第一部  法と真理

23 自然に還る


 [問] 人類は現象界において魂の修行をなし、自然との調和をはかり、再び自然に還って
    ゆくものである、とよくいわれますが、その意味はどういうことなのでしょうか。
       

 人類は誰彼の差別なくすべて神の子です。神の子として実在界に誕生する以前は、これまた
甲乙のない大きな神の意識であったわけです。この点を人間の目で見ると、それはそのまま調和
された自然の姿でもあるわけです。  
 
 ところが、その神の意識が神の子として分れ、下界という現象界に出て、転生を輪廻するうちに、
神の子の人間は次第に自我に芽生え、不調和な世界をつくり出していったわけです。

 下界に出るということは、一方から見ると魂の修行でもあるわけです。修行という言葉が出る以上、
修行の意義なり、目的があります。この点を例をとって説明すると次のようになります。

 神の意識を仮に地球の大きさとします。そうして神の意識から分れた人間を地球の周囲を飛んで
いる人工衛星、あるいは宇宙船と考えてください。地球と宇宙船ではその大きさがまるでちがうでしょう。
しかし、人工衛星なり宇宙船は、たとえ小さくても地球から誕生した神の意識であることに変わりありま
せん。宇宙船なり人工衛星は、地球の周囲を飛ぶことによって、地球を含めた宇宙のさまざまな経験
(資料を集める)を重ねていきます。

 しかし、やがてその使命を終えると、宇宙船は地球に還ってきます。人間の修行の目的も、これに似て
いるわけですが、宇宙船と多少ちがう点は、人間は修行が主目的であるので、己の魂や心を地球の
大きさにまで大きくしなければならないのです。地球を離れた時の宇宙船の大きさで地球に戻るという
ことでは、修行に出たとはいえないわけです。

 そこで、心を大きくするには調和しかありません。自然の大調和に己の心を調和させなければなりません。
また、調和させなければ不調和な分だけ苦しむことになります。人間の心は自由にできていますので、
それだけに調和させなければ苦しむという宿命を負っているのです。

 自然に還るとは、小さな宇宙船が大きな地球の大きさになることをいみします。小さな宇宙船のままで
いいということではないのです。地球を離れた宇宙船は、地球の大きさになって初めて、人間としての
修行の目的がかなえられたわけであり、小さな宇宙船が大きな宇宙船になるまでの過程が魂の修行
であり、私たちに課せられている天命なのです。

 こういうと、では何のために大きくならなければならないのか、小さなままでもいいじゃないか、という
見方もありますが、しかし、これは生ある者、ことに人間は神の姿、いうなれば神の能力(自由、創造、
慈悲、愛)をもって、あの世からこの世に出てきていますので、その天命をホゴにして還るわけにはゆ
かないのです。肉体意識(表面意識)は否定しても、心(潜在意識)はそれを知っており、否定できない
のです。

 どんな人でも幸福を求めています。幸福の概念、あるいはその主観の置きどころはちがっても、幸せ
を否定する人は一人もいないはずです。この事実は何を意味するか、ほかでもない、各人が己の天命
を知っているからです。

 自然に還るというから、人間の魂が山川草木になってしまうと思う人があるかもしれませんが、とんで
もないことです。人間の魂は不生不滅です。永遠に生きつづける、それも個の魂を持って・・・・・・。
自然に還ることを仏教では解脱といい、解脱とは転生のカルマから遠離することをいうわけです。神と
同様に真の自由を得る、万物を生かす愛にかえることなのです。