るべき意味
http://mujaki666.seesaa.net/article/170381313.html
に載せていた、以下の王仁三郎の言葉について指摘されている。
大正13年にいよいよ来年の素志を決行したのであります。
その時ちょうど蒙古に偉いラマがおって、
昔ジンギスカンが蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目に
日出づる国から弥勒仏が出て蒙古を救うという予言があったのであります。
それがちょうど大正13年が六百六十六年目に当たっておったのであります。
http://mujaki666.seesaa.net/article/319091192.html
<転載開始>
菅田正昭氏著『出口王仁三郎の大予言』に、神仙組1の記事が取り上げられているということで、友人が写メールを送ってくれた。
「666の獣・王仁三郎」と「五十六億七千万年」の恐るべき意味
http://mujaki666.seesaa.net/article/170381313.html
に載せていた、以下の王仁三郎の言葉について指摘されている。
大正13年にいよいよ来年の素志を決行したのであります。
その時ちょうど蒙古に偉いラマがおって、
昔ジンギスカンが蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目に
日出づる国から弥勒仏が出て蒙古を救うという予言があったのであります。
それがちょうど大正13年が六百六十六年目に当たっておったのであります。
しかもこの蒙古を救う人は年五十四歳と言うのでありましたが、
当時私は五十四歳であったからこれも符合したのであります。
蒙古人はこういう事を言っている、
「黒蛇が世界中を取り巻くその時に、
いよいよ世の立替があって弥勒仏が現れて蒙古の国を救われる…」と。
黒蛇ということは鉄道という謎で、
すでにシベリア線が出来て蒙古を取り巻いてしまっている。
こういう予言があり、しかも初めて私が行った時は六百六十六年目に当たっていた。
六百六十六の獣という事がありますが、六六六とは非常に意義のある事であります。

「大正13年から666年前の1278年には該当するような歴史的記述はなかった」
と菅田氏は指摘しているが、これは菅田氏の計算ミスである。
大正13年は1924年なので、その666年前は1258年となる。
だが、単純に666を引くだけではダメで、1924-666=1258だが、
1年目というのはその年を指すので、正確には1259年となる。
つまり、1259年の1年目は1259年で、666年目が1924年となる。

要するに、王仁三郎の話に従えば、
チンギス・カンが挙兵したのは1259年ということになるが、
年表によると、チンギス・カンは1227年8月18日頃に死んでいる。
これは王仁三郎の間違いか、歴史の記録の間違いか……。
まず、1259年に何があったかというと、高麗がモンゴルに服従した。
そして、翌年の1260年にモンゴル帝国の皇帝となったフビライが、
中国の北半分を押さえて現在の北京の地に大都という都を築いた。
歴史の年表が大きく間違っているとは思えないので、
王仁三郎が何か勘違いをしているとしか思えないが、
王仁三郎の後半部分の話を読む限りは深い意味を感じる。

話が変わるが、王仁三郎は次のように述べている。
「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、
イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。
このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため
富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。
中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、
富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」
私はこの王仁三郎説を支持していなかった。
イスラエル12支族が「セム族」であることには異論はないが、
「富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔」
というのは納得がいかなかった。
イスラエル民族の祖はヤコブ(別名:イスラエル)だが、
その祖父のアブラハムはメソポタミア南部
(現在のイラク辺り)の古代都市ウル出身である。
