セス・ネットワーク・ジャパンさんのサイトより
http://www.sethnetworkjapan.org/q-albums/inner-tour1
コメントをいただきました。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1882787.html#comments
  • 切り口は全く違うけどセスネットワークさんのこのトピックは必見
    http://www.sethnetworkjapan.org/q-albums/inner-tour1
    http://www.sethnetworkjapan.org/q-albums/inner-tour2
    http://www.sethnetworkjapan.org/q-albums/inner-tour3

    特に最後の〆とか
    >君達は、例えば、いくつもの“内なる王国”を順に挙げていく本を読んだことがあるかもしれない。それぞれの王国でどんなことに遭遇するであろうかを紹介するものだ。その多くでは、その王国の君主や神、あるいは悪魔が登場する。そうした書物は奇妙なやり方で役立つことになる。それは、特定のレベルで、君達は物質化された自分自身の観念に出会うからだ。もし、悪魔を信じるのであれば、その意味で君達は悪魔に遭遇するだろう。もっとも、作者達は、君達(読者)が悪魔を信じるか否かに関わらず、その観念の外にそうした悪魔(独自)の現実性があると仮定しているわけだが、実際のところ、そういうことはない。その悪魔達は単に君達の心の一状態を表していて、それが外部に具現化されているように見えるだけのことだ。


  • <転載開始>

    内的ツアー

    「知られざる」現実界 第2巻
    セッション 710

    マサ 訳

     (休止)君達が、この世界で国から国へと旅行する場合、どこに行ってもみんな同じであることを想定したりはしないだろう。正にその逆で、地域ごとの違いがあるからこそ、君達は世界の様々な地域を訪れるわけだ。それと同じように、幽体(体外)離脱の旅も全て、同じ場面に辿り着くものではない。

     君達は毎晩、眠っている間、長短取り混ぜて様々な時間、本能的に(何度も)肉体を離れるのだが、そうした「旅行」は「プログラムが組まれている」(あらかじめ、きちんと予定が立てられている)わけではない。言い換えれば、自分の旅のプランは自分で立てるわけだ。同じ興味を持った人々がツアーで一緒に同じ国を訪ねようとすることがあるが、それと同様、体外に出た状況でも、君達は一人旅に出ることもあれば、仲間達と旅行することもある。(そのツアーの際)君達が鋭敏に気を配れれば、「スナップショット」を撮ることさえあるかもしれない。内的なツアーに限って言えば、そのスナップショットとは(フィルム写真にたとえれば)その時点で周囲の状況を鮮明に「撮影」した映像が無意識の中で「現像」され、覚醒した頭に手渡されるものだ。

     カメラを使うにはテクニックというものがあるわけだが、そのカメラを家に置き忘れてしまったら、外国に行ったとしても何も撮りようがない。だから自分の内的な旅の意味をあとで理解したいのなら、意識的に気を配って、こうした「写真」を撮る必要がある。それ故(「カメラ」となる)意識的な理性も一緒に携えていかなくてはならないのだ。それを実行する方法はいくつもあるが(いずれも)取り立てて難しいものではない。若干のテクニックを使えば、カメラを持って行くのと同じように、意識的な理性も携えて旅に出られるようになる。(そうすれば)必要な時に写真を撮って、自分が旅行した(顕在)意識上の思い出にできるわけだ。

     手を休めたいかな?
     (10 時 22 分。1時間近くずっとコンスタントにメモをとり続けていたが、僕は「いや(大丈夫)」と答えた。ジェーンはトランス状態のまま、新しい(「おかわり」の)ビール瓶を持ち上げたので栓を開けてあげた。すると(口述の続きが始まった)

     この客観的な世界精神から投影されたもの(プロジェクション)であることを憶えておかなくてはいけない。君達は専ら、その世界に焦点を合わせているので、そこでのルールも充分に理解していてうまくやっていける。物理的な世界での旅行は、単に、歩くか、または特定の乗り物を選ぶかを決めることになる。車で海は渡れない。だから、船や飛行機に乗るわけだ。また、君達は(自然災害などで)陸地が突然、川や海に屈するのを見ても仰天してしまうようなことはない。自然の変化はごく当たり前のことだと考えているものだ。しかし、時間は当然「定位置」にあるものだと君達は考えている。例えば、陸地が海や川になってしまうことはあっても、それと同じように今日が昨日になってしまったり、今日の午後が始まったところで明日になってしまったりするようなことはあり得ないということだ。(次のページへ続く)


    http://www.sethnetworkjapan.org/q-albums/inner-tour2

     (前の話と同様、)大通りを歩く時、君達は(道の両側に植えられた)街路樹がずっと同じ場所にあり、その樹々が(たとえば)建物に姿を変えるようなことはないと考える。そういった前提が君達の物理的な(世界の)旅では全て当然だと思われている。(そうした旅行の中で)様々な習慣や言語に出会うことがあるにしても、それらもまた、広く遍(あまね)く存在する基本的な前提条件の中で受け入れられる。その前提の範囲内に物理的な生活があるわけだ。君達は、道を歩いていく時と同じように、必ず個人的、集団的な心理の中を通って旅をする。もっとも、物理的な世界は客観的に見えるし、君達の外側にあるかのように見える。こうした外面性outsidenessの概念は、君達がその上にその生活を築いていく(基盤となる)前提の一つだ。そうなると(単なる「前提」だとすると)内的な旅に出るのは(たとえば)ニューヨークからサンフランシスコへの旅行よりも主観的(客観性が乏しい)というわけではなくなる。君達は目的地を全て自分の外側に投影する習慣がついてしまっている。ピリオド。だから、時間と空間を通る動きを伴って様々な内側の目的地を訪ねるという考えは妙な感じがするのだ。
     さて、休憩にしなさい。

