佐藤敏夫先生のサイトより
http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/kamihou1.html
<転載開始>
  「神の法陣」大精義講()



    「神の法陣」こと始め(その1)

                                                           2014年 6月上載

 
      現代数学的な知をもっては決して解くことは叶わないもの、それは「自然の知」なのである。

それを解き放つためにはどうしても日本の叡知「ひふみ九九算」の手を借りなければならないのであるが、
      
     その事実を古代の人々は知っていたが、現代人の誰も知らないと言うのである。何たることか…
     
     まさにそれは歴史の滑稽な悲劇であり、歴史の真実のはかなさを謳っているものと言ってもいいものである…!!。


  今回から題を改め、「神の法陣」としての新たな講義を申し上げることにする。

 恐らくはすでにお話申し上げた場面も再々登場するであろうが、もう一度おさらいのつもりで検証して戴きたい。もし、十分に承知済み、了解済みと考えるなら改めて「新しい意義」を見出すための更なる一考を案じ出して、この講義に新しい花を添えて戴ければまことに有難いこととして、ただただ感謝を申し上げる次第である。

 ここは無限の「神の花畑」であり、我々人間にとっては意表を突くばかりの「神の花」が咲き誇って永遠無窮の姿(空間)を開示している。これから次々とご紹介することになるが出来る限りそれら一つ一つを心に刷り込んで揺るぎない「自然の知」を満喫してもらいたい。 それがこの「神の法陣」講座の趣旨であり、「神の意思」とも言うべきものなのである。

 

今になってつらつら思うに人間の文明開化はどうも我々人間の手により花が開き発展したのではなく、そこには大いなる「神の意思」、「宇宙意識」の誘導があったように思える。  要するに、そこには明確な「神」の意思があり、それに操られ乗るような形で現代文明は開化し、進展して来たと言うことである。

 

それが直線的文明系とも言うべき現代文明であり、現代まで続いて来た文明形態の本当の素顔と言うものではないのか。

要するに、現代文明が始まってから20世紀末までが第一次文明期であり、無限を求める直線的な10進法計算が活躍してきた時代である。直線的に無限を求める、それは欲の文明であり、物質文明と呼ばれる低文明形態と言ってもいいものであろう。

それは恐らく20世紀で頭打ちの状態となり、この21世紀は次の精神文明期に移るための過度期になるものであり、少しづつ変化をしていくものと思われる。

要するに、目に見えるものしか信じないと言う生き方から、目に見えない世界を包含した世界の存在を考えると言う生き方に変わる一つの過度期、それが21世紀なのである。

 目に見えない世界を包含した世界、それは恐らく、精神(意識)文明と呼ばれるものであり、10進法(直線法)にとって代わる新しい計算法(循環法)が活躍する革新的な文明の誕生になるであろう。
また、この新しい循環計算法とはいわゆる自然の持つ計算法と同一的なものであり、自然の秘密のすべてを解き明かしてくれる循環的な手法を持つ計算法のことである。

 


その計算仕組みやその道筋、すなわち、「神の意思」の道筋の現われと真義は「神」の御座である「正方形」とその言葉である「数」を用いて示されているのである。しかし、その存在については今まで誰も気がつかなかったものである。

すなわち、我々には思いもよらなかった「正方形」の中に思いもよらない「数」で語られているもの、それが「神の法陣」と言う神の秘密を秘めたホ-リイ・モノログ・スクエア(Holy Monologue  square)であり、遥かな昔から存在していたのであるが、どう言うわけか今までは誰にも知られることもなく時の谷間にひっそりと佇んでいたのである。

正方形、それは回転させても、裏返しにしてもまったく変わらず、中心を軸に対称形的存在として常に「神の心」に叶うものなのである。そのあたりから見ても「神」の好みと言うものが円が第一であり、次には正方形であることが伺えられて心がほのぼのとするものである。

 


そのあたりの事情をしっかり語り尽くし、明らかにする存在と言われていたものが歴史上に一つだけある。それはこの今の文明始まって以来の久しい存在である「魔方陣」であり、今を去ること約4500年前に中国で発生したものと歴史上では言われているものである。

 その解き方の手法こそが現代文明のあり方を決定したものであり、その後の文明のありかたをリ-ドして来たものである。なぜならば、そこにはすべては一直線に進んでこそ正しい答が見出されると言う直線法の始まりが見出されるからである。

それは現代文明の方向を決定づけた計算法、すなわち、反自然的な計算法である直線系数学の始まりはそこから始まったと言ってもいいのである。

要するに、歴史上、最初の直線的な計算法の姿がそこに見られ、それを発展させたものが10進法と言う現代数学の基本計算法の姿なのである。

 


