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<転載開始>
≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (本当の真実を探りたい ⑩) )
(すべては嘘のようなほんとうの話である)
平成26年11月謹上
今回は数ヶ月前に書き置いたが、まだ上載に至らなかったまことに不可思議な話を講じて進ぜよう。すべては真実であるが,まことに不可解な話であり、答を持つような御仁はいなかろうと思う。
この話の大元は私の小さい時(小学4~5年)の頃の話であり、今まで長らく心にくすぶっていたものである。でも余りにも強烈なシ-ンであり、忘れようにも忘れることは出来なかったものである。80歳にならんとする今でも心にありありと焼き付いて忘れることも出来なかったものである。
恐らく、時は昭和21年の冬に近い秋あたりであろう、終戦後、すぐに満州からの退去が始まり、殆ど徒歩に近い有り様で長年住み慣れた土地から離れ、遥か南の海に向かって長い行進が始まったのである。大都市に着いて、やれ日本がつくり上げた列車に乗れると喜んだのはつかの間、日本人は乗せることは出来ないと駅員の制止の怒鳴り声が聞こえ、全員はその場に氷ついたのである。何回も駅長と交渉の結果一人に付き毛布1枚出せば乗せてやるとの返事であった。冗談じゃない、この寒空にそれを取り上げられたらそれこそ凍死してしまうと団長が何回も押し問答していたことをかすかに覚えてはいる。
それでも最後には確か、毛布10枚くらい(うろ覚え)で話がつき、全員無蓋車(屋根の無い貨物列車)に乗せられて四平街と言う都会に辿りついたのである。そこに日本軍の大きな2階建ての兵舎(煉瓦つくりの)があり、そこで何カ月か過ごしたのである。
面白いことにその兵舎の床下を掘ると油紙に包まれた沢山の拳銃と弾が見つかり我々はそれでよく撃ちっこして遊んでいたものである。(当然兵隊さんは弾を抜いて装填されてはいなかった)
しかし、その中に大人に見つかりすべて没収されてしまい、残ったのは信管の潰れた発射済みの弾丸だけであった。しかし、双眼鏡やサ-ベル(腰剣)、銃剣なども同時に手に入れて秘密の場所にかくして置き、いろいろと大人に内緒で遊び、大変面白かった
そのような最中に一緒に遊んだ友達や大人が次々と朝になると死んでいったのである。悲しいことに、殆どが餓死か栄養失調、あるいは気が狂ったようになって倒れていったのである。昨日まで遊んでいた友達が次の日床に伏したと思うとすぐに居なくなるのである。
平和ボケしている今のあなた方には嘘としか聞こえないであろうが、本当に次々と死に残ったのは3分の1もいなかったであろう。なんせ、朝目が覚めると両隣りは息をしていなかったと言うのが大部分であった。
私の家族は7人であったが、日本に辿りついた時には10歳の私と3歳の栄養失調であまり動けない3歳の弟だけであった。全員行き倒れの状態で道端で次々と倒れて行って死んでいったのである。当然、埋葬なんては出来ない全員が立ち止まって拝んで黙祷を捧げるだけであり、あとは道端の奥に放り出して黙々と行軍を続けるだけであった。
要はその逃避行の途中の出来事である。時間は少々暗くなった頃と記憶している、突然、大きな火の玉が現われて私の目の前(2~3メトル位か?)を地面から空中へと舞いあがったのである。その時間は目の前ではほんの1秒くらいあったかどうかである。
その時私は確かに見たのである。何とその火の玉の中に何時も遊んでいた友達の顔を…!。それは光を帯びては明るく見え、まさに恐怖に打たれていたように目を大きく見開いて怖れおののいているような顔であった。
私もびっくりして「ああ」か「おお」と叫んだことは覚えている。○○チャンと名前を叫ぼうとしたのであるがそれは声にはならなかった。
それはすぐさま身をひるがえすようにして上空へ消えるように飛び去ったのであるが、時間にして1~2秒くらいであったであろう。私は棒立ちになったままで立ちすくんでいたことを覚えている。
私はすぐさま「○○…チャンが火の玉にさらわれた」と叫びながらすぐさま知らせに走ったのである。しかし、その時見たのである、おばさん(彼の母親)は一生懸命彼の名を泣きながら叫び、かれの体をゆすっていたところを。そのことは今でもありありと思い出される。その後そのことを何人かに話した、しかし、誰も信じず、ただ、馬鹿にされるだけであった。
