tacodayoのブログさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/7627855.html
<転載開始>
「その額には、一つの名がしるされていた。それは秘められた名であって、『大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母』というのであった。」 (ヨハネの黙示録17:5)

「また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」(黙示録13:16~18)

「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。 」(黙示録14:19~11)

このように
額や手に獣の刻印を押さないように
黙示録は警告しているのですが、

何故?、
誰でも知っている(?)
黙示録の警告があるなかで
獣は人々に刻印を押すことが
可能なのでしょう?


そして、
獣の刻印とは具体的にどういったものなのでしょう?
以下、考察してみましょう(^_^)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

◇古代エジプト
■アンク十字
以下は
アンクについて
からの引用です。

古代エジプトの美術や文書でおなじみの、円形の取っ手の付いた十字。
「生命」を意味するヒエログリフで、神の標識。
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以上引用終わり。

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ツタンカーメン王の鏡箱
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大英博物館所蔵のアンク
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生命の鍵《アンク》を持つファラオの像。
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ルクソール東岸の「カルナック神殿」の
三人のファラオ(クリックで拡大)


以下は
「ジェド柱とアンク

からの引用です。

■ジェド柱
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オシリスの形のジェド柱を礼拝する女神
(中略)


■クロス(十字架)
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古代エジプトの壁画に描かれた戦いに赴く
傭兵たちの列。
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その一部をクローズアップ(タコ注:十字架を首から胸にぶら下げていたり、服に十字架をたくさんあしらっています。)

(中略)
ところで、ファラオ的な異教の影が薄くなったキリスト教のコプト教会に見られると解説された、ユニークな「 crux ansata」が紹介されている。
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「As the Christian era eclipsed Egypt's pharaonic pagan religion, the sign was adapted by the Coptic church as their unique form of a cross, known as the crux ansata.」


(英語では)キリスト教的と解説されているものの、この「crux ansata」こそは、アンクの本質を見事に示している。
まず、アンクの下部は、円筒印章のスタイルで、尚且(なおかつ)つ中央に穴がる。風船形円を造る縄が円筒の穴に通される事を実証している。
しかも、「ウジャト・ アンク・ジェド・シェン」というエジプト神学を象徴するヒエログリフが刻まれており、円筒印章の役割すら担っている。アンクの構成要素を「取っ手」と「横棒+円筒印章」と違って把握すれば、
それはタウ十字架となる(タコ注:タンムズのТを表します。さらには男根と女陰を表すとの説もあります)。


恐らく、初期のキリスト教時代の「crux ansata」は、古代オリエントのネックレス付き円筒印章やエジプトのアンクに準じて、下部のモチーフに重点を置き換えて行ったと思われる。そのペンダント・トップがイエスの十字架の象徴性を帯び始めたのは、それから幾世紀も経ってからのようである。
次に見るクロスは8~9世紀の作品のようであるが、最初に考案された十字架から、さほど時代を経ていないであろう。

しかしながら、
イエスの十字架とは、ラー賛歌のビネットにおけるアンクの象徴性と同一であると思われる。
(中略)
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入ってない<全体からみると、イエスはギリシャ的アンクに磔(はりつけ)されている!>


以上引用終わり。
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◇アッシリア
北イスラエルを滅ぼしたアッシリアは残忍なことで知られていました。
例えば第101代アッシュールナシルパル2世(在位:紀元前883年 - 紀元前859年)はこのように書き残してます。
「反攻した者たちは皆皮を剥いだ。その皮でわたしは柱を覆い、あるものは壁の中央にかけ、あるものは杭に留め、またあるものは杭の上に立てた柱の周りに飾った。反抗の首謀者や高級軍人についてはその部下を殺した。」
「わたしは3千人の捕虜を火で焼いた。1人も人質として働かせるために生かしては置かなかった」
「アシラ像に反逆の罪を犯し、わたしに悪事を企てたこれらの兵士は、・・・敵意ある口から舌を抜き、破滅させた。それでも生きている者は埋葬のいけにえとして捧げた。・・・彼らの引き裂かれた体は犬や豚、狼にくれてやった」
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新アッシリア王国第103代王
シャムシ・アダド5世Shamshi Adad V
在位:紀元前823年~ 前811年

胸に十字架をぶら下げています。
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このように新アッシリアは代々,残忍なことで知られていますので,十字架が平和のシンボルでない事は明白でしょう。
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アッシリアの十字架
ベルリン、ペルガモン博物館所蔵


