mariscoさんのサイトより
http://ameblo.jp/koji-kitano/entry-11510681154.html
<転載開始>
『精神エネルギー』
~ Spiritual Energy ~
政木和三
第三章 肉体と生命体
人の出合いと前世の縁
昭和六十二年三月十四日午後一時半、サイ科学研究集会(第九十八回)においてアトランチスの奇跡が起こった。
当日は、私の体験による前世の縁と出合いについて話す日であった。私の前世(三百八十年前)における第十一番目の息子の出現によって、前世の墓が古河市で見つかった等の話をして一時間が過ぎた。ついで、アトランチスから届いた『賢者の石』を取り出してからのことである。
(この『賢者の石』とは、昭和六十一年十月十六日に米国のウィリアム・カウツ博士とメキシコのチャールス・ヌウ氏がエジプトへ行ったときに、エジプトの神官から、『この石はエジプトに六千年前から伝えられたものです。あなた方は近いうちに日本へ行くことになっているので、この石を渡します。日本に行けば、この石を受け取るべき人に必ず会うことになっております』と言われ、預かって来たものだった。
岡山の林原生物化学研究所で、私がそのふたりと会って、『これはあなたのものです』と言われてその石を渡された瞬間、私の掌はものすごく熱くなった。
この石のことを、前世では松平のお殿様であった人に電話で話したところ、『その石はキュウリの輪切りの形をしていますね。それはアトランチスにあった「賢者の石」です。エドガー・ケーシーの本に書いてありますよ』と告げられた。)
http://ameblo.jp/koji-kitano/entry-11510681154.html
<転載開始>
『精神エネルギー』
~ Spiritual Energy ~
政木和三
第三章 肉体と生命体
人の出合いと前世の縁
昭和六十二年三月十四日午後一時半、サイ科学研究集会(第九十八回)においてアトランチスの奇跡が起こった。
当日は、私の体験による前世の縁と出合いについて話す日であった。私の前世(三百八十年前)における第十一番目の息子の出現によって、前世の墓が古河市で見つかった等の話をして一時間が過ぎた。ついで、アトランチスから届いた『賢者の石』を取り出してからのことである。
(この『賢者の石』とは、昭和六十一年十月十六日に米国のウィリアム・カウツ博士とメキシコのチャールス・ヌウ氏がエジプトへ行ったときに、エジプトの神官から、『この石はエジプトに六千年前から伝えられたものです。あなた方は近いうちに日本へ行くことになっているので、この石を渡します。日本に行けば、この石を受け取るべき人に必ず会うことになっております』と言われ、預かって来たものだった。
岡山の林原生物化学研究所で、私がそのふたりと会って、『これはあなたのものです』と言われてその石を渡された瞬間、私の掌はものすごく熱くなった。
この石のことを、前世では松平のお殿様であった人に電話で話したところ、『その石はキュウリの輪切りの形をしていますね。それはアトランチスにあった「賢者の石」です。エドガー・ケーシーの本に書いてありますよ』と告げられた。)
会場にいた一婦人が、何国語ともわからない言葉でしゃべり出した。
歌を唄っているような、なめらかなきれいな言葉であった。
『前に出て、政木先生の所でお話しください』と、司会者の木村会長が言った。
お名前は本城さんという方で、この会場へ入る前に階段の所で見かけたとき、心に何か異常な動きを感じた人である。
彼女は私につぎのように語りかけてきた。
『この石はあなたが一万二千年前にアトランチスの神官のとき持っておられたものです。私はそのとき、神官のハーモニーをやっていましたので、その石のことはよく覚えております』
これは日本語ではないので、私は、一般の方のために『この人の言葉はアトランチス語です』とマイクで会場に告げた。
