高度自給自足時代の夜明けさんのサイトより
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-269.html
<転載開始>
こんにちは、今回は日本についてです。

下記は14年以上前に故・忌野清志郎氏が書いたメッセージです。

忌野清志郎氏からのメッセージ

地震のあとには戦争がやってくる。
軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。
国民を馬鹿にして戦争に駆り立てる。
自分は安全なところで偉そうにしているだけ。
阪神大震災から5年。
俺は大阪の水浸しになった部屋で目が覚めた。
TVをつけると5ヶ所程から火の手がのぼっていた。
(これはすぐに消えるだろう)と思ってまた眠った。
6時間後に目が覚めると神戸の街は火の海と化していた。

この国は何をやってるんだ。
復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。
これが日本だ。私の国だ。

とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家。
弟はドラムを叩くシーンで、僕はロックンロールじゃありませんと自白している。
政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後戻りできゃしない。
そのうちリズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。
政治家はみんな防衛庁が好きらしい。
人を助けるとか世界を平和にするとか言って、実は軍隊を動かして世界を征服したい。

俺はまるで共産党員みたいだな。普通にロックをやってきただけなんだけど。
そうだよ。売れない音楽をずっとやってきたんだ。
何を学ぼうと思ったわけじゃない。
好きな音楽をやってるだけだ。
それを何かに利用しようなんて思わない。せこい奴らとは違う。
民衆をだまして、民衆を利用して、いったい何になりたいんだ。
予算はどーなってるんだ。
予算をどう使うかっていうのは、いったい誰が決めてるんだ。
10万円のために人を殺すやつもいれば、
10兆円とか100兆円とかを動かしている奴もいるんだ。
いったいこの国は何なんだ。
俺が生まれ育ったこの国のことだよ。

どーだろう、・・・この国の憲法第9条は、まるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?
戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。
俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。
戦争はやめよう。
平和に生きよう。
そして、みんな平等に暮らそう。
きっと幸せになれるよ。


感想は如何でしょうか?
合っていることもあれば、そうでないこともあります。

私たちが生まれた日本とは、どんな国なのでしょうか?

1787年のフランス革命から、1848年革命で王制から共和制になったヨーロッパ各国。

王様は「はい、そうですか」といって、平民となり、どこかへ埋もれてしまったのでしょうか?

学校の授業では、肝心の部分は教えてくれません。


フランス2月革命

発端

1830年のフランス7月革命の結果即位したルイ・フィリップはブルジョワジー寄りの政策を採ったため、労働者、農民の不満が高まった。7月革命では一定の選挙権の拡大が行われたものの、こうした身分層までの選挙権拡大は行われなかった。

こうした不満の捌け口は改革宴会(革命宴会)という集会(選挙権の拡大や、労働者・農民の諸権利を要求する政治集会だが、名目上宴会ということにして実施していた)によってある程度のガス抜きが行われていたが、2月22日にある改革宴会が政府の命令によって強制的に解散させられると、これに激高した労働者、農民、学生のデモ、ストライキに発展した。

推移

この革命はそれまでのフランス革命やフランス7月革命とは異なり、以前のブルジョワジー主体の市民革命から、労働者主体の革命へと転化した。

革命勃発の翌23日には首相のフランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾーが退任し沈静化を図ったが、24日には武装蜂起へと発展。ついに国王ルイ・フィリップが退位、ロンドンに亡命して、事態の終結が図られた。

同日に臨時政府が組織され、ここに第二共和政が開始された。

影響

革命の影響は大きく、その後フランスに国王が現れることは無く、革命はフランスに留まらず、ヨーロッパ各地に伝播し、ウィーン体制の崩壊に繋がった。この後、フランスでは、王制は廃止され、1848年憲法の制定とともに共和制に移行した。これをフランス第二共和政という。11月に大統領選挙が行われ、ルイ・ナポレオン・ボナパルトが大統領に選出された。その後、ルイ・ナポレオン・ボナパルトは、ウィーン体制の崩壊の間隙を突き、1852年にフランス第二帝政を開始するのである。

社会主義への影響

この革命には、当初から社会主義者が荷担しており、共和国旗である三色旗に混じって赤旗も振られた。

この時代の社会主義に対する期待の高まりが見て取れるが、結果としてルイ・ブラン等この革命に荷担した社会主義者が臨時政府の中で有効な手立てを打てないことが明らかになると、彼らは、農民の支持を失い翌年4月の選挙で落選してしまった。これは、農民がフランス革命・ナポレオン戦争を経てようやく手に入れた土地を、社会主義派に「平等」と称して奪われることを恐れたためである。


この革命には、当初から社会主義者が荷担しており、共和国旗である三色旗に混じって赤旗も振られた・・・

明らかにロスチャイルドさんです。


まあロスチャイルドを主体に考えれば、ですが。

ヘンリー8世。

離婚したいけど教皇に反対され、イギリス国教会が独立する。

あの裏で、エジンバラ公、ヘッセンが絵を描いてたんです。


ジャコバン党

フランス革命を裏で画策したり、ウィーンやその他欧州王家を裏から乗っ取るのに動いた、イルミナティー前の破壊工作員たち。

これが出来るのが、ヘンリー8世の動きと連動するのです。

今回は日本の記事ですので詳しくは書きませんが、表の王様がこういった勢力にすり替わっているのです。


これが、日本に明治維新を起こす。


明治維新は1868年。

普墺戦争

1866年6月15日プロイセンが宣戦布告、8月23日プラハ条約締結。プロイセンはオーストリアに対して領土や賠償金を要求しなかったが、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国全域とハノーファー王国、ヘッセン選帝侯国、ナッサウ公国、フランクフルト自由市を領有してドイツ東西のプロイセン領の統合を達成し、オーストリアを統一ドイツから排除した。

