tacodayoのブログさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/7160464.html
<転載開始>
再び動画「聖書考古学_本当のシナイ山」をあげてみます。
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/7160464.html
<転載開始>
再び動画「聖書考古学_本当のシナイ山」をあげてみます。
以下は
エジプト記 No.3 神の山ホレブ
からの引用です。

モーセが住んだミデヤンは古代の歴史地図でも現在のアラビヤ半島のサウジアラビヤ西部にあった国です。
モーセはそこで羊を飼っていたときに、神の山と呼ばれるホレブ山の麓にやってきました。
そこに不思議な光景がありました。
柴が燃えているのに燃え尽きなかったのです。
これはモーセを招く神様の方法でした。
ところで、この神の山ホレブとはどの山なのでしょうか。ミデヤンがアラビヤ半島にあったとすれば、今、言われているシナイ半島のシナイ山に行くには数百キロも移動しなければなりません。学者たちの意見でもまだはっきりと決まっていません.
□ホレブ(シナイ)山はどこにあったか
現在、ホレブ山はシナイ半島の先端にあるジェベル・ムーサ(モーセの山)と言われています。
そして、それが当然のようにキリスト教系の出版物や旅行社のパンフレットに書かれています。そして毎年多くの観光客がそこに行き、感激して帰ってきます。私もその一人でした。
しかし、
実は学術的にこの山はほとんど何の根拠も無いのです。
実はシナイ山の候補地は幾つかあります。ジェベル・ムーサと言う名の山も複数あります。
そして現在のシナイ山は最も根拠の無い山であることが分かってきました。
それは次のような理由によります。
1.シナイ半島は歴史上常にエジプト領だった(1967年6月に起きた第3次中東戦争〔六日戦争〕によってシナイ半島がイスラエルに占領された後の和平交渉でイスラエルがあっさりシナイ半島をエジプトに返還したのも、聖書でアブラハムに神様が与えた領土にはシナイ半島は含まれていないからです)。
2.シナイ半島には銅とトルコ石の鉱山があり、古代エジプト時代には盛んに採掘が行われていた。そのために多くのエジプト軍が駐留していた。
3.現在のシナイ山は4世紀にローマ皇帝コンスタンチヌスの母へレナが勝手に決めた聖地の一つに過ぎない。
4.現在のシナイ山近辺にはイスラエルの100万を越える人口がキャンプする広い土地が無い。
5.モーセの出エジプトの痕跡になる遺物などはまったく発見されていない。
ところが最近になって
民間の考古学者ロン・ワイアットさんがシナイ山の候補地の一つだったアラビヤ半島のラウズ山(タコ注:Jabal Al-Lawz ヤベル・エル-ローズ 難民の山ロウズ)に行き、はっきりとした確証を発見しました。
しかし、サウジアラビヤ政府は考古学的な調査を許さなかったために、ワイアットさんたちは逮捕拘留され75日間も監獄に入れられ、釈放されたとき、全ての持ち物を取り上げられ、そこで見たことは一切発表してはならないと厳命されました。
実はサウジアラビヤはこの山をミサイル基地にする予定だったのです。標的はもちろんイスラエルでした。
ところが1988年資産家で冒険家のラリー・ウイリアムズとボデーガードのボブ・コーニュークは、ワイアットさんのチームの一人だった男からそこに莫大な財宝が埋まっていると言う話を聞き、非常な苦労の末にラウズ山に登りました。そして
そこに聖書の記述どおりの遺跡を発見しました。
それは彼らの事を書いた「隠された神の山」(ハワード・ブルム著1999年2月角川書店刊行)と言う本に書かれています。
1.山に登ることを禁ずる境界を示す積み石の列
2.金の子牛を祭ったと思われる大きな石の祭壇(砂漠にはいない牛の絵が描かれている)
3.イスラエルの12部族の為に立てた12の石柱
4.モーセの祭壇と思われる祭壇跡
5.エリヤが過ごしたと思われる洞窟
6.黒くこげた山肌
7.モーセが隠れた岩の裂け目
しかし、実はラウズ山はすでにサウジアラビヤのミサイル基地になっていて、(ここにラウズ山の写真を載せられないのは、そのせいです。)山は有刺鉄線で囲まれ、24時間体制で警備されていました。
彼らは非常な危険を冒してそこに入り、山に登り、命からがら脱出しました。財宝どころではなかったのです。
しかし、彼らは財宝以上の宝を発見しました。その山のおごそかな雰囲気と、神は居るという確信でした。彼らはクリスチャンとなりました。
以上引用終わり。
エジプト記 No.3 神の山ホレブ
からの引用です。

モーセが住んだミデヤンは古代の歴史地図でも現在のアラビヤ半島のサウジアラビヤ西部にあった国です。
モーセはそこで羊を飼っていたときに、神の山と呼ばれるホレブ山の麓にやってきました。
そこに不思議な光景がありました。
柴が燃えているのに燃え尽きなかったのです。
これはモーセを招く神様の方法でした。
ところで、この神の山ホレブとはどの山なのでしょうか。ミデヤンがアラビヤ半島にあったとすれば、今、言われているシナイ半島のシナイ山に行くには数百キロも移動しなければなりません。学者たちの意見でもまだはっきりと決まっていません.