一つ、そのあたりを講義申し上げよう、それは未だ誰も述べたことは無く、思いもよらなかったものなので、頭脳明晰な諸氏にとってはまさに噴飯ものと聞こえるであろう。

 しかし、数学的な資料を次々と漁っていくとどうしてもそこに落ち着くのであり、それ以前のハッキリした数学的な計算形態を見出すことは今のところ出来ないのである。

要するに「魔方陣」こそが歴史上にお目見えした最初の現代数学的な計算法であり、そこから直線的な計算法が大勢の人々の間に広がったと推察しても全然無理な事ではない。

 


まずは「魔方陣」の姿とその計算法を示しておく必要があるであろう。まあ、大部分の御仁は十分にご承知とは思うが、まずは懐かしさを込めてもう一度その仕組みをご覧あれ…!!。

 昔々の話ではあるが、今でもそこに何らかの真実が隠されていると信じて懸命に研究している人々が大勢いる。しかし、残念ながらただの遊び、暇つぶしと化しただけの有名無実なものであり、とうに本体は朽ち果てているのであるが、誰もそれには気がつく者はいない。
 

 


その前に一言だけは言って置きたい。「魔方陣」は決して自然的なものではない、何故なら、それは数の持つ自然秩序と言うものを人の手で無理に変えたものであり、むしろ完全な反自然的な作品と言えるものである。要するに、それは自然を破壊し簒奪した現代文明と同一の轍(わだち)を持つものであり、本来の大自然の心などはすべて失われているものである。

「現代文明」と「魔方陣」、この二つは共に反自然的な本質同士が共鳴し合ってお互いの心を捉えて止まないものであり、大自然の道とはまったく異なる道を行くものである。

 要するに、現代文明の心と「魔方陣」の心は互いに肝胆相照らし合って離れ難いと言うことであり、同時進行的な形で次々と進んで来て現在に至っていると言えるものである。

 それはすなわち、現代文明が次の文明(精神文明)にその座を明け渡すと同時に「魔方陣」も自然的に姿を消して行く運命にあることを意味しているものである。

現在、中国では「魔方陣」は殆ど忘れ去られ、もはや興味の対象外となっている。
 しかるに、これを検証し、研究している人々が最も多いのが何と日本人なそうである。

 しかし、残念ながら、すべては骨折り損のくたびれもうけで誰も新しい「神の秘密」を見出した者はいない。要するに、中は空っぽ、空虚であり、何も無かったと言うことである。

 


それは無理もない、「易」の法則、すなわち、太極、両義、四象、八卦等は3次の「魔方陣」から見出されたと言われているが、しかし、この数千年の間、何十万人、何百万の人々が競って検証したのであるが、誰一人としてもその事実を見出した者はいないのである。
すべては単なる伝承物語であり、すべては風聞に過ぎなかったと言うことである。

考えて見るがいい、この「3次の方陣図」は馬の背中にあった図(洛書)であるとか、亀の背中に描かれていた図(河図)であるとかの甚だ伝説的なスト-リ-から生まれたものであり、どう考えても実際的にはあり得ないものである。恐らくは本当の出生を隠すため、そして大衆にアピ-ルする為の一種の方便物語としての必要性があったと言うことであろう。


 


 

「現代文明」…自然の秩序をいたずらに破壊し、人間の心のままに自然を改造し簒奪した反自然的な文明であり、自然の心を知ること無く、いずれは自然と共鳴する新しい文明に押されて終焉を迎える運命にあるものである。

 


「魔方陣」…数のあるべき本来の秩序を破壊し、人知のままに数を入れ替えて全体を変容させて我良し(われよし)としているものである。第3者的な目(神の目)で全体を見ると、 辻褄が合わない、不合理極まりないことが散見される甚だ反自然的なものである。

 

どうであろうか、これらをまざまざと見つめるとハッキリとその姿が見え、共に自然の真実に沿ったもので無いことが自ずと判ってくるはずである。

 

さあ、話はこれくらいにして本題に移ろう、「神の法陣」は「宇宙自然の叡知」の モノログ・ボックスであり、「神」の言葉である「数」により語られている唯一の自然の叡知の集大成でもある。


その片方は現代物質文明の姿を表す直線世界であり、他方は自然的な循環世界を意味する意識世界とも言うべきものである。要するに、前者は単純で一相的な平面世界である現代文明の姿であり、対して後者は陰と陽と言う二面性を持った平面立体的な自然世界を示していると言うことである。それを例えれば、平面世界では死んだらそれまでと言う一面的な概念であるが、平面立体世界では循環的思想、すなわち、輪廻転生により生と死がめぐり巡っていると言う二面的な概念が通常なのである。

