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<転載開始>
意識のチューニング
精神の本質。その人間的表現
セッション 758 1975/10/06
マサ 訳
こんばんは。
(「こんばんは、セス」)
(ユーモアを込めて、ささやき声で)口述だ。
また喩(たと)えを使った話になるが、脳には数え切れないくらい多くの「周波数」で動作する能力がある。その周波数のひとつひとつが、脳の持ち主に対して現実界を描いた世界像を示し、特定のやり方で身体の諸感覚を利用する。各周波数が、利用できるデータを特殊化された独自のやり方で構成し、どこかしら違った形で心の内容や身体自体と関わり合うのだ。
一般的に言えば、君達は覚醒時の生活でひとつの決まった周波数を使っている。だから、自分が認識している以外の現実界など存在しないかのように思われたり、自分がふだん馴染んでいる以上のデータなど利用できないかのように感じられたりするわけだ。
出来事は君達に対して「起こってくる」ように見える。テレビドラマの結末を自分がコントロールできないのと同じくらい、自分自身の人生で起きるドラマもどうにもできない気がすることもよくあるものだ。しかし、認識した出来事を並べただけでは通常、得られない情報を夢やインスピレーションから得て驚くことも時にはある。(そうなると)普通にプログラムされた意識が用意した筋書きや舞台設定に照明を当ててそうした出来事を説明するのは、かなり難しいことになってしまう。君達はあまりにも条件付けされているので、眠っている時でさえも自分の体験を監視し、常用している周波数に従って夢の中の出来事を解釈しようとする。その周波数を現実界に対する唯一の基準として受け入れるよう教わってきたからだ。しかし、君達は夢を見ているとき、言葉どおりの意味で、数々の異なる周波数にチューニングしている。そして生物学的な意味で、君達の身体はそれに対して多くのレベルで反応するのだ。
話のついでに言えば、肉体は本来的に「意識の投影」あるいは「体外旅行」── 好きな呼び方で構わないが ── に対応できるよう備えられている。君達の生物学的な構造には、意識の特定部分が肉体を離れ、また戻ってこられるような数々のメカニズムが組み込まれているのだ。それらのメカニズムは動物達の性質にも備わっている。身体には、人間が元来、体験するものとして「公式」には認められていない、多数の異なった種類の体験を知覚できる用意がある。それでも、程度の差こそあれ、君達は自分の行動が、まともな、あるいは理性的な体験用にと築き上げられた基準に合うよう、自分の行動を絶えず監視することを覚えるわけだ。
意識の世界
夢、「進化」、価値の達成 第2巻
セッション 938
マサ 訳
さて ── 口述だ。
(長い休止)君達が理解しているような物質的生活の全体像は、もちろん君達自身の視点から体験されなければならないわけだが、その複雑さ、その秩序、そして構造とデザインの壮大さは、無数にある現実界のうちのたった一つを形作っているに過ぎないものとして理解する必要がある。そうした現実界のそれぞれが、自らの性質、自らの意識の性質に従った傾向や特徴によって構成されているわけだ。
ある見方をすれば、「無意識」という言葉は意味を為さない。そこには当然、限りないバージョン(の意識)が存在するわけで、それらには独自の世界があり、意味や目的の組織体を形作っているからだ。それらのいくつかは君達自身の意識に紛れ込むし、その逆(わたしたち自身の意識が他の意識に入り込むこと)もある。その「内的な構造」とは意識の構造であり、それよりもさらに深い(部分に関する)疑問にアプローチする(答えに向かって進んでゆく)には、結局のところ、内的な準拠基準が存在することを認めるしかない。
(9 時 16 分)少し待ってくれ…。時間の本質、宇宙の始まりや終わりに関する疑問 ── 生命の外的な条件(だけ)を研究しても、これら(の疑問)に多少なりとも確信を持ってアプローチすることはできない。それは、物質的な準拠基準がそれ自体、内部にある心理的な活動がただ(そのまま)表に現れただけのものだからだ。君達は自分の知覚に影響がある範囲でのみ、宇宙というものを知っている。その知覚(範囲)の外側に何があるのかは、君達にとって未知のままだ。そうなると、君達には、世界というものが、過去のある時点で始まった ── あるいは始まったに違いない ── かのように見えることになる(9 時 18 分に 1 分間の休止)。しかし、それは、ケーキの一切れだけを見て、きっと、ある日の午後にでも食べてしまおうと、一つのオーブンで焼かれたケーキの全体だと思い込むようなものだ。
