佐藤敏夫先生のサイトより
http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/kamihou1.html
<転載開始>
   「神の法陣」大精義講()



       「神の法陣」こと始め(その2)
                              
2014年 7月 上載



      『神の法陣』、それは〝正しい数序〟を用いて表される大いなる宇宙摂理(宇宙原理)のタブレットである。
      
       それはすでに与えられている
のであり、あとは正しく読み解く術を我々が会得しなければならないのである。



  
 「神の法陣」、それは人知の向こうにあるもの、すなわち、「現代科学知」では探索出来ない未知なる領域に属する自然象を現代知であぶり出すためのものである。

我々の人間知は大宇宙の持つ構造スケ-ルとの相互的な連絡網、すなわち相互的なフィ-ドバック・ル-プと言う存在を利用することはまったく叶わない。

なぜならば、我々の持つ現代知は一つのロ-カル的な知であり、宇宙全般に通じる「高いレベルの知」、すなわち、自然のネットワ-ク知とは一切相容れぬものだからである。

 

要するに、我々の現代知ではどうしても大自然は測れない、自然と会話をすることは出来ないと言うことである。また、それはすなわち、何時まで経っても自然とは相容れない、いくら頑張っても常に平行線を辿っているだけと言うことである。 それは大きな目で見るとまことに遺憾なことであり、また、人類にとっては大きな時間的なロスであり、取り返しのつかないものである。

 

考えて見るがよい、宇宙自然は何百億年から何千億年という長い時間をかけて出来上がったものであり、今では大完成、完全完成の域に至ったものである。その間には数え切れないほどのフィ-ドバックを繰り返しながら、未完成を完成に、完成を大完成にと循環を繰り返しながら今の完璧な自然宇宙を創り上げて来たのである。要するに、そこには最早不具合、不整合、不合理と言うものは一切無い、すなわち欠陥は何も無く完全無欠であり、完全無上のものと言ってもいいものである。


 それに比べれば、我々の科学知は僅かに300年程度のものであり、まだ産毛の生えたばかりの揺籃状態にあるものである。そこにあるのは余りにも大きい時間の差であり、余りにも大きい永劫と瞬時の差があるのである。恐らく、その差とは「神」と「人間」の差であり、永遠と刹那の差と言ってもいいほどのものであろう。

 

しかし、あなた方には信じられないであろうが、宇宙を創った「神」は大変親切であり、愛情の心を持って自らのつくり上げた叡知というものを書き残し、「神の心」を探し求めようとする知的な生命体のために一連の知の道標を書き残していたのである。それが「神の法陣」と言う「神の叡知」のタブレットと言うものである。

   この「神の法陣」は「数」と言う神の文字で書かれた「宇宙の叡知」の集大成と言ってもいいものである。

 あなた方は「宇宙の叡知」そんなものはある筈がないとうそぶくであろう、しかし、それはあなた方下々の人だけであり、何も知らない無知な者の哀れな台詞と言ってもいいものである。

長年自然の研究にいそしんで来た有名な科学者達は異口同音に自然の成り立ちとその働きには我々人間には解せない神秘な作用と力があり、それには宇宙の意識が深く関わっていることは疑いはないと言っているのである。

要するに、宇宙の意識は言葉や形などではとても表現できない「宇宙の叡知」と言うものを「数」と「図」に託して書き残したもの、それがこの「神の法陣」なのである。

しかも、そのような由緒ある事実を我々の祖である古代日本人はしっかり知っていたのであり、恭しく奉っりながら当時から現代まで一切手も付けずに「古神道」として延々と伝承して来たのである。それを単なる宗教として扱って来たので、いろいろと無理と誤解が生じ、現代人にはそっぽ向かれているのが現実である。ここで本来の「あるべき姿」に戻そさなければならない…!!。

 


まずは、それらの事情をこれから探索し、明らかにしなければならない。とにかく、その証拠が反駁しょうもない真実と永遠な形をもって現実に現われているのであり、すでに這い出して話しかけているのである。それが3000年と言う長い閉ざされた歴史を持つ「古神道」の本性本髄であり、そこから現われた驚くべき「宇宙の叡知」を綴った「数の道」と言うものである。

 


