tacodayoのブログさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/6682307.html
<転載開始>
「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。
また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠を被っていた。
竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。
女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。
さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、
勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。
私は、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。『今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。
兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。
このゆえに、もろもろの天と、その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。」 』
竜は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。
しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。
蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。
しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。
竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証を守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。
そして、竜は海辺の砂の上に立った。」(『ヨハネの黙示録』第12章全文)
1~2節
「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠を被っていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。」
これは長く異民族支配という苦難にあった、12部族から成るユダヤ人待望の救世主、イエス・キリストの誕生を指しています。
頭に太陽を(冠として)被っていたら、ただの太陽神信仰の邪教を意味しますが、「身にまとい」ですから、あくまで太陽が「12の星の冠-ユダヤ12氏族」に対して従属的な立場であることを表します。さらに「月を足の下」ですから、中東をはじめ世界に広く拡がっていた「月の女神・イシュタル(セミラミス)やその子・タンムズ」への信仰=邪教を足の下に踏みつけることを意味しています。
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バビロニアの月の女神セミラミスこと「イシュタル」
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目に赤いルビーを埋め込まれ、角が2本あるイシュタル神(ルーブル美術館所蔵)

何故、鳩に養育されたセミラミスが月の女神なのかというと、彼女自身が、「自分は春分の後の最初の満月の日に月から 大きな月の卵で地球に降りてきた」と語ったからです。
やがてセミラミスはイシュタルと混同されて広く知られるようになり、イシュタルはイースターと発音されました。そして月の卵はイースター・エッグとなり、現在の(偽)キリスト教に復活祭=イースターとして受け継がれています。
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色とりどりに彩飾された鶏卵 (クリックで拡大)
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チョコレートで作られたイースターエッグ (クリックで拡大)

更にいえば現在、世界195ヶ国の内40カ国がイスラム国家で、その40ヶ国の内約半分の18カ国が、国旗に月か星を採用しています。三日月と星はイスラム教の象徴で、三日月は発展を、星は知識を意味しています。
太陽は月を照らし、太陽に照らされることで月は夜、煌々(こうこう)と輝くことが出来ますから、ユダヤ民族が主で、アラブ民族が従であることを表しています。つまり、イエスの栄光が天に燦然と輝けば輝くほど、預言者ムハマンドの名声も高まるということです。
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「言え、『私達は神(アッラー)を信じ、私達に下されたものを信じ、またイブラーヒーム、イスマーイール、イスハーク、ヤアコーブおよび諸支族に下されたものを信じ、またムーサー(モーセ)とイーサー(イエス・キリスト)と(その他の)預言者たちに主から授かったものを信じます。私達は彼ら(預言者たち)の間に、どんな差別もしません。私達はただ彼に服従、帰依(きえ)します。』」(「 コーラン(アル=クーラン)」第2(雌牛)章136節)
「また天使たちがこう言った時を思え。『マルヤム(マリア)よ、本当に神は直接ご自身のお言葉で、あなたに吉報(きっぽう)を伝えられる。マルヤムの子、その名はマスィーフ・イーサー(メシア・イエス)、彼は現世でも来世でも高い名誉を得、また(神の)側近の一人であろう。』」(『コーラン(アル=クーラン)』 第3章(イムラーン章)15節)

3節
「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。」
「七つの頭」とは、ローマの7丘を指します。
「10本の角」とは、西ヨーロッパの各部族、ANGLOSAXONSアングロサクソン、SUEVIスェヴィ、VISIGOTHSビジゴス(西ゴート)、FRANKSフランク、ALAMANNIアレマニ、BURGUNDISバーガンディアン、LOMBARDSロンバルド、OSTROGOTHSオストロゴス(東ゴート)、VANDAISヴァンダル、HERULIヘルリを指します。
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(クリックで拡大。)