古代エジプトやアッシリアを見ても分かるように、キリスト教成立以前の土着の宗教が十字架をそのシンボルとしていたことは明白です。

このように
十字架は古代から魔除け、
御守りとして使われ、
その出自と信ずる神は、
イエス・キリストとは
何の関係も無い
ことがわかります。

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様々な十字架(写真はこちらから)
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さて、上の写真は大英博物館所蔵の(強奪された)古代エジプトの秘宝が、はるばる海を渡ってアメリカで展覧会が開かれた時のパンフレットです。
左側は死者の魂を冥界にいざなうジャッカルの頭をもつアヌバス(アヌビス)神。
右側は中央にツタンカーメン王の棺と、
その両脇に古代エジプトの神官の像ですが、
何故か!?
帽子の額の部分に
十字架
が印されています。

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ツタンカーメン王は紀元前1333年~1324年の人物です。
古代エジプトの歴史は長いので、パンフレットにツタンカーメンと明記されていても、十字架の帽子を被る神官の像と彼の棺とはかなり年代が違う可能性はありますが、どちらにしても
古代エジプトの神官が
十字架を
シンボルとしていた

のは間違いありません
ね(^_^)。

そして、
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ギリシャ正教会の司祭
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司教冠(ミトラ)を被るヨハネ・パウロ2世
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4枚ともエジプトの神官と同じように、
帽子の額の部分に
十字架がついています。

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何故、
現代の
キリスト教司祭
(あるいは
ローマ教皇)と
古代エジプトの
司祭の帽子が
同じなのでしょう?

(゜〇゜;)?????



■コプト十字
以下は
古代エジプト宗教からキリスト教へ至る道 -コプト教のはじまりからの流れ
からの引用です。

コプト十字。
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真ん中のものは今でも使われている。
両脇のはもう使われていないが、
モロにアンクです…

(コプトの十字架は、カトリックのそれと形状が異なる)

以上引用終わり。

さて、
司教冠を被るベネディクト16世をひっくり返すと
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アンク十字架
または
タウ十字架になります。

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大英博物館のアンク
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タウ十字または聖アンソニー十字。
フランシスコ会も使用したそうです。
(写真はこちらから)


以下は
J'ai envie de partir
からの引用です。

●タウ十字:
一番古い十字の一つとして知られているのがタウ十字。タウとはヘブライ文字とギリシャ文字のTを指しています。
このシンボルは、すでにヴァイキングやケルト人の祭司、ドルイドが使用していたそうです。
キリスト教においては、アッシジのフランシスコが自分の修道会においてこの十字を採用しました。十字架の頭の部分がないのは、フランチェスコのキリストに対する謙虚さの印なのだそうです。
タウ「T」は、古来より人類への神の救済や愛を示すシンボルと考えられ、真実、言葉、光、神と人の交流、等の意味があるとされています。

以下は
世界大百科事典』【十字
からの引用です。

…なお,2本の線が斜めに交差したものをアンデレ十字という。
(2)正十字の下方の線が長く,上方の線が欠けているT十字,またはギリシア文字のT(タウ)と同形なのでタウ十字(またはアントニウス十字)とよばれるもの。
この十字の起源は,上方に円形の取手のついたエジプト十字(または柄付き十字crux ansata)にあるといわれ,エジプトでは,生命の象徴アンクankhとして神,王,神官などの手に握られていて,不死の生命を与える護符としての機能をもっていた。

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以上引用終わり。
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司教冠を被るベネディクト6世
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司教冠を被るカトリックの司祭たち
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◇ローマ帝国時代

以下は
Wikipediaコンスタンティヌス1世
からの引用です。

伝説では、コンスタンティヌスは、312年のミルウィウス橋の戦いに向かう行軍中に太陽の前に逆十字とギリシア文字 Χ と Ρ(ギリシア語で「キリスト」の先頭2文字)が浮かび、並んで「この印と共にあれば勝てる」というギリシア語が浮かんでいるのを見た。
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(タコ注:ベネディクト16世とラバルム。
αアルファとΩオメガが追加されています。)
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(タコ注:歴代教皇の紋章)
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この伝説はラクタンティウスなどいくつかの資料で詳しく伝えられているが、4-5世紀頃の文献に多く現れる神の予兆や魔法などの話のひとつである。ちなみに、この後のローマ軍団兵の盾にはそれを模った紋章が描かれたという。

以上引用終わり。

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しかしその正体は
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ホルスの目=プロビディンスの目
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写真はWikipedia「ホルスの目
からのスクリーンショット


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」(黙示録13:16~18)
「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。 」(黙示録14:19~11)

このように
額や手に獣の刻印を押さないように
黙示録は警告しているのですが、

何故?、
誰でも知っている(?)
黙示録の警告があるなかで
獣は人々に刻印を押すことが
可能なのでしょう?