メソポタミア文明は、メソポタミア地方で発祥した複数の文明の総称だが、
その初期の中心となったのが、世界最古の文明とされるシュメール文明である。
そのシュメールの首都だったのがウルで、
アブラハムはシュメール人だったと考えて間違いないだろう。

聖書によると、ノアは自分の妻と3人の息子とその妻の
計8人を箱舟に乗せて、大洪水を生き延びたという。
人数=人口で、8人を8口と表現することができるが、
舟に8人(八口)が乗ったから「船」と書くという。
船というと大きな舟を意味するが、
ノアの箱舟には動物たちも乗せられたので大型船だった。
聖書の記述によると、長さ300キュビト(133.5m)、
幅50キュビト(22.2m)、高さ30キュビト(13.3m)だったという。
神はノアに大洪水を予言し、箱舟の建造を指示した。
「あなたは、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。
箱舟には小部屋をいくつも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい」
(「創世記」第6章14節)
「箱舟の側面には戸口を造りなさい。
また、一階と二階と三階を造りなさい」
(「創世記」第6章16節)
そして、箱舟はアララト山に漂着したと記述されているが、
実際にそれと同等のサイズの箱舟地形がアララト山で発見されている。
また、アメリカ軍のレーダースキャン映像により、
内部構造も聖書に記されているノアの箱舟と一致することが判明している。

聖書によると、ノアの息子は「セム」「ハム」「ヤフェト」の3人。
ハムは黒人種だった妻とアメリカ大陸に移動して黒人の祖となった。
ノアから王権を継承したセムとその妻は、アジア人の祖となった。
ヤフェトと白人種だった妻は、コーカサス地方に残って白人の祖となった。
アララト山の南にイラクがあり、アブラハムはセムの10代目の子孫である。
つまり、ノアの大洪水で地球全土が水没し、泥海の状態となった後に、
現在のイラクの土地にセム族がシュメール文明を築いたということである。
結論として、「セム族は富士高天原からアジア大陸を西に移動してきた天孫族」
だという王仁三郎説には説得力がない。
そもそも、歴史年表によると、イスラエル王国の建国は
紀元前1021年(約3000年前)で、王仁三郎の話とは1000年の差がある。
シュメール王国はアッカドやバビロニアに支配され、
シュメール人は各地に離散した。
アブラハムは一族を率いてカナンの地(パレスチナ)に移住したが、
飢饉に襲われてエジプトに避難。
その後、エジプトを脱出してカナンの地に戻り、
イスラエル王国を建国したのである。
また、「日本人シュメール起源説」も歴史言語学的に説得力があり、
シュメール王国が滅亡した時に東に向かった一派が、
日本列島の先住民となった可能性が高い。

だが、ペトログラフ学によると、
シュメールのルーツは日本にあると考えられている。
もし、王仁三郎の話が事実だとしたら、
ノアとその家族は、大洪水前は日本列島に住んでいたことになる。
『ガイアの法則』でも、シュメールの起源は日本列島だと説明されている。
そのシュメールの神官の霊は、次のように語っている。
「私たちは日本列島が故郷でもあるのだ」
「私たちはその昔、日本列島で新たな文明を開始した人々の子孫なのだ」
「日本列島から西への移動も、この法則通りであったのだ。
それだけではない。
この地球は大きな変動を何度も繰り返しているが、
そうした大変動も、基本的にはこの法則に基づくのだ。
最も最近に起きたこの変動は、約1万2000年前だ」
「その変動は太平洋の日本寄りの位置で起きた。
これによって、陸地として繁栄した太平洋上の文明は海底に沈んだのだ」
「現代の人類の文明が、約6400年前にシュメールからスタートしたように、
さらにもう6400年前から始まった文明周期は、
今のあなたの国がある日本列島からスタートしたのだ」
日本列島から西(シュメール)への移動も法則通りだった……
ということは、箱舟ではなく徒歩で移動したように受け取れる。

メソポタミアの中でも、シュメール人は系統が不明だとされている。
メソポタミア文明を築いたのはノアの箱舟から出てきたセムの子孫だが、
シュメール文明を築いたのは日本列島から渡来した人々なのかも知れない。
彼らはセムの子孫ではないので「セム族」とは呼べないが、
セムと同じ黄色人種だったということだろうと解釈できる。
つまり、王仁三郎説は、シュメール文明が開花する以前の
前次元の話だったということで理解ができる。
