アルさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/artevita/archives/2013-08-14.html
水は人間そのものですね。
<転載開始>
こっちの人から、「日本人は怒った時に何て言うの?」とよく訊かれます。
というのも、イタリアには怒った時や文句を言いたい時のための罵り文句や
下品な言葉というのが何種類もあり、これを総合して「パロラッチャ」というん
ですが、これらの意味を知ると「バカ野郎」とか「こん畜生」とかが上品に見え
てしまうくらいです。
一言でいうと、男性器や睾丸や尻や糞や売女などの、下ネタ的な言葉が多い
です。 映画ニューシネマパラダイスの中で男の子が、ヴァファンクーロ(豚の
ケツにブチ込みやがれ)と言っている所で、日本語訳は多分バカヤロウだった
と思うんですが、これらは日本に無いタイプの表現方法です。
また神や聖母を冒涜するような言葉もあり、これは結構聴くに堪えません。
で、イタリア人は感情の起伏が激しく、またイタリアでは文句を言うべく状況
には事欠かないと来ているので、日常茶飯事にどこに行っても、この
パロラッチャを耳にしますし、そういった状況でもないのに、話の端々に
パロラッチャが無意識のうちに自然と出てきてしまうイタリア人達もかなり
多いです。
そこで、パロラッチャの存在しない日本ではどうやって怒りを言い表すのかと、
冒頭の質問をされます。「日本ではバーカ!と、相手に言うんだよ」と答えると、
そんなんじゃ怒りは全然伝わらないではないか、とびっくりされるので、
「なら、私は怒ってるんだぞってはっきり言うよ」 と言うと、爆笑されます。
イタリア人にとって「言霊」っていうのは、全く未知なる世界のようです。
電車がなかなか来ないからと言って「神の豚野郎!」と言ってはいけません。
益々電車が来なくなることでしょう。
Hも、ことあるごとに文句を言っているような人なので、何かとパロラッチャが
連発されるんですが、聴いているこちらが気が重くなってくるので、その度に
「言霊」の重要性を教えてあげることにしています。
で、その際によく持ち出すのが以下の記事の内容です。
結構前にたまたま見つけた記事ですが、とても感銘したので大切に保存し、
忘れた頃に読み返しています。 ↓ ↓
http://blog.livedoor.jp/artevita/archives/2013-08-14.html
水は人間そのものですね。
<転載開始>
こっちの人から、「日本人は怒った時に何て言うの?」とよく訊かれます。
というのも、イタリアには怒った時や文句を言いたい時のための罵り文句や
下品な言葉というのが何種類もあり、これを総合して「パロラッチャ」というん
ですが、これらの意味を知ると「バカ野郎」とか「こん畜生」とかが上品に見え
てしまうくらいです。
一言でいうと、男性器や睾丸や尻や糞や売女などの、下ネタ的な言葉が多い
です。 映画ニューシネマパラダイスの中で男の子が、ヴァファンクーロ(豚の
ケツにブチ込みやがれ)と言っている所で、日本語訳は多分バカヤロウだった
と思うんですが、これらは日本に無いタイプの表現方法です。
また神や聖母を冒涜するような言葉もあり、これは結構聴くに堪えません。
で、イタリア人は感情の起伏が激しく、またイタリアでは文句を言うべく状況
には事欠かないと来ているので、日常茶飯事にどこに行っても、この
パロラッチャを耳にしますし、そういった状況でもないのに、話の端々に
パロラッチャが無意識のうちに自然と出てきてしまうイタリア人達もかなり
多いです。
そこで、パロラッチャの存在しない日本ではどうやって怒りを言い表すのかと、
冒頭の質問をされます。「日本ではバーカ!と、相手に言うんだよ」と答えると、
そんなんじゃ怒りは全然伝わらないではないか、とびっくりされるので、
「なら、私は怒ってるんだぞってはっきり言うよ」 と言うと、爆笑されます。
イタリア人にとって「言霊」っていうのは、全く未知なる世界のようです。
電車がなかなか来ないからと言って「神の豚野郎!」と言ってはいけません。
益々電車が来なくなることでしょう。
Hも、ことあるごとに文句を言っているような人なので、何かとパロラッチャが
連発されるんですが、聴いているこちらが気が重くなってくるので、その度に
「言霊」の重要性を教えてあげることにしています。
で、その際によく持ち出すのが以下の記事の内容です。
結構前にたまたま見つけた記事ですが、とても感銘したので大切に保存し、
忘れた頃に読み返しています。 ↓ ↓
・・・・・・・・・・・・・<転載開始>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
言葉の結晶、水からの伝言。
http://www.ne.jp/asahi/aquarius/messenger/books_002.htm
「水の結晶写真」 昨今、「水」を凍らせて、その結晶を写真に撮った本が
静かなブームを呼んでいます。また、「テレビや雑誌」などでも紹介されて、
人々の関心を集めるようになりました。。
言葉や文字には、それぞれ固有のエネルギーが宿っています。 水に、
よい言葉や文字を見せたり、音楽を聴かせると、 「水の結晶」は美しく変化
するそうです。

