大摩邇(おおまに)

日常の気になる記事を転載させていただきます。

原爆と奇形児と人種差別と黒人暴動

tacodayoのブログさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/7666603.html
超刺激的な内容ですので気の弱い方はご遠慮ください。
昨日の記事が完了されたようです。
<転載開始>
 
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ラス・カサスの著書
インディアスの破壊についての簡潔な報告
に添えられたテオドール・デブリーの挿し絵。
虐殺されるカリブ海周辺のインディオスたち。
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ラス・カサス
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以下は上の本からの引用です。

ある日、一人のスペイン人が数匹の犬を連れて鹿か兎を狩りに出掛けた。しかし、獲物が見つからず、彼はさぞかし犬が腹をすかしているだろうと思い、
インディオの母親から幼子を奪ってその腕と足を短刀でずたずたに切り、犬に分け与えた。
犬がそれを食い尽くすと、さらに彼はその小さな胴体と頭を投げ与えた。

無法者のドイツ人総督はインディオを、またその妻子を、できるだけ大勢捕らえるよう命じた。そこで部下たちは特別に作っておいた大きな囲いのような木の柵の中へインディオ達を閉じ込めた。
邪悪な総督は、そこから出て自由になりたい者は身代金として一定量の金を差し出さなければならないと知らせた。同じように、妻や子を身請けしなければならなかった。
総督はインディオ達を一層苦しめようと考え、要求した身代金を持参するまでは彼らに食事をいっさい与えてはならないと命じた。
大勢のインディオは、使いの者を金を取りに家へやり、そうして、それぞれがあるだけの金を差し出し、自由を取り戻した。このようにして解放されたインディオ達は畑は戻り、食事の用意をするために家へ帰った。
ところが、その無法者はこうして一度自由の身となった哀れなインディオたちを再び捕らえるために、数人のスペイン人略奪者を派遣した。彼等はインディオ達を元の囲いへ連れ戻し、再び身請けされるまで、彼らに飢えと渇きの苦しみを味わわせた。
インディオたちの中には二、三度捕らえられ、そのつど身請けされた者もいたし、また、持っていた金を既に残らず差し出してしまっていたために、もはやそれも叶わず、まったく身代金も無い者もいた。
無法者は彼らをずっと囲いの中に閉じ込めておいたので彼等は餓死してしまった。

彼らは奥地へと遠征し、無数のインディオを連行したが、インディオたちは鎖に繋がれ、重さ3、4アローバの荷物を担がされた。
なかには空腹と過酷な仕事、それに生来の虚弱さのために疲労し、気を失ったりするインディオたちが幾人かいた。
その時、彼等は一番外側の首枷(かせ)につないだインディオたちをいちいち止めて鎖を外すのが面倒なので、即座に、倒れたインディオの首枷の辺りを斬りつけた。
すると、首と胴体はそれぞれ別の方向へ転げ落ちた。

彼等はそのインディオが担いでいた荷物をわけ、ほかのインディオたちの荷物のうえにのせた。既述したとおり、スペイン人たちはインディオたちを殺し、八つ裂きにするために獰猛(どうもう)で凶暴な犬を仕込み、飼いならしていた。
真のキリスト教徒である人々、また、そうでない人も彼らがその犬のえさとして大勢のインディオを鎖につないで道中連れて歩いたという事実を知っていただきたい。

おそらくそのような行為をこれまでに耳にしたことはないであろう。インディオたちはまるで豚の群れと変わらなかった。スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。
「申し訳ないが、拙者が別な奴を殺すまで、どれでもいいからその辺の奴の四半分ほど貸してくれ。犬に食べさせてやりたいのだ」と、まるで豚か羊の肉の四半分を貸し借りするように、彼等は話し合っていた。
別のスペイン人たちは、朝、犬を連れて狩りに出掛け、昼食を取りに戻り、、そこで互いに狩の成果を尋ねあう。
すると、ある者は
「上々だ。拙者の犬は十五、二十人ぐらい奴らを食い殺したよ」
と答えていた。
島々では、牝馬一頭につき、理性を備えた人間であるインディオの八十名が交換された。
その無法者はいつも次のような手口を用いた。
村や地方へ戦いをしかけに行く時、彼らは既にスペイン人たちに降伏していたインディオたちをできるだけ大勢連れて行き、彼らを他のインディオたちと戦わせた。
彼らはだいたい一万人か二万人のインディオを連れて行ったが、彼らには食事を与えなかった。
その代わり、彼らはそのインディオたちに、彼らが捕まえたインディオたちを食べるのを許していた