「その頭に七つの冠をかぶっていた。」とは、旧約聖書『ダニエル書』に、「その後、私が夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、物凄い、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、先の角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。」(ダニエル7:7~8)とあるように、ロンバルドがイタリアに移動したことによってオストロゴス、ヴァンダル、ヘルリが滅亡したことを指します。
そのロンバルドから現在のヴァチカン=「一つの小さい角」が誕生しますね。
「大きな事を語る口があった。(ダニエル7・8)」とは、先に当ブログの「ヨハネの黙示録第13章の解説 2」でも解説しましたが、「そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。」(13:6)に対応します。例えば「我こそは『キリストの代理者』、『教会と世界の最高責任者』『天上、地上、地獄の一切の者は教皇の臣下である』」(イノケンティウス3世、1198)などと言った発言を指します。

4節
「竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。」
の「天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。」とは、同じ7節で「・・・龍もその使たち・・・」とあるように、悪魔に付き従う天使たちが天の3分の一に達し、その使いたちと共に「竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおう」=殺そうとしたことを指します。以下引用です。
「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東から来た博士たちがエルサレムに着いて言った、『ユダヤ人の王としてお生れになった方は、どこにおられますか。私たちは東の方でその星を見たので、その方を拝みに来ました』。(中略)そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った、『行って、その幼な子のことを詳しく調べ、 見つかったら私に知らせてくれ。私も拝みに行くから』。
彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリアのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱を開けて、黄金・乳香・没薬(もつやく)などの贈り物をささげた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとの御告げを受けたので、他の道を通って自分の国へ帰って行った。
彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、『立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。 そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている』。
そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって『エジプトからわが子を呼び出した』と言われたことが、成就するためである。
さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。」(マタイ2:1~17)

【資料】西暦とイエス
西暦とは、一般的に太陽暦であるユリウス暦、グレゴリオ暦を総称しますが、イエス・キリストの生年を記念し、その年を紀元1年としています(※その前年は紀元前1年で、紀元0年は存在しません。これでタコも含め (^_^;) よく計算間違いが起きます)。
紀元後は「AD」または「A.D」(ラテン語Anno Domini、Annoが年、Dominiが主の意味)、紀元前は英語では「BC」または「B.C」 (Before Christ)と日本では一般的に略称されますが、独語では「v.Chr.」、仏語では「av.J-C」と略称されます。またキリスト紀元とも呼ばれています。このため非キリスト教圏では、その使用自体に拒否感を覚える者も少なからずあるようです。ちなみにユダヤ教では“共通暦Common Era”といい、「CE」と略称されます。
しかし、この西暦の使用に関しての大きな問題は、ローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスによって算出されたイエスの生年=紀元1年が、実際は、“計算間違い・勘違い”であり、イエスの生年とは大きなズレがあることです。
「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令 が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであっ た。」(ルカ2:1~5)

以下は
ローマ人の物語 パクスロマーナ[下]16
からの引用です。

正確な現状把握こそ統治の基本データであることを知っていたアウグストゥスは、その治世の間に三度、本格的な国勢調査(チエンスス)を全帝国規模で実施した。当時のユダヤはいまだ同盟国だったから、同盟諸国にまで広げた調査だったのだろう。そしてこの三度の国勢調査は、アウグストゥス自ら記した『業績録』によれば次のようになる。
◇一度目は、彼自身とアグリッパが執政官であった年、つまり、紀元前28年。
◇二度目は、ガイウス・ケンソリヌスとセクストゥス・アプレイウスが執政官であった年、つまり紀元前8年。
◇三度目は、セクストゥス・ポンペイウスとセクストゥス・アプレイウスが執政官の年、つまり紀元後14年。
ちなみにローマでは、建国何年と言う数え方はほとんどせず、誰と誰が執政官であった年、と言う数え方をしていた。紀元を使うのは、キリスト教が支配するようになった後世の考え方である。
それにしても、イエス・キリストから数える「紀元」編年方式では、イエスの生誕前後にはローマによる国勢調査は成されていない。遠方の属国ゆえに時間的ズレがあったと考えても、8年のずれは大きすぎる。また、ユダヤ独自の調査であったと考えるのも、当時のユダヤは、大王ヘロデの死の後で内紛状態にあり、国勢調査どころの話ではなかった。
いずれにしても、この私の素朴な疑問に納得のいく答えをくれた研究者は一人もいない。
とはいえ、この時期にイエスが生まれたことは確かなのだろう。となればイエス・キリストは、ローマが最盛期を迎えつつあった時期に、生まれ、行き、死んだ人ということになる。

