インターネット正法さんのサイトより
http://sunheart.web.fc2.com/sisikunokouenn4.html
<転載開始>
高橋信次師の最後の講演 16 八起正法先生編
智性と本能と感情と理性と想念、これを大きく分けますと、このようになっております。
丁度、風舟玉のようになっております。
そして心の中の機能というものはピシッとなっている訳ですね。これはもう一人一人あります。
或いは、こうやって見ますと、前の方には、きれいなピンク色の光の出ている人は、何かというと、もっか恋愛中ということです。

それと一定の年頃を過ぎても、ピンク色になっている人がいますが、こういうのは困りますね。
そこで今度は、心が丸くなっている人達というのは、身体からもきれいな後光が出ております。このように光がでております。ダルマさんのような、きれいな光が出ております。

こういうような光が出ております。やわらかい金色の光です。この光の出ている人達は、まず心は百パーセントきれいで、夜、寝ても地獄へ行かない人です。
夜、寝てから、追い駆けられたり、怖い所へ行ったり、もう、おどおどしているのは、まず、その前の日、寝る前に、あんまり良いことをしていない人達です。

ですから、心がこうやって、丸く、感情も智性も理性も想念もみんな丸く豊かであると、そういう地獄の世界に行かないわけですね。

ですから、夕べ夢を見て、どうも怖かったという人は、あんまり心が丸くなかったという証拠です。何か心配事がある。

何か、何かある場合ですね。

更に又、この心というものは、今までは形がないんだなんて思っていたけれども、とんでもないことですね。
私、ある講演をした時に、九州の方でした。心なんかあるものか。人間は、すべて頭で判断するんだというわけですね。

確かに頭で判断するんです。だから心は頭にあるんだというわけですね。一流大学の有名な一流のお医者さんで精神学会で日本で一番という人ですよ。
その先生が「頭がおかしくなったんですよ。それを治す為には、大脳をこのようにしなけりゃいかんよ」ということを僕の前でとうとうと言ったわけです。

そこで、「先生、心というものは、どこにあるんですか」と聞いたら「そりゃ君、頭にあるんだよ」。

ハハァーと思ったんです。その時にそれを説明したわけです。

「それでは先生は、嬉しい時、悲しい時に、こみあがってくるのは頭からこみ上って来ますか。」
「そりゃ君、ここだよ。」

「じゃ、こっちから、こみ上ってくるものは何ですか」ったら「それがわかりゃノーベル賞だ」もうそこまできたら、もう話しにならないんですね。



高橋信次師の最後の講演 17 八起正法先生編
そうして、(黒板に図で示し説明)光の方の肉体、こちらの方の見えないところの神の光よって満たされているために、心にスモッグがないから後光が出て来て、実はこれが本当の肉体なんです。
皆さんの、あの世に還る舟なんです。

そしてそちらにも、ちゃんと大脳も全部あるんです。
ですから今、皆さんの脳細胞は受信と送信をする一つの機能にしか過ぎないのです。耳で聞きます。聞いた聴覚神経は皆さんの脳細胞の聴覚の、一つの物を聞く機能、その信号を違う次元の方に送る装置にしか過ぎないのです。

ですから、今、物を見ますね。
〃赤〃っていったものは、視覚神経の〃赤〃しか見られないのです。
その〃赤〃自身を判読しているものは英語であろうが、ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、日本語であろうが、言葉が違うだけで、〃赤〃には変わらない〃赤〃はレッドと言えばレッドなんです。
脳細胞は二百五十億あります。

この二百五十億の中にそれぞれの一つの分野が神経繊維の一つは一方通行です。それでそれが記憶している訳です。
ですから世界各国、〃赤〃は赤なのです。ただ言葉が違うだけです。

ですから、本当に記憶しているのは光の方の肉体が記憶しているのです。
ですから皆さんが夜寝て、夢を見ている時に、自分の肉体を自分が見ていることがあるでしょう。
どうでしょう。

自分の肉体は、今、寝ているんです。
そして寝ている肉体の又、もう一つの肉体が活動しているのを、自分が又見ていますね。
そういう経験のある人、手をあげて下さい。
それは皆さんの光子体の本当の舟頭さん、その舟頭さんが見ているのです。それが皆さんの真の真我な自分です。

ですから、私達の今のこの肉体というものは、本当に皆さん、この世を去っていく時によくもまあ、こんな舟に乗っていたものだと思います。


高橋信次師の最後の講演 18 八起正法先生編
なにしろ私達は天上界でよく会議があります。肉体を持っているのは私だけですから、まず醜いですよ。
そして僕が一番、年寄りなんです。自分は若いつもりでいるのだけれども、相手側の方は皆、二十六、七歳、ミカエルが二十八、九から三十位、イエス様が三十六、七から四十歳位ですから、それですから膚の色が違うんです。

握手したならば、こちらは石のようなもので、相手の方はロイヤルゼリーか何か、なんともいえない、もう違うんです。
女性の方は、菩薩界におられる方は、何かミス・ユニバースみたいで、皆、美人です。目を覚してがっかりしちゃうわけです。
ですからこの地上界の皆さん、少し位顔がまずいからといってガッカリすることはありません。

いずれ天上界へ還れば、皆、美人だってことですから。我々のように、ニキビの噴火した跡なんか一つもありませんから。
これは光子体の方の肉体、皆、美人ですね。

もう、女の方なんか、本当に、全んど美人です。地獄界は別ですよ。地獄界へいったら例えば、魔王の近辺におるのなんかは、美人のような顔をしているけれども、心が、ころっと変わった瞬間に、もう口はサケてしまって、そりゃ、もう、まともには見られませんよ。
鬼ババアなんて可愛い方です。
おっそろしい顔です。骸骨のような姿になってしまうしね地獄界は又、別の世界です。
こりゃ、ミスブスなんてもんじゃない。表面がきれいだから と思ったら、とんでもない話しです。