そういうわけで、彼の陣営の中には、人肉を売る店が現われ、そこでは彼の立会いのもとで子供が殺され、焼かれ、また、男が手足を切断されて殺された。
人体の中でもっとも美味とされるのが手足だったからである。

ほかの地方に住むインディオたちはみな、その非道ぶりを耳にして恐れのあまり、どこに身を隠してよいか判らなくなった。

以上引用終わり。

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黄金の世紀」におけるスペイン(赤)とポルトガル(青)の領土、及び植民地(1580-1640)。

以下の三枚の画像と表はこちらから
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イギリス兵?によるアメリカ大陸の
ネイティブ・アメリカンの虐殺

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米比戦争時のニューヨークジャーナルの風刺画。
フィリピン人を銃殺しようとするアメリカ兵の背後には「10歳以上の者は皆殺し」と書かれています。

以下は
人種蔑視に基づく蛮行 …日本軍将兵の頭蓋骨は35$の土産物にされた!
からの引用です(写真等追記)。

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1月には、アフガニスタン反政府武装勢力
タリバン兵士3人の遺体に、「金色のシャワーだ」などと冗談を口にしながら、笑顔で小便を掛ける4人の米海兵隊員の動画がインターネットに投稿され、
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その映像を観たアフガニスタン国軍兵士が駐留外国部隊への反発を募らせ、報復として、仏軍兵士4人を射殺した事件が起きている。

2006年にも、アフガニスタン駐留の国際治安支援部隊(ISAF)独軍兵士が、アフガニスタン人の頭蓋骨を掲げた記念写真がドイツの大衆紙「ビルト」に掲載され、非難を浴びたことは記憶に新しい。
遺体を冒涜する5枚の写真は2003年に撮影されたもので、頭蓋骨を掲げた記念撮影の他に、
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切り取ったペニスを頭蓋骨に接触させるシーンや、パトロール用のジープの先端に頭蓋骨を引っ掛けた異常なシーンの写真があった。

問題とされている米陸軍第82空挺師団兵士に依る不祥事は、敵兵の遺体を辱める行為であり、
武力紛争による敵戦闘員の遺体は尊厳を持って扱うと定めるジュネーブ条約に抵触し、倫理的にも非難されるべきは当然のことであるが、アングロサクソン主導社会である米国の一般世論も、米国防総省が政治的判断で表明しているように、当事者の兵士たちを懲戒に処するほどの非道と捉えているかは、甚だ疑問に思うところである。

何故ならば、当該の遺体への冒涜などは、20世紀半ばの太平洋戦争に於ける、
米軍兵士に依る日本軍兵士の遺体への惨憺たる陵辱の蛮行とは比較にならないほど、些細な行為と言えるからである。

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日本軍兵士の頭部を煮る米軍兵士(1944年)

クリント・イーストウッド監督作品である映画「硫黄島からの手紙」にも描かれているが、硫黄島警備隊司令の任にあった和智恒蔵海軍大佐は、水際作戦の防衛戦術を主張し、米軍を上陸させた後の撃滅作戦を意図した総司令官栗林中将と対立したことで更迭され、アメリカ軍上陸前に本土へ転任させられていたことで、生きて終戦を迎えた。
戦後、彼が天台宗の僧侶となり、硫黄島協会を設立して、硫黄島の戦闘に於ける戦没者の供養と遺骨収容とに余生を捧げたことは世に知られている。

彼は戦後、硫黄島守備隊戦死者の遺骨収集の為に奔走し、未だGHQの占領下に在った日本政府と米国政府に掛け合い、幾多の困難を経て、硫黄島に渡り、玉砕した将兵の遺骨収集を実現させた。
その彼が現地で目にしたものは、「収集した遺骨の内、1000体分に頭蓋骨が見当たらない」という異様な惨状であったのだ。

上坂冬子著「硫黄島いまだ玉砕せず」に依れば、彼は硫黄島駐屯のヤングス空軍少佐と、グアム島駐屯のコリンズ海軍大佐に、頭蓋骨の数が足りないことを告げ、米軍当局の釈明を求めて抗議をしたが、「そのことは承知しているが、現段階では声高に糾弾せず、当方に任せて欲しい」との返答があったという。
また別の戦場のケースとして、戦後にマリアナ諸島から日本軍将兵の遺体が送還された時、その約60%には頭蓋骨が無かったいう記録もある。
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米海軍魚雷艇341号艇甲板上で、日本軍将兵の頭蓋骨を弄ぶマクファーソン海軍中尉。
(1944年4月30日ニューギニア戦線)

