煩悩くん フルスロットルさんのサイトより
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<転載開始>
日月神示には十種神宝や一二三祝詞が登場することから、物部神道系の霊言に間違いないだろうことは、前記事にも書きましたね。

一二三とは、一二三と云う事ぞ、言葉ぞ、祓いぞ、ウズぞ。スサナルの仕組みぞ。成り成る言葉ぞ」

一二三祝詞(一二三祓詞)は花山天皇(968-1008年)の子孫である白川伯王家の伯家神道が採用した宮中祭祀だけで用いられた祝詞ですが、幣立神宮に阿比留草文字で書かれた一二三祝詞があることからも、その起源はかなり古いと思われる。

この一二三は卑弥呼の倭国を討伐・継承した扶余系スキタイの初期大王族の大王名の初代の倭旨(崇神天皇)、二代目の倭仁(垂仁天皇)、三代目の倭讃(景行天皇)を表してもいることから、初期大王家に繋がる祝詞、つまり、物部系祝詞であることは間違いないと思われる。
※587年に起きた物部守屋と聖徳太子の「神仏戦争(丁末の変)」はデッチ上げですが、実は百済救済見余った聖徳太子と守屋を討ったもの。守屋の死後、物部神道は衰退し、神祇は中臣氏が独占。

「無、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、有、であるぞ。有、十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、無、であるぞ。唱えよ。宣り上げよ。」
(月光の巻 第五帖)


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この祝詞の背景にはカバラの「生命の木」がある。「一二三四...十」とはセフィロトを表してもいますが、「十種神宝」も人体のチャクラを表し各セフィロトに対応しているのだろう。これは凡ゆる事物が「無」から「有」へと生成していく過程でもあり、更にコレを逆に辿れば消滅に至るという過程になっている。この2つの過程を繋ぐのに隠されたセフォロトが存在しますが、それを介して2つの過程は無限連鎖的なサイクル化する。

この「22」個のサイクルが「ニニ(不二)」と呼ばれるものであり、「十種神宝」を振って祝詞を唱えると死者を蘇らせる「穢土転生」的な効果があるとされた理由なのだろう。また、賀茂神社にパクられた籠神社の「藤(不死)祭」の型でもあり、大魔神コード「22」として現れるもの。で、このサイクルから抜け出すのが解脱とか覚醒と呼ばれるのでしょう。

「世界平和と申しているが、神に還って、神に通じねば和平なく、よろこびないぞ。十二の玉を十まで生んで、後二つ残してあるぞ。」
(秋の巻 第二十一帖)


そして、残りの2つの玉をカバラの「生命の木」で示すと、「王冠(ケテル)」の上位に位置する「アイン・ソフ(無限)00」「アイン・ソフ・オウル(無限光)000」ではないかと睨んでいるのだが、、、、これが地神顕現(△)の後に天神顕現(▽)して一体化してスサナル(✡)となることであり、これがカバラでいうところの「アイン(無)0」。

はそれぞれ聖書黙示録に示される「地の釜から湧き出て来るイナゴの顔をした兵士たち=地涌の菩薩=アルザル」と「天空を飛翔する町エノク(新エルサレム)」のことなるのではないかと睨む。

この2つの「サンドイッチ!」状態によって新世界が開闢する。

カバラオコツト
(上三角△=アイン・ソフ・オウル「000」と下三角▽=アイン・ソフ「00」)

さてさて、日月神示の「日」と「月」の時を重ねると「目」という字になりますが、日月神示の別名「一二三(ひふみ)神示」の「一二三」を重ねると、これもまた「目」という字になるのです。

目

日月の神には何か「目」に関する神が関係していそうな感じがします。

目
(ホルスの目)

1つはメーソンシンボルでもある「ホルスの目」、別名「プロビデンスの目」とも呼ばる左目ですが、「ラー(マルドック)」の目とも呼ばれる。初期には「ウアジェトの目」「月の目」とも言われ、ホルスが父オシリスの敵セトを討つ時に奪われた左目のことである。この左目は月からの監視者「イギギ」や堕天使集団「グリゴリ」を暗喩するものでもあると睨む。で、この失った左目という構造はアニメ『NARUTO』では「うちはオビト」として表現されている。
※うちはオビトは、うちはマダラが提唱した瞳術「無限月読」で人類全体を幻術下に置き、争いを根絶する「月の目」計画に賛同して計画推進しているが、この「月の目」とは「ウアジェトの目=ホルスの目」であり、ここからヒントを得たと睨む。