(こちらを証明する物的証拠となる音源が政木先生のお話し『精神エネルギーⅢ』音源内11分40秒以降~15分過ぎよりアトランチス語を話されているご婦人の声を聴くことができます)
そのうちに、会場で別の女の人が泣き出した。司会の木村会長が『どうしたのですか』と聞くと、『わけも分からず胸がいっぱいになって泣けてくるのです』と言う。
そのとき、本城さんはその人を指差して、『あなたは一万二千年前、アトランチスで私の妹だった人です』と日本語で言った。
この昭和六十二年三月十四日のことは、今思い出しても胸が熱くなってくる。
私は、小学校三年生のころから毎夜のように、腹式の深呼吸を一時間から二時間ぐらい行ない、千里眼に近い状態となって、このころ日蓮宗に入信した母に経本を全部解説していた。しかし、母が死去する九十歳の誕生日の一日前に、『和三がお経の説明をしてくれたから、意味がよくわかっていた』と言うので、その経本を取り出してみると、漢文ばかりで今見ても意味のわからぬ難解なものであった。
また、そのころから、一ヵ月に必ず一回は同じ夢を見た。それは六十歳くらいまで続いた。そして、そのことを人に告げていたが、今から十五年ほど前に、水中カメラが撮影したアトランチスの風景がテレビ放映され、そのテレビを見てから、私は毎月一回の夢を見なくなった。
水中カメラの風景がアトランチスであったことにより、私は一万年前にはアトランチスにいたと信ずるようになったわけである。
三百八十年前の私は、徳川幕府に建白書を出し閉門により松平家に預けの身となった。その松平家の殿様とは松平忠之のことで、後に藤井姓を名乗ることになる。その末裔が『賢者の石』を私にキュウリの輪切りだと言った人で、私の前世における十一番目の子供の夫である。
ある結婚式の日、その夫の父母に私の前世の話をしたところ、しばらくして、両親は茨城県の自宅付近を散歩して私の前世の墓を見つけ、その写真を送ってきた。ちょうどその日、私の部屋へプロレスラーのアントニオ猪木氏が来ていたが、その写真を見つけ、かれも『これは私の家の近くです』と言った。
私の近くにある人は、すべて前世に深い縁のあった人たちばかりだと思う。
池田光政、板倉勝重、そして熊沢蕃山と、肉体は滅んでも生命体は永久に生き残り、何十回も何百回も縁を成して同じ世代に生きてゆくことを、体験をもって深く知らされたものである。
初版発行:1987年6月25日
重版発行:1993年
著者:政木和三
発行人:赤尾文夫
編集人:新井政義
発行所:㈱旺文社
印刷:日新印刷㈱
製本:㈲市川第二製本所
政木和三先生は、昭和五年生まれの私の実父が小学生時代の頃より電気のイロハを教わり(実際に、電気ギター制作等々、様々な電気技術のご享受を賜ったそうです)、その後、数々のお仕事をお世話頂き、政木先生がお亡くなりになる最後の最後まで、私も含め家族ぐるみのお付き合いをしていただき、今も尚、心の底よりとても尊敬し、感謝している恩師・師匠です。
ご晩年にご発刊なされた『未来への発想法』を以前にこのブログ内にて全内容を紹介させて頂きましたが、政木先生からのご神示があり、同じく廃刊となった約26年前の著書である『精神エネルギー』を、これから毎日少しずつではありますが紹介させて頂きますので、暫しお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
<転載終了>
『精神エネルギーⅢ』 政木和三先生(故人)のお話し 3/3
KNESTinc
アップロード日: 2012/03/01
歌を唄っているような、なめらかなきれいな言葉であった。
『前に出て、政木先生の所でお話しください』と、司会者の木村会長が言った。
お名前は本城さんという方で、この会場へ入る前に階段の所で見かけたとき、心に何か異常な動きを感じた人である。
彼女は私につぎのように語りかけてきた。
『この石はあなたが一万二千年前にアトランチスの神官のとき持っておられたものです。私はそのとき、神官のハーモニーをやっていましたので、その石のことはよく覚えております』