これが何を意味するかと言えば、日本軍と戦った太平洋戦線の米軍兵士の間には、
戦勝記念に日本軍将兵の頭蓋骨を持ち帰るという猟奇的な習慣があったということである。
頭蓋骨のコレクションどころか、米軍兵士に依る日本軍将兵の遺体損壊という残虐な猟奇行為は日常化していたのである。

1927年(昭和2年)に、スピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したチャールズ・リンドバーグが、その従軍日誌「リンドバーグ第二次世界大戦日記」で、米軍兵士の日本軍将兵の遺体への目に余る冒涜の目撃談を著わし、その実態を告発していることも有名である。
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リンドバーグ

遺体に小便を掛けることや、遺体を的にしての射撃、頭蓋骨をボール代わりにしてサッカーをするなどは序の口で、ペニスを切り取って、口に咥えさせる耳や鼻を切り取って、ネックレスにする、帰還する時に持ち帰る為に耳や鼻を乾燥させる、ゴールドラッシュと嘯(うそぶ)きながら、金歯を抜き取る、
砲弾が着弾して出来た穴に遺体を放り込んでおいて、その場を残飯などの廃棄物の集積所にするなど、獣にも劣る蛮行が日常化していたのである。

中には生首をそのまま持っていた海兵隊員がいて、悪臭が強くなり過ぎたことから、その首を上官から取り上げられたというおぞましい話もある。
馬鹿は馬鹿なりに知恵を働かせるもので、頭蓋骨から肉片を取り除く為に、煮るようになったという。
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そうして出来上がった肉を削ぎ落とした頭蓋骨は、一体35ドルの値で売買されていたということである。
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木に吊るされた日本軍将兵の生首。
(1945年ビルマ戦線)

これほどまでの遺体への冒涜は、日本人に対する人種差別的感情が無ければ、為し得なかったことであったろう。
ヨーロッパ戦線での激戦場でも、独軍兵士の遺体の切り取りが流行したなど聞いたことが無い

1952年に、米国の移民と国籍に関する事項を定めた法律である移民国籍法は、ネバダ州選出の上院議員パトリック・マッカランとペンシルベニア州選出の下院議員フランシス・ウォルター、二人の策定の下、制定された法律で、マッカラン=ウォルター法とも言われるが、この人種差別主義者のフランシス・ウォルターは、太平洋戦線で戦死した日本軍兵士の肘から手首に掛けての骨、前腕骨で作つたペーパーナイフを嬉々として、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の贈呈した人物でもある。
日本を巧妙な謀略で対米戦争へと誘い込んだ、卑劣な人種差別主義者であったルーズベルト大統領は、そのペーパーナイフを愛用している自らの写真を反日キャンペーンに利用していたという。

ミズリー州のカトリック教大司教管区内の一教徒が、友人の子供が太平洋戦線に従軍中の兄から送って来た日本軍将兵の頭蓋骨をおもちゃにして遊んでいるのを目撃し、その旨教会へ通報したのが発端となって、米国内で遺体冒涜問題
が議論に上るに至った。
同教会は機関週報「アーチ・ディオシイス」誌上で、米軍兵士の背徳心を非難し、「教会の掟は邪悪な目的を以って死体を冒涜することを禁じている。死後の人間の身体に対する礼儀として、頭蓋骨は適当に埋葬されねばならない。敵国人の身体の一部であるか、どうかに依って区別されるべき問題ではない」との厳重警告を米国社会に発した。

また、米国のグラフ雑誌「ライフ」1944年(昭和19年)5月22日号に、米軍兵士が戦地から米国本土の彼女に記念品として送って来た日本軍兵士の頭蓋骨を使ったトロフィーが机の上に置かれ、それを眺めながら寄贈に対する礼状を書く女性の写真が掲載された。
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日本軍兵士の頭蓋骨を送ってくれた米軍兵士に礼状を書く女性「ライフ誌1944年5月22日」

その写真を入手したドイツ外務省は、外国新聞記者団会見を開き、写真を公開すると共に、「かかることは、ドイツ人の考え方を以ってしては到底、想像も付かぬことで、アメリカの道義が如何に頽廃しているかを最も明らかに示すものと言えよう。正に『首狩り時代』の再現である。アメリカが、往昔の食人時代に復帰していることを物語るものに他ならない」
との見解を発表した。
(以下略。要参照)