現実界の内的な準拠基準は全く違った種類の体験が関わってくるもので、考えられる限りのあらゆるポイントで(互いに)混じり合い、融けあう組織的なパターンを伴っている。君達は寝ている間、自分の意識をチューニングする。ちょうど、ピアノを調律するようなものだ。(言ってみれば)覚醒時の現実界で、物理的な体験を形成している構成音とその音の長さを意識がはっきりと正しく知覚できるよう、チューニングするわけだ。君達はこうした内的な準拠基準の領域内に存在しているわけだが、君達の体験が加えられることで、そうした数々の領域自体が(常に)大きく変化している。そして、君達自身の(長い休止)自己性(本来的な自己)は、君達の理解している「誕生」以前に、こうした準拠基準の中に横たわっていたのだ。
君達は自分自身というものの意識的なバージョンの一つであり、同時代に生きる者全てと共に、この時代の数々ある現実を創造している。ここで言う「同時代に生きる者全て」という言葉は、全ての種(の生物)を指している。君達は意識を特定のやり方で読む(解釈する)わけだが、世界の意識を他の方法で読むことも実際、可能だ。
意識の家族
「知られざる」現実界 第2巻
セッション 736 1975/02/05
マサ 訳
例えば、私が言った最初の(意識の)家族(グラマダ)は「組織化」が専門だ。この家族のメンバー達は革命的な社会の変化の直後に続いてくることがある。もっとも、彼等に備わった組織化の傾向は生活の中のあらゆる分野で表現される。例えば、彼等自身は芸術家ではないにしても、美術学校(という組織)の背後には彼等がいる(ことがある)。また、彼等自身は学者である場合もそうでない場合もあるだろうが、彼等が大学を創設することもあるだろう。
巨大な企業の創設者にはよく、この一族に属する者がいる。政治家もそうだ。彼等は活動的で生気に溢(あふ)れ、創造的な意味での攻撃性を備えている。また、他の人々の考えをまとめる術(すべ)を知っている。彼等は対立する流派を概(おおむ)ね統合する一つの構造内にまとめることがよくある。それによって、彼等はよく社会的なシステムの創設者になる。例えば、殆どの場合、君達の周りにある病院、学校、宗教は、組織として、このグループによって創始され、頻繁に保全(整備)されている。
(9 時 38 分)これらの人々(グラマダ)は、普通なら片隅に押しやられてしまうような、ぽつねんと(単独で)存在しているコンセプトをまとめあげることにすばらしい才能がある。彼等は効果的な社会構造に向けられたエネルギーのオーガナイザー(組織者)だ。また、彼等は通常、かなり安定した、至って妥当な、政府、学校、協同組合(などの組織)を創設する。もっとも、そうした組織構造の背景にある着想を彼等(自身)が発案するわけではない。
次のグループ(スマフィ)は専ら教えることに従事する。こちらも概して他の人々との関係は良好だ。彼等はどんな分野にも才能があり得るが、彼等にとって専らの関心事は自分または他の人々の知識を伝えることになるだろう。そのため、彼等は通常、伝統主義者だ。しかし(伝統を守りながらも)異彩を放つことはある。彼等はある意味で、さっき言った家族(グラマダ)とスマリの両方に同じくらい関係している。というのも、彼等(スマフィ)の立場は組織化された体系とクリエイティブな芸術家の間にあるからだ。ただ、彼等は社会的な構造を通じて「独創性」を伝えていく。その独創性を変えることなしにだ。
私は彼等(スマフィ)が独創性を変えないと言ったが、もちろん、一つの事象に対するいかなる解釈もそれを変化させることになる。ただ、一般的に、彼等は原理原則を教えるのであって、その中身を創造的に変えたりはしないということだ。例えば、彼等が歴史家として、戦争の起こった日付を伝えれば、その日付(データ)は文句の付けようがない事実同然に扱われる。だから、彼等のトレーニング環境においては彼等にそうした情報の正当性を疑う余地はない。(次のページへ続く)
中世において彼等は写本を忠実に書き写した。彼等はある意味で「管理人」だが、こちらにもまた無限のバリエーションがある。音楽や美術の教師は多くがこのカテゴリーに属する。そこではそうした芸術が卓越した技能に対する敬愛の念をもって教えられる。技巧に重点を置いてだ。芸術家はその(教材となる芸術の)中に自分の創造性を注ぐわけだが、その芸術家は(必ずというわけでは全くないが)スマリであることが多いということだ。ピリオド。
今の文章は書き取れたかな?