以上引用終わり。
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(ヘロデ王の嬰児殺戮。ヴォルテッラ 1550年)

先の幼子イエスを殺そうとしたヘロデ大王に関する『マタイによる福音書』の記述から、「イエスはヘロデ王の在命中に生まれていなければならない」のですが、当時の記録から、ヘロデ王は紀元前4年に死亡したことが確定していることが挙げられます。
また、「ルカによる福音書」の記述にある「アウグストゥスの人口調査」が、紀元前8年に行われたとされていることからも、計算には4年から8年の誤差があることは間違いありません。
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よって西暦をキリスト紀元と呼ぶことは相応しくなく、事実、当時のプロテスタントは旧約聖書『ダニエル書』7章25節の預言から(?)、ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年2月24日に制定したこのグレゴリウス暦を、“黙示録の獣の暦”または“反キリストの暦”と考え、長らく、使うことを頑なに拒否しました。
「彼はいと高き方に敵対して語り、いと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ。聖者らは彼の手に渡され、一時期、二時期、半時期がたつ。」(『ダニエル書』7:25)
ちなみにプロテスタントのドイツでは、118年遅れの1700年、英国国教会では1752年、中国は1912年、ソビエトでは1918年、日本では1872年(明治5年)12月3日を1873年(明治6年)1月1日として施行しました。また東南アジア諸国では仏滅紀元に変更してこれを使っています。
が、現在でもユダヤ教では太陰太陽暦のユダヤ暦、イスラム圏ではイスラム暦やイラン暦、共産革命以前のロシアや現在のギリシャ正教会では今でも太陽暦のユリウス暦を用いています。

◇◇◇◇◇◇◇◇

5節
「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。」
女は聖母マリア、または古代ユダヤ教、ユダヤ教キリスト派、原始キリスト教を指します。子は杭刑から三日後に生き返り、しばらく12使徒たちはじめ弟子たちの目の前に現れ(マタイ28:9~10、17~20他)、そののち天に上がったイエスを指します。

6節
「女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。」
これは西暦800年,この世の支配権を握ったローマカトリックから、幾多の砂漠や険しい山脈に守られた中央アジア地方で東方キリスト教=ユダヤ教キリスト派が2060年まで守られる事を指します。
ちなみに、「一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。 」 とは合計で三年半、360日×3,5で1260年間を指 ます。 フランク国王カール大帝が神聖ローマ皇 帝として、教皇レオ3世から戴冠され、 「西ローマ帝国」の復活を宣言した西暦 800年の12月25日(クリスマス)からの 1260年間です。
なぜ360日で計算するかというと、グレゴリオ暦では1年は365日ですが、純粋太陰暦は354日なので、間をとるわけですね。
また、12章6節の 「そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。」、及び同じ14節 「そしてそこで蛇からのがれて、一 年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。」、13章5節の「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。」にも対応しています。
さて、アフガニスタンの主要な部族であるパシュトン人もユダヤの失われた10氏族であると言われています。そのアフガニスタンをかってはイギリス軍、続いてロシア軍、今はアメリカ軍が攻撃していますが、これらからも彼らの信じるキリスト教が偽キリスト教であり、彼らが悪魔こと竜を信仰していることがわかります。
つまりアフガニスタンなどに軍を派兵する事は全知全能の神様への反逆です。
フィリピンとの戦争での海兵隊の蛮行、原爆投下や焼夷弾による無差別爆撃もありましたが、とうとうアメリカも骨の髄から悪魔の国に成り下がったという証拠です。
また、9,11テロは自作自演であり,バチカンが裏で糸を引いているという事がこの聖句からもわかります。
アフガニスタンは、かつてはイギリス軍,ソ連軍を撃退し、今またアメリカを中心とする多国籍軍を撃退しそうですね。
そして精神世界の巨人ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフも中央アジアで修行しました。

