In Deepさんのサイトより
http://oka-jp.seesaa.net/article/411789810.html
<転載開始>

▲ 2014年11月7日の Discovery News より。
その死者を愛した者だけが幽霊を見るという語句に誘われて
河北新報に興味深い記事が出ていました。
・霊、時には癒やしに 男性、被災地で幽霊話取材
河北新報 2015.01.04

全文は上のリンクからお読みいただくとして、内容としては、奥野修司さんというジャーナリストの方が、東日本大震災の被災地で、「犠牲者の霊を見た家族や知人から聞き取りを進めている」というものでした。
そのジャーナリストの方が、幽霊の取材を始めたきっかけについては、以下のように答えていました。
とのことで、「もう特殊な現象ではない」というのは「被災地で故人の幽霊を見ること」が特殊な現象ではないということです。現地のお医者さんによっては、患者さんの「2割ほど」が幽霊を見ているということもあるのだそう。
そして、実は興味を持ったのは、ここまでの部分ではなく、以下の下りでした。
「なぜ幽霊を見る遺族がいるのだろう」という質問に対して、ジャーナリストの方は、
と述べています。
> 憎悪の対象だった家族の霊を見たという話は聞かない。
ここに興味を持ったのですね。
つまり、「愛されて死んでいった人が、その人を愛した人によって見られる幽霊の話だけが存在する」ということだと思います。
逆にいえば、憎悪の対象だった家族が亡くなっても、その故人を憎悪していた人たちはその人の幽霊を見ない。
こうなりますと、幽霊の存在の有無はともかくとして、
「見る方(故人を愛した生きている方)にも、幽霊を見るメカニズムが働いているのでは?」
ということが言えそうな気がします。
そういえば、私がまだ中学生くらいの時だったと思いますが、父親が、父方の祖父の幽霊を見た時の話を私にしてくれたことがあります。
父方は、祖父が先になくなったのですが、亡くなってすぐ後のお葬式前後だったと言っていたと記憶していますが、実家の廊下を歩いていた祖母の背中に亡くなった祖父がおぶさっていた(あるいは、寄り添うようにしていた)のだそうです。
祖母自身は、自分が祖父の幽霊(のようなもの)が背中におぶさっていることは気づいていなかったようで、私の父親だけが後ろからその光景を見ていたそうです。
うちの父親は非常に真面目な人物で、変な冗談を言うような人ではないので、本当に見たのだと思いますが、その時にも私は今回の東北での幽霊と同じような「出る方(幽霊)ではなく、見る方(送る家族・知人など)が主体なのではないのかな」と感じたことがあります。
というのも、その時、私は父に、
私 「今までも幽霊を見たことがあるの?」
と聞いたのですが、父は、
父 「いや、ない」
と言っていたからです。
幽霊など1度も見たことのない父親が(その後も見ていないとすれば)、唯一見たのが、自分の父親が母親の背中に寄り添っている幽霊だったとすると、「幽霊の存在って、出る方じゃなく、受け手にあるのでは?」と何となく思いました。
もっと、極論として書きますと、
というようなことを思ったりもします。
幽霊の存在する場所
そして実は、そのことについての実験についてを報道したのが冒頭に貼った「幽霊たちは私たちの脳の中に存在している?」という昨年のディスカバリーのニュースなのです。このニュースは、昨年の11月に BBC などでも報道されまして、その時にご紹介しようかどうか迷いました。
結局、その時はご紹介しなかったのですが、今回の河北新報の記事を読みまして、この時に行われた実験を思い出しました。
この実験は、スイスのローザンヌ連邦工科大学という大学の実験室で行われた「脳の感覚に干渉する実験」で、その結果として、被験者は、「実際にはその実験室には存在していない対象の存在を感じた」ことが確かめられたもので、被験者の中には、4人の幽霊の存在を感じた人もいたそうで、この実験により、
ことを述べています。
今回は後でこのディスカバリーの記事をご紹介したいと思います。
このスイスの実験の主張では「幽霊存在そのものはない」というようなことになっていますが、しかし、私自身は、先の父の幽霊目撃の話を聞いた時にも思いましたように、幽霊の存在の有無が大事なのではなく、「幽霊を見る」ということが重要なことのような感じはするのです。
「愛した人が見ることのできる存在」ということが重要だと言い換えてもいいかもしれません。