以上引用終わり。

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上下ともに写真はこちらから【英語版】
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ペリリュー島とタラワ島の日本兵の頭蓋骨

【参考】
刑法第190条
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。

ジュネーブ条約
1944年6月13日付けアメリカ陸軍法務部長(JAG)名による報告書では「このような悪質で残虐な戦没者の遺体損壊行為」は戦時国際法違反であり、「敵の戦没者の虐待は病人と負傷者の扱いについて規定された1929年に批准されたジュネーブ条約の露骨な違反であり、さらにそれは関わるごとに、戦場を保持している交戦国は負傷者と死者を探し当て、彼らを強盗行為やそのほかの悪行から保護する処置を捕らなければならない」とされています。ー出典

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

映画『プレデター
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スポーツ・ハンティングをするために
地球にやって来た異性人。
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異性人により次々と頭蓋骨の剥製=コレクションにされていくアメリカ精鋭特殊部隊。

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動画「プレデター 2 (1990) Theatrical Trailer」より
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動画「Predator 3 Trailer」より
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狩取った人間の頭蓋骨を背骨ごと引き抜いて
コレクションにする異星人。
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獲物のコレクションを得て
歓声をあげる異星人。
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米軍の残虐行為に対する
アンチテーゼ?

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以下は
スポーツハンティング
からの引用です。

サフル大陸(オーストラリア大陸)では、1788年よりイギリスによる植民地化がはじまるにつれ、動物のみならず、
原住民であるアボリジニをスポーツハンティングするようになる。
1803年にはタスマニアへの植民が始まってからは、同じくタスマニア島のアボリジニに対するスポーツハンティングが行われ、さらには、
組織的なアボリジニー襲撃隊も編成され、島を一列で縦断し島民をすべて虐殺した。

このようなアボリジニへのスポーツハンティングの背景には、アボリジニを人類以前の類人猿とみなす人種差別的な当時の考え方があった。

なお、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。

以下は
元海上自衛隊海将補、平間洋一著『日露戦争が変えた世界史
からの引用です。

白豪主義政策が国是となり、「アボリジニ狩り」をしていたことを示すものとして、ニューサウスウェールズ州立図書館には、「今日の収穫27匹」という記録がある。
入植者にはアボリジニを殺害することへの罪の意識は全くなく、
楽しいハンティングのようなものであった。

しかしその後、「狩り」が問題となると、ヒ素や水銀などを水飲み場に流し毒殺するなど、アボリジニ殲滅の方法は陰湿になっていった。

アボリジニの虐殺に関する子供の時の思い出を、女流詩人メアリー・ギルモアは『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙(1938年3月4日)に次のように書いている。
「水飲み場の周辺に何百人ものアボリジニが死んでいた。大人たちが集まり、アボリジニの狩りに出かけるところを何度も見た。欧州から獰猛な狩猟犬が輸入された。アボリジニたちを狩りだし、食い殺させるためだった。ある時は小さな子供たちが、野犬のように撃ち殺された両親の遺体のかたわらで死んでいるのも見た」
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(オーストラリアの10ドル札の裏側に描かれた
メアリー・ギルモア)

1935年、国際連盟は原住民の虐殺や差別について、オーストラリア政府に釈明を求めた。しかし、オーストラリア政府はそもそもアボリジニを国民とみなしていなかったので、人口動態国勢調査対象からも外し続け、アボリジニを人口統計に入れたのは1976年の憲法改正以降であった。
2000年のシドニー・オリンピックの開会式では、アボリジニとの融和を演出しようとしたが、反発が強く一部が協力を拒否したため、白人がアボリジニに扮して友好和解を世界にアピールする演出をしたという。
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シドニーオリンピックで
アポリジニに化けた白人と白人少女

特に悲惨なのはタスマニア島の原住民で、当初は3万7000人が住んでいたが、1847年には44人となり、最後には絶滅してしまった。

以上引用終わり。

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終戦直前の米軍機による機銃掃射で右腕を吹き飛ばされた豊村美恵子さん。昭和2年東京生まれ。
父親、母親、姉、弟の家族4人が
3月10日の東京大空襲により死亡。
写真はこちらから

湯の花トンネル列車銃撃事件
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大山口列車空襲事件
筑紫駅列車空襲事件
多治見駅列車空襲事件

以下は東京大空襲
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アメリカ軍、イラクで大量虐殺』
住民880人殺害、1800人負傷2004年4月15日付

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以下は劣化ウラン弾による被害
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以下は長崎原爆
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11月24日、米中西部ミズーリ州ファーガソンで、武器を持たない黒人少年を射殺した白人警官が不起訴となり、反発した一部の黒人が暴徒化し、全米各地に抗議デモが広がりました。
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このミズーリ州ファーガソンでの黒人少年射殺は、イラク戦争での民間人殺戮や原爆、ABCCの非人道的戦争犯罪と根が全く同じ
だと考えられます。
(^_^;)違うか?