 

考えて見ると、現在の人々も徐々に輪廻転生の存在を信じるような風潮になりつつあるようであり、いろいろと噂は耳に入ってくる。

 何と、最近では学識豊富な学者達も輪廻転生を口にするようになり、様々な資料を集めて世間に報告し、それを皆が争って聞くような世の中になって来ていると言うことである。

それはまさに数十年前とは様変わりの社会が誕生していると言うことであり、少しずつ、少しずつ人々の心は変わり、新しいパラダイムが誕生しつつあると言うことであろう。


 


 なに、考えて見ると他愛のない話であり、当たり前の話である。ただ、深く考えずにただ簡単な方に目が行った結果それに乗ってしまった、それが現代数学手法なのである。

 


「神の法陣」、それは宇宙意識(神)からのメッセ-ジであり、「数」と言う言葉で書かれた知的生物に対する「神」と共存するためラブレタ-と言うべきものであろう。

 それはやっと今、神の言葉を解すことが可能になったと判断された時に初めて開くことが許されるのであり、読むことが可能になったものである。   

我々は出来る限りその内容を読み取り、なるべく早くそこに記されている「神の心」と言うものを学ばななければない。しかし、知の系統が完全に違い、また、知のランクが大巾に異なるのでその意味の解明と答は大変難儀なものとなるであろう。
これらの「神のメッセ-ジ」は無限状態で連綿と続き終わりというものは無い。

しかし、ご安心あれ、それはある程度の段階で終了し、その繰り返しがあるだけである。 その姿はまさに自然の形態そのものである。

それ故にある程度まで学べばそれで終了なのであり、そこまでを徹底して攻めればいいだけである。そのあとのものはただその検証として時に応じて必要となるだけである。


 


   見るがいい、上の図の左は直線法(10進法)による正方図であり、右側は循環法(ひふみ算)による正方図、すなわち「神の数学」の中の「神の法陣」の姿である。

 

上の図の右は古神道より見出された1~9までの数の循環数から成り立つもので、それを古神道では「ひふみ…天地の数歌」と呼ばれ、第一祝詞として崇められて来たものである。

何のことは無い、数とは1~9で完結するものでその後はその繰り返しであると言っているのであり、その繰り返しこそが「自然の道」であると言っているのである。

 

要するに、それは一部では「日本式九進法」と呼ばれているもので、本来は古神道の中に真実の扉を開けるための≪秘密のキ-≫として遥かな古来から伝承されているものである。

それは、一つの鍵(キ-)ではあるが、その使い方により真実を閉める(隠す)キ-となり、また逆に使うと、今度は真実を開けるキ-として使うことが出来るものである。

 


しかし、その存在については一切歴史では語られてはいない、ただ、日本の古代物語ではかすかに「天の岩戸は閉ざされた」とだけ伝え。すべてはそれにより暗闇の世界(反自然的な世界)になったと伝えられている。また、その後開けられたと伝承は伝えているが、今でも世の中は依然として暗闇状態が続いて来ていることからそれは疑わしいと言わざるを得ない



 

 

                                                 【「神の法陣」中級講座より部分抜粋】


 
 上の図は『宇宙次元原理表(ひふみ九九算表)』の上半分(右回り)下半分(左回り)の図である。 十分に納得いくまで何回もなぞって見てほしい。


 自然をよく見るがいい。すべて自然は循環で始まり、循環で終わっている、すなわち、0で始まり、9で終わっているのである。循環とは最初と最後は全く同一なものである。

極小の電子の動きから大は宇宙の運動まですべては循環で始まり循環で終わり、すべては丸く納まっているのである。それにより自然のすべては永遠を保ち、永遠のエネルギ-を得ることが出来るのである。循環こそが自然の大律であり、本律と言うものなのである。

 大きい循環の中に身を寄せながら、また自らも循環しエネルギ-を紡いで遥かなる永遠に向かう、すべてはその繰り返しであり、その運動は無限反射的に何処までも限り無く続いているのである。


そのあたりのことを「数」が詳しく教えてくれることを是非とも知るべきである。

そのための手順指導書と言うものが「ひふみ九九算表」であり、それを明確な形でモデル化し実践しているものが「神の方陣」、すなわち、その真実を語る「神」の筆と言うものである。