先ほどの河北新報の記事で、被災地で幽霊取材をしている奥野修司さんは、取材に以下のようなことを答えています。それぞれ抜粋です。
私はこの方の言う「新しい価値観を見つけることで、新しい世界が生まれる」ということはとても正しいことだと思います。
私自身に関していえば、回りくどく書きますと、幽霊の存在は実質的にはあると思います。
「実質的には」と書いたのは、「存在はしないかもしれない」と考えているからです。
しかし、存在しようがしまいが、故人を愛した人々は、その故人の霊を確かに見ている。
この意味で、「実質的には存在している」ことに異論の余地はないと思われます。
過去記事の、
・人類は宇宙へは行けないし、異星人たちも地球には来られないことを悟る中、人々から「神の存在が消えていっている」ことも知る
2014年10月29日
では、ロンドンの調査会社が、イギリスの成人 1,500 人と、子ども 500 人を対象として、「スピリチュアルなものの何を信じるか」という調査をしたことを記事にしました。
成人に関しての結果は以下のようになりました。
信じるものの成人のトップは「幽霊」でした。
この数程度の調査なら、イギリスの全国民を調査しても、それほど誤差は出ないと思われます。
さらに、
・2600年前のブッダが語った「無数の宇宙 / パラレルワールド」が現代の量子論の中で蘇る中で感じること
2014年11月05日
という記事では、アメリカの成人 2500人を対象としたさまざまな現象を信じる割合」を調査した結果を記しましたが、「幽霊」に関しては、アメリカでは、成人全体の 52% が幽霊の存在を信じているという結果とななっていました。
この比率はイギリス人成人の
「幽霊( 55 %) 」
と、さほど変わらない割合ですので、英米に関しては、どちらも約半数程度の人が幽霊の存在を信じているということになりそうです。
ちなみに、日本に関しては、2013年7月に調査されたものがあります。
日本人の場合は男女差があるようですが、総計では、やはり大体半数くらいのようです。
ところで、私自身は、先ほど書いたよりも正確に書きますと、幽霊というものは実質的には存在するにしても、それは受け手(見る側)の事象であり、外部的なものとして存在するとは思っていません。
なぜかというと、「死後の霊の外部的存在」を肯定してしまうと、「死にも邪魔されることのない人間の意志の永遠性」を否定してしまうことになるような気がするからです。
・ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日
2014年08月26日
という記事で、ビートルズの 528Hz ワンコード進行となった「トゥモロー・ネバー・ノウズ」という曲のことを書いたことがありますが、トゥモロー・ネバー・ノウズの歌詞の最初の部分の日本語訳は下のようなものです。
こころのスイッチを切って、
リラックスして
流れに任せなさい
死んでいくのではない
死んでいくのではない
この歌詞は、ティモシー・リアリーという人の書いた『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン
』に触発され、ジョン・レノンが書いたものですが、その中に、以下のような下りがあります。
これは「死」というものは、宇宙が生まれた時と同様の「カオス」に戻るということを示していそうな感じで、そのカオスは「絶え間なく変化しながら輝き、脈動」しながら、次の生(誕生)に輪廻するという考えが、この書で説かれているわけですが、まあ、私もおおむねそのようなものだろうとは思いますけれど、そうなると、
「死んだ後に、生前の姿形を持っていることは許されない」
はずです。
人間が死んだ瞬間に、その意識は、「形や色をもったものに形成されない」自分自身の意識に転換していくのだとすると、目に見えるような生前の痕跡はあってはならないことです。
それが「死という現象」なのだとすると、幽霊というものは「死者からの関わりではなく、生きているものの働きによって出現する」と思えて仕方ないのです。
もちろん、そうではないかもしれませんし、これはあくまで私の考えです。
しかし、このことを思ってからは、むしろお墓参りなどに行くことが多くなりました。生きている自分と死後のカオスを結ぶ接点が、「死者に対しての強い思い」であるように思うからです。
このあたりは、ちょっとうまくお伝えできなくて、すみません。
大量死の時代に
そういえば、河北新報の記事には、ジャーナリストの方が、