7~10節
「さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。その時、私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた、『今や、我らの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。我らの兄弟らを訴える者、夜昼、我らの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された』。」
読んだまんまですね。
ところで、レプティリアンで検索すると「宇宙ブロック管理界・・」云々などという,ぶっ飛びサイトも出てきますが(予言関係は外れまくってますね(^_^;_),こういう聖句もあるので一概に無視する訳にもいきません。ただのデス・インホメーションだと良いのですが。

11節
「『兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼に打ち勝ち、死に至るまでもその命を惜しまなかった。』」
読んだまんまですね。厳しい迫害にも耐え、イエスの福音をどんどん信じるものが増えていったことを指します。

12節
「『それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである』。」
天上では祝宴が開かれたようですが,地上の人類にとっては大災害がやってきます。
それは,ユダヤ人狩りや東方キリスト教会破壊であり、異端審問であり、魔女狩りであり、ルネッサンス時代まで抑圧された人間性であり、後の聖句で預言されている植民地支配であります。
また、二度の世界大戦や原発事故、共産主義による大殺戮や飢饉、貧困を差します。
当ブログの「ヨハネの黙示録第13章の解説 まとめ」、「ヨハネの黙示録第17章の解説 まとめ」、「ヨハネの黙示録第8章の解説 まとめ」、「ヨハネの黙示録第6章の解説 まとめ1」、「ヨハネの黙示録第6章の解説 まとめ2」他やワクチン、TPP、フッ素カテゴリーで検索してください。

13~14節
「龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きな鷲の二つの翼を与えられた。そしてそこで蛇から逃れて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。」
これは最初の第6節の聖句の繰り返しです。
また,男子を産んだ女とは,ヨハネから見た過去,現在,未来においてはそれぞれ、アジアに散った失われた10氏族,原始キリスト教,原始イスラム教を指します。
“大きなわしの二つの翼”とは,シルクロードの南北二つのルート,あるいはそのルートを進むユダヤ商人とイスラム商人の隊列を指します。または、陸のシルクロードと海のシルクロードを差します。
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15節
「蛇は女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。」
この「水を川のように、口から吐き出して」とは,例えば「聖地奪回を!」「(偽)キリスト教の布教を!」などと,汚し言をもって招集した軍勢の事を指します。あるいは兵士たちの運ぶ飲料水をそのままイメージすれば良いでしょう。

16節
「しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。」
これは又、最初の第6節の繰り返しです。中央アジアの厳しい自然が軍勢を疲弊させ消滅させる事を指します。

17~18節
「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いを挑むために、出て行った。そして、海の砂の上に立った。」
体の健康な人なら二本の足で立ちますが,香港とマカオを拠点として、または教皇の認可のもと、①スペイン,ポルトガルの二国、②後にイギリスとフランス、③最後にギリシャ正教のソ連と偽プロテスタントのアメリカが,アジアに植民地支配に乗り出した事を指します。
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こちらもどうぞ。
欧米の植民地支配

昭和史の真実 PART III 欧米植民地支配の世界史的展開と大東亜戦争


このように黙示録第12章の預言の通り、竜がアジア(、アフリカ、南北アメリカ)で「神の掟を守り、イエスの証を守りとおしている者たち」を皆殺しにしようと上陸しました。
そして、中国では太平天国の乱や義和団事件で多くの聖徒たちが無くなります。
その結果、無法者が中国を支配するようになり、原始キリスト教伝道以前の『殺戮の中国史』が再び繰り返されます。黙示録第6章の赤い馬の登場です。
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これにより中国の主の民はほぼ全滅したと考えられます。

