インターネット正法さんのサイトより
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<転載開始>
高橋信次先生講演 人生の目的と使命 6

それですから自分自身の心で思うことは、即座に相手にも通じてしまいます。自分の生命を持っておっても、これは自由になりません。

それだけ悪い心が起これば、即座に神の光は消えてしまいますから、自分ですぐ反省します。なぜこのように心が暗くなったのか、その原因を追求して来て、再び反省した時に、神の光は我々に燦々ととふり注いで参ります。

そしてこの地上界に出て来て「今度こそは、今度はやるぞ」といって出て来るのです。

この地上界に出て、わずか一〇パーセントの表面意識で、人生を渡って行くために、私たちの心というものは解りません。そのために皆さま自身が今自由に行動をしておりますが、本当は暗中模索の人生ですから、また修行にもなるのです。このことは実在界においては全部解っております。

今度こそ使命を果たしてきますと送られて出て来たところが、その約束を破棄して、自分自身が物質の奴隷となり、心というものを見失っていくのです。

そういうことを皆さまが本当に知ったならば、今、両親に対して感謝する心を、行為に表わし親孝行するのは、万物の霊長として、神の子として当然のことなのです。ところが現代の多くの人々は、そのような心の持ち合わせはなく、親が勝手に生んだのだとか、教育するのは親の当然の責任だとかいいます。

貧乏に生まれれば、親を恨み、世間を恨みます。この地上界へ出て来る時、あの世において、金とか、地位とか、名誉とか、こんなものは関係ないのです。

ただひたすら永遠に変わらないところの、皆さまの船頭さんである魂、この魂を磨くということがまず第一なのです。その魂の中心である心が、すべての苦しみや、悲しみを作る、その根本を説くべきキリスト教も、また仏教も、永い歴史に中にゆがめられて人々の食いものになってしまったのです。

そのために、偉大なる心の働きという「正法」は、人々の知と意によって、ほこりとちりにまみれてしまったのです。

私たちは、このほこりを払いに地上界に出て、その道を説いているのです。

私たちは今から二千年前のイエスの神理、また、二千五百余年前の釈迦の神理に戻すために、ほこりを払いに来ているのです。
そこで皆さま自身が、正法神理の偉大性を悟り、心こそ永遠に変わらない己自身であり、永遠の生命の中で今地球上の最も不安定な修行所において、己自身が今も修行しているのだという自覚を得た時に、私たちは偉大なる神の子としての神理の実践行動の中に、皆さまの心は神の光によって包まれて行くのです。

このような事実を我々は知って、実在を通し、神の子として、この世の中でなすべきことは、お互いに助け合うことなのです。己自身が足ることを知ることなのです。現代社会に心を失ってしまった多くの人々は、足ることを忘れて、己の私利私欲、自我我欲を満足させようとしております。

果たしてそれで調和がありうるでしょうか、その事実を歴史を追って考えてみましょう。

高橋信次先生講演 人生の使命と目的7

私たち人類は、この地上界に天孫降臨(てんそんこうりん)して来たのです。その当時の文明は、現代の科学よりはるかに進歩していました。そして地上界に出て来た人類は数千人でした。この人類はこの間にユートピアを作り、心は実在界(あの世)と常に直接通信されていたために、心に執着がなく、このために当時は、八百才、千才と、この地上界で優雅な楽園を築いていたのです。

人間はそのうちに、子孫が殖えるに従って、己が子孫を大事にするようになり、子孫子孫と一つの枠を作り、その中についに原始共産体制というものを作り、権力によってこれにはむかう者は滅ぼされていったのです。

( 商は現代の武力 )
 
こうして武力はやがて豪族を生んで行きます。そして豪族はいつの間にか他の豪族との争いを展開していったのです。その展開していった豪族の争いは、武力、権力の力の差によって、弱肉強食の現象を起こして斗争と破壊を繰り返して行きます。

そのうちの有力な豪族によって統一されて行くに従って、その武力は武将を生んでしまいます。武将は自分の地位と環境と名誉を守るために、彼らはその武器の力によって、封建社会というものを作っていたのです。