(「ええ」。そうは言ったがペースは速かった。)
ちょっと待ってくれ…。私の挙げた順序で言うと、次の一族(トゥモルド)は専ら「治療」に専念する。これは、この人々が創造的であることはないとか、組織者や教育者であることはないとかいう意味ではない。彼等の意識における主な傾向は癒しに向けられるであろうということだ。君達の目に留まる彼等は医師であったり看護師であったりするかもしれないが、通常、病院を管理する人間ではないだろう。しかし、彼等は霊能者であることもあれば社会福祉士や心理学者であることもある。芸術家であったり宗教家であったりもする。花屋で働いていることもあるだろう。さらに言うなら、組み立てライン(流れ作業型の生産工程)で働いていることだってあり得る。ただ(実際に)そうだとしたら、彼等は意図的または気質(性格)的にヒーラー(治療者)であることになるだろう。
はっきりとした例を示すためにいろいろな職業を挙げているわけだが、自動車修理工は、このグループ(トゥモルド)にもどんなグループにも属することがあり得る。この(グループの)場合、その修理工には顧客を癒す効力があるだろう。彼が直す(治す)のは車だけではないということだ。
(9 時 59 分に 1 分間の休止)少し待ってくれ…。(前の段落を受けて)ただし、この「治療者達」は政治家として現れることもあるだろう。国家の傷を精神的に治すということだ。主に「助ける」ことを意図した作品を生み出す芸術家も、そのジャンルに関わらず、このカテゴリーに属する。また、国家の首長にも、また ── とりわけ過去においては ── 王族の中にも、このグループに属する者が見つかるだろう。
意識子
「知られざる」現実界 第1巻
セッション 682
マサ 訳
あいにく我々は頻繁に喩(たと)えを使わなくてはならない。喩えは概念同士をつなぐ橋になれるからだ。さて、物質の(最小)単位があるのと同様、意識にも単位(unit)がある。(ただし)それらの単位を粒子だと考えないでほしい。意識の基本的な単位というものがあるのだ。(単体で)表されたとして、それ以上は分割できない単位だ。それはかつて、原子が最小の単位であり、それ以上は分割できないと考えられていたようなものだ。意識の基本的な単位はもちろん、物質的ではない(以下、セスの説明を念頭に置いたうえで「単位」を「粒子」、「意識子」と考えた方がイメージしやすい)。その単位には拡大、発展、組織化という無限の特性が生来的に内包されている。それでも、その単位は自分の個性というものの「核」を常に保持しているのだ。(だから)いかなる組織の一部になろうとも、あるいは、そうした他の基本的な単位たちといかに混ざり合おうとも、それ自身の独自性が消滅させられてしまうようなことはない。
それは自覚のあるエネルギーであり、自らの中において自分自身として認識されるものだ。「人格」ではなく「自覚」を与えられた(awareized)エネルギーなのだ。従って、それは他のあらゆる種類の意識の源泉であり、その活動の多様性は無限だ。それは自らと同じ種類の他の者達(他の基本単位たち)と結び付いて意識の単位群を形作る。それは、何度も言ったことだが、原子達や分子達が結び付くのと同じようにだ。
この基本的な単位には予測不能性が授けられている。正にその予測不能性が、無限のパターンと自己実現を可能にするのだ。君達人類に関しては生憎(あいにく)「魂」という言葉は概念的な数々の困難を解明するのが極めて難しくなる形で使われている。通常の定義を使うなら、君達が「魂」と呼ぶものはこうした単位が一定の組織となった結果、初めて君達が一つの「魂」として認識したものだ。