今ではその重大なる歴史的な事実はすっかり忘れ去られてはいるが、恐らく、数万年前の出来事であろうと推測される。それでも今から5000年前あたりまでは最重要な知識として日本民族は伝承されて来た内容をしっかり知っていたことは間違いない。それを歴史伝承書の類が明らかにしているのであるが、誰も確かめ、明らかにしょうとする者などはいなかったのである。

その歴史的な伝承文献は言う、「BC2241年に伏義と神農は易と薬学を持ち帰った」と…!!。  何と今から4000年以上も前のこと、しかも歴史の曙の時代のことである。


要するに、留学生として来日していた伏義と神農は日本から密かに「易」のすべてを学んで持ち帰ったと言っているのである。しかし、残念ながら本当の「神の法陣」の奥儀までは知ることは叶わず、ただその風聞とまがいモノ(レプリカ)あたりを持ち帰ったと言うのが真相であろう。

要するに、本当の「神の法陣」の秘密は守られて永遠の眠りに就いたまま現在に至っているのである。

考えて見れば当たり前のことである、そう簡単に留学生が国家的に大切な伝承秘密を盗み取れる筈はないのである。その後恐らく伏義は故国に帰ってからは苦心惨憺して人々の心を満足させるような方陣を作り上げ、大衆向けのアピ-ル手段として馬の背中にあった模様、すなわち「河図」とか、亀の甲羅にあった模様図、すなわち、「洛書」として世の中に出したのであろう。


それが史上有名な3次の「魔方陣」であり、当時は史上最高の「神の語り」、「不思議な図」として持て囃されたものである。更には時代が経って漢時代の孔安国一派によってそれから「易」が生み出されたと伝えられている。それが中国易と言うものの本当の正体であり、その起源でもある。

 


これらは決して私の独断と偏見によるいい加減な白昼夢的な言葉などでは無い、確とした名のある歴史探索家達が過去に見出した真実の歴史のストリ-を調べ上げ、今回の新たに見出された検証図を元にした確実な再現を見たものである。 出来る限りここでもう一度取り上げて彼等先人達の御霊に捧げつつ改めて鎮魂の序とするつもりである。

それらの証言例と言うものをこれから綴り上げ、ことの次第の一切をあなた方に改めてお知らせしたいと思う。

 


<!--[if !supportLists]-->①  20世紀末に古神道の祝詞が開かれ、そこから易の原本となる「ひふみ九九算表」が見つかり、そこには完全な易の本元である「太極」、「両義」、「四象」、「八卦」などの諸象が見事な形で鎮座していたのである。
 何と、それらは古代日本に起源するものであったのであり、まさに歴史を覆す大発見と言うものである。その事実はすなわち、日本の超古代文献の記述は正しかったと言うことであり、改めて
すべてを見直すことが必要になると言うことである。

 一方、中国易の初発元である3次の「魔方陣」からはこれらの諸像は一切見つかってはいない、その事実はただの風聞にすぎないものであったと言う確たる証拠である。

 考えて見るがよい、その後数千年間、何十万、何百万の人々が「3次魔方陣」から「易」の言葉を見出そうと苦労を重ねたのであるが、すべては無に帰しているのである。


<!--[if !supportLists]-->②   <!--[endif]-->中国の古史古伝である老子経は次のように述べている「上古の日本の地には高度な文明をもった人々がいて様々な生活技術を発達させていた、そして後代に中国に出現した哲学、易思想、医学などは神農氏によって日本から伝えられたものであり、その流れの中で展開されて来たものである」と…!!。  それはまさに日本の超古代文献の物語そのままではないか…!!。



   <!--[if !supportLists]-->③   <!--[endif]-->中国文明の根本教典である殷王室室から周王に伝えられた「洪範」、あるいは易図である「河図」、「洛書」は日本にその起源があると正気久会氏      は「古代史論考」の中で述べている。要するに、日本の古代文献の記述は正しいものであったと氏は確たる論拠をもって証言しているのである。


<!--[if !supportLists]-->④   <!--[endif]-->最近の例を見て見よう、これも人のいい日本人は完全に騙されて疑いも持たないことの実例であり、我々もこれからは考えを改める必要があることを示すものである。 少々遅きに失した感があるのであるがが…!!。                            

 最近、中国発の気功が日本人の心をくすぐっているようであるが騙されてはいけない。あれは大正末期から昭和にかけて多くの日本人霊道師達が大陸に赴き、人々に「気」の存在を教え、「気」を用いて多くの病人達を救ったり、不思議な事を行ったりしたのである。それまでは中国には「仙道」は噂としては有ったが、気功の類は何も無かったのが事実である。それがいつの間にか「気功」とは中国が発祥の地であり、数千年の歴史を持つなどと言いだして日本人の心を揺すぶっているのである。