時は一転する、今から1年くらい前(平成25年あたり)のことである。パソコンで動画を見ていたら同じような場面に遭遇したのである。とつぜん、火の玉が道路から中空に飛び上り、屋根に上ろうとしている場面である。その屋根に飛び上る瞬間、その中から人間の足が現われて屋根に衝突しないように屋根を蹴り懸命に登ろうとする動作を見せていたのである。
それは間違い無く火の玉の中から現れた人間の足としか見えなかった、ぞの上その撮影者も「ああ、人が乗っている…!!、人が乗っている…!!」と大騒ぎしているのである。
それが下の動画である。しっかりあなたの目で見て確かめてほしい。
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次の体験は私が40歳くらいの時の体験記である。野暮用を兼ねながえら近所の道を歩いていた時、偶然にも家内の父親が道端で石垣を積む作業をしていた。
彼は石工であり、何時もは仏像などを彫っていたが時には頼まれて石垣なども積んで生活費を稼いでいたのである。
その時、軽く挨拶を交わしながら、とりとめも無い話をしていた時のことである。突然彼の頭上に薄い光、現れたのである。それははためくように動きを変え、頭から上空へと背景が見えるような透明さを持った淡い光であり、虹状に輝き、筋状になって上空へ伸びていたのである。その様子を今ここで詳しく表現するには少々難しいものである。
それは要するに、トランプのダイヤの長端が繋がりあって大きくなったり小さくなったりしながら煌(キラ)めいているのであり、それが何本も交わりながら上空に伸び、ゆっくり色を変えながら回転をしている感じであった。しかも光の濃淡が刻々と変わりながら上空へと伸び、その先はどんどん薄くなって不可視の状態になっていたように思えた。しかし、本人はまったく気がつかない様子であった。
恐らく、肉眼で見えた頭上に伸びる不思議な光の長さは1~1メ-トル半くらいであったであろう。それは話をしている間、多分、3分くらいは見えていたと思う。
私は一体何だろうと不思議に思いながら言うことも出来ずそのまま挨拶して別れた。
問題はその後である、多分、その後2時間くらい経った時に突然電話が鳴った、その義父が仕事中に突然倒れ、近所の家に運び込まれたと言うのである。急性心臓麻痺であり、そのままあの世に行ってしまったのである。
それから私の悩みは始まった、あれは一体何だったのであろうか、あれが世に言う死相の現れだったのか、いや顔に出ていた訳ではないので死相ではないであろう。
結局、落着いたのは多分アレが死の前触れのサインであり、死の前兆とも言う現象あったのであろうと言うことである。それを私が見たのであろう、そう思いながら心に仕舞い込んだままで長いこと忘れていたのである。
その忘れていたことが今回を機に鮮やかに思い出し、それと共に頭の記憶の回線が繋がり、回転を始めたのである。それをここで、ありのままにしたためているのである。
確か達観した名僧とか名のある占い師は人の死を予告出来ると話には聞いていたことがある。それが確かなことであり、単なる風聞では無かったことが今回の回想によりハッキリ判って来たのである。間違い無く死ぬ前に何らかの前兆現象があり、それを読める御仁が世の中には間違いなくいると言うことが改めて信じることが出来た次第である。
ただし、今の世の中ではそんなことを言う者などは誰もいない、ただ胸に秘めておくだけで決して口にはしない。口にしたら最後、どのように陰口をたたかれるのか判りはしない。恐らくは大勢の諸氏の胸の中には多かれ少なかれあるはずである。
しかし、最近では少々事情が変わり、そのような事実の存在を大学病院での医療現場の医師たちがハッキリと証言し始めているのである。 要するに、信じていないのは常識を植えつけられているあなた方だけと言うことになる。
もう一つ話は続く、義父の親がやはり石工であり、伊豆の天城隧道の石積みを行っていたそうである。ある時、トンネルの表側で仕事をしていた時に、突然、大きな音が響いてその音を追うように大きな火の玉が二つ、トンネルから泡食ったように飛び出して来た、本当に慌てふためくようにものすごいスピ-ドで飛び出して来たそうである。
要するに予期しない突然の落盤により死者が出たその瞬間の出来事である。
それは日中にも拘わらずハッキリ明るく光って見え、大勢の人が目撃したそうである。
このような事を点検していくと、どうも今まで我々が知っている常識とは大きくかけ離れた事実があるようであり、常識ではどうしても理解の出来ないことが甚だ多い。