すべては永遠の真理であり、決して変わることの無い自然真実のほとばしリである。

そして永遠に尽きぬ「神」のモノログ(独り言)であり、常に自然の真実を語って止まないものでもある。

その自然の事実と我々の知を重ね合わせてみることが大切であり、本当は必要なことなのである。 ただただ、今のように漫然と今までの知を繰り返すだけでは何ら進歩は無く、やがては終焉が訪れてすべては終わることになることを知らなければならない。


 


 「神の数学」、それは自然の知の存在を明らかにしてくれる「神」の贈りものであり、これからの人類の進む道、すなわち、自然とコンビネ-ションを組んだホ-リステックな自然の道の存在を教えてくれるものである。
それはひょっとすると失われたとされる古代の「カムナガラの道」と言うものかも知れない。

 すなわち、それは自然と共に歩む共生と循環の道であり、同時に自然も人間も大きな循環の輪の中にある同一的な存在であり、同じ轍を歩んでいることを教えているものである。

 


この20世紀末に日本に突如として現われた「神の数学」、それは単なる数学にあらずして一つの自然を巡る物理物性の開示であり、自然哲学の根本的な道を示してくれる羅針盤的なものである。
それは言っている、あなた方の持つ現代知で自然を追跡すると言うことなどは絶対に出来ないと…!!。
 なぜならば、現代知は片チンバな学であり、不完全なロ-カル的(局所的)な知であるからである。しかし、そんなことは人類は知らず、営々と己の知を積み重ねて満足しているのである。

 

あなた方は怒り心頭に発するであろう、しかし、よく振りかえって過去を見るがよい、
 この数千年かけて自然と対話を計ろうと試みてきたが、未だに、それが叶わないのである。

 いや、人間が努力して新たな知を獲得し更なる対話を計ろうとすればするほど、人間と自然との差は益々大きくなるばかりであり、きしみは益々大きくなるだけである。

何故なのであろうか、誰か考えたことがあるのであろうか…!?。

 


さあ、余談はこのくらいにして本題の「神の数学」の講義に入ろう、準備はよろしいかな…!?

 まあ、今回は「神の法陣」物語の初陣の章と言うべきものであるので小、中学生でも解るような簡単な「数と構図」の物語の絵解きからまずは始めることにしょう。

 

今回は例として、「神の法陣」の4次元表を用いて易しいけど不思議な物語を語ることにしよう。すべては自然の秩序と調和が醸し出す天(陰)と地(陽)のムスビの驚くべき真実の姿であり、「数」の語る古今未曾有の陰陽の理の現われである。疑問を持つ御仁は他の様々な「神の法陣」の次元表を用いて調べて見るがよい、必ず納得することになるはずである。

まさに、それは自然の持つ真実知の妙なる構図の素晴らしさであり、「正図」と「数」の奏でる妙なるシンホニ-の調べとその美しさを語るものである。

 


 あなた方現代人は「陰」「陽」の言葉は持ってはいるが、その本当の違いは誰も知らない。

我々は何千年もかけて「陰」と「陽」の正体とその正しい組み合わせを追っては来たが、人間知を誇っている今の時代になっても未だ数千年前と何ら変らず、少しの進歩もない。     
 相変わらず、同じ言葉の繰り返しが続き、本性を求めて呻吟を繰り返しているだけである。そこには何の進歩もなければ、何の進展もない、ただ時間の流れがあるだけである。

そこで私は考えた、誰も出来なかった「陰」「陽」の本当の意味を一つの「形」をもって諸氏に説明すれば、そこにある「本来の意味」がハッキリ解るのではないかと…!!。


あなた方は不快に感じるであろう、今まで4千年にわたり多くの人が求めて止まなかった「陰」「陽」の真実を一介の田舎学者が「形」をもって表すことが出来るとほざくのはまさに言語道断であり、場合によっては捨て置かんとばかり息巻くことであろう。


しかし、ご安心召され、「神の法陣」を用いて「陰」と「陽」を表すと、何と小、中学生にでも解るような簡単な形で表すことが出来るのであり、理解も簡単に出来るのである。

しかも、「陰」+「陽」=完全と言う論証まで現われ、すべては丸く納まり、決して不整合は無いものである。

 


それによると、「陰」の形と「陽」の形は完全な相似形であり、ただその現われ方は中心を軸に180度遷移(変位)している完全真逆な形を持っているものと言うことが解る。
 要するに、「陰」と「陽」を正しく組み合わせると、それはピッタリと完合し、そこには不等形的な姿はなく、すべてにわたって完結な形が生まれ我々の心を満足で満たしてくれると言うのである。

 


では「神の法陣」を用いて「陰」と「陽」の姿「その形」を覗いてみることにしょう。

 


