http://www.sethnetworkjapan.org/q-albums/using-beliefs
<転載開始>
自分の集中するものが自分に返ってくる(たとえば、健康に集中すれば健康が、病気に集中すれば病気が返ってくるということ)。そして、その集中する範囲の中で専ら責任を担うのは自分自身の観念だ。
魔法的な方法(の具体的な手順)などというものはない。あるのは君達がいつも使っている「自然な方法」だ。もっとも、君達は、見当はずれの憶測でしかないのに真実だと思い込み、その観念に基づいて、その方法を使うことも、ままあるわけだが。ちょっとした例を挙げてみよう。たまたま、ルバートが最後には自分で気づいたケースだが、自然な方法を示す格好の例だ。結果こそ、最初は好ましくなかったが、ルバートは、その自然な方法を見事に使った。また、この例は、ルバートの理解がより深まっていることも示している。
ルバートは(昨日)天気予報を聞いて嘆いた。30℃を優に超える、翌日(今日)の極めて不快な暑さを思い、猛暑で弱ってみじめな自分を想像したのだ。実際、暑くなったような気がしてきた。不快だった過去の日々が頭をよぎり、次の瞬間、そのイメージをこの週末に投影していた。逃れる術(すべ)はないように感じた。この過程の途中で彼は自分を取り戻そうとしたが、自分の身体は到底、その暑さに対応しきれないと信じていた。その観念の方が、自分の考えを変えようとする彼の意思に勝(まさ)っていたので、時間にすれば十分ほどだろうか、そうした考えが頭の中を行ったり来たりしていた。
しかし、彼は引き続き、自分に言い聞かせた。何はともあれ、今、明日のことで気を揉むのはやめにしよう。予報がはずれることだってあると。そして、自分の知性を使って、どこかしら自分にとって有利な別の体験を引き出すための事実を1つ1つ並べ始めた。以前、彼は昔からのやり方で自分の描いたイメージに合うあらゆる事実をかき集めることによって、そのイメージを作り上げていった。彼は、そのことに気づいて、それを使ったのだ。使った手順は同じものだが、(今回は)もっと自分のためになるイメージに使ったわけだ。そして、その手順はちゃんと機能する。その点に気がつきさえすればいいのだ。
君達の体験は君達が集中するもの、信じるもの、期待するものに従う。頭脳とは強力な「選別機」であり、君達の(生活の)範囲内では殆ど、どんな体験でも引き出すことができるのだ。
観念のリセット
健康への道
セッション 1984/06/01
マサ 訳
さて、君達にまた新たな素晴らしい午後を…
(「こんにちは、セス」)
…では口述を再開しよう。
(長い休止)夥(おびただ)しい数の人々が実際のところ、不満足な人生を送っている。その多くは殆ど到達不可能な目標を目指している。到達不可能というのは、(自分の中に)相反する観念が寄せ集まっていて、その全てが本人の気を惹こうとして競い合うからだ。その人々は自分自身と意図が噛み合わなくなってしまうわけだ。
これによって個人的なジレンマや病気、そして一見、無益であるように思われる人間関係が生じることになる。しかし、それだけでは収まらず、国家的な誤解、国家関係のもつれ、世界秩序の混乱にまで至るのだ。しかし、こうした諍(いさか)いを切り抜ける方法は実際にある。全体的な図式がどれだけ不幸に見えようとも、一人一人の人間には、表現、平和、充足のために利用できる手段が幅広く存在するのだ。
だから、健康を向上させることもできるし、あらゆる体験の質を深めることも可能だ。
君達の理解しているような現世的人生の観点から、いつかは全ての病気が克服され、あらゆる人間関係は必ず満ち足りたものになるであろうと想像したり、将来は地球上の人々がみんな平等に敬意をもって扱われるようになるであろうと予見したりするのは、あまりにも楽観的過ぎる。一つには、本書で前に触れた、より大きな枠組みの中では、病気というもの自体が人生全体における活動の一部だということがある。所謂(いわゆる)「病気の状態」は身体的(物質的)な人生にとって通常の健康と同じように必要なものだ。だから、我々は地上における涅槃(ねはん)の話をしているわけではない。我々が議論しているのは、自分のプライベートな認識を活発化させ、普通の意識の質を充分に拡張、発展させることが本書の読者一人一人にとって可能であるということだ。そうすることで、人生とは(読者の)現在の体験と比べて殆ど「地上の楽園」だと思われるまでになり得るのだ。
(4 時 18 分に長い休止)これは最も重大な特質を備えた再教育を伴うことになる。これまでに触れてきた相反する観念群は全て、私が以前「公式な意識ライン(the official line of consciousness)」と呼んだものから来る結末だ。確かに、こうした相容(あいい)れない観念群が芽生えるよりもずっと前から人々は病気を経験した。しかし、繰り返すが、それは個々人、世界、それぞれの総合的な健康において「病気の状態」が演じる役割があるからだ。
http://www.sethnetworkjapan.org/q-albums/resetting-beliefs2
そうなると、為(な)すべきは始めからやり直すことだ。やり直すのは本当に充分、可能だ。というのも、君達は自分が親密に馴染んだ素材に取り組むことになるからだ。それは即(すなわ)ち、自分達の想念、感情、そして観念だ。
勿論(もちろん)、現在のポジションからスタートしなくてはならない。ただ、我々がここで提案しようとしている類の新しい前提と共にとことん努力し続ければ、自分のポジションを大きく改善できない人間などいない。まだ、世間における経験では顕著に見られないものの、それらの概念は既に現在でもある程度、存在している。
休憩を取って、しばらくしたら、また始めよう。
(4 時 35 分。(バッツ氏の注釈があるが、長いので省略))
この代替的な思考方法は生物学的にも要を得ている。というのも、特定の観念や概念が健康と生命力を促進する一方で、他の観念、概念がそれらを妨げるからだが、それは今や明らかだろう。
これらの概念は、自然の、そして生命自体のあらゆる部分に備わる感情的な姿勢を解釈したものだ。それらはどんな薬にも勝る。また、その形態に拘(かか)わらず、あらゆる種類の生命にとって、その価値を達成する表現を促進するのだ。
口述、終了。
(4 時 47 分)これは本書の第一部における最後の章だ。第一部のタイトルは「ジレンマ」とする。次の章を始める時、それは第二部における最初の章になる。そのタイトルは「やり直し」としよう。
私の言っていることは本当に可能であり、その見込みは充分にあるのだと君達二人に念を押しておきたい。ピリオド。
ルバートは自分がいる現在のポジションからスタートするといい。一人一人が手近にある状況から始めなくてはならないからだ。パワーの基点(The point of power)は現在にある。
では、君達に素晴らしい午後を。
(「さようなら、セス。ありがとう」午後 4 時 50 分)
<転載終了>