それは第4のラッパによる福島原発事故やシリア内戦、ハリケーン・カトリーナのような災難に、更に第5,第6のラッパによる災いが降りかかることが予想される中、
その災いを
免れるための刻印が

もし十字架ならば、
多くの
クリスチャンは
喜んで額や手に刻む
から
なのではないでしょうか?


なぜなら、同じ黙示録に,このように預言されているからです。
「第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると私は、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開く鍵が与えられた。そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えても良いと、言い渡された。彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。」(ヨハネの黙示録9:1~5より)

「額に神の印がない人たちには害を加えても良い」
とありますから、
十字架の刻印を
額に刻印してもらうために
我も我もと人々が
教会に押し掛ける様が目に
浮かばないでしょうか?


十字架の刻印ならば、
人々は抵抗なく
魔除けとして
額やその右の手に
刻むはずです。

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しかし,これでは金を払って免罪符を買うのとその精神は一緒です。そのようなものに救いがあるはずはありませんよね。
( ̄▽ ̄)/
神様の印は,人々が寝ている間,気がつかない間に額に押されるのであって,教会で押されるわけではないことは、良く考えれば誰でも判ることですよね。

しかも、十字架という偶像を拝んでいたら免罪符をもらっても一緒です。

なぜなら、
実際のイエスの処刑は、
一本の杭に吊るされた
杭刑であって、
十字架刑ではないからです。


以下は
イエスは十字架刑か、杭刑か: ケペル先生のブログ
からの引用です。

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(正しいイエスの処刑場面の想像図)

イエスが処刑されたのは一般的には十字架であったと信じられている。
しかし横木を用いた十字形ではなく、
スタウロスという「杭」で処刑されたという学説もかなり古くから存在する。

つまりイエスは両手を頭上に伸ばした形で杭に手と足に太い釘が打ち込まれた。釘の刺さった 箇所が体の重みで裂けるため、痛みは耐え難いものである。
当時のユダヤはローマの支配下にあって
ローマ時代の一般的な処刑方法は十字架刑ではなく杭殺刑であったというのがその根拠である。
中世の絵画 では、マンテーニア(1431~1506)の作品にみられるような十字架刑がほとんどである。
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(『磔刑図』アンドレア・マンテーニャ
1457~60年)

ところがメッシーナ(1430年頃~1479年)
の作品のように左右の罪人を杭刑で、イエスを十字架刑に区別しているものもある。
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(『2人の盗賊の中に磔けられるキリスト』
アントネロ・ダ・メッシーナ 1475年)

しかし、杭と十字架を並べることは
いかにも不自然である。


以上引用終わり。

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ユダヤ人を串刺し刑に処す兵士を描いた
新アッシリア帝国のレリーフ(大英博物館所蔵)
旧約聖書『ミカ書』の一場面
と考えられています。
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新アッシリア帝国の事実上の初代王
ティグラト・ピレセル3世の軍隊による
紀元前701年のユダヤ・ラキシュ攻略を
描いたレリーフとそのドローイング。
左下には破城槌によって蹂躙される被征服者たちが、左上には串刺し刑に処された被征服者たちが見えます。
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以下は
私はプロテスタントのクリスチャンですが、お祈り時などに十字を切ります。どいなのでしょうか?ダメでしょうか?
の引用です。

ジョン・デンハム・パーソンズの著わした「キリスト教に無関係の十字架」という本は,次のように述べています。
「新約聖書を構成している,ギリシャ語原語による数多くの著作には,どれを見ても,イエスの場合に用いられているスタウロスが普通のスタウロス以外のものであることを間接的にであれ証明する文章はただの一つもなく,ましてやそれが1本の木材ではなく,2本の木材が十字型に組まれて釘付けにされたものだということを示唆している文章など一つもない。
……教会のギリシャ語文献を我々の言語に訳すに際してスタウロスという語に『十字架』を当てたこと,またスタウロスの意味として,注意深い説明を加えることなく辞典に『十字架』を挙げてこうした動きを支持したことは,我々の教師たちによる大きな誤りであった。