まあ、半分は日本のマスコミがそうさせているのであろうが…!!。

今の日本人にはそのような歴史の真実を見通す目、すなわち歴史を見る達観した洞察力と言うものが甚だ欠けていると言う何よりの証拠であろう。

 


 

要するに、歴史的にもそのような不埒な者は存在すること決して許されなかったのであり、それ故に「気功」と言うものは一切存在しなかったと断言してもいいのである。

それが中国の歴史のほんとうの歩みであり、歴史の真実と言うものである。とにかく日本人は歴史を正面から見据えるだけで、裏面や背景に隠れている事実を探ると言うことが大変不得手である。要するに、疑うと言う心がまったく無く表面のみを見て判断を下してよしといるのである。

 


ちなみに、当時の日本人霊道師達は世界にも広がって名を馳せていたことはご存知かな…?!!。

 その名残が今世界中で有名になっている「レイキ(霊気)」と呼ばれている身体の病を治す気の治療法である。日本では余り知られてはいないが、ヨーロッパやアメリカでは大変有名な存在である。あなた方も一度くらいは名前を聞いたことがあるであろう。

確かに今までは中国は偉大な文化文明をもった国であると我々日本人は少々崇拝の念を抱いて来たことは確かである。しかし、ここに来て何かおかしい、何か変であると疑いを持ち始めているのもこれまた事実である。彼らは余りにも世の中知らずであり、余りにも傍若無人の態度がひどすぎて会話が成り立たたないのである。要するに現実があればそれは代々伝わって来たものであるとうそぶいているのである。彼らにとっては現実がすべてであり、過去などはどうでもいいのである。

 

例えば、日本の先端技術を次々と金で買い入れながら、5~6年後にはすべては中国で開発したハイテクであると堂々と宣言して世界から失笑を買っている有様である。

そのような態度を見ていると遥かな過去においても同様なことが起っていることは十分に推察されることであり、疑いのないことであると言えよう。

まさにやることなすこと、すべては時代にさかのぼった旧態依然、時代錯誤の感があり、それでも言うことだけは威厳堂々として世界を煙にまいている実情である。しかし、今ではすべては完全に見透かされているのであるが、それさえも知らず、言いたい放題を尽くして世界中からうとまれている現状である。

 


要するにこれが中国と言うおかしなおかしな国の歴史と言うものであり、欺瞞が一杯の歴史の国の真実と言うものである。
 それも今始まったものではない、昔から伝統的に延々と続いている習慣性のある国である。古代の日本もこれらのなりふり構わぬ強引さにかき回されて有るべき歴史の事実を我田引水的に曲げられてきたのは間違いないことである。要するに、すべては日本で発祥した学問や文明を自分達がつくり上げたものとしてすべてを簒奪し、歴史を嘘で固めて書き上げ国の歴史として世に出して来たのである。、それが中国の歴史の事実であり、今までの歴史と言うものである。

その事実を日本の古代文書は明らかにしているのであるが、人のいい日本人はこれらの古代文書類の内容を否定するだけで信じようともせず、ただ捨て置いて来たのである。

 


さあ、今月も日本発の「神の法陣」の語る宇宙自然の真実を開いて見よう……!!。

 


信じられなければ、心の片隅にでも置くがよかろう、そして将来の何時かの時にそれを手繰りだして調べればいいのである。「神の数学」は決して古くはならず、常に輝いているものである。何十年経とうが、何百年過ぎようが常に新しいものとして輝いて存在しているものである。

ここに来て、ようやく彼等(科学者達)は、遅まきながら自分達の持っている数学手法と自然の所持している数学手法が噛み合わないことに気が付き、その原因をまさぐり始めた。例えば、次のような根本的な論点の発生事実を見ればそのことがよく判るはずである。


 


<!--[if !supportLists]-->①  <!--[endif]-->「10進法」を用いて、ある重要な値を計算すると、何時もそこには無限大が現れてすべてはご破算になり、必要な答の数字が現れないのである。