日本でいえば、士・農・工・商、自分の永久的地盤、子孫を崩さないために、金力と武力と権力によって、彼らは自分の地位を築き上げて行きました。

その中に武器というものを商品とした商人が、彼らと組んで要領よく介入して、不調和な争いと斗争を、しかけていくようになったのです。

そして彼らは資本主義社会というものを作っていったのです。武力の時代には自由というものがありません。

日本では、特に日蓮の出た当時などは、厳しい封建社会の環境でありました。そういった時代に正しい法が説けるでしょうか。いわんや私たちがかっての封建時代に、今のようなことをいったらどんな事態になるでしょうか。

商人の台頭により徐々に封建社会が崩れ、ついに資本力が、この世の中を支配するようになって行きます。この資本主義社会というものでは、経済という力を持って相手が築き上げてきた会社、株を買い占めることもできるのです。

金力をもって人間を奴隷にすることもできるのです。

高橋信次先生講演 人生の目的と使命 8

このような不平等な社会に、常に疑問をもって、底辺の人たちが、このような世の中で良いのだろうかと、ついにこれが理論体系づけられて、千七百九十八年、オーギユスト・コントという人が出て実証哲学というものを発表します。

この世の中というものは、ナポレオンのような権力者によって多くの人々が犠牲になってよいだろうか、これが本当だろうか、彼らは疑問を持ち、社会というものはこんなものであってはいけないのだと説きました。

千八百二十年には、ハーバード・スペンサーといわれる方が、イギリスに出て、社会有機体説というものを発表し、、カール・マルクスは資本家と労働者が斗争する中に、文明は発達して行くのだと、斗争によってこそ勝ち得ることができるのだというマルクス・エンゲルスの唯物史観というものが生まれて参りました。
こうして資本主義に対する共産主義が生まれて来たのであります。

しかし、資本主義にしても、共産主義にしても、その根本になる心というものの存在が、どこにあるでしょうか。すべて物質と経済という、この二つのものを根底にして、彼らの基礎は成り立っているのです。

しかし自らの真の心を、己自身が求めようとするならば、もはや、このような資本主義にしても、共産主義にしても、この中から発見することはできないのです。
それを人々は、宗教に求めていったのです。

ところが宗教もすでに末法と化しているため、安住の世界を探し求めても、心というものが、ハッキリとつかみ得なかったために、私たちはその本質的なものを己自身にキャッチすることができなかったのであります。また現代社会における、資本家と労働者がより反目して争っている、これは現代の物価の不安定も、その原因はどこにあるのか、それは労使双方にあるといえます。

人間は心を失ってしまい、神の子として、この地上界に出て、己の魂を磨き、神意の仏国土を作る目的なのです。斗争と破壊は万物の霊長である人類のなすべき行為ではないのです。万物の霊長に進化するところの動物たちが、そのような斗争と破壊を繰り返すのです。
 
人類はすべて話し合いによる調和、己自身の心をお互いに譲りあい、そして己自身に足ることを知った生活をすることが、まず大事なのです。
心を見失っているために、私利私欲に走り、人間がいつの間にか動物以下になり下がっております。

あの猛獣たちは、自分の腹がいっぱいになっていたら、決して他の動物を襲いません。人間は自分の腹がいっぱいになっても、欲望の 虜(とりこ)となり、あくことを知らない行為を繰り返している。これが本当の人間として、神の子として、なすべき行為でしょうか。

太陽は熱・光のエネルギーをすべて平等に与えているはずです。人間はみな平等なのです。だから皆さまは、自分の生まれた環境は、自分が選んだということを忘れてはならないのです。

なぜ人間はこのような経済的な苦しみをするのであろうか、なぜ病気をするのだろう
か、という皆さま自身が疑問を持った時に、私たちは人のせいにしてはならないのです。

自分が貧乏の環境の中から、いかに経済的に裕福にしていくかと考えるべきで、このようなものによって自分の心まで、貧乏にしてはならないのです。

例え人間が、人生を渡って行くところの肉体舟が欠陥車であろうとも、その船頭さんである魂まで欠陥車にしてはならないということを確かりと自覚しなければならな
いのであります。



