院長の独り言さんのサイトより
http://onodekita.sblo.jp/article/92808207.html
少しでも世間を知っていればやりたがらないでしょう。
操り人形でなければ困るわけで、ってことかな?
<転載開始>
・かつて日本の原子力政策を定めてきた原子力委員会のメンバーが改選
・初代委員長は、あの「正力松太郎」前任の近藤駿介は有名な人物であったが、今回の新任者は誰も知らない岡芳明。
・新委員長は「政府の政策に従って考えるのが基本」と新任会見で平気で発言
・このような機関には存在意義はなく、税金の無駄遣いだからとっとと廃止せよ
日本が原子力を導入するに当たって、1956年に初めてつくった原子力推進機関が「原子力委員会」でした。この委員会は、米国の原子力委員会(Atomic Energy Comission)を手本にしたデッドコピー。初代委員長に就任したのは、ポダムと言われる米国の暗号名を持つ正力松太郎氏でした。彼は、原子力の危険性など全く知らず、そして「毒をもって毒を制する」米国の政策に乗っ取り、忠実に日本に原発を作り上げました。
2011.10.2 熊日記事から
以降、原子力の政策を決めるのは、この原子力委員会がトップとされていましたが、その実態は寂しいもの。東電に勤めていたときに、通産省のお役人の方から、
「小野さん、原子力委員会って知ってます?あそこで、政策が決まるから立派な議論をしているかと思っていたんだけど、実はひどいんですよ。なんかもう、好き勝手なことを言っているだけ。アレで、日本の原子力政策をきめていいのか、決められるのかと思うと情けなくなったよ。」
と聞いたことがあります。
そうはいっても、それなりに有名な機関であり、事故が起きたときには近藤駿介という、原子力村では有名な人物が委員長をしており、「福島第一原発の不測事態シナリオの素描」という首都圏5000万人避難をもとめる有名な過酷事故評価を政府に提出しました。私自身も顧問会で何度も顔を見かけたことがあります。議論百出の中、主催者側(電力、役人)の意に沿うようにうまくまとめて、なるほど大した人物だと感心していました。この人物と電力会社との関係はここにまとめています。まあ、有能な人物であればあるほど、電力会社から金をもらっているのは当たり前ですから、そのような献金を廃止となったときに出てくる組織の長は、推進派も反対派も目を覆いたくなるほどの人物になってしまうことは、当然と言えば当然。
今回の原子力委員会はなり手が少ないこともあるのでしょう。たった三名になってしまいました。
岡芳明岡芳明 委員長
(おか よしあき)
元早稲田大学理工学術院特任教授
2014年(平成26年)4月より原子力委員会委員長(常勤)
モットーはたゆまぬ努力です。東電福島事故の痛切な教訓を生かし、原子力エネルギーと放射線の利用に関する国の施策を計画的に遂行するため、国民と相互理解を図りつつ、原子力政策を企画し、実行いたします。
専門分野:
原子炉設計工学、原子炉物理学、原子力の安全性、新型原子炉、計算工学、放射線輸送と高速中性子遮蔽
共同原子力専攻担当:
原子炉物理学特論、原子力プラント工学、プラント制御特論
略歴
1969年 東京大学原子力工学科卒業、1974年 東京大学工学系研究科博士課程修了、工学博士。 東京大学にて原子力工学の研究教育に従事。高速中性子遮蔽・放射線輸送、医療用原子炉、核分裂・核融合ハイブリッド炉、 スーパー軽水炉・スーパー高速炉の設計研究などを実施。 平成17年度には原子力専攻(専門職大学院)と原子力国際専攻を開設し新原子力教育を立ち上げ、 原子力教科書シリーズ作成を提案・主導・執筆した。 平成19年度よりグローバルCOEプログラム「世界を先導する原子力教育研究イニシアチブ」拠点リーダとして原子力の人文社会科学、 原子力エネルギー、放射線応用のプログラムを一体的に運用し国際交流も行った。通産省原子力発電技術顧問(約20年間)、 内閣府原子力安全技術顧問(約15年間)、米国原子力学会理事、日本原子力学会会長などを歴任。 2010年3月に東京大学を定年退職し、4月に開設された早大理工学術院共同原子力専攻の立ち上げと教育研究に専攻主任として従事中。 東京大学名誉教授。
阿部信泰阿部信泰 委員
(あべ のぶやす)
元軍縮担当国連事務次長
前日本国際問題研究所 軍縮・不拡散促進センター所長
2014年(平成26年)4月より原子力委員会委員(常勤)
原子力の利用を平和目的に限りこれを民主的に運営するようこれまで得られた軍縮・不拡散分野での経験を生かして努力してまいります。日本が平和目的を厳守することは勿論ですが、そのためにも国際的に核軍縮を推進し、核不拡散を確保することが重要と考えます。
中西友子中西友子 委員
(なかにし ともこ)
東京大学大学院農学生命科学研究科教授
2014年(平成26年)3月より原子力委員会委員(非常勤)
長年、放射線や放射性物質をツールとして研究をしてきました。特に最近は、放射性物質を用いた植物の生育メカニズムを解析する研究に注力しています。その関係で福島における農業問題の研究も行ってきています。憶測によらず、可能な限り科学的な立場から考えていきたいと思っています。発電用原子炉の専門家が一人もいませんが、これでフクシマ後の原子力政策を議論できるんでしょうか。はなはだ疑問です。これなら、前の委員会の方がまだ遙かにまし。(少なくとも 近藤駿介、鈴木達治郎、尾本彰は、軽水炉のことをきちんと知ってます)何も知らない委員長ですから、初日からいきなり爆弾発言をします。
「政府には我々の独立した技術的な立場から、原子力政策について提言していく」
と言うべきであって、いきなり「政府の政策に従って考える」のでは、存在意義は全くありません。原子力村から献金を受けていない何の役にも立たない人物を祭り上げざるを得なかった人材不足がよくわかるではありませんか。
もう原子力委員会はその存在意義を完璧に失いました。
■関連ブログ
原発と原爆はおなじもの・・橋爪文氏2011年10月02日
1045.フクシマの避難範囲は40マイルでよかった。ヤッコの五十歩百歩2014年04月03日
近藤駿介原子力委員長の電力業界との癒着2012年05月24日
<転載終了>
http://onodekita.sblo.jp/article/92808207.html
少しでも世間を知っていればやりたがらないでしょう。
操り人形でなければ困るわけで、ってことかな?