古代エジプトのホルス神はハヤブサの頭部を持つ「太陽と天空の神」ですが、右目は太陽、左目は月を象徴していた。日本神話では左目から天照、右目から月読が生まれたとされており、丁度、真逆になっていますが、何か関係あるのかもしれませんねぇ。

それ以外にも「目」に関係していそうなのが、、、聖櫃(アーク)です。

飛鳥昭雄先生によれば、アークに臨在する目は「右目」なのだとか、、、ちなみに、映画『インディ・ジョーンズ 失われたアーク』の主人公インディアナ・ジョーンズはクリスタル・スカルの王国以降は右目を失い、老インディは右目に黒い眼帯をしている姿で描かれている。

アーク
(この三角形に目が臨在していた?)

十戒石板を収めていた契約の箱、聖櫃(アーク)は2つのケルビムが付いた「贖いの蓋」からなる木製の箱ですが、このケルビムと翼と蓋で構成させる三角形に「目」が臨在していたという。これが「栄光(グローリー)」。漢字の「箱」という字はこの2つのケルビム(ケケ)と「目」と「木(木製)」で構成される字であり、聖櫃(アーク)そのものを表した漢字だとも云われる。また、聖櫃(アーク)は「アローン=ハッコーデシュ」といいますが「箱」の読みの起源っぽい。

レビ族と目される忌部氏を率いた天太玉命(倭得玉)が神祇氏族・尾張氏へとなっていきますが、百済系の応神天皇(倭武)暗殺失敗から神祇は傍系の物部氏に継承された。継承した物部氏の祖が物部目です。系図には「目」は2人存在することから、物部氏は「目」、つまり聖櫃(アーク)に関する何らかの神祇をしていたのではなかと睨んでいる。
※天香久山で鹿の焼く香りを捧げる時に祭壇に置かれていたのかもしれない。

物部氏の「モノ」とは「モノ申す(奏上する)」から来ていて、決して「モノノフ=武者」から来ているのではない。神祇氏族であるから物氏であり、更に警察業務も兼ねていたから「物部=モノノフ=武者」となっただけのこと。
※神のお告げを受けて40年ぶりにエジプトに帰ったモーゼは、イスラエル人の解放を申し出てファラオと交渉するが、ファラオが応じないと見るや、モーセの
の杖でヤハウェに命じ天災地変や疫病の災禍をもたらした。このファラオにモノ申したモーセが「モノ」の起源だともいわれる。


この「モノ」は「目は口ほどにモノを言い」の「モノ」でもありますが、聖櫃の「贖い蓋」とケルビムの翼が構成する三角形の中に臨在する「目」が何らかの言葉を発していたのかもしれない。

ただ、聖櫃(アーク)の神(ヤハウェ)、イルミナティ・シンボルのホルスの左目、日月の神が同じ存在だという証拠は何もないのだが、、、

ヒトには右目左目の2つの目がありますが、うちはオビトとはたけカカシの時空間瞳術「神威」の時空間が繋がっているのと同じように、ヤハウェと日月の神は互いが裏で繋がってはいるが、表面上はそれぞれ異なる性質を持つ神なのかもしれません。それが先に述べたエジプト神話と日本神話の目の対称性ですが、これはアメン神とアテン神の対立でもあり、エンキとエンリル、知恵の木と生命の木の関係と同じでもある。

Tobi___Kakashi_by_Yarite.jpg
(うちはオビトとはたけカカシ)

アニメ『NARUTO』では、開眼した万華鏡写輪眼の右目、左目にそれぞれ別々の瞳術が宿ると、両眼を使った複合瞳術「スサノオ」が発動出来るようになるとされていますが、実はコレと同じで、異なる性質を持つ神(左目・右目)が止揚して完成体スサノオ=スサナル大神が誕生するという展開になるのかもしれません(爆)。

だからこそ、日月神示は「悪を抱き参らせよ」とか、「ミロクの世はイシヤとメシヤが手を組むときに完成する」と云っているのだろう。

これは究極的には、知恵の木(アメン神=蛇神=エンキ・マルドック勢力)と生命の木(アテン神=牛神=エンリル・ニヌルタ勢力)が揃うことで「エデンの園=みろくの世」の顕現へとなっていくのだろうか?
<転載終了>