7 念と執着
[問] 病気で苦しんでいる主人、あるいは主婦が、もしもその病気で死んでしまった
ならば残された家族は不幸です。そこで、神に念じ、どうぞこの病気を治してく
ださいというその心は、いったい執着につながるのか、それとも慈悲の心なの
ですか。
それは立派な慈悲の心です。残された家族の行く末を考えると、いまここで死なれては困る、
子供も小さい、神よ、どうぞ病に苦しんでいる人を救ってください、という心が執着であるはず
がありません。
ただこういう場合があります。念じる人の立場です。たとえばある人に金を貸しました。人が
病気になった。その人がもしも死んだら貸した金が取れない。そこで貸した金を返してもらうた
めにその病気を治してくれと神に念ずる。これは慈悲というより執着でしょう。ですから、念じる
人が、どういう心で念じているかによって、慈悲になり、執着にもなります。
ここで念について考えてみましょう。念のなかには三つの性質が含まれています。一つは
「エネルギー」として、もう一つは「ねがい」、さらにもう一つは「循環」です。エネルギーとして
の念は、ふつう念力といわれるように、念はいわゆる力であり、力はエネルギーの集中され
たものです。人間の精神は、エネルギーの集まりによってできており、ものを考える、思う、
念ずるの、精神活動は、そのエネルギーの放出された状態をいいます。ですから、ものを考
える、あるいは心配すれば、内にあるエネルギーが消費されるのですから疲れを覚えます。
しかし、エネルギーそのものは、モーターを動かす電気と同様に善悪に関係ありません。
問題は「念」として、エネルギーが放出される時は「ねがい」という意識活動が伴います。
この意識活動が、欲望を主体しているか、欲望から離れた慈悲、愛から出たものであるか
によって、その念は、その人に、あるいは第三者にいろいろな状況を生み出してゆきます。
すなわち、念のなかのもう一つの性質である「循環」の作用です。念は波動であり、波動は
山彦と同様に、発信者に必ず帰ってきます。つまり、悪の念には悪が、善には善がハネ返
ってくるのです。すなわち念波は、あの世にただちにコンタクトされ、善の念波は天使に、悪
は地獄に通じます。
したがって慈悲、愛の心で、病気を治して欲しいと念じたとすれば、その念力はあの世の
天使に通じ、そして加護をうけ、病気をなおし、慈悲を与えたその人にも光が与えられるの
です。悪はこの反対です。
次は執着ですが、執着とは「モノにこだわる」ことをいいます。「これは俺のものだ」「俺はこれ
これのことをした。だから感謝されるのは当然だ」「俺はあいつより偉い」「俺は有能だ」「死にた
くない」などなど、想いが深く重く沈んでいる状態をいいます。
ふつう人間の意識活動は、念と執着がまざり合って動いています。比較的念の強い人に世の
成功者が多いようです。そのため強欲な人ほど成功するので、悪人が栄え善人がバカをみるよ
うな社会をつくっていますが、成功者が必ずしも安心した生活を送っているとはいい切れません。
多くの物を持つだけに、絶えず不安と不信のなかで生活することが多いのです。
これはなぜかといいますと、念と執着がまざり合い、ぶつかりあい、念の作用である循環の作用
をうけているからです。正しい念は中道という慈悲、愛を目的としたものを最上とし、そうあるべき
が人間本来の姿だからです。
[問] 人間は本体一人と、五人分の分身から成り立っているといいますが、なぜ五人も
分身が存在するのですか。全体で、なぜ、六人になるのですか。
生命も物質も、三つのプロセスからできています。地球に生命が宿るのは、太陽、月、そして
地球という三位一体の構成からです。地球(地上)は気圏、水圏、岩圏から成っています。原子
は、核外電子、中性子、陽電子からできており、電気は陽性(+)中性(N)陰性(ー)から、細胞
は大きく分けて原形質、細胞質、核の三つから構成されています。
物質の成立は、宇宙の大意識をまず出発点として、第二に熱、光、電気、磁気、重力のエネ
ルギーが組み合わさって、物質という第三の現象化が行われています。一度、物質化された
エネルギーは、ある時間だたつと、分散という過程を経てエネルギーに還っていきます。
またエネルギーの物質化はエネルギーが集中されてできあがります。つまり、大意識(神)を
離れた五つのエネルギーは、集中、分散という過程を通して、あるときは物質化され、エネルギー
にもどってゆくという三つのプロセスを踏みながら、循環の法のなかで、永遠に、その循環をくり
かえしていくのです。
生命もこれと同様に、まず第一に宇宙の大意識から、第二に個としての生命が、あの世すなわ
ち実在界に誕生し、第三に現象界に姿を現わす。一度、現象界に出た生命体は、この世とあの世
の転生をくりかえし、この世に生まれ出るときは、両親という媒体(縁)を経て、姿を現わします。つ
まり、大意識から離れた生命は、あの世、両親、この世という三つのプロセスを踏みながら、循環
の法のなかで生きるように仕組まれています。
さて問題の人間の生命体である一本体、五分身についてですが、人間の生命体は三つの系列
からできています。
一の系列=男本体一、男分身五
二の系列=女本体一、女分身五
男本体一、男分身二、女分身三
三の系列{
女本体一、女分身二、男分身三
三つの系列においても、生命、物質の仕組みである前述の構成要素が、人間の生命にも当然
あてはまっています。大宇宙は三つの構成からでき上がっていますので、人間だけが例外という
わけにはゆきません。
次に、本体一と分身五の理由は、この大宇宙が、神の大意識を母体に熱、光、電気、磁気、重
力という五つのエレメントからできていますので、人間の生命体もこれに合わせて、本体一(大意
識)分身五(エレメント)の組み合わせになっているのです。人間を称して、小宇宙というのも、生命
の成立が、このように大宇宙の構成と同じようにできているからです。
一つの系列から三の系列を含めて、男女の数は同じです。もしも、一と二の系列、二と三の系列
のみとすれば、この地上の男女の均衡は破れる恐れがでてきます。地上の歴史が証明するように、
