キチガイ医さんのFBより
https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/557954074288350
<転載開始>
2013.12.08執筆記事(石垣稔)の再掲載。
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*自分ひとりでは何もできない?
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私ひとりの発言で、何も変えられはしない。
私ひとりの行動で、何も変えられはしない。
私ひとりの投票で、日本が変わるはずがない。
私ひとりの存在なんて、何の意味も無い ……

そんな風に考えている方がいらっしゃいませんか?

ひとりひとりの存在。
それこそがすべての基本です。
今ここで生きていることが何の意味も無い人などは、誰ひとりとして存在しません。私たちは社会に密接に関係し合って存在しています。社会は、私たちの発言や行動そのもので変わっていくのです。

あなたはどこで買い物をしていますか?
あなたはどこで食事をしますか?
あなたは誰とどんな話をしますか?
あなたはどんなメッセージを発信していますか?

こんな小さなことの繰り返しが積み重ねとなり、大きなものを変えていくことにつながるのです。

▼誰もが現在の社会をつくることに荷担している。

▽買い物の基準

あなたはどんな基準で買い物をされますか?
「安くて」「近くて」「簡単」だから、スーパーやコンビニの野菜や加工食品を買うという方が多いのが現実ではないでしょうか。そうした方々が多ければ、現在の市場合理主義の観点では、「市場に必要なものであり、消費者のニーズもある」だから同様の製品をどんどん作り、大量に供給する、という判断につながります。

同時に「市場でも支持されているのだから、農薬を使っても、添加物まみれにしても、化学薬品処理をしても、健康被害が出るものであっても、消費者から認められているのだから良いこと」と産業界はみなします。

この繰り返しが、結果的に「国内農業や農家の暮らし、ひいては産業全体を蝕み、崩壊させることに荷担している」ということに繋がります。

良いものは長く使え、身体に良く、環境を守り、産業を育て、コミュニティを育み、国を成長させます。そもそも、「安いものには理由があり」「良いものは安くない」のが実際です。価格の価値観は先入観に過ぎません。

それでも、良いとわかっていても、「高いから買わない」から、良いものは安くなることもありません。良いとわかっていても「買わない人が多いから」、良いものは作られなくなり、市場から姿を消します。気がついたときには大切な技術やノウハウを含め、「本物」は失われ、偽物ばかりが氾濫する社会となります。

これらは、皆が選んだ結果なのです。
▽百均

「安い」し「便利」だし「近くにある」から、という理由で100円均一ショップを利用する方も多いと思います。いわゆる百均は、利用すれば利用するほど国内の優良なものづくり産業を破滅に追い込むことをご存じでしょうか。

▽大手通販サイト

同様に、「安い」し「便利」だし「早い」し「ファッション」のひとつだから、外資の大手通販サイトを利用する、という方も多いと思います。これらの利用が地域の商店を倒産させ、国や地域社会の福祉の切り捨てなど、公共性の高い事業の縮小に一役買っていることをご存じでしょうか。

外資の大手通販サイトをはじめ、「安い、早い、便利」などという甘い言葉を多用する多国籍企業は、莫大な利益を上げる一方、日本へ納税をすることもありません(でも「なぜか」消費税は取られます)。それが最終的に国を滅ぼすことをご存じでしょうか。

▽企業経営

世の中は不景気で「経営合理化」が必要だから、といって計画も危機管理もなく、やみくもに経費削減し、人を切り捨てる企業も多くなってしまいました。これらが必要なことまで切り捨て、結果的に経営までもが困難になってしまうということをご存じでしょうか。

▽善意の活動とされること

発展途上国のために募金やペットボトルキャップを集め、寄附する。このことによって「良いことをした」という自己満足を得ている方もいるかと思います。これが発展途上国の社会を崩壊させ、産業を破壊し、子どもたちを苦しめ、命を奪っていることをご存じでしょうか。コーヒーやチョコレートなどの嗜好品を買えば買うほど、貧しい生産地はますます貧困社会となり、大量の不幸が起きているという現実を考えたことがありますでしょうか。

▽選挙

お付き合いだから、他に入れる人がいないから、誰に入れても同じ、などの理由で投票をされる方が多いのも現実です。この票の積み重なりが、結果的に日本の国自体を崩壊させることに結実していくことを考えたことがありますか。