加えるべき注意深い説明とは次のようなものである。
すなわち,使徒時代には『十字架』はいずれにしてもこの語の第一義的な意味ではなかったこと,その後も長い間その第一義的な意味とはならなかったこと,またたとえその後そうなったとしても,それは,十分な確証がないにもかかわらず,イエスの処刑に用いられたスタウロスはその種の特定の形をしていたと何らかの理由で仮定されたからにほかならないということである」―ロンドン,1896年,23,24 ページ。

以上引用終わり

また、宗教史家のエドウィン・ビーハンの著書『聖像』には、
「コンスタンティヌス帝が十字架を組み入れた軍旗を採用するまで、十字架はキリスト教の記念碑にも、宗教美術の中にも見出せない。」
と書かれているそうです。

さて旧約聖書『申命記』21章23節には木に架ける処刑方法が規定されています。
「もし人が死にあたる罪を犯して殺され、あなたがそれを木の上に架ける時は、翌朝までその死体を木の上に留めておいてはいけない。必ずそれをその日のうちに埋めなければならない。木に架けられた者は神に呪われた者だからである。あなたの神、主が嗣業(しぎょう)として賜る地を汚してはならない。」(旧約聖書『申命記』21:22-23)
「キリストは私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖(あがな)いだして下さった。聖書に『木に架けられるものは、すべて呪われる。』と書いてある。それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、私たちが信仰によって受けるためである。」(新約聖書『ガラテア人への手紙』3:13-14)

この木による処刑には、ローマ式とユダヤ式があったと現在では考えられています。
そして、ローマ軍兵士がイエスの足を折ろうとしたのは、その処刑がユダヤ式で行われたことを直接に証明しています(※既にイエスは絶命していたので、骨は折られませんでした)。

ユダヤ式の処刑ならば、まずスタウロスが十字の形をしていることは有り得ないと考えられています。

論より証拠
同時代の作品

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Torment of Marsyas
『刑罰に処せられたマルシュアス
古代ローマ・帝政期の作品
紀元1~2世紀 ルーブル美術館


以下は
『ルーブル美術館』Room 17 Salle des Caryatides
からの引用です。

『刑柱上のマルスヤスの像』ローマ皇帝時代の作品(紀元1~2世紀)は、『マタイ27:40』で用いられている苦しみの杭[ギリシャ語.スタウロス]、および『使徒行伝5:30』で使用されている[クシロン]の意味を示す例となっています。
古典ギリシャ語においても、コイネーギリシャ語でも、ギリシャ語スタウロス、クシロンには2本の材木で作られた“十字架”という考えは含まれていません
1本の梁材もしくは材木を意味しています。

ローマ人は時おり受刑者を杭に幾日も縛り付けたり、さらには杭に釘づけにすることが習慣となっていました(タコ注:イエスの処刑はこれより長い棒に両手、両足首に釘を打たれ、窒息死したと考えられています。よってローマ式のように足を折って窒息死させられる前に、既に絶命していました)。

以上引用終わり。

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杭刑の準備
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12使徒は十字架を信仰しなかった
ルカ23章・イエスは杭と十字架どちらにつけられましたか
苦しみの杭
■ちょっと脱線
伊勢神宮の心御柱(しんのみはしら)はイエスの杭刑を象徴している?

諏訪大社(すわたいしゃ)御柱祭(おんばしらさい、みはしらさい)イエスの杭刑を象徴している?

以上脱線終わり。

当ブログの
でっち上げられたシナイ山と三位一体と十字架
隠された歴史 まとめ その1
隠された歴史 まとめ その2
隠された歴史 まとめ その3
もどうぞ。

□眼を覚ましましょう!
イエスはゲッセマネというところで最後の祈りをし、そこに裏切り者のユダが導いた人々がやって来てイエスを逮捕します。
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「ゲッセマネの祈り」ハインリッヒ・ホフマン
(ドイツ 1842-1911)リバーサイド教会 N.Y.