サンプルとして4次元の「神の法陣」を用いて「陰」と「陽」の姿とその仔細の一切を覗いて見ることにしょう。しかし、これで一切の象のすべてが明らかになり、完結完了した訳ではない。あとはあなた方の目と直感と洞察力を駆使して更なる説明を見出して、世の中に広めて貰いたい。

 要するに、「現代数学」は別名、直線数学と呼ばれるものであり、無限を求めてることにより自然真理を見出そうと試みているものである。しかし、結局最後に見出したものは複雑、カオスと言う不可解な世界であり、とてもとても人間の知などでは理解の出来ないとんでもない複雑不可知の世界であったのである。

 

 

【1】
 上記例の法陣表内に示した①~⑧の線図(色部分=バック地に着色した所)を見てほしい。
そこに並ぶ二つの線図はそれぞれ「相対的反図」であり、中心点を軸に「陰」と「陽」の対称的な位置にある形である。それは図形を見ればそれぞれ中心点を軸に180度反転していることからも判るであろう。要するに、「陰」と「陽」の違いとは完全に相似的で同一的なものが180度反転したもの、すなわちお互いが逆位相の関係になっているものと言うことである。

 逆に言えば、右欄の表に現れている美しい同一数の並びの出現をもたらしているものはまさに「正陰」「正陽」の見事な合体による円満完結した数の現われなのである。
 恐らく、心ある御仁ならそこにある完全な「造形の美」や「完全な神の秩序」の存在に気が付き感嘆の涙を流すであろう。まさに「神」の心意気とその息吹が感じられる「神」の作品である。

 


【2】
 また、図における「正陰」「正陽」の形を組み合わせて合一すると、そこには欠けとか不対称形のような不完全性は一切無く、すべては対称性を持っている「円満な形」が出現することがお判りであろう。要するに、対称性を持っている円満な形とは、すなわち単純で、美しく、調和に満ちているものであり、素直に心に共鳴して永遠に響き渡るものと言うことである。

 


【3】
 最後に現われた単純で美しい数列を加算して一桁化すると、どうであろう、そこには見事な「ひふみ天地の数歌」が現われてとどめをさしているではないか…!!。そのあたりから見ても古神道の祝詞とは偉大な力を持つ「神の真言」であり、それを所持していた日本民族の起源には間違いなく「神」が関係し、力を貸して来ていることが判ろうと言うものである。


【4】よく言われている哲学的な言葉に「対立する「陰」と「陽」は対立しながら相補的な関係にある」がある。恐らくその意味は中々判らないはずである。それをここで誰にでも解る方法で説明しょう。 すなわち、対立しているものとは相対的な位置にある二つの相似形のことである。そして相補的な関係で完全を示しているものが最後にある調和を見せている8の数群である。 これでその言葉の意味はよくお判りであろう、後は各自考えてそこにある更なる真実を明らかにして貰いたい。



 これはすべての「神の法陣表」に当てはまるものである。出来ればあなたの手で他の「神の法陣表」を検索検証して更なる真実を見出してもらいたい。それにより「神の法陣表」こそが、まがうことない自然の原理を秘めた由緒正しい「神のメッセ-ジ」であることがお判りになるはずである。



 このように「数」「図形」をからませることにより、そこには自然の蓋然的な真理の姿が現われるのであり、人間知では知ることの出来なかった「神」の叡知と言うものが浮かび上って来るのである。それはすなわち、欠けや歪みが無く、対称形的な「円満な相」であることを自然は教えてくれるのである。

それらは恐らくは現代物理学(フィジックス)では見出すことは不可能であり、これから始まる新しい物理体系、すなわち、哲学的な体系を伴った 超物理(メタ・フィジックス)にゆだねられることになるであろう。


フィジックス
はもの(物質)の表面、見える所を探る学問であり、メタ・フィジックスは意識を含む哲学的な側面サイドを包む大きな超物理学的な体系と言うものである。要するに、現代物理学では解明不能な「見えない世界(あの世)」「見える世界(この世)」またぐ包括的な物理学と言うことである。恐らく、その日本語版が「形而上」と言う言葉なのであろう。

 


さあ、今後にわたって「神の法陣」講座は益々興味の尽きない「不可思議さ」、現代知では解けない「不思議な哲学」が展開されるのであるが、果たして現代人の心を動かして理解に至らしめるものであろうか…!

 


私はいぶかしむ…!!?。現代の人々が理解するのは少々難であり、受け入れられるには時機早尚ではなかったかと…!!。 果たしてどうなのであろうか…!!?。私の心は千々に乱れて休むこともない。

                                                 (今月講座は完)



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