オーストリアは同年10月12日、イタリア王国と個別に講和条約(ウィーン条約)を結び、ヴェネツィア地方をイタリアに割譲した。

ハノーファー王ゲオルク5世、ヘッセン選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム1世、ナッサウ公アドルフ(後にルクセンブルク大公を継承)はこれにより廃位された。


普墺戦争後、プラハ条約、ウィーン条約を済ませて、その翌年が明治維新です・・・

欧州での覇権争いに一応の結果を得たのが普墺戦争後の状況です。

オーストリアというハプスブグ家の本拠地がドイツ圏側から排除され、イタリアとの講和も結ばされた。

ヴェネチアを失ったんです。

その覇権争い次第で、東インド会社関係の利権バランスが変わりました。


欧州の結果で、オラニエ公=オランダ=プロテスタント同盟側=メーソン=東インド会社側が後ろに付いた南朝側が官軍になったのです。

オラニエ公側がイギリス乗っ取りを同時にほぼ完了してますから、英国仕切りで明治維新は行われました。

この辺りが、有名なロスチャの英国乗っ取り劇です。

ハノーヴァー王国がエリザヴェス時代の英国と同君王となります。

このハノーヴァーを含めビスマルクが資産没収した話は過去に書いた通り。

英国内勢力を入れ変える作業の一端です。

むしろロスチャの件よりこちらが本体です。

ロスチャの英国債買い占めは、買い占めてすぐどうこうなりません。

その後英国がデフォルトして、揉めて債権回収に英国資産差し押さえにならなきゃ影響力は出ません。

でも世間では、ロスチャがナポレオン戦争時に英国債を買い占めた時点で、英国はロスチャの物になったと言ってるんです。

これは嘘です。

英国皇室内部を入れ替えて乗っ取ったのです。

英国内の旧王室勢力=ヴェルフ家流れの資金源であったハノーヴァーの資産を奪われた事が、決定打なんです。

これを決定づけたのが普墺戦争。

普墺戦争が在ったから、オーストリアに味方したハノーヴァーの資産を凍結できました。

イタリア側、つまりサヴォイに、オーストリアがヴェネチアを取られた件。

サヴォイは英国王室勢力問題とどう関係あるのか?

過去に英国の王位継承問題で、英国を離れた側がジャコバン派になりました。

名誉革命です。


ジャコバイト王位継承者は、名誉革命によってグレートブリテン島を追われたジェームズ2世および7世王とその後継者が主張した、イングランド王国およびスコットラン王国の王位継承に関する話です。

このジャコバイト王の継承権を主張する中にサヴォイが居ました。

1824年1月10日の父ヴィットーリオ・エマヌエーレの死にともない、長女マリーア・ベアトリーチェがジャコバイトの主張するところの「イングランド女王メアリー3世およびスコットランド女王メアリー2世」となった。

英国側を見れば、同時期に様々な変化が在った訳ですが、この辺が良く世間で騒がれている、表面的な話です。

根っこはドイツに在るんです。

明治維新はこれらと繋がっています。

ウィリアム3世(William III(of Orange), 1650年11月14日 - 1702年3月8日)は、オラニエ公・ナッサウ伯(在位:1650年11月14日 - 1702年3月8日)、オランダ総督(在職:1672年6月28日 - 1702年3月8日)、イングランド王・スコットランド王・アイルランド王(在位:1689年2月13日 - 1702年3月8日)。

スコットランド王としてはウィリアム2世。イングランド女王・スコットランド女王・アイルランド女王メアリー2世は妻。オランダ名ではウィレム3世(Willem III van Oranje-Nassau)。オラニエ=ナッサウ家の出身であるが、ステュアート朝の王の1人に数えられている。

イングランド王・スコットランド王・アイルランド王がオラニエ公・ナッサウ伯・・・

在位期間も1650年~1700年辺りですから、ヴェストファリア条約直後です。

80年戦争、30年戦争、ヴェストファリア条約を通して乗っ取んたんですよ。

オラニエ公側もサヴォイアもジャコバイト王継承という括りで同じ側。

このオラニエの出地がドイツのヘッセン家です。

この流れでビスマルクがハノーヴァー家側に引導を渡して、欧州の情勢が一応纏った時が、明治維新の時。

日本政府はこちら側をお手本に明治政府を作っていった子分なのです。

その後の日本はご存知の通り、軍拡主義になり、第二次大戦で国を二分させられそうになったのです。

ですので、今の日本の事を書こうとすると、ヨーロッパの歴史を書く事になるのです。

冒頭の忌野清志郎氏からのメッセージですが、これがその答え。


彼は日本のベルファシ勢力のことを言っているのですね。


彼は国際秩序維持派が存在し、世界を回している事など、知る由もなかった。


でも、もうちょっと考えてみてください。


フィリピンをはじめとする東南アジアの貧困、アフリカの飢餓、そういうものは日本には滅多に見られません。


そうです、ヨーロッパと同じ歴史、同じシステムの構築、同じ統治法だからです。


また、この歴史が、アフリカ、フィリピンで人間扱いされていない子供より、日本人のセンチメンタリズム理解が優先という危険な発想になるのです。

結局は日本人特別階級意識ですからね。

これが奴隷制度を生む発想。


これを監視しているのが、国際秩序維持派。


日本人だとか、アメリカ人だとかではなく、複数の国籍を持ちます。


これ以上は書けません。


それでは

<転載終了>