『それからイエスは弟子たちといっしょにゲッセマネという所に来て、彼らに言われた。「私があそこに行って祈っている間、ここに座っていなさい、」
それから、ペテロとゼベダイの二人とを一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
そのとき、イエスは彼らに言われた。「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、私といっしょに目をさましていなさい。」
それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならばこの杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、1時間でも、私といっしょに目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりになさってください。」
イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。
イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことを繰り返して三度目の祈りをされた。それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が着ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。私を裏切る者が近づきました。」』(マタイ26:36~46)
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「ゲッセマネの祈り」ジョルジョ・ヴァザーリ
1511年 - 1574年 国立西洋美術館 東京

この「ゲッセマネの祈り」のイエスが祈った相手は、十字架上のイエス自身でしょうか
もし、イエスが十字架に対して拝んだなら、まだ逮捕も処刑もされてないのに変な話しですね。(^_^;)


普通の常識で考えれば、
時間的にも物理的にも
無理ですね。
(^o^;)


□十字架こそ悪魔の名前
『ヨハネの黙示録』には、ローマカトリックこと赤い獣に乗った女=バチカンについて
その額には、一つの名がしるされていた。それは秘められた名であって、『大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母』というのであった。」 (黙示録17:5)
とありますが、以上の写真や考察でわかるとおり、

秘められた名前=奥義
とは,日本語では
十字架の意味の、
ヘブライ語ではコレシュ,
アラビア語ではキュロス,
英語読みではクロスが,
来るべき悪魔
=偽キリストの
秘められ名前だと考えられます


工エエェェ!!(゜ロ゜ノ)ノェェエエ工工

という方もおられるでしょうね(^.^)。

しかしながら、
聖クロス
=セント・クロス。
続けて読めば、
サンタクロース
です。


また、
イスラム教の聖典ハディースにも、このように書かれています。
「アッラーに誓って。 マリアの息子(イエス)は必ず公正な裁き人として天より下り来たり、十字架を打ち壊し、豚を殺し、ジズヤ(異教徒に課される人頭税)を撤廃し、若いめすらくだを解き放ってしまうだろう。」


このように、
悪魔が自分の名前クロス(キュロス)を拝ませるために,また獣の刻印を受けさせて自分達と同じように地獄に引きづりこむために、十字架でイエスが処刑されたというウソをでっち上げたというわけです。
よって、
十字架を崇める行為は、
イエスに対する反逆、
神様に対する反逆だ。
ということです。


まぁ、一言で言えば、十字架信仰は偶像礼拝だ!
で片付きますが…(^_^;)

そして、
この十字架の刻印を受けた人には更にこのような厳しい裁きが下ります。
何故なら、こうも預言されているからです。
「それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、『さあ行って、神の激しい怒の七つの鉢を、地に傾けよ』と言うのを聞いた。そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々のからだに、ひどい悪性のでき物ができた。」
(黙示録16:1~2)



「或る夜、私はカーバの近くにいた。
その時、私はかつてあなたが見たこともないほど、白く美しい顔立ちの男を見かけた。
彼は巻毛で、それもあなたがかつて見たこともないほど美しい巻毛であった。
彼がそれを櫛ですいたため水がしたたり落ちていた。
後は二人の男(もしくは、二人の男の肩)に寄りかかりながら、カーバ神殿の周りをタワーフ(巡回)していた。
『彼はどなたですか』と私がたずねると、『マリヤの子イエスです』と告げられた。
この折、私はまた別の人物を見た。
その人は頑丈な体格をし、ちぢれ毛であったが

右目がつぶれ

ふくれたブドウのようになっていた。

『彼は誰ですか』と私がたずねると『彼はマスィーフル・ダッジャール(偽キリスト)です』と告げられた」
ハディース 一巻『信仰の書』P.134-137)

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フリーメイソンのシンボル
プロビディンスの目」。
右目が潰れた
偽キリストの左目です。


世界遺産『オロモウツの聖三位一体柱
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てっぺんに偽キリストを象徴する
プロビディンスの目があります。
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1882年に完成したアルゼンチンの
サルタ大聖堂

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サルタ大聖堂のプロビデンスの目
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古代エジプトの「ホルス神の目」または「ウァジェトの目」とも言われる「プロビディンスの目」。共通点はどれも左目
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ホルスのシンボルマーク。RXマーク
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「十字架の出現」ラファエロ
ヴァチカン博物館コンスタンティヌス帝の間

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コンスタンティヌス1世が取り入れたXPマーク「ラバルム

キー(X)とロー(P)はギリシア語のアルファベットの名前で、ギリシア語ではキリストを「クリストス」(XPICTOC)と言い、XPICTOCの最初のニ文字だけ取って、キリストを表現することがよくあります。
が、しかしながら、このマークは「ホルスの目」を表すRXマークがその正体です。
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コンスタンティヌスとラバルム(XPマーク)
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デカデカと「ホルスの目」のシンボル、ラバルムが描かれています。