と述べている部分がありますが、ふと思えば、現在は、
・赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ…
2014年04月06日
などをはじめとして何度か記している「犠牲の時代」になるかもしれない、ということがあります。

2014年4月15日から 2015年9月28日までの期間が、「大量死の時期」になる予感というようなことを書いたりしていました。その理由については、上の記事などをご覧いただければ幸いです。
そして、2014年に起きた様々な災害や事故や病気を見ていますと、あながち、それも単なる思い込みだけとも思えない部分もありました。
しかし、ここでふと「 20世紀という時代そのものが、かつてない大量死の時代だった」ことを思い出したのでした。
それを思い出したのは、作家の埴谷雄高さんと、長編小説『死霊』(しれい)を、 NHK 教育が「5夜連続」で取り上げた 1995年のテレビ番組『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』という番組の中での以下のナレーションを思い出したのでした。
その 20世紀がどれだけ凄まじい大量死の時代だったかというと、戦争と共産主義による粛正と病気だけをとりましても、以下のようになります。
これらの死者数はどれも正確な数はわからなく、資料によりまちまちですが、1900年代以降だけで、
戦争の死者数
・日露戦争の死者数 16 万人
・第1次世界大戦の死者数 852 万人
・第2次世界大戦の死者数 5565万人(8500万人とする統計もあり)
・ベトナム戦争 236万人
・朝鮮戦争 300万人
・アフガン内戦 150万人
・スーダン内戦 150万人
他にも 100万人単位で死者が出ている戦争は、ナイジェリアのビアフラ内戦とか、カンボジア内戦とか、モザンビーク内戦とか、いろいろとあります。
共産主義政権の粛正による死者数
・スターリンによるソ連の大粛正 最大で 700万人
・毛沢東による中国の文化大革命 5000万人から 8000万人(実際は不明)
・ポル・ポトによるカンボジアでの粛正 200万人(実際は不明)
・北朝鮮 200万人
・ベトナム 100万人
・東欧 100万人
病気の死者数
・スペインかぜ(1918年~)での死者 4000万人~5000万人
・エイズでの死者(累計) 2500万人~3300万人
もうキリがないですが、20世紀というのは、このような時代でもあったんですね。
これからの世の中でも、たくさんの死者が発生する可能性もあり、そ多くの「幽霊」たちが、私たちの存在と共に地上に現れるのかもしれません。
それでは、ここから、ディスカバリー・ニュースの記事です。
Do Ghosts Live in Our Brains?
Discovery 2014.11.07
幽霊は私たちの脳の中にいる?

目隠しをされた研究の参加者たちは、彼らの背後のロボット装置によって、参加者たちに幽霊の錯覚につながる歪んだ認識をもたらされた。
この研究が、幽霊を信じる人たちの考えを変えることはないかもしれないが、しかし、研究者たちは、幽霊存在は「私たちの心の中にだけ住んでいる」とする証拠を得たと語る。
生物学専門誌カレント・バイオロジー( Current Biology )で発表された研究によると、科学は、人々が「実際には存在しない存在」の感覚を取得することを説明できるとしている。
研究では、参加者たちの脳の感覚入力を妨害することによって、研究室内で幽霊の感覚を再現することに成功した。相反する感覚運動信号に直面した時、参加者たちは最高で4人の幽霊を感じたと語った。
参加者の中には、実験を停止するかどうかを尋ねた時に、取り乱した人もいた。
参加者たちは目隠しをされ、体の前に手をもっていき、動かすように求められた。ロボット装置は、彼らの動きを再現しながら、彼らの背中に触れた。
参加者の動きに対して、ロボットのタッチが遅れた場合に、それが歪んだ空間認識を作り出し、それが幽霊の錯覚へとつながったと研究者たちは言う。
MRI による解析で、実験の参加者たちの脳は、3つの空間位置と関係する感覚と、自己認識に関しての領域が干渉を受けたことを確認した。
スイスのローザンヌ連邦工科大学 認知神経科学研究所の所長オラフ・ブランケ( Olaf Blanke )博士は、「今回の私たちの研究は、実験室において、人間ではない存在の感覚を誘発した初めてのものとなります」とプレスリリースで述べている。