高橋信次師の最後の講演 19 八起正法先生編
過日、私の家を訪問してきましたアステリアという魔王・サタンの姪が来ました。

それは私の持っている法輪をパーンと投げましたら、そこに引っかかって来たのを、皆んなの前に見せて、この通りだよと言って、手の中に踊っていたものですから、ポンと投げて、そのまま寝ちゃったら、夜寝ている最中に、成長しちゃいましてね。
私のフトンの中にはいって来たんです。
アレ、こんな女の人が、なんで、僕のフトンの中に、はいってくるの。

そして、しかし丁度アンマさんにかかっていたものですから〃なんで、お前は、こんな所にはいってくるか、出なさい!〃と言った訳です。
ところが按摩さんは見えないですからね。メクラだしね。〃私は何もしてません〃と言う。それはそうでしょうね。本人はビックリしちやうわけです。
こっちの方は見えちゃうし、向うは見えないんですから。

「いや、あんたじゃなくて、今、外人のものすごい美人の女の人が、私の隣りへ、お見舞いに来たといって、お見舞いに来たのに何でフトンの中に、はいるのか、出れ!」と言ったんだと言ったんです。

「ハアそうですか、私はそんな積りではなくて、私は何か悪い気がしました。」「いやそれは違うんだ」と、そんなことがありました。

それはもう外国の映画女優の、ものすごくきれいな女の人に似ていますね。
それでも、一旦、彼女が心をガラッと変えたら、もう悪党、鬼婆です。
口許は切れるは、まともには見られません。
それが地獄界の実体ですね。天上界はそんなことはありません。怒りもありません。
そして又、天上の世界の、今度は、心の調和されているエルランティという方になりますと、ここにパワートロンというものを持っています。

(以下図を書きながら説明)頭にちゃんとパワートロンというのをつけています。

パワートロンといいます。神の光をストレートで受けている光ですね。このパワートロンから、光がピューッとこうやって出ているわけです。
ですから見ておりますと、頭からも、身体からも光が出てきておりますから、光の化身だと思えばいいですね。
そうして、このパワートロンと、その人の、エル・ランティの心のところと、全く同じ位置、だいたい八十センチから七十センチのところに玉があります。このようになっております。これがドームです。
そして、このドームからも光が出ています。

やわらかい金色の光です。こういう光が出ております。大きな光ですね。

そして、このパワートロンの光が、このように発射していると同時に、ここに今度は魂の分霊ですね。
光の分霊である、イエス 様、モーゼ様、カンターレ、この意識がはいっております。
これから七十センチ位ですね。この頭の上から、そして例えば、私が、イエス様の当時の話をしますと、例えば、これがイエス様だとすると、今度、これがクルクルッと廻りまして、こちらの人の、私の身体の中にはいってくるから、今度、イエス様の顔になっちゃうわけですね。
お釈迦様のこんど、話をしますと、こちらが出て、今度、お釈迦様の意識がはいって、その当時の意識が身体の中にはいってくるから、今度、お釈迦様の顔になっちゃうわけです。


高橋信次師の最後の講演 20 八起正法先生編
ですから、普通、私が講演を全国して歩いとって〃あの方は、お釈迦様の生まれ変わりだ〃という人が出てくるわけですね。
見えちゃうから。インドの時、耳たぼなんかこんなに小さいのに、こうなってくるわけですね。
眼の方が、ずーっと、こうやって細くなってきちゃう。見とって、皆んなビックリしてしまうわけです。

そうすると、その人達にとって、お釈迦様に見えちゃうわけです。これは光の分霊っていうわけです。
エル・ランティの光の分霊、この光の分霊というのが、個性を持っておりますから、そうやって出て来ますね。ところがいつのまにか、お釈迦様や、モーゼや、イエス様や、或いは又、もっと下の方の段階におるところの回教、こういうのをメシヤというわけですね。

このメシヤを拝むようになっちゃった。メシヤ信仰になってしまった。これは大きな間違いですね。
メシヤの説くのは神の心である法を説きに来ているのです。
人間はこのようにしなければいけないんだ。メシヤ信仰ではなく、メシヤを信じることです。メシヤの言葉を信ずることです。
そうして、その言葉が法なのです。その法を行ずることです。これが本当の信仰なのですね。

ですから本来はメシヤ信仰であってはならない。仏教では、お釈迦様は絶対ですね。だからいつのまにか〃オシャカ〃なんて言葉が出来ちゃうわけです。
それは困りますね。お釈迦様の説かれた法、その法を生活の中に生かすことです。そうして、自分自身が、説かれた、その悟られたメシヤのような豊かな心になるということ。
イエス・キリストを拝んじまって、何んでもイエス様、イエス様。迷惑ですね。

イエス様は一人しかいないんだから世界中の人が、イエス様を呼んだらどういうことになるでしょう。
そこでエル・ランティーであるところのヤハベー(ヤーベー)は「汝ら、みだりにヤハベーの名前を呼ぶことなかれ。」といっていますね。
それなんです。一人なんですから、呼ばれたって仕様がないんです。
皆さんだってそうでしょう。
仕事をしておって、仕事の途中で何回も呼ばれると、「うるせえなあ」ということになりますね。

これは同じです。我々は、ややもすると、次元の違う世界を呼べば、何んでもやってくれると思っているがとんでもない事です。
一番大事なことは、メシヤの説く、法というものを実行するということ、これが大事です

<転載終了>