□ホレブ(シナイ)山はどこにあったか
現在、ホレブ山はシナイ半島の先端にあるジェベル・ムーサ(モーセの山)と言われています。
そして、それが当然のようにキリスト教系の出版物や旅行社のパンフレットに書かれています。そして毎年多くの観光客がそこに行き、感激して帰ってきます。私もその一人でした。
しかし、
実は学術的にこの山はほとんど何の根拠も無いのです。
実はシナイ山の候補地は幾つかあります。ジェベル・ムーサと言う名の山も複数あります。
そして現在のシナイ山は最も根拠の無い山であることが分かってきました。
それは次のような理由によります。
1.シナイ半島は歴史上常にエジプト領だった(1967年6月に起きた第3次中東戦争〔六日戦争〕によってシナイ半島がイスラエルに占領された後の和平交渉でイスラエルがあっさりシナイ半島をエジプトに返還したのも、聖書でアブラハムに神様が与えた領土にはシナイ半島は含まれていないからです)。
2.シナイ半島には銅とトルコ石の鉱山があり、古代エジプト時代には盛んに採掘が行われていた。そのために多くのエジプト軍が駐留していた。
3.現在のシナイ山は4世紀にローマ皇帝コンスタンチヌスの母へレナが勝手に決めた聖地の一つに過ぎない。
4.現在のシナイ山近辺にはイスラエルの100万を越える人口がキャンプする広い土地が無い。
5.モーセの出エジプトの痕跡になる遺物などはまったく発見されていない。
ところが最近になって
民間の考古学者ロン・ワイアットさんがシナイ山の候補地の一つだったアラビヤ半島のラウズ山(タコ注:Jabal Al-Lawz ヤベル・エル-ローズ 難民の山ロウズ)に行き、はっきりとした確証を発見しました。
しかし、サウジアラビヤ政府は考古学的な調査を許さなかったために、ワイアットさんたちは逮捕拘留され75日間も監獄に入れられ、釈放されたとき、全ての持ち物を取り上げられ、そこで見たことは一切発表してはならないと厳命されました。
実はサウジアラビヤはこの山をミサイル基地にする予定だったのです。標的はもちろんイスラエルでした。
ところが1988年資産家で冒険家のラリー・ウイリアムズとボデーガードのボブ・コーニュークは、ワイアットさんのチームの一人だった男からそこに莫大な財宝が埋まっていると言う話を聞き、非常な苦労の末にラウズ山に登りました。そして
そこに聖書の記述どおりの遺跡を発見しました。
それは彼らの事を書いた「隠された神の山」(ハワード・ブルム著1999年2月角川書店刊行)と言う本に書かれています。
1.山に登ることを禁ずる境界を示す積み石の列
2.金の子牛を祭ったと思われる大きな石の祭壇(砂漠にはいない牛の絵が描かれている)
3.イスラエルの12部族の為に立てた12の石柱
4.モーセの祭壇と思われる祭壇跡
5.エリヤが過ごしたと思われる洞窟
6.黒くこげた山肌
7.モーセが隠れた岩の裂け目
しかし、実はラウズ山はすでにサウジアラビヤのミサイル基地になっていて、(ここにラウズ山の写真を載せられないのは、そのせいです。)山は有刺鉄線で囲まれ、24時間体制で警備されていました。
彼らは非常な危険を冒してそこに入り、山に登り、命からがら脱出しました。財宝どころではなかったのです。
しかし、彼らは財宝以上の宝を発見しました。その山のおごそかな雰囲気と、神は居るという確信でした。彼らはクリスチャンとなりました。
以上引用終わり。
第33回国民体育大会健康の火 採火地の石碑がある辺りがヒントであるが、原理物質テクノロジーにおいて、中ロイラン台湾界隈がかなり誤った使い方で開発を進めていることは懸念されるべき状況である。
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事で中ロイラン台湾界隈が攻め込んできた最大の目的は原理物質の強奪にある。