そう考えると、「ジンギスカンが蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目」
という話が歴史的事実ではなかったとしても、
デタラメや間違いではなく深遠な意味が隠されているのかも知れない。
いずれにせよ、1924年11月26日にモンゴル人民共和国が誕生した。
その事実からしても、王仁三郎説を一笑することはできないと思う。

かつて、チャーチワードの著作が世に出たとき、
王仁三郎も積極的にムー大陸論を展開したそうだが、
現在、太平洋に大陸が沈んでいないことが証明されている。
王仁三郎はチャーチワードの話に便乗しただけとも思えるが、
「ガイアの法則」でもムー大陸は存在したとされているので、
やはり王仁三郎の話は眉唾に思えることでも無視はできない。
ムー大陸については、以下を参照して頂きたい↓
ムー大陸とアトランティス大陸の謎
http://kemono666.seesaa.net/article/276939532.html
ムー大陸とアトランティス大陸の謎②
http://kemono666.seesaa.net/article/277056750.html
ムー大陸とアトランティス大陸の謎③
http://kemono666.seesaa.net/article/277387037.html
氷河期の始まりとムー大陸の浮上
http://kemono666.seesaa.net/article/277410969.html
マヤの大長老来日とアトランティスの謎とラ・ムーの心霊写真
http://kemono666.seesaa.net/article/278064887.html
2013年に出現する古代フリーメーソン(ムー人)の宇宙船
http://kemono666.seesaa.net/article/278358095.html
ムー大陸の再浮上と新エルサレムの降臨
http://kemono666.seesaa.net/article/278430716.html
地震情報&ムー大陸浮上説
http://kemono666.seesaa.net/article/274960784.html
<転載終了>
当時私は五十四歳であったからこれも符合したのであります。
蒙古人はこういう事を言っている、
「黒蛇が世界中を取り巻くその時に、
いよいよ世の立替があって弥勒仏が現れて蒙古の国を救われる…」と。
黒蛇ということは鉄道という謎で、
すでにシベリア線が出来て蒙古を取り巻いてしまっている。
こういう予言があり、しかも初めて私が行った時は六百六十六年目に当たっていた。
六百六十六の獣という事がありますが、六六六とは非常に意義のある事であります。
「大正13年から666年前の1278年には該当するような歴史的記述はなかった」
と菅田氏は指摘しているが、これは菅田氏の計算ミスである。
大正13年は1924年なので、その666年前は1258年となる。
だが、単純に666を引くだけではダメで、1924-666=1258だが、
1年目というのはその年を指すので、正確には1259年となる。
つまり、1259年の1年目は1259年で、666年目が1924年となる。
要するに、王仁三郎の話に従えば、
チンギス・カンが挙兵したのは1259年ということになるが、
年表によると、チンギス・カンは1227年8月18日頃に死んでいる。
これは王仁三郎の間違いか、歴史の記録の間違いか……。
まず、1259年に何があったかというと、高麗がモンゴルに服従した。
そして、翌年の1260年にモンゴル帝国の皇帝となったフビライが、
中国の北半分を押さえて現在の北京の地に大都という都を築いた。
歴史の年表が大きく間違っているとは思えないので、
王仁三郎が何か勘違いをしているとしか思えないが、
王仁三郎の後半部分の話を読む限りは深い意味を感じる。
話が変わるが、王仁三郎は次のように述べている。
「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、
イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。
このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため
富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。
中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、