これは日本語ではないので、私は、一般の方のために『この人の言葉はアトランチス語です』とマイクで会場に告げた。
(こちらを証明する物的証拠となる音源が政木先生のお話し『精神エネルギーⅢ』音源内11分40秒以降~15分過ぎよりアトランチス語を話されているご婦人の声を聴くことができます)
そのうちに、会場で別の女の人が泣き出した。司会の木村会長が『どうしたのですか』と聞くと、『わけも分からず胸がいっぱいになって泣けてくるのです』と言う。
そのとき、本城さんはその人を指差して、『あなたは一万二千年前、アトランチスで私の妹だった人です』と日本語で言った。
この昭和六十二年三月十四日のことは、今思い出しても胸が熱くなってくる。
私は、小学校三年生のころから毎夜のように、腹式の深呼吸を一時間から二時間ぐらい行ない、千里眼に近い状態となって、このころ日蓮宗に入信した母に経本を全部解説していた。しかし、母が死去する九十歳の誕生日の一日前に、『和三がお経の説明をしてくれたから、意味がよくわかっていた』と言うので、その経本を取り出してみると、漢文ばかりで今見ても意味のわからぬ難解なものであった。
また、そのころから、一ヵ月に必ず一回は同じ夢を見た。それは六十歳くらいまで続いた。そして、そのことを人に告げていたが、今から十五年ほど前に、水中カメラが撮影したアトランチスの風景がテレビ放映され、そのテレビを見てから、私は毎月一回の夢を見なくなった。
水中カメラの風景がアトランチスであったことにより、私は一万年前にはアトランチスにいたと信ずるようになったわけである。
三百八十年前の私は、徳川幕府に建白書を出し閉門により松平家に預けの身となった。その松平家の殿様とは松平忠之のことで、後に藤井姓を名乗ることになる。その末裔が『賢者の石』を私にキュウリの輪切りだと言った人で、私の前世における十一番目の子供の夫である。
ある結婚式の日、その夫の父母に私の前世の話をしたところ、しばらくして、両親は茨城県の自宅付近を散歩して私の前世の墓を見つけ、その写真を送ってきた。ちょうどその日、私の部屋へプロレスラーのアントニオ猪木氏が来ていたが、その写真を見つけ、かれも『これは私の家の近くです』と言った。
私の近くにある人は、すべて前世に深い縁のあった人たちばかりだと思う。
池田光政、板倉勝重、そして熊沢蕃山と、肉体は滅んでも生命体は永久に生き残り、何十回も何百回も縁を成して同じ世代に生きてゆくことを、体験をもって深く知らされたものである。
初版発行:1987年6月25日
重版発行:1993年
著者:政木和三
発行人:赤尾文夫
編集人:新井政義
発行所:㈱旺文社
印刷:日新印刷㈱
製本:㈲市川第二製本所
政木和三先生は、昭和五年生まれの私の実父が小学生時代の頃より電気のイロハを教わり(実際に、電気ギター制作等々、様々な電気技術のご享受を賜ったそうです)、その後、数々のお仕事をお世話頂き、政木先生がお亡くなりになる最後の最後まで、私も含め家族ぐるみのお付き合いをしていただき、今も尚、心の底よりとても尊敬し、感謝している恩師・師匠です。
ご晩年にご発刊なされた『未来への発想法』を以前にこのブログ内にて全内容を紹介させて頂きましたが、政木先生からのご神示があり、同じく廃刊となった約26年前の著書である『精神エネルギー』を、これから毎日少しずつではありますが紹介させて頂きますので、暫しお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
<転載終了>
『精神エネルギーⅢ』 政木和三先生(故人)のお話し 3/3
KNESTinc
アップロード日: 2012/03/01
開催:1992年3月8日
主催:㈱能力開発研究所
収録時間:約80分
講演会をご収録された
杉山社長(故人)様に対し
心の底より感謝致しております。
画面中に表記されています文字は一切関係はございません。