歴史の探訪者さんのブログより
http://ameblo.jp/xp2012zx/entry-11512648067.html
<転載開始>
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【鹽竈神社とティオティワカン・太陽のピラミッド】

【ピラミッドを描く塩竈神社】

志波彦神社・鹽竈神社(しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ)は、宮城県塩

竈市にある神社(二社が同一境内に鎮座)

同じ境内に二つの神社が有るという変わった配置になっていますが建物の方位線

を書き込むことで意味がわかってきます。

 志波彦神社の直角ラインは天橋立方向に向かっています。そしてその延長には

宮島(厳島神社)が存在しています。

またこのラインを北北東方面に延長すればすぐに【松島】に至ります。

志波彦神社は日本三景を結ぶために西北西向きに配置されているのです。

また志波彦神社と鹽竈神社は【45度】の角度で配置されているため建物ラインを結ぶことで【ギザのピラミッド】を上空から視た形が浮かび上がってきます。

鹽竈神社の横のラインを延長すると【雲崗石窟】と【ハラッパ】を結んでいます。

(重要な場所は世界との地理的関連も調べる必要性が有ります。)


縄文時代における巨大聖地で有った【鹿島神宮】は【十和田・矢筈山】と結ばれ

【鹽竈神社】は銚子の【都波岐神社】と結ばれる事で【キリストの墓位置決定】

関わっています。

ギザのピラミッドは雄牛神・エンキの子であるマルドゥク(ラ-)の象徴です。

【鹽竈神社】は【一ノ宮配置】には関わっていません。しかし歴然と【ピラミッ

ド】を描き出します。

鹽竈神社に祭られている【塩竈明神】もシュメ-ル神としての名前が有るはずで

す。

日本の神社に深く関わりを隠し持っている【イシス神】の名前はエジプト名です。

シュメ-ル名は【イナンナ】で雄牛神・エンキと激烈なる戦いを繰り返した【天

空神・エンリル】の孫が【イナンナ】です。
【イナンナ】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%8A 

(王権を授与する神としてのイナンナ [編集]
イナンナ神は外敵を排撃する神としてイメージされており、統一国家形成期には王権を授与する神としてとらえられている。なお、それに先だつ領域国家の時代、および後続する統一国家確立期においては王権を授与する神はエンリルであり、そこには交代がみられる[1])

(シュメ-ル神話でのイナンナはエンキと対立した側から書かれており戦いの神として描かれます。)

雄牛神の称号は【マルドゥク】に渡されさらに【オシリス】に受け継がれます。

シュメ-ル神話やメソポタミア地域では戦いを繰り返した【エンキ派】と【エン

リル派】は孫の代で終結しエジプト神話ではその後の平和共存と残党・セトとの

戦いして【オシリスとイシス神話】が書かれるのです。

イシスは【再生と蘇り】の象徴でもあります。


 多くの縄文遺跡や神社の一つ一つが【ランド・マ-ク】の意味を持ち様々な情

報を含んでいます。

出雲大社に祭られる神々は遙か彼方の【エルサレム】を向いており弥生時代を築

いた民も縄文人が世界へと分布しその土地で様々に混血し時代を進めるため再び

帰ってきたのです。

【ティオティワカン遺跡】は【亀ヶ岡遺跡】とピラミッドラインで結ばれていま

すが【ティオティワカンの太陽のピラミッド】は【鹽竈神社】と同じ方位角を持

っています。

【神社はピラミッドや磐座を継承したモノと言えるでしょう。】

シリウス聖方位で検索すると【ティオティワカの太陽のピラミッド】が聖方位と

書かれていますが聖方位を鏡写しにした構造で向きはシリウス方位とは逆です。 

【飛鳥のシリウス「聖方位」と石造】
http://blogs.yahoo.co.jp/manase8775/3137951.html 


【聖方位】
http://221110sw.qj.shopserve.jp/hpgen/HPB/entries/19.html 

シリウスが人類のふるさとであり、古代メソポタミア時代からシリウス信仰があったと 前述しましたが、その証拠が現在でも残されています。それは「聖方位」といわれる もので、古代の神殿、神社仏閣は、冬至の夜に位置するシリウス星に向かって、総て 建造されているということです。日本では聖徳太子が建立したとされる法隆寺、中宮 寺、法起寺、さらに広隆寺、四天王寺などの寺院がそうですし、斑鳩京(いかるが きょう)、平安京の都そのものも、その「聖方位」に従って建設されたといわれています。

 古代では、シュメールのジグラッド神殿、バビロンの神殿、そしてメキシコのテオ ティワカンの太陽の神殿といわれるジグラッドも、この「聖方位」に向かって建造さ れています。ギザのピラミッドも実はそうなのです。ピラミッドにある通気孔と呼ば れる通り道が、ピッタリとシリウスを目ざしているのです。

 そして古代の都市も、その中心となる神殿から「聖方位」に向いてのびる大通りを 中心に建造されました。バビロニアのバビロンを始めとして、ローマのポンペイ、メ ソポタミア、ペルシャ、そして中国西域にある西安、洛陽の都市がこれに当てはまり ます。

【聖方位】

 聖方位とは、日本の著名な研究家で古代史家の【渡辺豊和教授】
(京都造形芸術大学)が最初にペルセポリスと日本の巨大前方後円墳
および主要神社、仏閣に共通する不思議な方位として発見し研究されたもので、真北から20度西に振った特別な北を持つ方位のことだ。
言うなれば、北が20度西に振れている角度である。
これを私は「聖方位」と名づけ、日本を中心にペルセポリス、バビロンなど多くの実例とその関係を研究したのが『シリウスの都 飛鳥』(たちばな出版 二〇〇五年)だ。(るいネット記事より抜粋)

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=216602 

【日本三景】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E6%99%AF 


【鹽竈神社】(志波彦神社・鹽竈神社)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BD%E7%AB%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE



<転載終了>