<!--[if !supportLists]-->②   例えば、素粒子のエネルギ-と質量はきわめて小さいはずなのであるが、それをきちんと正確に計算しようとすれば、何時の間にかそこには無限大   が現れて、すべてがお終りになるのである。要するに彼等は無限大を制することが出来ず、ジレンマに陥って困り果てているのである。


<!--[if !supportLists]-->③   また、この無限大の出現とその存在のために、一部の物理学者は「場の量子論の基礎には根本的な欠陥があるのではないか」と考えて、見直しを   進めている最中であるが、果たしてその解明は如何に…ということである。
<!--[if !mso]-->

<!--[endif]--><!--[if !mso]-->

そこで私は言いたい。欠陥があるのは量子論の基礎ではなく、そこに用いられている現代数学手法、すなわち「10進法」そのものに問題があるのであると…。

「神の数学」の基本理には「最大=最小」「9=0」という自然理が常に存在するのである、これが自然の振る舞いの正体であることをお忘れなく……!!!。

すなわち、この「最大=最小」「9=0」という自然理と言うものをはっきり理解しない限り、現代数学はもはや一歩も進めず、何も解くことが叶わないということである。

ところが、これは現代数学では決して解けない問題であり、それ故に数学者は極力これを避け、逃げ回っている状態である。要するに、現代数学は直線数学体系であり、そこにおいては端と端は決してつながることなく、進めば進むほどその間の距離は開き、決して「=」で結ばれることはないのである。

要するに9=0、すなわち無限大=無限小と言う自然法則の存在をまったく知らないのである。

 


今回はまずは「数」の小手調べ(基本)から始めることにする。まずはあなた方の最大の疑問である【定理9=0】についての説明を詳しく申し上げることにしょう。


 
  

  
  



   ここで次にもう一つの疑惑が出る、すなわち、「奇次元法陣」の場合、どうしても中心セルの数は常に単(ひとつ)であり、結びつく相手は何も無いと言う事実である。
要するに結びつく相手がない、完全に不足していると言うことである。さて、さて、貴方ならどうするのか…!!。

 


例として「神の法陣」の奇数次元である3次元図を見てみよう。


 

  
 自然に於いての「中心」とはまさに「神の座」であり、すべてはその中心の座を経ることにより、不可思議な力を発揮出来て全体がまとまると言うことである。

人間でも同じである、身体の中心を利用することにより、とんでもない力の業が生じてくることが多々ある。要するに、中心に生じる力はその場に応じて2倍、3倍、4倍と増やすことが可能なものである。この「3次元表」の場合は中心に相対する対極と言う二つの力なので中心は「5+5」となるのである。これが、今まで何回も何回も述べていた「神の数学」で言う「宇宙愛の仕組み」、すなわちダブル処理と言う数の処理法と言うものである。

 


 そのあたりの知については「現代数学」はまったく知らない。中心とは如何なる場合にも、如何なる時にでも1ヶと言う固定観念で諸象を処理しようとしているだけである。

 理詰めで考えればまことに簡単なことであり、当たり前なことと言うべきなのであるが…!!。

 


諸氏においてはまずこのような「現代数学」では未だ不定の「数の語り」と言うものを学び取り、そこに示されている自然の驚くべき「真実の証」を自分の手でしっかりと確かめることである。そのためには自然に対する畏敬と驚嘆、そしてたゆまぬ好奇心を常に感じ持ち続ける、それが自分の心と自然を結びつけるための唯一の手綱であり、その第一歩となるものである。

それがやがては生き生きとした知的向上心を生み出し、溌剌とした日常を送るようなきっかけとなることは間違いはないことである。

また、心が自然に溌剌となるといろいろな方向へと目が向き別な新しい世界を見えて来るのである。 同時にそこにまた新しい感動が生まれ、そしてまた心が大きく育っていくのである。

   

   ≪数の語る参考絵図≫


  
                                                          【以上の各図は「神の法陣」初級講座(10)より転載】 


  

お判りであろうが、これらの数の語りは「現代数学」の教科書には載ってはいない。なぜならば10進法にはまったくそぐわないからである。
 しかし、この図を知らない限り、数の素性(本性、属性)を明かすことは出来ず、あるべき「宇宙自然の叡知」を解明することなどは全く出来ないと言うことである。

 


要するに、現代数学は「多桁の数は属性を表すものであり、一桁の数こそが数の本質を表すものである」と言うことをまったく知らないと言うことである。

それを知ることにより今まで培ってきた固定的なものの見方は多面的な見方に変わり、あなたの脳は大きな知のパラダイムの変化を受けシヨック状態に陥るかもしれない。
 しかし、それは一つの知のリボリュションであり知の進歩の始まりであることを知って欲しい。