(9 時 47 分)そうなると、昔からある避けて通れない問いに行き着くことになる。それは「動物達には ―― あるいは木々や岩石には ―― 魂があるのか?」という問いだ。すると、通常の定義に合わせて、君達の表現で言うなら、この最小単位は「魂の素材」だということになるだろう。しかし、その視点は極めて限定的なものだ。というのも、その尺度をそのまま使うなら、「君達の上」には、それらの単位からできている、さらに発達した他の組織体がいくつもあるからだ。だから、その「もっと地位の高い視点」から見れば君達は実際、「ひよっこ魂」に見えるだろう。
そういうわけで、少なくともここでは、魂ではなく、これら「意識の単位」という言葉を使って話したいと思う。(長い休止)それら(意識の単位:意識子)の本質は、君達の物理的な宇宙の中にあるあらゆるものの背後にある活力だ。また、その他のものの背後にもある。これらの単位は実際、同時にいくつもの場所に現れることができる。それも、君達の表現で言うなら、空間を通って動くことなしにだ。これらの基本的な意識単位は、言葉どおりの意味で、同時に全ての場所に存在することができる。(実際)同時に全ての場所にあるのだ。それらは認識されることはないだろう。というのも、常に何か別のものとして現れるであろうからだ。
もちろん、それらは光よりも速く動く。一つの原子の中にはそれらが何百万もある。二、三百万どころではなく、もっと多くだ。これらの単位の一つ一つには他の単位全ての実体がわかっており、他の単位全てに影響を与える。君達の表現で言えば、これらの単位は時間的に前進することも後退することもできる。しかし、それらは君達にとって馴染みのない、時間の境界点の中へと動くこともできる。
これらの単位群からは全ての蓋然性が探求され、体験されることになる。そして、可能な全ての宇宙が創造されるのだ。それ故、一定の出来事における無数の蓋然性が模索され、全ての体験がその冒険(出来事)の周りにまとめられる現実界も数々ある。
君達の見地からすれば一瞬の長さが宇宙の一生ほどもあるようにできている系(体系、システム)もある。それは単に、一瞬の時間が(宇宙の一生ほどの長さまで)引き伸ばされる、あるいは時間が減速される、というだけの意味ではない。一瞬の中で可能な全ての体験がその枠組みの中で数々の現実になるということだ。実際的にはどんな形であろうとこうした系が君達に関係することはまずない。また、これは自分自身の意識というものに対する君達の概念を縮み込ませるためにこうした情報を与えているわけでもない。しかし、大事なのは、内的な現実界には君達が身体的に知覚するよりも多くの創造性と多様性があるという事実をよく理解することだ。
(10 時 6 分)これらの意識単位群はもちろん、人間の特徴を備えているわけではない。しかし、独自の「性癖」、好み、傾向はちゃんと持っている ―― 私が求めている言葉に一番近いのは、まあ「傾向」だろう。これらのことを人間のミニチュアだとは思わないでほしい。それでも、これらは「ブラブラと何もせずにいる」エネルギーの塊(かたまり)だというわけでもない。これらは生きるものに備わる全ての資質で、活力と自覚を与えられ、満たされているのだ。
<転載終了>
特に1冊目は読むだけでも非常な労力が掛かりますが、包摂する価値は一線を画しています
日本ではセス情報はまだまだマイナーなので、読んでもらえるだけで非常に助かります