     (10 時 36 分。ジェーンの口述はずっと静かで安定していた。彼女が言った。「まあ、彼(セス)の力づよく進んでいったこと。(アパートの)この階が騒がしかったから、ずいぶん長い間、(トランス状態から抜け出てしまわないように)わたしを抑え込んでいてくれたのね。きっと、あんな電話もあったからだわ」。これは今日、夕食の後、他の州からいくつも電話がかかってきた件だ。すべて彼女が受けたのだが、特にそのうちの二つは、わりと彼女の気分を害するものだった(そのため、ロバーツは安定したトランス状態に入れない可能性があった)
     同じ調子で 10 時 58 分に口述を再開。)

     一般的に言えば、君達はこの物理的な惑星(地球)を充分に探索したので、国から国へと旅行した場合に予期すべきことは大体わかっている。

     旅の前には特定の土地の見どころや特色など要点をまとめた旅行ノートを作れる。だから、全くの暗中模索で旅行するわけではない。また、自分にとっては新しい旅行だとしても(通常は)実際、そこを訪れる初めての人間だというわけでもない。その土地の地図が作られていて、根本的に驚くようなことは殆どないだろう。

     (それに較べると)内的な土地はそこまでよく探索されていない。控え目に言っても、君達の意識的な精神に関する限り、それらは処女地の中にある(全く探索されていない)。そうした内的な土地のいくつかに旅をした者達もいるが、彼等は実際のところ、探検家だったので、旅が進むのに従って(その都度)学習しなくてはならなかった。そこから帰ってきた何人かはガイドブックや旅行ノートを供すると(そうした旅行で)どんなことが予期できるかを伝えた。(次のページへ続く)


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     君達は自分自身の現実を作る。仮に君達が外国から来ているとして、誰かにニューヨーク市(とはどんなところか)を説明してくれと頼んだら、その人が描写する様子を「現実」だと思うことだろう。(たとえば)こんな風に言うかもしれない。「ニューヨーク市は恐ろしいところです。犯罪がはびこり、ギャング達がのさばり、殺人や強姦は日常茶飯事。市民達は礼儀を知らないだけでなく隙あらば攻撃してこようとします。それから、樹木というものがありません。空気は汚染されているし、予期できるものといったら暴力だけです」。また別の人に尋ねたら、その人はこんな風に言うかもしれない。「ニューヨーク市には最高級の美術館が揃っているし、いくつかの公園では野外コンサートも開かれます。素晴らしい彫刻や劇場もあるし、(図書館群の)蔵書規模は、おそらくバチカンに次いで(世界)最大級でしょう。全体的に気候もいいし、いくつもの文化がうまく融けあっています。そこでは何百万という人々が毎日、自由に自分の人生を送っているんです」。ピリオド。いずれの回答者も同じ場所の話をしているはずだ。二人の描写が違うのは、それぞれの個人的な観念のせいであり、その都市を眺める時、どこに目を向けるかによって色付けされるからだ。

     ある者は緯度と経度でその都市の正確な位置を伝えることができるかもしれない。別の者は、そんな知識はなく、こう言うかもしれない。「ニューヨーク市を目的地として、これこれの時刻にこれこれの飛行機に乗るんです。正しい飛行機に乗れば、いつもちゃんと到着しますよ」。

     (11 時 13 分に休止)しかし、内的な現実界への旅をする探検家達には、こういった種類の「取っ掛かり」となる目印がない。多くの者達は自分の発見に舞い上がってしまい、内的な地勢の探索がまだ始まってもいないうちに(早合点して)ガイドブックを書き上げてしまった。彼等には、自分の見つけたものは自分が見つけたかったものであること、また、実在するかのように見える現象は(自分自身の)心理の反映から来ていることが理解できていなかったのだ。

     君達は、例えば、いくつもの“内なる王国”を順に挙げていく本を読んだことがあるかもしれない。それぞれの王国でどんなことに遭遇するであろうかを紹介するものだ。その多くでは、その王国の君主や神、あるいは悪魔が登場する。そうした書物は奇妙なやり方で役立つことになる。それは、特定のレベルで、君達は物質化された自分自身の観念に出会うからだ。もし、悪魔を信じるのであれば、その意味で君達は悪魔に遭遇するだろう。もっとも、作者達は、君達(読者)が悪魔を信じるか否かに関わらず、その観念のにそうした悪魔(独自)の現実性があると仮定しているわけだが、実際のところ、そういうことはない。その悪魔達は単に君達の心の一状態を表していて、それが外部に具現化されているように見えるだけのことだ。

    <転載終了>