 


あなたが現代数学のような固定的な観念に固執する限り、変幻自在な自然の妙理を理解することは出来ず、ただ悩みに悩み、悶え苦しんですべてを否定する羽目になるのである。

要するに、そこには自然から見ると進歩発展などは一切無いのであり、ただあるのは複雑とカオスの世界だけである。それは現に現代物理学が証明しているではないか…!!。

すべては現代数学の蒙昧、無知が招いたことであり、自然の法則を無視して人知を積み重ねて満足していたことによるものである。
 そろそろ我々はその事実を知ってもいい頃であり、目覚める時でもあろう。
  新しい世界を見つけて新たな挑戦を始めることが、今どうしても必要なのである。
 それがやがては実を結んで自然との会話が成立して共存並歩に入り、更には高いレベルからのフィ-ドバック・ル-プへと繋がって相互関係が成立していくことになるのである。

 とにかく、今のままでは現代科学知は自然壊死を免れなく、それと同時に、文明は否が応でも退化の歩を歩むことになるものである。

 どうであろう、残された時間はあと100年くらいであろうか…!!?。 とにかく、あまり時間は残されてはいないのは確かである…!!。
 
 あなた方の好きな予言者ノストラダムスも言っているではないか「別のモノが出て来なければ世界は世紀末までには破滅の道を歩むことになる」 …!!!

さあ、どうあっても今が大切な瀬戸際であり、今どう動くかにより人類の未来が定まって来ると言うことであり、人類の未来はあなた方の双肩にかかっているのである。

 
 その意味でもあなた方の責任は甚だ重大であり、一人一人がこれからの人類の遭遇する正念場と言うものを想定し、それに対する自然に叶う答を用意しておかなければならないのである。
  なぜならば、その答こそがこの先、あなた方とあなた方の家族、大きく言えば日本民族を守る救世主となるはずであるからである。
  
  とにかく、これからの10年~20年の間には世界的な大動乱が始まるであろう。それはまずは水や食料、あるいはエネルギ-を巡って起る大動乱であり、あるいは人種、宗教をめぐる国家的規模の大戦争と言うものかもしれない。
  今や、各国が生き残りを賭けての全面的な争いが始まろうとしているのであり、最早その火ぶたは切られているのである。それは日本をめぐる国際的なやり取りを見ればわかるであろ  
 

  ただ、あなた方日本人は裏面を見て深く考察はせず、表面の現象だけ見てよしとする傾向があるのである。要するに、太古から事上(ことあげ)げ好まない民族なのである。
 
   恐らく、、西暦2050年までには食料の大不足が起るのは確実であり、それを避けるためには人類の数を大幅に減らす必要があると世界の指導者達は考えているようである。
  考えて見るがよい、今に状態における適正な人口規模は30億人~50億人と言われている。しかし、現在の世界人口は70億人であり、2050年までには100億人となる事を…!!。

  さあ、世界を支配している者達はこれからどのような手を使って人口削減に乗り出して来るであろうか…!!?、皆で考えようではないか…!!。
 折角、日本には世界で一番の巨大コンピュ-タが存在するのである、それらを使って未来を予想し、手を考えることが出来るはずである。使わない手は無い…!!。使わなかったらまさに 無用の長物であり、膨大な税金を投入している意味が無い。それもそれも今から始めなければ間に合わないのである。 さあ、さあ…!!。意を決しようではないか…!!。


さて今月は「神の法陣」の基本的な構図絵を掲げて説明したのであるが、出来る限り徹底的に検証研鑽して戴きたい。すべては「宇宙意識」、「神の心」の写しであり、すべては未来永劫決して変化などは無い「宇宙の叡知」が開示している永遠に通じるシナリオの一端と言ってもいいものである。
 とにかく、「数」をなぞりながら考える、それが「宇宙の心」に至る最短の道である。

 

                                                                                (今月の講座完)

   

<転載終了>



  

 

 

歴史的な大きな目で見るがいい、今までに中国にそのような不可思議な力を持つ者が存在していたなら、何十回と言う王朝歴史の崩壊の際には危険分子として 真っ先に抹殺されていたはずであり、決して無事では済まされなかったはずである。