富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」
私はこの王仁三郎説を支持していなかった。
イスラエル12支族が「セム族」であることには異論はないが、
「富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔」
というのは納得がいかなかった。
イスラエル民族の祖はヤコブ(別名:イスラエル)だが、
その祖父のアブラハムはメソポタミア南部
(現在のイラク辺り)の古代都市ウル出身である。
メソポタミア文明は、メソポタミア地方で発祥した複数の文明の総称だが、
その初期の中心となったのが、世界最古の文明とされるシュメール文明である。
そのシュメールの首都だったのがウルで、
アブラハムはシュメール人だったと考えて間違いないだろう。
聖書によると、ノアは自分の妻と3人の息子とその妻の
計8人を箱舟に乗せて、大洪水を生き延びたという。
人数=人口で、8人を8口と表現することができるが、
舟に8人(八口)が乗ったから「船」と書くという。
船というと大きな舟を意味するが、
ノアの箱舟には動物たちも乗せられたので大型船だった。
聖書の記述によると、長さ300キュビト(133.5m)、
幅50キュビト(22.2m)、高さ30キュビト(13.3m)だったという。
神はノアに大洪水を予言し、箱舟の建造を指示した。
「あなたは、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。
箱舟には小部屋をいくつも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい」
(「創世記」第6章14節)
「箱舟の側面には戸口を造りなさい。
また、一階と二階と三階を造りなさい」
(「創世記」第6章16節)
そして、箱舟はアララト山に漂着したと記述されているが、
実際にそれと同等のサイズの箱舟地形がアララト山で発見されている。
また、アメリカ軍のレーダースキャン映像により、
内部構造も聖書に記されているノアの箱舟と一致することが判明している。
聖書によると、ノアの息子は「セム」「ハム」「ヤフェト」の3人。
ハムは黒人種だった妻とアメリカ大陸に移動して黒人の祖となった。
ノアから王権を継承したセムとその妻は、アジア人の祖となった。
ヤフェトと白人種だった妻は、コーカサス地方に残って白人の祖となった。
アララト山の南にイラクがあり、アブラハムはセムの10代目の子孫である。
つまり、ノアの大洪水で地球全土が水没し、泥海の状態となった後に、
現在のイラクの土地にセム族がシュメール文明を築いたということである。
結論として、「セム族は富士高天原からアジア大陸を西に移動してきた天孫族」
だという王仁三郎説には説得力がない。
そもそも、歴史年表によると、イスラエル王国の建国は
紀元前1021年(約3000年前)で、王仁三郎の話とは1000年の差がある。
シュメール王国はアッカドやバビロニアに支配され、
シュメール人は各地に離散した。
アブラハムは一族を率いてカナンの地(パレスチナ)に移住したが、
飢饉に襲われてエジプトに避難。
その後、エジプトを脱出してカナンの地に戻り、
イスラエル王国を建国したのである。
また、「日本人シュメール起源説」も歴史言語学的に説得力があり、
シュメール王国が滅亡した時に東に向かった一派が、
日本列島の先住民となった可能性が高い。
だが、ペトログラフ学によると、
シュメールのルーツは日本にあると考えられている。
もし、王仁三郎の話が事実だとしたら、
ノアとその家族は、大洪水前は日本列島に住んでいたことになる。
『ガイアの法則』でも、シュメールの起源は日本列島だと説明されている。
そのシュメールの神官の霊は、次のように語っている。
「私たちは日本列島が故郷でもあるのだ」
「私たちはその昔、日本列島で新たな文明を開始した人々の子孫なのだ」
「日本列島から西への移動も、この法則通りであったのだ。
それだけではない。
この地球は大きな変動を何度も繰り返しているが、
そうした大変動も、基本的にはこの法則に基づくのだ。
最も最近に起きたこの変動は、約1万2000年前だ」
「その変動は太平洋の日本寄りの位置で起きた。
これによって、陸地として繁栄した太平洋上の文明は海底に沈んだのだ」
「現代の人類の文明が、約6400年前にシュメールからスタートしたように、
さらにもう6400年前から始まった文明周期は、
今のあなたの国がある日本列島からスタートしたのだ」
日本列島から西(シュメール)への移動も法則通りだった……
ということは、箱舟ではなく徒歩で移動したように受け取れる。