<転載開始>
・かつて日本の原子力政策を定めてきた原子力委員会のメンバーが改選
・初代委員長は、あの「正力松太郎」前任の近藤駿介は有名な人物であったが、今回の新任者は誰も知らない岡芳明。
・新委員長は「政府の政策に従って考えるのが基本」と新任会見で平気で発言
・このような機関には存在意義はなく、税金の無駄遣いだからとっとと廃止せよ
日本が原子力を導入するに当たって、1956年に初めてつくった原子力推進機関が「原子力委員会」でした。この委員会は、米国の原子力委員会(Atomic Energy Comission)を手本にしたデッドコピー。初代委員長に就任したのは、ポダムと言われる米国の暗号名を持つ正力松太郎氏でした。彼は、原子力の危険性など全く知らず、そして「毒をもって毒を制する」米国の政策に乗っ取り、忠実に日本に原発を作り上げました。
2011.10.2 熊日記事から
「CIAは正力を利用した。正力は日本の発展に原子力が要ると信じたようだが、米国は、被爆国の日本での原子力推進がほかの諸国への宣伝になると考えた。米国の工作で核兵器と原発は別物との考えが日本に定着してしまった。」
政策の善悪は別にして、これほどの力があったのが「原子力委員会」だったのです。以降、原子力の政策を決めるのは、この原子力委員会がトップとされていましたが、その実態は寂しいもの。東電に勤めていたときに、通産省のお役人の方から、
「小野さん、原子力委員会って知ってます?あそこで、政策が決まるから立派な議論をしているかと思っていたんだけど、実はひどいんですよ。なんかもう、好き勝手なことを言っているだけ。アレで、日本の原子力政策をきめていいのか、決められるのかと思うと情けなくなったよ。」
と聞いたことがあります。

今回の原子力委員会はなり手が少ないこともあるのでしょう。たった三名になってしまいました。

(おか よしあき)
元早稲田大学理工学術院特任教授
2014年(平成26年)4月より原子力委員会委員長(常勤)
モットーはたゆまぬ努力です。東電福島事故の痛切な教訓を生かし、原子力エネルギーと放射線の利用に関する国の施策を計画的に遂行するため、国民と相互理解を図りつつ、原子力政策を企画し、実行いたします。
専門分野:
原子炉設計工学、原子炉物理学、原子力の安全性、新型原子炉、計算工学、放射線輸送と高速中性子遮蔽
共同原子力専攻担当:
原子炉物理学特論、原子力プラント工学、プラント制御特論
略歴
1969年 東京大学原子力工学科卒業、1974年 東京大学工学系研究科博士課程修了、工学博士。 東京大学にて原子力工学の研究教育に従事。高速中性子遮蔽・放射線輸送、医療用原子炉、核分裂・核融合ハイブリッド炉、 スーパー軽水炉・スーパー高速炉の設計研究などを実施。 平成17年度には原子力専攻(専門職大学院)と原子力国際専攻を開設し新原子力教育を立ち上げ、 原子力教科書シリーズ作成を提案・主導・執筆した。 平成19年度よりグローバルCOEプログラム「世界を先導する原子力教育研究イニシアチブ」拠点リーダとして原子力の人文社会科学、 原子力エネルギー、放射線応用のプログラムを一体的に運用し国際交流も行った。通産省原子力発電技術顧問(約20年間)、 内閣府原子力安全技術顧問(約15年間)、米国原子力学会理事、日本原子力学会会長などを歴任。 2010年3月に東京大学を定年退職し、4月に開設された早大理工学術院共同原子力専攻の立ち上げと教育研究に専攻主任として従事中。 東京大学名誉教授。

(あべ のぶやす)
元軍縮担当国連事務次長
前日本国際問題研究所 軍縮・不拡散促進センター所長
2014年(平成26年)4月より原子力委員会委員(常勤)
原子力の利用を平和目的に限りこれを民主的に運営するようこれまで得られた軍縮・不拡散分野での経験を生かして努力してまいります。日本が平和目的を厳守することは勿論ですが、そのためにも国際的に核軍縮を推進し、核不拡散を確保することが重要と考えます。

(なかにし ともこ)
東京大学大学院農学生命科学研究科教授
2014年(平成26年)3月より原子力委員会委員(非常勤)