そして、「これ(存在しない幽霊の存在を感じること)は、競合する感覚運動信号を通して、通常の条件下でも(実験室ではなくとも)発生する可能性があることを示すものです」と述べた。
この感覚は、精神障害を持っている患者で発生する可能性があると同時に、正常で健康な精神の人々でも、異常な状況下に置かれることで発生する可能性があると、ランケ博士は言う。
研究をおこなったギウリオ・ロッニニ( Giulio Rognini )氏は、「私たちの脳は、空間の中の体に、いくつかの描写を持っています」と述べる。
そして、以下のように語った。
「通常の条件下では、これらの描写から自己の統一した自己認識を組み立てることが可能です。しかし、病気の時や、あるいは今回の実験のように、ロボットなどによって、この自己認識が正しく働かない場合、自分の身体のふたつめの描写が自分の中に作られる可能性があるのです。この場合は、(自分の動きにも関わらず)それを自分だとは認識せず、何か他の『存在』として認識するのです」
(訳者注) ここまでです。
あまりわかりやすい内容とはいえないですが、つまり、
ということだと思います。
また、ブランケ博士は「この状態は精神に障害のある人に発生しやすい」というようなことを言っていますが、一部の精神疾患や一部の認知症で多発する幻覚もこのような仕組かもしれません。
また、博士は、
「正常で健康な精神の人々でも、異常な状況下に置かれることで発生する可能性がある」
と言っていますが、人々が経験する可能性のある中で、最大の「異常な状況下」は、やはり「災害」だと思ってしまいます。
ジャーナリストの奥野修司さんが、記事で、「今後も何か大きな災いがあった時、霊を見る人間が増えるかもしれない。」と述べていましたが、確かにそうかもしれません。
この世に生きていて最も自分の精神が混乱することは、愛する人の死や負傷であるのは多くの人びとに共通だと思います。
もちろん、幽霊の存在に関して、今回のこのひとつの実験で語られるというものではないです。
ただ、このスイスの実験のようなタイプの「霊体験」は、私も存在すると思います。
しかし、その一方で、「それともまた違う存在」というような可能性もあるわけでして、そのあたりは、結局、私たちひとりひとりの霊といったようなものに対しての考えや、スピリチュアルに対しての考え方によるものなのかもしれないです。
そして、ひとりひとりが違う認識でいいのだと思います。
愛する人に絡む問題の「霊」に関して、何かひとつの概念に断定する必要はないはずです。
<転載終了>
http://oka-jp.seesaa.net/article/411789810.html
<転載開始>

▲ 2014年11月7日の Discovery News より。
その死者を愛した者だけが幽霊を見るという語句に誘われて
河北新報に興味深い記事が出ていました。
・霊、時には癒やしに 男性、被災地で幽霊話取材
河北新報 2015.01.04

全文は上のリンクからお読みいただくとして、内容としては、奥野修司さんというジャーナリストの方が、東日本大震災の被災地で、「犠牲者の霊を見た家族や知人から聞き取りを進めている」というものでした。
そのジャーナリストの方が、幽霊の取材を始めたきっかけについては、以下のように答えていました。
「岡部医院(名取市)の看取り医療の取材で『お迎え』の重要性に気付いた。いまわの際に、亡くなった両親や親類を見る人は死に方が穏やか。その延長線で霊を見た人が被災地に多いと聞いた。『うちの患者は2割くらい見ている』と言う医師もいた。もう特殊な現象ではないと感じた」
とのことで、「もう特殊な現象ではない」というのは「被災地で故人の幽霊を見ること」が特殊な現象ではないということです。現地のお医者さんによっては、患者さんの「2割ほど」が幽霊を見ているということもあるのだそう。
そして、実は興味を持ったのは、ここまでの部分ではなく、以下の下りでした。
「なぜ幽霊を見る遺族がいるのだろう」という質問に対して、ジャーナリストの方は、
「亡くなった家族への強い思いが霊を見させるのかもしれない。殴られたり怒鳴られたりした、憎悪の対象だった家族の霊を見たという話は聞かない」
と述べています。
> 憎悪の対象だった家族の霊を見たという話は聞かない。
ここに興味を持ったのですね。
つまり、「愛されて死んでいった人が、その人を愛した人によって見られる幽霊の話だけが存在する」ということだと思います。