メソポタミアの中でも、シュメール人は系統が不明だとされている。
メソポタミア文明を築いたのはノアの箱舟から出てきたセムの子孫だが、
シュメール文明を築いたのは日本列島から渡来した人々なのかも知れない。
彼らはセムの子孫ではないので「セム族」とは呼べないが、
セムと同じ黄色人種だったということだろうと解釈できる。
つまり、王仁三郎説は、シュメール文明が開花する以前の
前次元の話だったということで理解ができる。
そう考えると、「ジンギスカンが蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目」
という話が歴史的事実ではなかったとしても、
デタラメや間違いではなく深遠な意味が隠されているのかも知れない。
いずれにせよ、1924年11月26日にモンゴル人民共和国が誕生した。
その事実からしても、王仁三郎説を一笑することはできないと思う。
かつて、チャーチワードの著作が世に出たとき、
王仁三郎も積極的にムー大陸論を展開したそうだが、
現在、太平洋に大陸が沈んでいないことが証明されている。
王仁三郎はチャーチワードの話に便乗しただけとも思えるが、
「ガイアの法則」でもムー大陸は存在したとされているので、
やはり王仁三郎の話は眉唾に思えることでも無視はできない。
ムー大陸については、以下を参照して頂きたい↓
ムー大陸とアトランティス大陸の謎
http://kemono666.seesaa.net/article/276939532.html
ムー大陸とアトランティス大陸の謎②
http://kemono666.seesaa.net/article/277056750.html
ムー大陸とアトランティス大陸の謎③
http://kemono666.seesaa.net/article/277387037.html
氷河期の始まりとムー大陸の浮上
http://kemono666.seesaa.net/article/277410969.html
マヤの大長老来日とアトランティスの謎とラ・ムーの心霊写真
http://kemono666.seesaa.net/article/278064887.html
2013年に出現する古代フリーメーソン(ムー人)の宇宙船
http://kemono666.seesaa.net/article/278358095.html
ムー大陸の再浮上と新エルサレムの降臨
http://kemono666.seesaa.net/article/278430716.html
地震情報&ムー大陸浮上説
http://kemono666.seesaa.net/article/274960784.html
<転載終了>
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2504F_V20C14A4MM8000/?dg=1
の真意とは
慰安婦銅像の件というのは、実は、全く別の意図を主張したものである。
朝鮮王朝(天皇家)の人物に対し、旧日本軍(調別)が弾圧を行っているので、これを是正しなさいという趣旨だ。
例えば、その天皇家のご本尊は以下のように日々妨害を受けているという。
<以下引用>
以前はあんまり好きじゃなかった海老蔵ですけど、最近の活躍をみていると、頑張ってほしい気持ちになってきますね。大看板が次々と亡くなったしまった今、何と言っても断トツでお客が呼べる魅力的な役者さんですし、大きな柱としてこれからの歌舞伎を支えていって貰いたい!
お芝居自体は海老蔵・獅童(獅童くんは年末にお母様が急死されてすぐの舞台…)はもちろん、脇を市川左團次・中村家橘、大谷友右衛門らベテランが固めていてまとまっていましたし、舞台上に大海老がどーん!と登場したクライマックスの荒事もしっかり楽しめました。歌舞伎では初の試みである津軽三味線(しかも上妻宏光!)とのコラボも舞台を盛り上げていました。
ただですね、、最後の幕で暗転した場内、ほの暗い灯りのなか解脱した景清が花道をゆっくり舞台に向かって歩を進め、バックには抒情的な津軽三味線の美しい音色…の場面で、隣に座っていたご婦人方がですね、あろうことかおせんべいを食べだしたんですよ!加えてビニール袋はカサカサさせるし、バックのファスナーをちちちち…とゆっくり閉めたりとまあ落ち着きがない。
今、この場面で暗闇の中おせんべいを食べる必然性って何?!バックのファスナー閉める理由って何!?お前の財布なんて誰も漁らないよっ!もう、こういう舞台にせんべいとビニール袋は持ち込み禁にして欲しい…。せっかくの演出が台無しだわ、とちょっといらっとしてしまったのでした。