他にもほぼ全ての分野で言えることですが、物事の「本質 ≒ 根」を見ようとせず、「目先の享楽 ≒ 枝葉」を優先した生活をしているのが現代人です。現在のこの殺伐とした社会、病が蔓延する社会、真実が伝えられない社会、国として終わりに向かう社会、は「私など何の関係も無い」という認識しか無い「圧倒的多数の準加害者」によって造り上げられた社会なのです。

これが現代社会の現実です。

▼日本人が選択した消費社会が現在の社会

全国地域の商店街がシャッター街となり、中小の優良な企業やお店が倒産・閉店し、最も大切な一次産業は国内から消えていく一方、農家を営む方々が健康被害に遭い、地域のコミュニティは見る影もなくなり、消費者である私たちは、精神的疾患、慢性疾患をはじめとする、ありとあらゆる病気にかかり、苦しみながらその一生を終える。これらはすべて、私たちの日々の生活行動の結果として顕在化してきていることです。

一方、こうした現実を知り、健康な生活を営もうとケミカルフリーの生活を望む方々もいらっしゃいますが、その多くは、すべてのケミカル商品を捨てきれることはありません。洗濯、掃除、食器洗い、入浴、いずれも「こうなくてはならない」という先入観が邪魔し、本来必要で無い物質を投入し続けます。

現代の「物質社会は消費社会」です。すべての活動、行動に消費が伴う方が産業界にとって都合が良いのです。こうした意識に支配されることで、「何も使わない」という一番シンプルで最良の選択が選択肢から無くなるのです。

本来、洗濯も食器洗いも、その大半は水洗いだけで充分です。落ちない汚れは石油系等のケミカルな汚れや、これらを含む自分が摂取した「食べもの」の汚れです。病気にもすべてに理由があります。原因が無いものは、本来結果として起こらないものです。

物事のすべては、いつの間にか加担者にさせられた私たちが選択した(選択させられた)結果起こっていることです。主たる原因は「根っこにあること」を知らなかったがゆえに起こっています。

▼知ったことでどう行動しますか?

現在の社会では、大きなもの(根)より、小さなもの(枝葉)に目が行きがちな人を多く見ます。これは大きなものに目を向けにくくさせるための教育システムやマスコミの報道などの意識操作による成果です。

枝葉の話も時に重要な場合もありますが、最も大切なのは根の話です。一例で言えば「砂糖」の害が広く伝えられるようになり、摂取を控える人が増える一方、「砂糖」を摂取する方への攻撃とも思えるような場面を見るようにもなってきました。こうした行為が、枝葉中の枝葉であることは言うまでもなく、次第に「砂糖をとっているような人間が、市民活動を行う資格はない」とまで発言する人間がいる始末です。

ここでも、現代科学の底辺に根強い「単体評価主義」の悪い影響が垣間見えます。勿論、そのテーマにより言えることは違いますが、「砂糖を摂取するか否か」のようなことだけで、その人間の人間性の最終評価までしてしまうという愚行は、確実に社会を蝕んでいきます。

人間は「樹を見て森を見ず」の状態に陥りがちな生き物です。本当の意味で現在のこの社会を俯瞰(ふかん:全体から眺めること)し、今必要なことが何であるのかを考えれば、大切なのは「啀(いが)み合うことでなく、理解し合うこと」そして、理解し合った人間同士が「共に正しい情報を共有し、共に出来ることをはじめていくこと」であることであると気付くはずです。

この気付きが無い方は、やはり自分の利益だけしか考えていないということの証左です。意識していないまでも、確実に日本を悪くする選択を日々行っていると言わざるを得ません。

そして、知っていても、行動に移せない方もいます。
「知ること」「判断すること」「行動すること」はそれぞれ別のものです。「知るだけ」でなく、正しい「判断をする」ことができなければ意味がありません。さらに言えば、その判断が適切な「行動」に繋がるものでなければ、知らないのと同じです。

小さなことから実行に移せることは多いのです。
多くの方が意識し、実践することにより、粗悪品は市場から閉め出され、利益だけを貪るようなビジネスや、健康被害をもたらすような食品が消えていくのです。「自分ひとりの行動が社会を変えることなどはない」と考える無知や、傍観者的な発想が、社会悪の根源なのです。

また、知ることを避ける方が多いのも現実ですが、現在の社会で知らないでいることは加害者に加わることと同義です。身近なコミュニティを含め、社会づくりは、全員、誰もが参加しているのです。「私だけは違う」ということはあり得ないのです。

<転載終了>