◇中世ヨーロッパ
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ドラゴン騎士団の紋章。十字架を背負った竜が十字架からぶら下がっています。
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この「ドラゴン騎士団」の創設者である神聖ローマ皇帝ジギスムントにより、 ヤン・フスは、1415年7月6日に焚刑(ふんけい)に処せられました。

また、吸血鬼ドラキュラのモデルとして有名なヴラド串刺し公は、15世紀の 1431年(1430年説もある)11月10日、 ルーマニアのトランシルヴァニア地方シギショアラで生まれました。
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ヴラド串刺し公(ヴラド・ツェペシ)こと
ヴラド3世。


この年、彼の父であるヴラド2世はドラゴン騎士団々長として、神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントから叙任されています。
彼のドラクルという添え名は、このドラゴン騎士団の竜(ドラコ)に由来するとされ、またドラクルには悪魔という意味もあり、悪魔公とも呼ばれていました。
父ヴラドはこの紋章を身につけ、領地内の貨幣にもドラゴンをあしらっていました。また騎士団のメンバーも全員が甲冑にドラゴンの印をつけていました。
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ドラゴン騎士団の記章。


そして息子のヴラドは「ドラクリア」あるいは「ドラクリヤ」と署名していました。これは「悪魔の息子」という意味で、これがのちに転じて「ドラキュラ」となります。アイクによれば「ドラキュラ」という名は「ドラゴン騎士団の所有者の息子」です。
このブラド串刺し公ことドラキュラは、何万という人々を串刺しにして、死体の山の真ん中に座り、その流れ出る血にパンを浸して食べたと言います。
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ニュルンベルクで1499年に刊行された文献に見られる木版画挿絵
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1500年に刊行された文献に見られる木版画挿絵

1453年にコンスタンチノープルを征服し、東ローマ帝国を滅亡させたオスマン帝国の豪胆なファティ・スルタン・メフメッド2世でさえも、この串刺しにされた二万もの腐乱死体を目にして気分が悪くなり、ドラキュラ攻撃の指揮を部下に委ねて、コンスタンチノープルへ戻ったとされます。
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ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅ぼした
オスマン帝国第7代皇帝メフメト2世


さて、
今年2012年に在位60周年を迎えた英国の
エリザベス2世女王の祖母のメアリー・オブ・テック(メアリー・アデレード・オブ・ケンブリッジ)は、このブラド串刺し公「ドラキュラ」の姉妹の子孫にあたります。

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三枚ともメアリー・オブ・テック。
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そして、
ヨハネの黙示録第6章の“青白い馬”とは、ブルーブラッドこと、現在のエリザベス女王の夫君エジンバラ公フィリップを頂点とする、血でつながった欧州貴族連合を指します。
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更に、イギリスの国旗は、十字架(クロス)とニムロドの象徴Xを組み合わせたユニオンジャックです。
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また、古代のドラゴン騎士団を復活・拡大しようとしてきたローレンス・ガードナー卿は、 『聖杯の血統―イエスの隠された系譜』 で、
“英王室はイエスの実の子供の末裔である”
という“捏造”をでっち上げています。

そして、この本の主張である“イエスとマグラダのマリアとの間に生まれた子供の話”は、映画にもなった『ダ・ヴィンチ・コード』に取り入れられています。
後の世に現れる偽キリストは、「マグラダのマリアとイエスの間に生まれた子供の子孫だ。」 と、大嘘を吹聴する予定なんでしょうね。
(^_^;)
バレバレです。

つまり、映画『ダ・ヴィンチ・コード』なるものは、エンターテイメントとしては確かに面白いですが、その主張の中身は「イエスには子供がいて、その血はブルーブラッド=欧州貴族が引き継いでいる」という大嘘に誘導するための、タダのゴミ屑だという事です。
( ̄▽ ̄)/
こんな生ゴミをありがたがっていては、いけませんね。(^_^;)
地獄への片道切符を手にしたようなもんです。

こちらは英語ですが、ローレンス・ガードナー卿が爬虫類人に変身するところを見た、スチュワート・スワードロウの証言を紹介する記事です。

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ロンドン市内にあるザ・シティの紋章

十字架だらけですね。

過酷なインド支配アイルランド統治ボーア戦争アヘン戦争、また海賊船の船長に爵位を与えたりする犯罪国家イギリスが立派なキリスト教国であるわけがありませんよね。
十字架こそ悪魔の象徴。
爬虫類人のシンボルです。