以下は
日中戦争の真実
からの引用です。

中国民衆を虫けらのように殺した中国軍
中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大量殺害したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいます。
たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、1938年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。このとき、大雨が降ったこともあって11の都市と、4000の村が水没し、水死者100万人、その他の被害者600万人という大惨事となりました。 しかも、それだけでは終わりませんでした。この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。
その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた」と報じています。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。いや、共産軍はもっとひどいものでした。共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。 ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると中国軍が撤退し敗走する、という形で進みました。ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝するほど日本軍に殺された中国兵の死者は多くはありませんでした。むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したものでした。
中国の軍隊というのは、兵士たちの後ろに「督戦隊」(とくせんたい)がいたのです。督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを戦わせ、逃げる兵士がいると、その兵士を撃ち殺す中国兵です。つまり中国兵が中国兵を殺したのです。
中国史家・黄文雄氏によれば、日中戦争時の死傷者は、日本軍によって殺された中国兵よりも、そうやって督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだといいます。また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。
ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していました。それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。 日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。

本当の人民解放軍は日本軍だった
また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。
さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました。つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです(タコ注:このあいだの反日暴動でもそうでしたね。愛国を叫ぶ略奪隊です)。
それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなっていました。とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、中国経済の再建に取り組んだのです。日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約40%、また耕地面積の54%に及びましたが、日本はすぐにその地域での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。日本政府はすでに1938年に中国での農業復興の計画 を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。
農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の対中国投資によるものです。日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
日本政府の推計によると、
1938年から終戦の45年までの
日本の対中国投資の累計は、
約47億円

にも達していました。
当時の日本の国家予算は約20億円
ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
これは戦争に使ったお金ではありません。中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。
このように、
中国軍が各地を焦土化し、
同胞を虫けらのように殺していた
ときに、
日本は中国民衆の救済と、
中国の近代化のために働き続けていました。

中国人民の本当の敵は、
日本軍ではなく、
中国軍だったのです。

中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、親日的な人々が大勢います。ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。
(以下略)

以上引用終わり。

こちらも参考に
ニューヨークタイムズ(NYT)の大西哲光の正体

朝日新聞の真実

日本軍蛮行の 虚実 <誤解編>

私の村は地獄になった----ベトナム戦争、もうひとつの戦争犯罪(韓国軍による虐殺)

昭和史の真実 PART III 欧米植民地支配の世界史的展開と大東亜戦争

さて,またそろそろ、終戦記念日の靖国参拝を巡って一悶着が繰り広げられ事でしょう。
しかし、年老いた蛇=竜こと悪魔が、(先の)獣=大姦婦ことローマカトリックとイエズス会を使い、アジア全域を侵略する事が一千年以上前から『ヨハネの黙示録』で預言されていたわけですが、白人になすすべもなく殺戮、収奪されていたアジア諸国にとって、大東亜戦争における日本軍の戦果は、独立にむけての闘争に大きな勇気を与えたのでした。
その日本は戦争には破れはしましたが、その後アジアだけでなく、アフリカ、南アメリカの国々が(表面上ではありますが)独立を果たします。
残念ながら、未だに中国は“赤い竜”=悪魔の手先「共産主義国家」として、新疆ウィグルやチベットを弾圧していますが。(-_-#)

【資料】
靖国神社は、1869年(明治2年)に
「明治天皇の深い思召(おぼしめし)によって」(靖国神社略誌)、
東京招魂社として建立されました。靖国神社と改称されたのは明治12年です。
戦前・戦中は陸・海軍省所管でしたが、現在は一宗教法人となっています。
明治維新前後から大東亜戦争終結まで、天皇と国家と国民のため、国難に殉じた戦没者を軍神として奉る軍事的宗教施設です。
そこには、日本人だけでなく、朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されています。
また、沖縄の「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」、魚雷攻撃で沈没した対馬丸に乗っていた疎開に向かう700人の小学校児童など
「軍人ばかりでなく、女性の神さまが57,000余柱もいらっしゃいます。みなさんと同じくらいの少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」(靖国神社)。
勤皇の志士や幕府方、日清、日露戦争や先の戦争による悲劇と苦難を後世に伝え、さらに『英霊』の鎮魂、つまり国家による戦争で戦死した軍人・軍属・国民を、国家の英雄として祭祀することを主な目的としています。
「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然」(中曽根元首相※もっとも、参拝への中国の内政干渉を招いた張本人でもありますが(^_^; )
「天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命を持つ」(靖国神社)
とされています。

