新しい「農」のかたちさんのサイトより
http://blog.new-agriculture.com/blog/2015/02/3221.html
<転載開始>

前回記事:日本農業、破壊の歴史と再生への道筋3~農地改革の欺瞞

>そして、これら保守化した農村を組織し、自民党政権の下で最大の圧力団体となったのが、JA農協である。

JAは、生協など他の協同組合と比べて特殊な生い立ちと歴史を持っているが、その事実は意外と知られていない。


■生協と違う、農協の特殊な生い立ち

「日本の農業を破壊したのは誰か」(著:山下一仁)より引用(P92)

農協は、法律制度上は自由に加入・脱退できる農業者の自発的組織である。しかし、政府は、戦時中の国策協力機関として全農家を加入させ、農産物販売、貯金の受け入れなど幅広い事業を行った”農業会”という統制団体を、1948年に衣替えさせ、JA農協とした。食糧難の時代、政府に配給米が集まるよう、コメ等の供出機関として利用したのだ。JAは、行政の下請け機関となるとともに、行政と同じく「全国‐都道府県‐市町村」の3段階で構成される上位下達の組織となった。

 

戦前、農業には「農会」と「産業組合」という二つの組織があった。

 

「農会」は、農業技術の普及、農政の地方レベルでの実施を担うとともに、地主階級の利益を代弁するための政治活動を行っていた。農会の政治活動の最もたるものは、米価引き上げのための関税導入だった。輸入を抑制して供給を減少させれば、米価は上がり、地主の収入は増えるからだ。

 

農会の流れは、現在JAの営農指導・政治活動(全中の系統)につながっている。地主階級が米価引き上げや保護貿易を推進したのと同様、農会を引き継いだJAは、高度成長期に激しい米価闘争を主導したし、ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉、TPP等の貿易自由化交渉においては、王産物の貿易自由化反対の急先鋒となっている。

 

「産業組合」は、組合員のために、肥料、生活資材などを購入する購買事業、農産物を販売する販売事業、農家に対する融資など、現在JAが行っている経済事業と信用事業を行うものだった。

 

当初産業組合は地主・上層農主体の資金融通団体に過ぎず、1930年の段階でも、4割の農家は未加入であるなど活動は低調だった。もっとも、ここまでは自主的に組織された組合だった。しかし、農産物価格の暴落によって、東北では娘を身売りする農家も出た昭和恐慌を乗り切るために、1932年農林省は有名な「農山漁村経済更生運動」を展開する。産業組合は拡充され、全町村の全農家が加入し、かつ経済・信用事業すべてを兼務する組織となった。これが農業・農村に関するすべての事業を営む今日の「JA総合農協」の起源である。

 

「農会」と「産業組合」、戦前からあった二つの組織が、戦時体制の下で「農業会」という一つの組織に統合されていく。そこには”協同組合”という言葉からは想像しえない国家の意図が、強く介在していたのである。

 

日本農業、破壊の歴史と再生への道筋5~農協が作り出した「高コスト農業」
http://blog.new-agriculture.com/blog/2015/02/3225.html

前回記事:日本農業、破壊の歴史と再生への道筋4~巨大組織、JA農協の特殊な生い立ち

 

「農会」と「産業組合」、戦前からあった二つの組織が、戦時体制の下で「農業会」という一つの組織に統合された。そしてJAは、この「農業会」を引き継ぐ形で登場する。

■”官製”協同組合

「日本の農業を破壊したのは誰か」(著:山下一仁)より引用(P95)
戦後、農業会を引き継いだのがJAである。食糧難の時代、農家は高い値段がつくヤミ市場にコメを流してしまう。そうなると、貧しい人にもコメが届くように配給制度を運用している政府にコメが集まらなくなる。実際に集まらなかったので、コメがなかなか国民に配給されず、国民生活上大きな問題となった。このため、政府は農協を作って農家からコメを集荷し、政府へ供出させようとして、農業会をJA農協にしたのである。

GHQの意向は、戦時統制団体である農業会を完全に解体するとともに、農協は強制加入ではなく、加入・脱退が自由な農民の自主的組織とすべきというものだった。しかし、戦後の食糧事情は、そのための時間的な余裕を与えなかった。こうしてJAは農業界の単なる「看板の塗り替え」に終わった。生協と違い、JAは”官製”の協同組合である。