← 水の結晶
★ 例えば、「愛や感謝」のような言葉は、美しい結晶を作り、
逆に、暴力的な言葉は、水の結晶が壊れてしまうのである。 水には見えない
世界のエネルギーを映す性質があるようです。 これまで長年、「意識や言葉」
にはエネルギーがある、と言われてきました。しかし、いくらそうは言っても、
見えないものは、容易に信じることができません。また、それを目で見える
ような形で示すものもありませんでした。 ここにきて、ようやく、それを証明する
ようなものが現れてきました。
これを事実として見せてくれたのが、水の研究で有名な、I.H.M.総合研究所
の「江本勝 氏」 である。目に見えぬ世界の一端を、事実として明らかにしたと
いう点で画期的な出来事である。

← 「ありがとう」の結晶

← 「ばかやろう」の結晶
写真は、
I.H.M.総合研究所より転載しています。
● 常識では考えられないことですが・・・ ガラス瓶に水を入れて、一方には、
「ありがとう」と書いた紙を貼り、もう一方には、「ばかやろう」と書いた紙を貼り、
水の結晶を写真に撮ると、大きな違いが出てくるのである。 ここで言えることは、
私たちが何気なく使っている言葉が、いかに大事なのかを教えてくれます。
「よい言葉」を口にすれば、回りによいエネルギーを与え、逆に「悪い言葉」を
口にすれば、破壊のエネルギーとなってしまうのである。文字や言葉にも固有
の波動・エネルギーがあるのです 。 古来より、日本では「言霊」(ことだま)という
言葉があり、「言葉には霊が宿っている」と信じて、 言葉のもつ不思議な力に
気づき、それを重要視してきました、 昔から「言葉を選びなさい」「言葉を大切
にしなさい」などの教えがあるのはこのためです。
● 同じように、「・・しようね」と書いた文字を貼った水は、キレイな結晶を作り
ますが、 「・・・しなさい」と書いた水は、結晶を作りません。

← 「しようね」の結晶

← 「しなさい」の結晶
「・・・しようね」は、”ひまわりの花”のような美しい結晶です。キレイですね。
これに対して、「しなさい」は結晶を作りません。
命令形は、心に伝わらないのです。ちょっとした言葉でも、こんなに大きな違いが
でてきます。意味深いですね。
● 最も美しい結晶をつくるのが「愛・感謝」という言葉であるという。
それは、最高の美、完璧な輝きの結晶である。やはり、この世の中で「愛と感謝」
の気持ちに勝るものはない、ということでしょう。

← 「愛、感謝」は黄金の輝き

← 「自己愛」の結晶
無条件の愛、博愛という言葉に代表されるように、愛は崇高なエネルギーです。
そして、あらゆる宗教の根源もここにある。
それは私たちへの「メッセージ」です。 愛と感謝が最高のエネルギーならば、
今、私たちに最も必要とされるのは、 「愛と感謝」になります。
言葉で言うと 「ありがとう、愛してます!」。
● 若い人たちが言葉にする、「ムカツク、殺す」の結晶です。 醜くゆがみ、
すさまじいほど破壊的なエネルギーである。 この結晶は、「アドルフ・ヒットラー」
という文字の結晶とよく似ているそうです。テレビやゲームから流れてくる
「残虐な言葉」や、破壊的なシーンは要注意です。 子供にいかに影響を及ぼすか
か想像できます。。