以下は
世界で一番おもしろい地名の謎
からの引用です。

ジブラルタルは地中海から大西洋に続く出口にあたる海上交通の要所となる町 だ。 この地はイベリア半島の南端にあり、長さ5km、幅1kmあまりの高い岩山は軍事的にも重要な存在で、イザベル女王(1451~1504)はその遺言で、くれぐれもジブラルタルを手放すことがないように念を押しているほどである。しかし、彼女の願いも虚しく、その後この土地には暗い歴史がつきまとうことになる。

ジブラルタルという名は、711年にイベリア半島に侵入したイスラム軍を指揮したターリク・イブン・ゼヤドに因んで、アラビア語で「ジャバル・アル・ターリク(ターリクの山)」と名付けられた事に由来する。そしてこれがなまって現在の「ジブラルタル」になったという。

侵略の結果つけられたこの外国語の地名のせいか、1700年にカルロス2世が逝去してから、ブルボン王家のスペイン継承に異を唱えたイギリスが、継承戦争中の 1704年に同地を占領し、ユトレヒト条約で自国の領土にしてしまったのである。1950年代後半からスペインは国連に何度もジブラルタルの返還要求を提出してい るが、イギリスの態度は一貫して非友好的で、60年代には両国の関係は悪化して、スペイン側は陸続きのゲートを閉めて経済封鎖に出た。軍事的利用は認めても主権は自国にある、というのがスペイン側の一貫した主張である。

1982年になると、スペインに社会党政権が誕生して両国の関係は修復され、陸続きのゲートも再開されたが、その頃にはすでにジブラルタルは密輸の基地と化していた。イギリス領になって以来、ジブラルタルは密輸業者の温床になっており、覚醒剤や煙草の密輸が野放しで行われているともされる。そしてここは犯罪に絡む汚れた金の「洗濯場」でもあり、現在でもスペイン南部の印象を悪くする悩みの種となっているようだ。

以上引用終わり。

世界中の麻薬取引の総元締めのイギリスらしい話ですね。

そして
終わりの日に刻み込まれる“獣の刻印”は、この秘められた名前である十字架だと考えられます。

こちらも
エリザベス女王とバチカンによるモホーク族の子供達の大量虐殺がカナダで明らかになる

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カトリック教徒による1572年の
サン・バルテルミの虐殺を記念して
グレゴリウス13世が発行させたメダル。
左:グレゴリウス13世。
右:「ユグノー撲滅1577年」(Ugonottorum strages 1577)の標語と共に、虐殺されたユグノーと十字架と剣を掲げた天使。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


◇歴史上のキュロス
さて、キュロス(英読み:クロス)と聞いてピーンときた人は、相当古代中東史に詳しい方です。
(⌒‐⌒)

アッシリアの侵攻で北イスラエル王国が滅亡し“失われた10氏族”が世界に散らされた後も南ユダ王国は存続しましたが、BC586年に新バビロニア帝国のネブカドネザル2世に滅ぼされました。いわゆるバビロン幽囚またはバビロン捕囚です。
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ネブカドネザル2世


■年表
BC598 ネブカドネザル2世エルサレムに入城。エホヤキム王(ヨヤキム)と屈強な若者たちを殺害。
BC597 第一次バビロン捕囚
BC586 エルサレムは破壊され貧しい農民以外は強制移住させられました。第二次バビロン捕囚。

その後BC539年に新バビロニアはアケネメス朝ペルシャに戦わずして併合されます。
そして、その
ペルシャの初代王キュロス大王(祖父のメディア王キュロスと区別するため大王またはキュロス二世と呼びます)により、捕囚されていたユダヤ人は解放され、更に神殿の再建命令も受けます。

最初の帰還者である
「会衆の総数は、 42,360人であった。ほかに男女の使用人 7,337人、男女の詠唱者が200人いた。」( エズラ書2:64)。
といいます。

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キュロス2世


キュロス大王はアッシリアの次にエジプトを除くメディナ、ペルシャ、新バビロニアの三大強国をまとめたアラブの英雄です。
が、ユダヤ人を解放したことで、また母がユダヤ教に改宗?したせいで現代のイラン人からの受けは大変悪く、ホメイニ革命の時には、ホテルや通りの名前から軒並みキュロスという名が削除され、バサルガダエにある墓をも爆破しようとホメイニ師に願いでた人もいるくらいだそうです。
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キュロス2世の墓