逆にいえば、憎悪の対象だった家族が亡くなっても、その故人を憎悪していた人たちはその人の幽霊を見ない。
こうなりますと、幽霊の存在の有無はともかくとして、
「見る方(故人を愛した生きている方)にも、幽霊を見るメカニズムが働いているのでは?」
ということが言えそうな気がします。
そういえば、私がまだ中学生くらいの時だったと思いますが、父親が、父方の祖父の幽霊を見た時の話を私にしてくれたことがあります。
父方は、祖父が先になくなったのですが、亡くなってすぐ後のお葬式前後だったと言っていたと記憶していますが、実家の廊下を歩いていた祖母の背中に亡くなった祖父がおぶさっていた(あるいは、寄り添うようにしていた)のだそうです。
祖母自身は、自分が祖父の幽霊(のようなもの)が背中におぶさっていることは気づいていなかったようで、私の父親だけが後ろからその光景を見ていたそうです。
うちの父親は非常に真面目な人物で、変な冗談を言うような人ではないので、本当に見たのだと思いますが、その時にも私は今回の東北での幽霊と同じような「出る方(幽霊)ではなく、見る方(送る家族・知人など)が主体なのではないのかな」と感じたことがあります。
というのも、その時、私は父に、
私 「今までも幽霊を見たことがあるの?」
と聞いたのですが、父は、
父 「いや、ない」
と言っていたからです。
幽霊など1度も見たことのない父親が(その後も見ていないとすれば)、唯一見たのが、自分の父親が母親の背中に寄り添っている幽霊だったとすると、「幽霊の存在って、出る方じゃなく、受け手にあるのでは?」と何となく思いました。
もっと、極論として書きますと、
幽霊という存在が存在しているのではなく、私たちの心や体の中に《それを存在させる》メカニズムがあるのではないか。
というようなことを思ったりもします。
幽霊の存在する場所
そして実は、そのことについての実験についてを報道したのが冒頭に貼った「幽霊たちは私たちの脳の中に存在している?」という昨年のディスカバリーのニュースなのです。このニュースは、昨年の11月に BBC などでも報道されまして、その時にご紹介しようかどうか迷いました。
結局、その時はご紹介しなかったのですが、今回の河北新報の記事を読みまして、この時に行われた実験を思い出しました。
この実験は、スイスのローザンヌ連邦工科大学という大学の実験室で行われた「脳の感覚に干渉する実験」で、その結果として、被験者は、「実際にはその実験室には存在していない対象の存在を感じた」ことが確かめられたもので、被験者の中には、4人の幽霊の存在を感じた人もいたそうで、この実験により、
幽霊の存在は、私たちの脳の中にある感覚把握機能に異常が生じた場合に、自らの脳の中で作り出されている可能性がある。
ことを述べています。
今回は後でこのディスカバリーの記事をご紹介したいと思います。
このスイスの実験の主張では「幽霊存在そのものはない」というようなことになっていますが、しかし、私自身は、先の父の幽霊目撃の話を聞いた時にも思いましたように、幽霊の存在の有無が大事なのではなく、「幽霊を見る」ということが重要なことのような感じはするのです。
「愛した人が見ることのできる存在」ということが重要だと言い換えてもいいかもしれません。
先ほどの河北新報の記事で、被災地で幽霊取材をしている奥野修司さんは、取材に以下のようなことを答えています。それぞれ抜粋です。
「幽霊がいるかいないかを議論すると泥沼に入る。その人が見たという事実だけを素直に受け止めようと考えた。」
「お迎えもそうだが、科学的に証明できない体験はすぐに、せん妄とか幻覚とかで処理され、病気扱いされる。人間には科学で説明できない領域がたくさんある。幽霊がマイナスの作用をしない限り、分からないけれど、そういうものがあってもいいと受け止めることが大事ではないか」
「これまで否定されてきたこと、いかがわしいと切り捨てられてきたものを再評価したい気持ちが、私の仕事の根本にある。新しい価値観を見つけることで、新しい世界が生まれる。社会の選択肢が多くなる」
私はこの方の言う「新しい価値観を見つけることで、新しい世界が生まれる」ということはとても正しいことだと思います。
私自身に関していえば、回りくどく書きますと、幽霊の存在は実質的にはあると思います。
「実質的には」と書いたのは、「存在はしないかもしれない」と考えているからです。
しかし、存在しようがしまいが、故人を愛した人々は、その故人の霊を確かに見ている。
