遠い記憶・前世からの約束さんのサイトより
http://farmemory.exblog.jp/18397743/
<転載開始>
今私たちは暗い映画館で、白壁に投影される「現実」と言うタイトルの映画を見ている最中です。

映画を見ている時には多くの人がその画面の中の一人になってみたり、入り込んでいる筈です。
つまり、作られたバーチャルな「現実世界」に自らの意思で参加して居る(と思い込んでいる)わけです。

しかし一歩映画館を出たら、そこには明るい昼間の現実世界が広がっています、そして今まで入り込んでいたスクリーンの世界がバーチャルな存在である事を思い出して行きます。

今私たちが置かれている現状もこれと同じと想像してみて下さい。


今私たちが「体験」していると思っている世界は、壁の外の外界と隔てられた暗いシアターの中で見ているバーチャルな映画の一シーンなのです。
見ている間は外界がどうなっているかを知る事は出来ず、その映画の参加者として意識をそのバーチャル世界に迷い込ませます。

この映画は、私たちの「強い希望と意思」で体験しているものです。
決して誰かに学びを強要されても、このシアターに迷い込んで来たのでもありません。
3次元と言う投影された物語の出演者として、その舞台を全うする事も自分と約束した事でもあります。

(この人生を最後まで全うすると言う事ではありません、あくまで「舞台」を全うする事です。
次元移行は進んでいますので、そこに向かう方は肉体を持っての移行ですので、肉体を「脱ぐ」必要はないようです)


普通の映画と違う所は、スクリーンと言う平面に投影される二次元の画面ではなく、精巧に作られたホログラム、3次元映画の中に入り込み、自分を取り巻く全角度に、風景や登場人物が完璧に投影されていますので、これが現実と受け入れています。
その仮想現実もまた、学びの為であった(古い)現実世界なのです。


しかし、これから向かう高次、そしてその先に有る更に高い次元になると「物」と言う概念すら消滅して行く世界となって行きます。
全てが「光」として構成される世界と言っていいかと思います。
この世界では、今までの3次元的世界が存在しませんので、逆の見方をすれば、その高次では今までの次元と同じ経験(学習)が出来ないと言う訳です。


自分では気がつかないこのホログラム映画の世界に戸惑い出口を見失っていたら「これは映画だよ」そう自分に語りかける事により、意識がそのシアターの壁を通り越し外界と繋がって行きます。

ぜひ、今私たちは映画を「楽しんでいる」最中で、それが終わりシアターを一歩出れば、そこに「次に経験する真実の世界」が広がっていると信じてみて下さい。
「次の真実の世界」そこでは今までの3次元の学びは終了しています。


太閤秀吉が辞世に残した句、「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」(自分の人生は露の様なものだった、大阪城に移り過ごした日々も結局は夢でしかなかった)少し切ない見方かもしれませんが、これは今までの3次元の真実です。

この句に、返句し、今回の話題を終えようと思います。
「露一つ 消えて目覚めん真の世に 憂いなからむ光かな」



<転載終了>