◇◇◇◇◇


参考サイトや、当ブログの
百年たっても千年たっても進歩が無い 1」から3、「中国反日暴動の真相(深層) 1」から3、「地獄行きが定めのブサヨたち」、「第二の文化大革命? 1」から4などを読めば、自国民殺しの大量殺戮国家である中国や韓国・朝鮮に、靖国神社参拝を批判する資格はないことがよく判ります。
また一部の(ごく少数のようですが)カトリック教徒を名乗る「偽キリスト教徒」=悪魔の使いがどうなるかは、以下の通りに預言されています。
「彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。彼女が自ら高ぶり、贅沢をほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。それゆえ、様々の災害が、死と悲しみと飢饉とが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女を裁く主なる神は、力強い方なのである。」(黙示録18:5~8)
だから、良い子や真のキリスト教徒は、
「私はまた、もう一つの声が天から出るのを聞いた、『私の民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ』。」(黙示録18:4)
とある通り、参拝を阻止しようなどという団体や、偽キリスト教徒=ローマカトリックから“離れ去る”ようにしなければなりません。
彼らは“裁きの日(ジャッジメント・ディ)”には、燃える火の池に投げ込まれるのですから。

これらは、このようにも預言されています。
「私にむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。(中略)その時、私は彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、ここから立ち去ってしまえ』。」(マタイによる福音書7:21~23)
「世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみしたりするであろう。」(以上マタイによる福音書13:49~50)

歴史を正しく勉強し、正しい歴史観をもつならば、靖国参拝に反対する一部のカトリック教徒やプロテスタントを含む他のキリスト教徒が終わりの日に、
『主の名前を叫び、泣き喚き、悔しくて歯ぎしりをする』
様子が、まるで目に見えるように浮かんでは来ないでしょうか?
また、このようにも預言されています。
「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲な狼である。あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からブドウを、アザミからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実ををならせることはできない。良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。」(マタイ7:15~19)
そういえば文鮮明などというキチガイ予言者がいましたね。統一教会というキリスト教です。

さらに,大東亜戦争を戦って死んでいった人々の働きでもって、植民地とされた多く国が、曲がりなりにも独立を達成することができました(金融=借金による影からの独裁はより強固になりつつありますが (._.;)。
また、現在の北朝鮮、中国、韓国と日本を比べれば、どの国が良い実を結び、どの国が悪い実を結んでいるかすぐにでも判ろうというものです(最近は成りすまし外国人が幅をきかせているから?陰りが出てきましたが…)
正に、命を捨て
英霊死して、
大きな花を咲かせ、

各国政府の独立という
多くの実を結んだ
』のでした。

私タコはじめ、多くの羊飼い(?)たちが、中国や韓国、そしてその裏で糸を引くブルーブラッドはじめ白人帝国主義者どもによる歴史改ざんの陰謀に対し行動を起こしました。
が、多くの実を成らした反面、敵対勢力=ブサヨこと馬鹿左翼は未だもって強固に健在ですね。
西洋中心主義史観やマルクス・レーニン主義史観の洗脳の呪縛から、未だに彼らが抜けきれないのは、洗脳されていると言う自覚がなく、その不勉強さもありますが、なによりも彼らが生まれた時から定められた“滅びの子”(黙示録20:10-15)であるからです。
また、悪魔の撒いた“毒麦”(マタイによる福音書13章24-30,36-43節)だからでもあります。
そしてこのようにも預言されています。
「こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めて癒されることがないためである』。」(マタイ13:14-15)