← 「ムカツク、殺す」の結晶、
恐ろしい姿です。
言われた人より、言った人が影響を
受けることになります。
人が言葉を発すれば、それを最初に受け取るのは「自分自身」です。
それが良い言葉であれ、悪い言葉であれ、自分の発した言葉は、まずは耳に
聞こえ、そして、全身に響き渡ります。人間の体の70パーセントは水です。
言葉を発すれば、 「水の結晶」みたいに、言葉のエネルギーが体に刻まれること
になるかもしれません。
よって、良い言葉であれ、悪い言葉であれ、すべては自分に返ってきます。
他人には聞こえないような小声でも、自分の耳には確実に届きます。 人の悪口、
暴力的な言葉であれば、それも自分の体に刻まれることになる。そうなれば、
良い事は起きないでしょう。気をつけたいものです。
● これは、小学生の実験です。 瓶に「ご飯」をつめて、片方には「ありがとう」と
書いた文字を貼り、もう一方には、「ばかやろう」という文字を貼り、学校から帰る
たびに、毎日、 瓶に向かって、「ありがとう」、「ばかやろう」と、大きな声で叫んだ
結果です。 1ヶ月後には、「ばかやろう」と言われた「ご飯」は、腐敗して「真っ黒」
になり、 「ありがとう」と声をかけた「ご飯」は、発酵して麹のような香りになった
そうです。

← ありがとう

← ばかやろう
いい言葉と悪い言葉には、これほどまでに差があり、大きな影響を
与えてしまいます。 少なくとも、食事をするときは、手を合わせて、「ありがとう」
と感謝の気持ちをあらわし、 「いただきます」、「ごちそうさま」と声をかけることが
大切です。ご飯もおいしくなります。 子供にはそのような教育が大切です。
不思議なもので、子供といえども、「ありがとう」と言うときは、自然に声も優しく
なり、 逆に、「ばかやろう」というときは、その雰囲気も厳しくなるそうです。
子供は正直です。
● さらに、他の実験では、もう一つの瓶を用意して、その瓶にはラベルを貼らず
に、 声もかけないで放置した結果です。一番、最初に腐敗したのが「ばかやろう」
の方ではなく、 無視した方のご飯であったと言う。 無視する、声をかけないという
ことが、これほどまでに大きなダメージを与えてしまいます。 叱れられてでも、
声をかけてもらいたい、子供の心理がこれでわかるような気がします。
声をかける、関心を示すというのは、生命エネルギーを与えるということを意味
します。いちばん、生命を害するのは、無視をされることなのである。
愛という言葉の反対です。 部屋の中に花や植物を置いてあるなら、
「おはよう、元気、キレイだね」と声をかけて、 愛のエネルギーを送りましょう。
そうすれば、植物は生命力にあふれ、大きく育つでしょう。
●祈り、意識の力! 思いのエネルギーは、”水を浄化”します。
「水への感謝・祈り」を行うと、結晶にも変化が現れ、荘厳な結晶を作ります。
(1999年7月25日、朝4時30分、350名の人が集まって琵琶湖に向かって祈りを
ささげたと言われる)