ようするに、常識が何処にも通じなく、一切は頭の中で空回りするだけで答は出ては来ないのである。
今までは、ラチも無い話と一笑に付されていたのであるが、ここに来て画像と言うウハッキリした媒体により何時でも、何処でも、誰でも見ながらの検証が可能になっているのである。常識的な頭脳しか持たない輩にはそれが何よりも有効な武器であり、強みなのである。
最早、常識には無いからとか、馬鹿げているとかの言葉は一切通用しないのである。
このような新しい発見には常識は完全に無効であり、まったく意味が無いと言えよう。
要するに常識で判断して納まるものの中には新しい貴重な発見などは最早何も無いと言うことである。
判断が出来ないからと言って新しい事実を態依然とした学者達に判断を仰いでもまったく無駄と言うことである。恐らくは面子上知らないとは言わないであろうし、なにか自説を引っ張り出して来てまやかし的な説明で終わるだけなのである。
考えてみると、霊、あるいは霊魂に関する話は大昔から後を絶たない、しかも日本ばかりではなく世界中で共通して起っているのであり、沢山の事実が動画にも撮られている。
いや、今でもビデオなどの動画で沢山撮られているので誰でも、何時でも見て判断が出来る時代になっているのである。
恐らくその中に誰かが霊の存在の真実を明かしてくれる、それは間違いのないことであろう。すべては常識と未知の狭間に位置しているものであり、今のところは常識がまだ勝っていると言う段階である。しかし、それも時間の問題と言うところまで迫っている。
現に、米国でもトップレベルにある2つの大学であるバージニア大学、アリゾナ大学などでは医療現場に携わる医師たちの証言を基に魂や臨死体験、霊魂の生まれ変わりについて研究しているそうである。 しかし、日本の学術界では霊魂とか生まれ変わりなどの研究はあまり陽を見ず隅に追いやられた存在である。
また、そんなものを研究している限り、まったく予算もつかないのが実情である。
要するに、これ一つ見ても基本的な研究、基礎的な調査などが諸外国に比べると完全に劣っていると言われているのも合点がいくのであり、さもありなんと納得するところである。ハッキリ言えば、一般的な利益追求のための研究は一般会社に任せて、アカデミズムな大学はもっと未来のための研究、人類の福祉のための研究調査などに専念すべきであろう…!!。
余りにもカネにものを言わせて頼み込むような利益追求会社の言うことを聞いているから花は咲かないのであり、世間からは無視されてしまうのである。
世間からは無視されると言うことは、国から予算は貰えないと言うことであり、その分利益追求会社の申し入れを聞いて研究費を捻出しなければならないと言うことである。
要するに、その循環が益々大学の地位をおとしめ、不毛にしているのである。頭のいい人達はそんなことにも気がつかないのであろうか…!!、それとも現実はそのように厳しいものなのであろうか、まことに悲しい限りである…!!。
(今月の話 完)
<転載終了>
>>このような話を人前で話すと、現代では、精神病扱いで病院送りにもなりかねません。しかしながら・・・あなた様のその話で思い出した事があります。大橋正雄(著)「悟霊の法」という絶版になった本にも書かれておりますし、死者たちからの映像通信 (1984年)萩原 玄明 (著) にも掲載されてます。その中に、火災の非常ベルの赤いランプの中に、亡くなった方の沢山の顔が見えて「○○さんも、○○さんも、みんなみんなこの中にいるー」と話しかけている精神病患者の話が掲載されている事を思い出しました。恐らく、亡くなった先祖やお世話になった方々で既に亡くなられている古い時代の方々が、子孫に憑依し、自分達が成仏出来ていない苦しい状態である事をそのような形で子孫を通して知らせに来ているのではないでしょうか?日本は、戦国時代も戦争時代も体験しており、天変地異の自然災害等で苦しい思いをして亡くなられた方も大勢あるのですから、そのような不思議な出来事が現代に起こっても不思議ではありません。問題は、研究者があまりにも少ない為、先祖供養の方法も宗教により時代により国や地域によって全然違いますし、それらが商売になっていて、膨大なお金をむしり取られる事なのです。あなた様のように正常な状態を保ち、無事に一生過ごされている方も大勢いらっしゃいますが、中には、見えない者が見えるというだけで精神病扱いで病院に送り込まれる人があるのも事実です。また、精神病ではなくとも、酒乱という形で家族の揉め事が耐えなかったり、宗教にのめり込んで、家族間が上手くいかない人もあります。