また中国、韓国・北朝鮮の民が捏造してまで、未だに戦前の日本を批判するのは、(悪魔の手先の)政府によって言論や出版が統制され、洗脳されているからでもありますが、
中国の“主の民”は、「太平天国の乱」や国共内戦や文化大革命などで国外へ逃亡したり殺されたりで、滅亡したからでしょう。そして朝鮮半島でも、戦争や度重なる虐殺事件で同じように滅亡したからだと考えられます。
そして、日本に限って言えば、
「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。(中略)それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。」(マタイによる福音書25:31-41)
このようにまさに“ブサヨ”こと、「馬鹿左翼」は地獄に堕ちることが預言されています。

何故なら、
「羊は羊飼いの言葉を聞き分ける」(ヨハネによる福音書10:3-5)
と預言されているからです。
更に、彼らが「滅びの民」である事は,ブサヨがかたくなに、「君が代」の起立斉唱を拒否する事でも証明されます(もっとも、タコはもっと雄壮な曲に変更して欲しいですが (^_^; ) 。

以下は
ヘブライ語で読む「君が代」
からの引用です(�は元記事参照)。

庶民から愛されるべき国歌「君が代」ではありますが、一種の違和感を訴える人が少なくありません。その理由の一つが、不可解な歌詞です。君が代で使われている言葉は大変わかりづらく、何度歌っても子供たちはその意味を理解できず、大人でも首をかしげてしまう人が少なくありません。「細石(さざれいし)の巌(いわお)」や、「苔(こけ)のむす」という言葉など、一般的には使われることのない難しい表現が含まれており、君が代の斉唱を義務付ける小学校教育の現場においても、その歌詞の意味をきちんと教えることはないようです。 そして「君が代」の意味が二通りあるということも、議論を醸し出しています。「君」という文字には、「あなた」 という意味と、「君主」という意味があります。それゆえ「君が代」は、一般庶民を指した「あなたの代」、もしくは 「天皇の御代」いずれの意味にも解することができ、本来の意味が不透明なままです。また代々にわたる繁栄を言い表すために使われた「苔のむすまで」という独特の表現が、はたして「天皇の御代」の永続性を語るにふさわしい美しい言葉の響きを持つかどうかについても疑問が残ります。さらに「千代」がなぜ「万代」ではなく、それよりも短い「千代」に限定され、しかも「センダイ」ではな く「チヨ」と発音され、その続きの「八千代」も「ヤチヨ」と発音されるに至ったのでしょうか。
(中略)
「君が代」は、元来ヘブライ語で書かれた歌であり、その歌詞に日本語がオーバーラップして、これら二つの原語が巧みに組み合わさり、日本語でも読み通せるようにした歌といえます。折句の髄を極めた天才的な作品の一つである 「君が代」には、古代、日本に移住してきた神の民、ユダヤ人の神に対する熱い思いと、その信仰告白とも言える大切なメッセージがいくつも含められています。その事実を当初から隠蔽する必要があったのでしょうか。いつしかヘブライ語ルーツは日本語のオブラートに包み隠され、表面的には和歌として継承されました。そのヘブライルーツの歌を芸術的に日本語のように見せかけて流布させたのは、奈良時代後期から平安時代初期にかけて都の周辺に結集した、ヘブライ語 と中国語、日本語を熟知し大陸文化に精通する学者らと考えられます。そしてその首謀者の筆頭として、日本が誇る聖人、弘法大師が含まれるのです。
(中略)
「君が代」の歌詞は、「きみがよは」から始まります。このフレーズは、ヘブライ語で読むと、「クム・ガ・ヨワ」という3つの言葉に分けられます。「クム」はヘブライ語の� (kum、クム)が語源であり、立つ、または起き上がることを意味します。次に� (gaah、ガ)には、「クム」と類似した「立ち上がる」という意味だけでなく、「相手を誉め称える」というニュアンスも含まれていることに注目です。そして「ヨワ」は神を意味する「ヤーウェー」の発音が多少訛って「ヨーワー」に転化したものでしょう。YHWHという神聖な神の名を意味する言葉は、人間が発音できないように 当初から母音が無いため、YHWHに任意の母音を充てて「ヤーウェー」とも「ヨーワー」とも発音することができます。すると「キミガヨワ」は、ヘブライ語で 「立ち上がって神を誉め称えよ!」と解釈できます。
「君が代」に続く歌詞も、ヘブライ語で解釈できます。「チヨニ」は� (tsiyoni、チヨニ)とヘブライ語で綴ります が、これは一般的な言葉として「シオンの民」を意味します。そこに神を意味する「ヤ」を付加して「ヤ・チヨニ」とすれば、「神の(シオンの)民」、または「神の選民」と理解できます。つまり「千代に八千代に」は、ヘブライ語で「シオンの民、神の選民」を意味したのです。 次に「サザレ」ですが、これはヘブライ語で「サッサ」と「サリー(ド)」と発音 する2つの言葉が合成された言葉です。 「サッサ」は� (sasah、サッサ)、喜ぶこと、そして「サリード」は� (sarid、サリー)、「残りの民」を意味します。旧約聖書の教えでは、「残りの民」という表現はイスラエルの民の中でも生き残り、神の国を相続する恵みに預かる「神の選民」を意味することから、「ササリー」「ササレー」は直訳で、「喜べ、(神の国を相続する」残された民よ!」という意になります。
「イシノ」は、「イェシャ」というヘ…(以下省略。元サイト参照のこと。)
「君が代」の歌詞には、その表面的な 日本語の意味合いとは別に、神の選民であるイスラエルの民に託された使命を信仰告白文にした、力強いメッセージが秘められていたのです。「立ち上がって神を誉めよ!」という意味を持つ「クムガヨワ」という掛け声が、「シオンの民、神の選民!」に呼び掛けられ、国家の滅びから逃れた民は、神の大いなる恵みを授かる「残された民」として喜んだのです。そして神が約束された救いの御計画は成就し、その証が全地に語られる、というのが原語から理解できる歌の主旨です。「君が代」のメッセージは、神の約束と恵みを唄う、信仰の賛歌と言えます。
【君が代のヘブライ語訳】
「立ち上がれ! 神を讃えよ! 神の選民であるシオンの民よ。 喜べ! (神の国を相続する)残された民よ! 人類に救いが訪れ、神の預言は成就した。全地にあまねく宣べ伝えよ。」