← ①琵琶湖、「祈りの前の結晶」

← ②琵琶湖、「祈りの後の結晶」

← 合掌したときにできた「祈りの水の結晶」
なんと可愛らしい整った形。

← 群馬県の藤原ダムの水。 寺の住職が
祈祷した後に できた水の結晶です。
それは完璧な結晶です。 このような水を
飲んだら、心身ともに健康になる でしょうね。
どんなに汚れた水、水道水でも、人の思いや祈りに応えてくれるというのは、
神さまからの プレゼントかもしれません。いま地球規模での環境汚染が進んで
いますが、私たちの努力しだいで、よくなるということが分かってきました。
思いやり、祈りが純粋であれば、水は美しい結晶に変化してくれるのです。
感謝、ありがたいことです。 意識には、このような力がある。私たちが思い考える
ことが、それが形(現実)となって現れ てくるのです。だからこそ、良いことを望む
なら、自分の言葉に気をつけたり、やさしさ、思い やりなど相手の人を敬う気持ち
が大切になります。 昨今より、「水の安全」が問われています。
「塩素」が入った都会の水道水は、結晶が崩れて無残な姿になります。これに
対して、自然の湧き水の結晶はダイヤモンドのような輝きを見せ てくれます。
水を飲む時は、塩素を取り除いて、「ありがとう!」と一声かけて飲むと いいです。
そうすれば、ミネラルウォータよりもおいしい水になるでしょう。。。
● 今、地球環境の危機が叫ばれ、私たちはその瀬戸際に立たされている。
異常気象とは、あえて言えば、私たちの破壊的な行動、否定的な思いが
外側に投影された ものです。巨大な地震や台風、ハリケーンが猛烈な破壊を
もたらして駆け抜けるとき、それは私たちが空間に放出したネガティブな思い、
「怒り、憎しみ、うらみ、絶望」というエネルギーが荒れ狂っているのかもしれない。
あるいは、地球の深部にある「痛みの波動」、それは現在、”戦争や争い、
飢え”で苦しんでいる人々の想いかもしれない。 人間の思考や感情には、
創造の力がある。怒り・憎しみなどのネガティブな感情は、外へ出した からと
いって、それが空間に消え去るのではない。ネガティブなエネルギーは、
その「発生源」に戻ることによってのみ表現される。それが今の地球の姿、
荒れ狂う異常気象なのだ。 人は絶望すると、免疫力が落ちて、病気になったり
します。 水は言葉のエネルギーを映し出すから、「絶望」のという文字は、
それを想像させる ような結晶を作ると推定できます。
しかし、実際には六角形になろうとする結晶を作るそうで す。
どんな絶望にも、「希望」があるということです。
水の結晶は、私たちにそのことを教えて くれます。感激です!
たとえどんなに辛くても、越えることができるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・<転載終わり>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<転載終了>
言葉の結晶、水からの伝言。
http://www.ne.jp/asahi/aquarius/messenger/books_002.htm
「水の結晶写真」 昨今、「水」を凍らせて、その結晶を写真に撮った本が
静かなブームを呼んでいます。また、「テレビや雑誌」などでも紹介されて、
人々の関心を集めるようになりました。。
言葉や文字には、それぞれ固有のエネルギーが宿っています。 水に、
よい言葉や文字を見せたり、音楽を聴かせると、 「水の結晶」は美しく変化
するそうです。

← 水の結晶
★ 例えば、「愛や感謝」のような言葉は、美しい結晶を作り、
逆に、暴力的な言葉は、水の結晶が壊れてしまうのである。 水には見えない
世界のエネルギーを映す性質があるようです。 これまで長年、「意識や言葉」
にはエネルギーがある、と言われてきました。しかし、いくらそうは言っても、
見えないものは、容易に信じることができません。また、それを目で見える
ような形で示すものもありませんでした。 ここにきて、ようやく、それを証明する
ようなものが現れてきました。
これを事実として見せてくれたのが、水の研究で有名な、I.H.M.総合研究所
の「江本勝 氏」 である。目に見えぬ世界の一端を、事実として明らかにしたと
いう点で画期的な出来事である。