長年、放射線や放射性物質をツールとして研究をしてきました。特に最近は、放射性物質を用いた植物の生育メカニズムを解析する研究に注力しています。その関係で福島における農業問題の研究も行ってきています。憶測によらず、可能な限り科学的な立場から考えていきたいと思っています。
初会合後に記者会見する、原子力委員会の岡芳明委員長(右)と阿部信泰委員長代理=8日、東京都千代田区
国の原子力委員会は8日、元早稲田大特任教授の岡芳明委員長(67)ら新しい委員3人の就任後初めての会合を開いた。岡氏は会合後の記者会見で「透明性を確保し、国民の理解を得ながら原子力政策を検討したい」と抱負を述べた。
ほかの2人は、元日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター所長の阿部信泰委員長代理(68)と、東京大大学院教授の中西友子委員(63)。
東京電力福島第1原発事故を教訓とする、原子力利用推進の役割を担ってきた委員会の在り方見直しは途中の段階で、委員の顔触れが代わっただけの新体制発足となった。政府は、今国会に原子力委設置法の改正案を提出し、機能を縮小して原子力の平和利用や放射性廃棄物処分などに重点化することなどを柱とした組織見直しを急ぐ方針。
この日の会合では、委員会の透明性を高めるため、委員が在任中に電力会社などから寄付を受けないことなどを新たな行動規範に定めた。電力会社など推進側だけを集めた勉強会を開き批判を浴びたことを踏まえた。
一方、岡氏は会見で「政府の政策に従って考えるのが基本。日本の再構築に原子力がどう役立つか検討したい」と推進寄りの立場も示した。
NHK新会長・籾井勝人(もみいかつと・70)氏が「政府が右というを左といえぬ」と発言して大きな問題になったのを、知ってか知らずか、このようなことを平気で発言するところから、この人物の大きさが垣間見えます。本来ならば、(ウソだとしても)国の原子力委員会は8日、元早稲田大特任教授の岡芳明委員長(67)ら新しい委員3人の就任後初めての会合を開いた。岡氏は会合後の記者会見で「透明性を確保し、国民の理解を得ながら原子力政策を検討したい」と抱負を述べた。
ほかの2人は、元日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター所長の阿部信泰委員長代理(68)と、東京大大学院教授の中西友子委員(63)。
東京電力福島第1原発事故を教訓とする、原子力利用推進の役割を担ってきた委員会の在り方見直しは途中の段階で、委員の顔触れが代わっただけの新体制発足となった。政府は、今国会に原子力委設置法の改正案を提出し、機能を縮小して原子力の平和利用や放射性廃棄物処分などに重点化することなどを柱とした組織見直しを急ぐ方針。
この日の会合では、委員会の透明性を高めるため、委員が在任中に電力会社などから寄付を受けないことなどを新たな行動規範に定めた。電力会社など推進側だけを集めた勉強会を開き批判を浴びたことを踏まえた。
一方、岡氏は会見で「政府の政策に従って考えるのが基本。日本の再構築に原子力がどう役立つか検討したい」と推進寄りの立場も示した。
「政府には我々の独立した技術的な立場から、原子力政策について提言していく」
と言うべきであって、いきなり「政府の政策に従って考える」のでは、存在意義は全くありません。原子力村から献金を受けていない何の役にも立たない人物を祭り上げざるを得なかった人材不足がよくわかるではありませんか。
もう原子力委員会はその存在意義を完璧に失いました。
■関連ブログ
原発と原爆はおなじもの・・橋爪文氏2011年10月02日
1045.フクシマの避難範囲は40マイルでよかった。ヤッコの五十歩百歩2014年04月03日
近藤駿介原子力委員長の電力業界との癒着2012年05月24日
<転載終了>
数年前から何度か先生のコメントを拝見してきました
当方、30年前から一人で原子力のありかたを調査・批判してきた者ですが、フクイチ事故後も何も変わらないことに怒りと悲しみを覚えております
30年の間には様々なことがあり、手記or映画として形に残すべきだと勧められますが、そんな余裕はありませんので、こつこつと調べて当事者に直訴し続けているだけです
これからも原子力についてのご意見をどうぞ発信して下さい(大変刺激的で楽しみにしております)
では、ご自愛の上ご活躍下さいませ