そんなキュロス大王ですが、旧約聖書「イザヤ書」では
「慰めよ、私の民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。」(イザヤ40:1)
「エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎(とが)は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。」(同40:2)
「キュロスに向かって、私の牧者、私の望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い、神殿には基が置かれる、と言う。」(同44:28)
「主が油を注がれた人キュロスについて主はこう言われる。私は彼の右の手を固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれどの城門も閉ざされることはない。」(同 45:1)
「皆、集まって聞くがよい。彼らのうちに、これを告げた者があろうか。主の愛される者(同キュロス)が、主の御旨をバビロンに行い/主の御腕となる人が、カルデア人に行うことを。」(同48:14)
「私が宣言し、私が彼(キュロス)を呼んだ。彼を連れて来て、その道を成し遂げさせる。」(48:15)
と書かれています。
このようにキュロス2世は救世主=油を注がれた者としています。
「油注がれた者」とは、ヘブライ語では「メシア」、ギリシャ語では「キリスト」という言葉の意味になります。また「油そそぐこと」はクリスマで「クリスマス」の語源ですね。
ユダヤ人の中には今でも、キュロス大王の事を聖王と呼ぶ人がいるそうです。

さて、反キリストが
「我こそはヨハネの黙示録などで預言された世の終わりに現れる666の獣だ。」
と言って登場してくるでしょうか?

普通に考えれば逆ですよね(^.^)。

多くの人の支持を集めて世界に君臨する王=反キリスト。パレスチナとイスラエルとの平和を打ち立て、世界に平和と秩序をもたらし、エルサレムに第三神殿を作らせ、公明正大で聖王と呼ばれる高潔な平和の創始者(ただし、平和は多くの犠牲の上に打ち立てられるでしょうが(^_^; )。

世界中の人を欺くのには、キュロス大王の名前はうってつけではないでしょうか?

さて、話を史実に戻しますね。

エズラ記3:10にあるように、確かに神殿の礎石・基礎が据えられ、民の喜びと泣く声が遠くまで響いたのです(エズラ 3:11~13)。
が、新バビロニアの移住政策で移り住んでいた現地住民(新訳聖書にも登場するサマリア人)の協力を断った事で恨みをかいます(エズラ4:1~4)。 敵対者たちは参事官を買収し、工事は 中断されました(エズラ4:5)。 その中断は15年間続き、「ペルシャの王ダレイオスの治世第二年にまで及んだ。」(エズラ4:24)とあります。

つまり、キュロス大王の元では神殿は再建されなかったのです。

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ダレイオス1世


■年表
BC522 ダレイオス一世の治世第二年6月1 日、預言者ハガイ神殿再建命令を下す。
同月24日、工事再開。
8月ゼカリヤ召命 (ゼカリヤ書1:1)。
BC516 ダレイオスの治世第6年アダル(12) の月の3月、第二神殿完成。
アケネメス朝ペルシャのダレイオス一 世(BC522~486)の勅令と財政的援助をうけて神殿は前516年に完成しました。
ネブカドネサル二世による破壊 (BC586― 第二次バビロン捕囚)から数えて70年目のことです。

しかし、神殿は完成してもエルサレム市街は破壊の跡が生々しく、町の広場や街路はその後も58年間も荒れるに任せて放置されていたのです。 何故なら、神殿再建によって意気のあ がった急進派ユダヤ人たちはゼルバベルを王に擁立して独立を謀ります。ところが、ユダ家擁立に反対するグループがペルシャに密告、軍隊に包囲される事態を招いた為、謀反の疑いをかけられて再び神殿を破壊されたり捕囚されたりしないように無いように、街を破壊されたままで放置していたのです。
これでは真の独立とは言えませんから、信仰の自由があるとは胸を張って言えません。
よって、真の第二神殿再建は
BC457年、アルタクセルクセス1世のエルサレム再建命令を待たなければならなかったのです。
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アルタクセルクセス1世
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ナクシェ・ロスタムにある
アルタクセルクセス1世の墓


この三度目の正直のBC457年が真の神殿再建命令なのです。

そして、
この年がイエス・キリストの誕生
と終わりの日の再臨を預言した
『ダニエル書の70週の預言』
の始まりなのです。

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以下の記事もどうぞ。

十字架磔刑説はキリスト教がヨーロッパに普及して成立したものであ ろう。

なぜなら、
イエスは十字架上で
処刑されたことに
なっているからです。

<転載終了>