以下は
「原爆ホロコースト」の実態 ~ 「原爆」と「冷戦」の舞台裏 ~
からの引用です。

●広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、原爆の対日使用は「人体実験」だったとして、1994年に次のように述べている。
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「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの覇権確立である。そしてもう1つは、
原爆の効果を知るための無数の人間への『人体実験』である。
だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、

第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった
加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。


トルーマン大統領は原爆の惨状についての報道を一切禁止し、
被爆治療を徹底的に妨害した。
そして被爆者を「治療」せず「実験動物」のように観察する組織「ABCC」(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置した。
image(タコ注:フリーメイソンのエプロンを
着けたトルーマン大統領。)


●広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。まさにアメリカがやったことは、「人体実験」だったといえよう。

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(タコ注:写真はこちらから)
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ー 被爆者である橋爪文さんが書いた
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少女・14歳の原爆体験記』 (中略) より。ー

「私は広島の生き残りのひとりです。〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。
治療は全く受けませんでした。
そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。
こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。
しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。
私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。

あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。

以下は
広島の助産婦の証言 ~原爆による奇形~
からの引用です。

私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。41歳でした。その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。
何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。

一番多かったのは兎唇でございました 。
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(タコ注:兎唇の一例)
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(タコ注:口蓋裂の一種)

それに口蓋裂もあって、泣くと喉の奥まで見えるんです。お乳も飲めないような...
それから肢指過剰ですね。多指です。
それから鎖肛(正常な位置に肛門がなく、直腸が盲端になっており、5千人に1人の確率で発病する)。
肛門のないのも多うございました。

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(タコ注:鎖肛の一例)

兎唇や多指は数が多うございました。分娩で頭の先がでましたら、今度も兎唇じゃないかしらと思ったら、やはりそうで、そのたんびに憂いたことを覚えています。あーどうしてこんなに兎唇が生まれるんかしらと思いました。

すぐ近所でございましたが、二軒に同じように耳のない子が生まれました。その1人の赤ちゃんのおばあさんは、産婦人科の看護部長をしておられました。奇形が生まれたということで、すぐに病院に電話をされたらしいですが、先生が来られたあくる朝、赤ちゃんは逝きましたからね。もう一軒は可愛い女の子でございましたが、おばあちゃんは「火葬場に持って行くまでは、泣きだしはしませんから。」と言っておられました。これは薬を使ったんだなと私は思いました。もちろん、家族は何も言いませんし、私も聞きもしませんでした。元気な子でしたがね。そのおばあちゃんは生涯悩まれたそうです。可愛い子だったですからね。 髪の毛でね、こうやって耳を隠していれば判りはしませんのにね。耳がないんです。ツルッとしておりました、片方だけ 。

それから、内蔵露出で、グルグルと腸が出ておりまして、思い出してもひどいヘルニアだったんですね。大学病院で手術をしてもらい、それはどうにか助かりました。
まだそれから、鎖肛、これはたくさんありました。
それから無脳症ですね。
終戦直後ではないから、2~3年後だと思います。母親は30代でした。どうしても頭の位置がわかりませんのよ。上の方にあるのは確かに臀部だがと思いましても、頭部に触れませんのよ。おかしいなと、みよりましたら、無脳症でございました。氷を氷袋の中にいれて下げたらザラザラしますように、頭蓋骨がぜんぜん固まっていない子でした。
だから
そんな子が生まれたら、極秘にしてもらいたくてね。こんな事は当時はとても言われませんでした。

ー 広島医療生協原爆被害者の会発行「被爆体験記・ピカに灼かれて」13集より引用 ー

全文はこちら。PDFファイル

以下の写真は、動画「映画『世界は恐怖するー死の灰の正体』」1957年 亀井文夫監督 日本ドキュメト・ フィルム製作より(クリックで拡大)
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シャム双生児 昭和27年6月生まれ
ヒロシマ爆心地から2キロ 40歳母親

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無脳児 昭和26年生まれ
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単眼男子

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人間の形をしていない物体 昭和26年 長崎 1480m 三菱工場あと