この意味で、「実質的には存在している」ことに異論の余地はないと思われます。
過去記事の、
・人類は宇宙へは行けないし、異星人たちも地球には来られないことを悟る中、人々から「神の存在が消えていっている」ことも知る
2014年10月29日
では、ロンドンの調査会社が、イギリスの成人 1,500 人と、子ども 500 人を対象として、「スピリチュアルなものの何を信じるか」という調査をしたことを記事にしました。
成人に関しての結果は以下のようになりました。
英国の成人が信じる超自然的な存在トップ5
1位 幽霊( 55 %)
2位 エイリアン( 51 %)
3位 UFO( 42 %)
4位 天使( 27 %)
5位 神( 25 %)
信じるものの成人のトップは「幽霊」でした。
この数程度の調査なら、イギリスの全国民を調査しても、それほど誤差は出ないと思われます。
さらに、
・2600年前のブッダが語った「無数の宇宙 / パラレルワールド」が現代の量子論の中で蘇る中で感じること
2014年11月05日
という記事では、アメリカの成人 2500人を対象としたさまざまな現象を信じる割合」を調査した結果を記しましたが、「幽霊」に関しては、アメリカでは、成人全体の 52% が幽霊の存在を信じているという結果とななっていました。
この比率はイギリス人成人の
「幽霊( 55 %) 」
と、さほど変わらない割合ですので、英米に関しては、どちらも約半数程度の人が幽霊の存在を信じているということになりそうです。
ちなみに、日本に関しては、2013年7月に調査されたものがあります。
幽霊の存在を信じる57.4% 女性の5人に1人は心霊体験あり
DD News 2013.07.23
インターネット調査のネオマーケティングが「ホラーに関する調査」を実施、その結果を発表した。調査は2013年7月4日~8日の5日間、20歳~59歳の全国の男女500名を対象に行われた。
幽霊の存在を信じるか、という質問には、全体で57.4%が「はい」と回答し、半数を超える人が幽霊の存在を信じていることがわかった。
また男女別の集計では、「はい」と回答した男性が50.8%に対して女性は64.0%と差が生まれたことから、男性よりも女性の方が幽霊の存在を信じている割合が高いと言えそうだ。
日本人の場合は男女差があるようですが、総計では、やはり大体半数くらいのようです。
ところで、私自身は、先ほど書いたよりも正確に書きますと、幽霊というものは実質的には存在するにしても、それは受け手(見る側)の事象であり、外部的なものとして存在するとは思っていません。
なぜかというと、「死後の霊の外部的存在」を肯定してしまうと、「死にも邪魔されることのない人間の意志の永遠性」を否定してしまうことになるような気がするからです。
・ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日
2014年08月26日
という記事で、ビートルズの 528Hz ワンコード進行となった「トゥモロー・ネバー・ノウズ」という曲のことを書いたことがありますが、トゥモロー・ネバー・ノウズの歌詞の最初の部分の日本語訳は下のようなものです。
こころのスイッチを切って、
リラックスして
流れに任せなさい
死んでいくのではない
死んでいくのではない
この歌詞は、ティモシー・リアリーという人の書いた『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン
『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』より
このことを覚えておいてもらいたい。
休みない生命電気の向こうに、究極のリアリティ、空(くう)があることを。
形や色をもったものに形成されないあなた自身の意識は本質的に空なのだ。
最終的なリアリティ。
完全な善。
完全な平和。
光。
この空(くう)は無ではない。
カオスであり、混沌なのだ。
カオスは始まりであると同時に終わりであり、絶え間なく変化しながら輝き、脈動し、至福をもたらす。
これは「死」というものは、宇宙が生まれた時と同様の「カオス」に戻るということを示していそうな感じで、そのカオスは「絶え間なく変化しながら輝き、脈動」しながら、次の生(誕生)に輪廻するという考えが、この書で説かれているわけですが、まあ、私もおおむねそのようなものだろうとは思いますけれど、そうなると、
「死んだ後に、生前の姿形を持っていることは許されない」