以上引用終わり。

いかがでしょう?
彼らは悪魔の子であるため、
条件反射的に、
かつ生理的に、
主に関わりのあるもの、
例えば『君が代』に
嫌悪感を示すのです。

そして、偽キリスト教や反キリスト的なものに傾倒するのです。
「この後、私は天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた、『ハレルヤ、救と栄光と力とは、われらの神のものであり、その裁きは、真実で正しい。神は、姦淫で地を汚した大淫婦を裁き、神の僕たちの血の報復を彼女になさったからである』。再び声があって、『ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる』と言った。」(黙示録19:1~3)
そして、この大姦婦=(先の)獣と、(後の)獣=反キリストに付き従う人々はこのようになります。
「また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これは命の書であった。死人はその仕業に応じ、この書物に書かれていることにしたがって、裁かれた。海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのその仕業に応じて、裁きを受けた。それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。この命の書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:12~15)

◇◇◇◇◇


ちなみに、偉そうなことを書いてますねが、私はクリスチャンではありません。(^_^;)

工工エエェェェ(゚Д゚;ノ)ノェェエエ工

という方もおられるかも知れませんが…(^_^;)

ただの「預言解読オタク」です。
(⌒‐⌒)/ キッパリ

まぁ、強いていうなら「神道キリスト派」または「禅宗キリスト派」といったところですか?
あるいは「アミニズム系・古代ユダヤ教キリスト派」ですかね。

で、在家のゆる~い信者ということで(^_^;)
以後もヨロピクです。

<転載終了>