以下は
ABCCは何をしたか
からの引用です。

3、久保浩之さんの証言
(中略)
ABCC(原爆障害調査委員会)は死産した奇形児などの胎児を渡すと、内緒で報酬がもらえた。

4.知人の女性の証言
ABCCで脳を取られて、返された子どもの様子を今でも鮮明に覚えている。
頭部は目だけが見えるが、他の部分はすべて包帯でグルグル巻きにされて、悲惨な状態だった。

以上引用終わり。

こちらも。
「ABCC遺伝計画」における助産婦の役割
(中略)
米・ABCCの新生児データ、助産婦に謝礼払い収集
<先天異常>「イラク・ファルージャ調査報告会」高遠菜穂子さん報告会4/11(内容書き出し)

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『蛇は女の後に水を川のように、口から吐き出して、女を押し流そうとした。
しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。
龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
そして、海辺の砂の上に立った。』(ヨハネの黙示録12:15~18)
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『その時私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、我らの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。
兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。
しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。』(ヨハネの黙示録12:10~12)

17世紀の三角貿易
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19世紀の三角貿易の例。
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アーリア人か否かを識別するために使用された頭蓋骨測定装置「プラトメートル」
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ラマルク以降に書かれた進化とアゴの関係

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ダーウィン以降に書かれた頭の形と進化の関係

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上の二つの図に基づいて額とアゴの角度を調べたナチスドイツ
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ダーウィン以降に書かれた、「黒人はゴリラと同じ角度のアゴから額のラインを持つ」と言いたい絵

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ヘッケルが(捏造して)書いた
猿から人への進化


しかしながら、
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黒人の両親から生まれた5人兄弟のうち、3人がアルビノ(色素異常)
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ナチスドイツや進化論者が
猿に近いと考えた黒人から生まれた子供が、実は最も
彼らの理想としたアーリア人種の特徴を備えている
という皮肉。

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逆もまた真なり。

アパルトヘイト(人種隔離政策)の南アフリカの生粋の白人から生まれた黒い肌の白人女性サンドラ。
顔や頭の形が
黒人の特徴と同じ

です。


四馬鹿カルテットの上からラマルク、ダーウィン、ゴルトン、ヘッケル
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※1809年ラマルクの『動物哲学』。1859年11月ダーウィンの『種の起源』。1874年ヘッケルの「個体発生の系統発生反復説」。1883年(明治16年)フランシス・ゴルトンの「優生学」。


当ブログの
広島・長崎原爆で奇形児が少なかった理由のカラクリ
もどうぞ。





<転載終了>

 コメント一覧 (3)

    • 3. 熊んちゅ
    • 2014年12月05日 06:29
    • 酷いね(´pωq`)
      でもどこの国でも非道な人間は居る

      もしこの先日本が戦争に参加したとしたら
      自衛隊に限らず、こんな事されない保障はどこにも無いんだよね
    • 2. 名無し
    • 2014年12月03日 07:18
    • ほんの数十年前まで日本人を同じ人間だとすら思ってなかったんですからね。アーロン収容所読んでもわかります。と同時にそれらと戦った当時の日本人を卑下する輩は、今日本に住んでいる資格なんてないんですよ。そして、子供には淡々とこのような歴史的事実は教えておくべきなんですよね。
      世界ってそうだったし今でもそうだという。
    • 1. 木冬
    • 2014年12月03日 01:12
    • キリストは居るのか?お聞きしたい。
      暗愚露サクソンにとってインディアンも日本人も同じような風貌に見れるのでしょう。
      キリスト教過激派=ユダ肛が発端と思えます。

      エジプトの奴隷の証しの割 礼人種こそ地球上から殲滅されるでしょうネット真実時代に。


      ぶらく鍋ツネの功績は偉大!真相を暴露させなかった。脅しすかしで。狭い日本に原発54基もコッソリ造り、日本人皆ころしは爆発させれば簡単!

      挙げ句 安 倍首相は対米債務を密約で放棄したらしいを誤魔化す解散総選挙とか。 ベンジャミン情報!?
      爺岸 信介も密約安保やら命ごいやらで暗黒密約が大好きな暗黒&(暗愚)な家系!


      今回の総選挙は原発村ムサシ解散総選挙です♪アメリカではストップされた機械投票用紙読み取り機を有り難く頂いた2012年年末選挙は大々的不正選挙の幕開けに!

      アメリカ南北戦争の余りの武器弾薬を有り難く頂いた明治維新と同じことの繰り返しの始まり始まり!

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