はずです。
人間が死んだ瞬間に、その意識は、「形や色をもったものに形成されない」自分自身の意識に転換していくのだとすると、目に見えるような生前の痕跡はあってはならないことです。
それが「死という現象」なのだとすると、幽霊というものは「死者からの関わりではなく、生きているものの働きによって出現する」と思えて仕方ないのです。
もちろん、そうではないかもしれませんし、これはあくまで私の考えです。
しかし、このことを思ってからは、むしろお墓参りなどに行くことが多くなりました。生きている自分と死後のカオスを結ぶ接点が、「死者に対しての強い思い」であるように思うからです。
このあたりは、ちょっとうまくお伝えできなくて、すみません。
大量死の時代に
そういえば、河北新報の記事には、ジャーナリストの方が、
「長年取り組んだ沖縄の取材でも、沖縄戦の直後、たくさんの幽霊話があったと聞いた。今後も何か大きな災いがあった時、霊を見る人間が増えるかもしれない。」
と述べている部分がありますが、ふと思えば、現在は、
・赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ…
2014年04月06日
などをはじめとして何度か記している「犠牲の時代」になるかもしれない、ということがあります。

2014年4月15日から 2015年9月28日までの期間が、「大量死の時期」になる予感というようなことを書いたりしていました。その理由については、上の記事などをご覧いただければ幸いです。
そして、2014年に起きた様々な災害や事故や病気を見ていますと、あながち、それも単なる思い込みだけとも思えない部分もありました。
しかし、ここでふと「 20世紀という時代そのものが、かつてない大量死の時代だった」ことを思い出したのでした。
それを思い出したのは、作家の埴谷雄高さんと、長編小説『死霊』(しれい)を、 NHK 教育が「5夜連続」で取り上げた 1995年のテレビ番組『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』という番組の中での以下のナレーションを思い出したのでした。
『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』より
20世紀は革命と大量死の時代である。『死霊』の作者埴谷雄高氏の出発を支えたものは、こうした死者たちの犠牲の上に生きのびてきたという認識であり、死者たちへの責任を果たすという悲壮な決意であった。
『死霊』の扉には次のような言葉が掲げられている。
悪意と深淵の間に彷徨いつつ
宇宙のごとく
死後する死霊達
つまり、生者に見捨てられた死者たちがこの小説の主人公なのである。
その 20世紀がどれだけ凄まじい大量死の時代だったかというと、戦争と共産主義による粛正と病気だけをとりましても、以下のようになります。
これらの死者数はどれも正確な数はわからなく、資料によりまちまちですが、1900年代以降だけで、
戦争の死者数
・日露戦争の死者数 16 万人
・第1次世界大戦の死者数 852 万人
・第2次世界大戦の死者数 5565万人(8500万人とする統計もあり)
・ベトナム戦争 236万人
・朝鮮戦争 300万人
・アフガン内戦 150万人
・スーダン内戦 150万人
他にも 100万人単位で死者が出ている戦争は、ナイジェリアのビアフラ内戦とか、カンボジア内戦とか、モザンビーク内戦とか、いろいろとあります。
共産主義政権の粛正による死者数
・スターリンによるソ連の大粛正 最大で 700万人
・毛沢東による中国の文化大革命 5000万人から 8000万人(実際は不明)
・ポル・ポトによるカンボジアでの粛正 200万人(実際は不明)
・北朝鮮 200万人
・ベトナム 100万人
・東欧 100万人
病気の死者数
・スペインかぜ(1918年~)での死者 4000万人~5000万人
・エイズでの死者(累計) 2500万人~3300万人
もうキリがないですが、20世紀というのは、このような時代でもあったんですね。
これからの世の中でも、たくさんの死者が発生する可能性もあり、そ多くの「幽霊」たちが、私たちの存在と共に地上に現れるのかもしれません。
それでは、ここから、ディスカバリー・ニュースの記事です。
Do Ghosts Live in Our Brains?
Discovery 2014.11.07
幽霊は私たちの脳の中にいる?

