遠い記憶・前世からの約束さんのサイトより
http://farmemory.exblog.jp/17888714/
<転載開始>
今回の話題の前に先日のロシアの隕石に関して少し触れたいと思います。

過日の隕石騒動、その日外出していましたので家に帰るまで知らず妻から耳にし始めて知りました。

その時に直ぐに感じたのが「落としてくれた」と言う感覚です。
誰かがインターセプトしてくれた事を感じたました。
(後日、その様な映像も流されている様です)

そして、もしあの隕石が(実は世界の様々な所でも隕石らしき目撃例が同時刻に報告されていた様です)
全てこの地球上に破壊されず到達していたら、想像を超える被害が有った事も理解できました。

もし、この隕石を意図した何者かが(恐らく自然の隕石でしょうが、道ばたに落ちている石ころも、手にする者の意図により武器に変わります)地球に落とそうと画策していたら、この地球さえも破壊してしまった事になります。

もし仮にこの隕石が意図されたものであれば(そうかも知れないと感じますが確証はありません、もしかしたら宇宙のタイムスケジュールに有ったのかもしれませんが)それを仕組んだ意識体は、自分達が立つこの地球さえ破壊しようとしたのですから、もう「やけくそ」だったのかもしれないと少し可笑しく思いました。
「背水の陣」破れたりでしょうか。

高いテクノロジーを持つ者であれば小惑星の軌道程度は変えられるでしょう、そして隕石を落とそうとした者とそれを阻止した者がいる事になります。

しかしこの事件の最も重要な所は、隕石であろうと仕組まれた石つぶてであろうと、誰かのインターセプトであろうと、結果は大惨事には繋がらなかったと言う「事実」です。

   ・
では今回の話題に移ります。

宇宙には様々な生命体がいますが、その方達が暮らす多くの場所は大変に高い次元に有ります。
逆の味方をすれば3次元的な経験の出来る世界(この地球)の方が稀な場所でした。

その3次元に生き何世代にも渡り転生を繰り返し、喜びや楽しみ、哀しみや苦しみを知る事の出来るこの3次元に生きた私たち人類は、その膨大な経験値を持っています。

人はどうしたら苦しみ悲しむのかを知る事の出来た宇宙的にも稀な者として私たちは今ここに存在しています。
その英知を魂に刻んだ私たちですので、新しい次元でどう生きれば良いかの素地は出来ています。

しかし、3次元の学びが終了していない方(単位の取れていない人)は、高次元への移行は少し先になるでしょう
高次元へのチケットを手にするには、難しい呪文も生き方も有りません、未来に向かう為の免罪符は存在せず、課題をクリアし学び終えた人々が向かう世界が新しい世界です。

その学びは、人格者である事も社会的評価が意味するものでもありません。

それよりも少しくらい気が強く喧嘩っ早くても、社会や集団に馴染めず引きこもり一人の世界に生きようとも、学業的知識を多く持たなくても、ボキャブラリーも少なく上手く自分を表現出来なくても、だらしなく鈍臭かろうと、問題はありません。

高次元は例え自分勝手に生きようとしても、道ばたに倒れる人を置き去りに出来ない人々が向かう未来です。
人や社会との少しばかりの不協和音を持とうと、高次元へ向かう支障になるものではないでしょう。

皆が手をつなぎ運動会のゴールに一緒に向かわなければならないとか、キャンプファイヤーを囲み同じ歌を歌い同じ言葉を話し、同じ希望を持つ事も強要されません。
自分が自分でいられる場所こそ、高次元です。


インド亜大陸のブータンは、国民の90%以上の方が幸せを感じる国として、日本でも取り上げられ、心ある人たちの憧れる国です。
また南太平洋の楽園の様な手つかずの島々に憧れ、エデンを見いだす方もおられましょう。

しかしブータンにしても、植民地支配をされていない南の島々にしても、文明的には先進国と言われている国の人々から見れば、インフラや教育、医療の面などでどうしても比べられてしまうでしょう。
しかし大切なのはその地に暮らす人々の意思、感情です。
(今までの)文明的な先進国と精神的な先進国は、むしろ相反するものだったのかもしれません。

それを思えば、真の幸福は先進技術の裏打ちにあるのではなく、如何に「意識」の高さを持てるかに掛かっていると言えましょう。
5次元に行く事と3次元にとどまる事も同じ様に解釈してみて下さい。

今までの文明世界こそが幸福をもたらし、そこに留まり続けたい(自分を含めた身の回りの世界の変化を望まない)と願う事は3次元に留まる事と同義であり、
文明、文化の高さより人々の意識や精神性の高い世界に生きたい(今までの環境や社会形態に拘らない)と願う事は5次元に向かう事と同義とご理解下さい。

ただし、いずれ完了する次元移行の先には、今までの科学を遥かに凌駕する高度な文明の到来も意味する様です。

ブータンが幸せな国と聞き憧れもするが「そうは言っても」の言葉と供に今の生活からの変化を恐れますか?
それとも今の自分の生活をリセットしてでも、少しの不自由さを感じようともブータンと同じ様に国民の90%が幸せを感じる国に生きたいですか?

決めるのは自分自身です。


<転載終了>