← 「ありがとう」の結晶

← 「ばかやろう」の結晶
写真は、
I.H.M.総合研究所より転載しています。
● 常識では考えられないことですが・・・ ガラス瓶に水を入れて、一方には、
「ありがとう」と書いた紙を貼り、もう一方には、「ばかやろう」と書いた紙を貼り、
水の結晶を写真に撮ると、大きな違いが出てくるのである。 ここで言えることは、
私たちが何気なく使っている言葉が、いかに大事なのかを教えてくれます。
「よい言葉」を口にすれば、回りによいエネルギーを与え、逆に「悪い言葉」を
口にすれば、破壊のエネルギーとなってしまうのである。文字や言葉にも固有
の波動・エネルギーがあるのです 。 古来より、日本では「言霊」(ことだま)という
言葉があり、「言葉には霊が宿っている」と信じて、 言葉のもつ不思議な力に
気づき、それを重要視してきました、 昔から「言葉を選びなさい」「言葉を大切
にしなさい」などの教えがあるのはこのためです。
● 同じように、「・・しようね」と書いた文字を貼った水は、キレイな結晶を作り
ますが、 「・・・しなさい」と書いた水は、結晶を作りません。

← 「しようね」の結晶

← 「しなさい」の結晶
「・・・しようね」は、”ひまわりの花”のような美しい結晶です。キレイですね。
これに対して、「しなさい」は結晶を作りません。
命令形は、心に伝わらないのです。ちょっとした言葉でも、こんなに大きな違いが
でてきます。意味深いですね。
● 最も美しい結晶をつくるのが「愛・感謝」という言葉であるという。
それは、最高の美、完璧な輝きの結晶である。やはり、この世の中で「愛と感謝」
の気持ちに勝るものはない、ということでしょう。

← 「愛、感謝」は黄金の輝き

← 「自己愛」の結晶
無条件の愛、博愛という言葉に代表されるように、愛は崇高なエネルギーです。
そして、あらゆる宗教の根源もここにある。
それは私たちへの「メッセージ」です。 愛と感謝が最高のエネルギーならば、
今、私たちに最も必要とされるのは、 「愛と感謝」になります。
言葉で言うと 「ありがとう、愛してます!」。
● 若い人たちが言葉にする、「ムカツク、殺す」の結晶です。 醜くゆがみ、
すさまじいほど破壊的なエネルギーである。 この結晶は、「アドルフ・ヒットラー」
という文字の結晶とよく似ているそうです。テレビやゲームから流れてくる
「残虐な言葉」や、破壊的なシーンは要注意です。 子供にいかに影響を及ぼすか
か想像できます。。

← 「ムカツク、殺す」の結晶、
恐ろしい姿です。
言われた人より、言った人が影響を
受けることになります。
人が言葉を発すれば、それを最初に受け取るのは「自分自身」です。
それが良い言葉であれ、悪い言葉であれ、自分の発した言葉は、まずは耳に
聞こえ、そして、全身に響き渡ります。人間の体の70パーセントは水です。
言葉を発すれば、 「水の結晶」みたいに、言葉のエネルギーが体に刻まれること
になるかもしれません。
よって、良い言葉であれ、悪い言葉であれ、すべては自分に返ってきます。
他人には聞こえないような小声でも、自分の耳には確実に届きます。 人の悪口、
暴力的な言葉であれば、それも自分の体に刻まれることになる。そうなれば、
良い事は起きないでしょう。気をつけたいものです。
● これは、小学生の実験です。 瓶に「ご飯」をつめて、片方には「ありがとう」と
書いた文字を貼り、もう一方には、「ばかやろう」という文字を貼り、学校から帰る
たびに、毎日、 瓶に向かって、「ありがとう」、「ばかやろう」と、大きな声で叫んだ
結果です。 1ヶ月後には、「ばかやろう」と言われた「ご飯」は、腐敗して「真っ黒」
になり、 「ありがとう」と声をかけた「ご飯」は、発酵して麹のような香りになった
そうです。