人間は六根に支配されるようにできています。戦争、災害によって男が減り、女ばかりになったらど
うでしょう。一から三までの系列があってはじめて、男女の均衡がたもたれるように仕組まれている
のです。また三つの系列があるために、人類の目的が調和にあるといえるのです。
9 魂のグループとその活動
[問』 一、魂のグループの組み合わせは永遠に変わらないのですか。
二、魂のグループは深い因縁に結ばれるため、地上の家系も似たようなところに生
まれるのですか、それとも、全然ちがうものなのですか。
三、人それぞれ使命があるということですが、その使命は神から分かれた時から生
じたのですか、それとも、時々の環境によって変わるものですか。
四、魂のグループをつくる六人の天上界の位置はみな同じですか、二人が地獄にお
ちた場合は、グループのバランスはどうなりますか。修行によって徐々に向上する
のですか、それとも最初から定まっているのですか。
一、魂のグループは永遠に変わりません。変わったら人格が変わり、分裂してしまいます。
金や銀、銅などの原子番号をみてみて下さい。分子の数がそれぞれ決まっていて、その決
まっている数によって金をつくり、銀という鉱物を形成しています。私たちの人格もそれと同
じように、六人の組合わせは変わらないし、変わらない人格が永遠の転生をつづけているわ
けです。
二、このように六人は、神の摂理で結ばれ離れることはできません。地上の家系と六人の
魂との関係はほとんどありません。地上の家系は肉体の家系であり、魂とは直接関係がない
ばかりか、前生の魂のあり方によって、環境(家系を含めて)を選んで出生するので、同じグル
ープでも全然違ったところに出てくるわけです。たとえば、その時々の状況によって、僧侶の
家庭に生まれたり、サラリーマンであったり、経営者の家に生まれたりします。また、日本で
生まれたり、中国に生まれたりしますので、家系は関係ありません。この意味から魂のグル
ープは天上界でのみつながっているといえます。
三、使命というと、なにか特別な目的を連想しがちですが、この地上界で生活する者で使命
のない者は一人もおりません。誰も彼もが、それぞれの使命を持っているから地上に出生して
いるのです。その使命とは全体の調和に役立つためです。他を生かし、協調協力の奉仕の生
活は、とりもなおさず使命にもとづいた生活です。使命にもとづかない生活とは自己本位の生
活です。人はどうでも自分さえよければよいというエゴ、執着、足ることを知らぬ欲望ーこれで
は人間本来の目的と指名からはずれることになります。
あなたは人には特別な使命があるように思い、そう願っているようですが、もちろんそれもあ
りますが、人びとと明るく調和した生活をすること以外に人間の目的も使命もあるわけはない
のです。人間が神からわかれたときからそう決められており、職場や性別、老若の別によって
差別があるものではないのです。カン違いしないようにしてください。
四、グループの六人の全体の位置は徐々に向上します。ある一定の段階にとどまる人もあり
ますが、長い目で見ると誰も彼もが向上しています。最初から決まっていて、それ以上は向上
しないというものではありません。地獄に二人とも堕ちるということはあり得ません。一人が地
上に出て失敗するから地獄に堕ちるのです。残り五人は天上界で生活しています。地獄に堕
ちた魂は、時が経てばやがて悟って五人のいる天上界にのぼって行きます。
六人のグループは悩み、なんとかして地獄に堕ちた一人を助けたいと願います。しかし、地獄
に堕ちた魂は、その過ちに気付くまではグループのもとに戻ることができないのです。
このため、天上界の五人は、いつも地獄の一人が気になり、天上界での活動が制約されてき
ます。一家の中で誰か一人病人が出たり、家庭の調和を乱す人がいると、親でも子どもでもそ
のことで悩みつづけ、精神的に苦痛を背負うのと同じ理屈なのです。
天の数歌などの祝詞
http://www.youtube.com/watch?v=0AgRMYPXOr8
kyouca
公開日: 2012/09/21
いろいろわかる人が言うにはこの順番で唱えると大変よろしいそうです。
簡易verの天地の数歌をひふみ祝詞代わりにしても良いんだとか
ちなみにVoは巡音ルカです。
作曲はチューハイ(のぞみまつき)P、イラストはもじ助氏です。
チューハイ(のぞみまつき)P
http://piapro.jp/CHU_HI
もじ助さん
http://piapro.jp/rave123
皆さんありがとうございます。
元動画(元ネタ?)はこちらです
http://www.youtube.com/watch?v=yeo-yr...
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7318116
祝詞も掲載しておきます、詳しくは日月神示を。
こちらもご参考までに
http://ncode.syosetu.com/n9876h/
http://123.mikosi.com/
天の数歌
ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり
ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり
ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり
(3回目で)もも ち よろず
ひふみ神言
ひふみゆらゆら
ひふみゆらゆら ひふみゆらゆら
ひふみゆらゆら ひふみゆらゆら ひふみゆらゆら
他の動画もリンクしておきます
ひふみ祝詞など
http://www.youtube.com/watch?v=H_j-Yb...
ひふみ祝詞など(アオウエイ祝詞有り)
http://www.youtube.com/watch?v=7yyfLY...
天の数歌など(アオウエイ祝詞有り)
http://www.youtube.com/watch?v=h9g1Bg...
アオウエイ祝詞だけ
http://www.youtube.com/watch?v=kDmR6Q...
元気丸さん、ありがとうございます。