高橋信次先生講演 人生の使命と目的9

こうなった時に、私たちの心こそすべての根本である。そしてこの心を永遠に我々は進化させ、そして過去、現在、何億万年も転生輪廻して来たところの改善された姿は、今皆さまの思っていること、行っている姿をよく見た時に、皆さま自身の過去は、今すべて集約された自分自身だと思うことです。

私たちは、このように魂の偉大性を知り、物質経済の中にあっては足ることを知り、お互いに己というものを中心にせず、大自然界は大調和の中に助け合って、生きているということを知ったならば余っているものは人々に布施し、足らん人たちに愛と慈悲を与え、お互いに平等である人間同志の心と心とのふれ合いによって、この社会を築いて行くことが、神の子として私たちの一番重大な使命なのであります。

この地球も大宇宙体から見たならば、小さな細胞にしか過ぎません。この大宇宙体は神の体であり、そして大宇宙体を支配しているものは、大宇宙の意識であり、これこそ本当の神なのです。

これを私たちは知らずに、あらゆる時に神様を祭ります。皆さまがこの目で、この体で、その神とふれ合い、話し合う能力を持っているならば神と認めることです。私たちはそのような神とは即座に自由自在に話し、彼らの実体をつかむことができるから真実を持っているのです。神は罰などは与えないのです。

皆さまが、自分の可愛い子供たちや、兄弟たちが不幸になることを、親として望みますか、愛と慈悲に満ちている神が人間を不幸にすることをしますか。

(病気は生き方の反省)
 
罰は皆さま自身が、神理を悟らずに、己の心に嘘の生活をした時に、嘘の行為をした時に、己自身の心の曇りによって神の光をさえぎって、その結果が原因を作って行くのです。そのようなことを考えた時に、病気をしても、すぐに医者へ行って注射をうてばすみやかに治ってしまうと思ってはいけません。

その前に、まずじっくり自分はこのような病気になぜなったのか、そのなった原因を追求していった時に、必ずその中には悪の根っ子があるはずです。それから医者に見て貰っても遅くはありません。

病気も一つの反省のチャンスなのです。我々はこのようなことをよく知り、毎日毎日の生活に対して、貧乏をしたからといって、自分の心まで貧乏にしたり、体が悪いからといって、自分の心まで欠陥車にしてはいけないのです。

私たちの魂というものは、今世がすべてではないのです。永遠の生命の中に、私たちは転生輪廻を繰り返し、あの世に帰り、この地球上に出る時に、皆さんの肉体という舟を頂き、またこの地上界を去る時には、親から頂いた肉体は、地上界へ置いて帰らなければならないのです。

そしてまた新しい肉体を持って、永遠の転生輪廻を続け、この地上界においては、太陽の熱・光のエネルギーで大自然の万物万生は育(はぐ)くまれ、皆さんの肉体を保存する事ができるのです。

一方においては、神の光はすべて万物平等に与えられて、慈悲と愛の中に、私たちは存在しているということを知ったならば、今の一秒一秒の人生に対する価値というものが判るでしょう。皆さまが何億、何千万年も転生輪廻して来て、自分自身が作った心の曇りを修正すること、これが私たちの地上界に生まれて来た目的なのです。

そして私たちが魂を磨くと共に、神の体である地上界を、万物の霊長である人間が心と心の調和によって、平和なユートピアを作っていった時に、皆さまはこの地上界に、偉大なる卒業者として、あの世で迎えられるのです。

私たちは、やがてあの世に帰り、自分自身の一生はすべて意識に記録されております。その記録された、思ったこと、行ったことを、自分に嘘のつけない善なる己自身が裁くのです。

皆さまは、自分の心に嘘がつけないように、その善なる神の証(あかし)の己の心が、なして来た己自身を裁くのです。その時に皆さま自身がなし終えなかったならば、執着となり、いったんは地獄界に堕ちて神の子として、自覚するまで地獄で厳しい修行をするのです。

自分が神の子であると悟ったならば、皆さまの心の曇りは晴れて、あの世にも照されているところの神の光を受けるのです。

このように、私たちが八正道を、中道の神理を通して、毎日毎日の生活をして、お互いに人々と助け合った人生を歩んで行くことが大事だということです。

(おわり)
 

<転載終了>