← ありがとう

← ばかやろう
いい言葉と悪い言葉には、これほどまでに差があり、大きな影響を
与えてしまいます。 少なくとも、食事をするときは、手を合わせて、「ありがとう」
と感謝の気持ちをあらわし、 「いただきます」、「ごちそうさま」と声をかけることが
大切です。ご飯もおいしくなります。 子供にはそのような教育が大切です。
不思議なもので、子供といえども、「ありがとう」と言うときは、自然に声も優しく
なり、 逆に、「ばかやろう」というときは、その雰囲気も厳しくなるそうです。
子供は正直です。
● さらに、他の実験では、もう一つの瓶を用意して、その瓶にはラベルを貼らず
に、 声もかけないで放置した結果です。一番、最初に腐敗したのが「ばかやろう」
の方ではなく、 無視した方のご飯であったと言う。 無視する、声をかけないという
ことが、これほどまでに大きなダメージを与えてしまいます。 叱れられてでも、
声をかけてもらいたい、子供の心理がこれでわかるような気がします。
声をかける、関心を示すというのは、生命エネルギーを与えるということを意味
します。いちばん、生命を害するのは、無視をされることなのである。
愛という言葉の反対です。 部屋の中に花や植物を置いてあるなら、
「おはよう、元気、キレイだね」と声をかけて、 愛のエネルギーを送りましょう。
そうすれば、植物は生命力にあふれ、大きく育つでしょう。
●祈り、意識の力! 思いのエネルギーは、”水を浄化”します。
「水への感謝・祈り」を行うと、結晶にも変化が現れ、荘厳な結晶を作ります。
(1999年7月25日、朝4時30分、350名の人が集まって琵琶湖に向かって祈りを
ささげたと言われる)

← ①琵琶湖、「祈りの前の結晶」

← ②琵琶湖、「祈りの後の結晶」

← 合掌したときにできた「祈りの水の結晶」
なんと可愛らしい整った形。

← 群馬県の藤原ダムの水。 寺の住職が
祈祷した後に できた水の結晶です。
それは完璧な結晶です。 このような水を
飲んだら、心身ともに健康になる でしょうね。
どんなに汚れた水、水道水でも、人の思いや祈りに応えてくれるというのは、
神さまからの プレゼントかもしれません。いま地球規模での環境汚染が進んで
いますが、私たちの努力しだいで、よくなるということが分かってきました。
思いやり、祈りが純粋であれば、水は美しい結晶に変化してくれるのです。
感謝、ありがたいことです。 意識には、このような力がある。私たちが思い考える
ことが、それが形(現実)となって現れ てくるのです。だからこそ、良いことを望む
なら、自分の言葉に気をつけたり、やさしさ、思い やりなど相手の人を敬う気持ち
が大切になります。 昨今より、「水の安全」が問われています。
「塩素」が入った都会の水道水は、結晶が崩れて無残な姿になります。これに
対して、自然の湧き水の結晶はダイヤモンドのような輝きを見せ てくれます。
水を飲む時は、塩素を取り除いて、「ありがとう!」と一声かけて飲むと いいです。
そうすれば、ミネラルウォータよりもおいしい水になるでしょう。。。
● 今、地球環境の危機が叫ばれ、私たちはその瀬戸際に立たされている。
異常気象とは、あえて言えば、私たちの破壊的な行動、否定的な思いが
外側に投影された ものです。巨大な地震や台風、ハリケーンが猛烈な破壊を
もたらして駆け抜けるとき、それは私たちが空間に放出したネガティブな思い、
「怒り、憎しみ、うらみ、絶望」というエネルギーが荒れ狂っているのかもしれない。
あるいは、地球の深部にある「痛みの波動」、それは現在、”戦争や争い、
飢え”で苦しんでいる人々の想いかもしれない。 人間の思考や感情には、
創造の力がある。怒り・憎しみなどのネガティブな感情は、外へ出した からと
いって、それが空間に消え去るのではない。ネガティブなエネルギーは、
その「発生源」に戻ることによってのみ表現される。それが今の地球の姿、
荒れ狂う異常気象なのだ。 人は絶望すると、免疫力が落ちて、病気になったり
します。 水は言葉のエネルギーを映し出すから、「絶望」のという文字は、
それを想像させる ような結晶を作ると推定できます。
しかし、実際には六角形になろうとする結晶を作るそうで す。
どんな絶望にも、「希望」があるということです。
水の結晶は、私たちにそのことを教えて くれます。感激です!
たとえどんなに辛くても、越えることができるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・<転載終わり>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<転載終了>
自我が中心、物質主義的な文明が基底にあるんじゃないかと。