目隠しをされた研究の参加者たちは、彼らの背後のロボット装置によって、参加者たちに幽霊の錯覚につながる歪んだ認識をもたらされた。
この研究が、幽霊を信じる人たちの考えを変えることはないかもしれないが、しかし、研究者たちは、幽霊存在は「私たちの心の中にだけ住んでいる」とする証拠を得たと語る。
生物学専門誌カレント・バイオロジー( Current Biology )で発表された研究によると、科学は、人々が「実際には存在しない存在」の感覚を取得することを説明できるとしている。
研究では、参加者たちの脳の感覚入力を妨害することによって、研究室内で幽霊の感覚を再現することに成功した。相反する感覚運動信号に直面した時、参加者たちは最高で4人の幽霊を感じたと語った。
参加者の中には、実験を停止するかどうかを尋ねた時に、取り乱した人もいた。
参加者たちは目隠しをされ、体の前に手をもっていき、動かすように求められた。ロボット装置は、彼らの動きを再現しながら、彼らの背中に触れた。
参加者の動きに対して、ロボットのタッチが遅れた場合に、それが歪んだ空間認識を作り出し、それが幽霊の錯覚へとつながったと研究者たちは言う。
MRI による解析で、実験の参加者たちの脳は、3つの空間位置と関係する感覚と、自己認識に関しての領域が干渉を受けたことを確認した。
スイスのローザンヌ連邦工科大学 認知神経科学研究所の所長オラフ・ブランケ( Olaf Blanke )博士は、「今回の私たちの研究は、実験室において、人間ではない存在の感覚を誘発した初めてのものとなります」とプレスリリースで述べている。
そして、「これ(存在しない幽霊の存在を感じること)は、競合する感覚運動信号を通して、通常の条件下でも(実験室ではなくとも)発生する可能性があることを示すものです」と述べた。
この感覚は、精神障害を持っている患者で発生する可能性があると同時に、正常で健康な精神の人々でも、異常な状況下に置かれることで発生する可能性があると、ランケ博士は言う。
研究をおこなったギウリオ・ロッニニ( Giulio Rognini )氏は、「私たちの脳は、空間の中の体に、いくつかの描写を持っています」と述べる。
そして、以下のように語った。
「通常の条件下では、これらの描写から自己の統一した自己認識を組み立てることが可能です。しかし、病気の時や、あるいは今回の実験のように、ロボットなどによって、この自己認識が正しく働かない場合、自分の身体のふたつめの描写が自分の中に作られる可能性があるのです。この場合は、(自分の動きにも関わらず)それを自分だとは認識せず、何か他の『存在』として認識するのです」
(訳者注) ここまでです。
あまりわかりやすい内容とはいえないですが、つまり、
脳の自己認識と空間認識をつかさどる場所の認識を妨害すると、自分の動きを自分の動きとして認識せず、「他の何かの存在」として認識する。
ということだと思います。
また、ブランケ博士は「この状態は精神に障害のある人に発生しやすい」というようなことを言っていますが、一部の精神疾患や一部の認知症で多発する幻覚もこのような仕組かもしれません。
また、博士は、
「正常で健康な精神の人々でも、異常な状況下に置かれることで発生する可能性がある」
と言っていますが、人々が経験する可能性のある中で、最大の「異常な状況下」は、やはり「災害」だと思ってしまいます。
ジャーナリストの奥野修司さんが、記事で、「今後も何か大きな災いがあった時、霊を見る人間が増えるかもしれない。」と述べていましたが、確かにそうかもしれません。
この世に生きていて最も自分の精神が混乱することは、愛する人の死や負傷であるのは多くの人びとに共通だと思います。
もちろん、幽霊の存在に関して、今回のこのひとつの実験で語られるというものではないです。
ただ、このスイスの実験のようなタイプの「霊体験」は、私も存在すると思います。
しかし、その一方で、「それともまた違う存在」というような可能性もあるわけでして、そのあたりは、結局、私たちひとりひとりの霊といったようなものに対しての考えや、スピリチュアルに対しての考え方によるものなのかもしれないです。
そして、ひとりひとりが違う認識でいいのだと思います。
愛する人に絡む問題の「霊」に関して、何かひとつの概念に断定する必要はないはずです。
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