消費者が全て生協に加入しているわけでも、労働者が全て労働組合に加入しているわけでも、医者が全て医師会に加入しているわけでもない。しかし、農家のほとんどがJAに加入している。法律によって加入が強制される弁護士会を除いて、加入率が100%の組織というのは、他に例がないのではないか。全戸加入の農業会を引き継いだため、農家はJAに自動的、半強制的に加入し、自主的に加入したという認識を持たなかった。

 

農協は、行政のコメ集荷代行機関になるとともに、行政と同じく全国にピラミッド型の組織を構築してきた。しかし為されてきた施策自体、果たして「農業振興」のためと言えるものであったか?

 

 

■農協が作る高コスト農業

農政は補助金行政の典型と言われる。農業の補助金は、減反補助金や中山間地域等直接支払いなどごく一部の例外を除き、農家個人には交付されなかった。補助金は公共性が求められるという理屈だろうか、複数の農家や農協が共同で行う機会・施設等にのみ交付された。このため、0.3ヘクタールの零細兼業農家が3軒集まれば1ヘクタールに満たなくても補助事業の対象となるのに対し、5ヘクタールの大規模専業農家は補助の適格性を欠くことになる。

JA農協は、農家の組織体という共同性から補助事業の受け皿ともなった。農協が高価な農業機械を農家に販売しても、その値段の半分の補助金がつけば農家は安く購入できる。財政、納税者の負担で、JAも農家も潤う。補助事業は、農家がJAの組合員であり続けるための経済的なインセンティブとなった。逆に、JAと疎遠になった農家は、補助金の申請が困難になる。補助金は農家をJAにつなぎとめる機能も果たしている。

食管制度時代、コメの生産費と、他産業並みの所得はまるまる面倒を見るという生産者米価算定方式が採用されていた。このため、非効率な農業経営の費用も、生産者米価の算定に織り込まれた。農家が高い農業機械を買えば買うほど、生産者米価は上がった。もちろん農業機械を販売する農協は大きな利益を上げた。

>肥料や農薬、農業機械などの生産資材価格は生産者米価に満額織り込まれた。JAが農家との利益相反となるような行為を働いても、農家に批判されない仕組みが、生産者米価算定方式によって、制度化されていた。肥料などの農業資材を農家に高く販売すると米価も上がる。食管制度の下で米価を高くすると、農家にとってヤミに流すうまみが薄れ、JAを通じて政府に売り渡す量が増え、JAのコメ販売手数料収入は価格と量の両方で増加する。こうしてJAは農家への資材の販売、農家の生産物の販売の両面で、手数料収入を稼いだ。

 

本質的には「補助金漬けによる産業の弱体化=骨抜き」を進めたこれらの施策は、自民党・農林水産省との結託による「農政トライアングル」をもって永らく維持されることとなる。

 

そしてJA自身は、”脱農業”でますます肥大化していく。


日本農業、破壊の歴史と再生への道筋6~”脱農業”で肥大化したJA農協
http://blog.new-agriculture.com/blog/2015/03/3246.html

前回記事:日本農業、破壊の歴史と再生への道筋5~農協が作り出した「高コスト農業」

補助金漬けで産業基盤をみるみる衰退させていった農業界。対してJA自身は、”脱農業”でますます肥大化していく。

 

■脱農業化の温床となった「准組合員制度」

「日本の農業を破壊したのは誰か」(著:山下一仁)より引用(P110)

農協は農業者を正組合員とする職能組合である。しかし、農家ではなく地域の住民であれば誰でも組合員となれ、意思決定には参加できないが組合の事業を利用できる「准組合員」がいる。他の協同組合にはない農協独自の制度だ。

准組合員制度を認めたことは、JAが農業以外の事業を活発にかつ大々的に行う温床となった。准組合員の関心は農業ではなく、都市銀行が貸し出しをためらった住宅ローンや自動車ローンなどの小口ローンだったので、農協ローンはその間隙をついて発展した。准組合員制度はJAが脱農業化によって発展することを後押しした。しかも、2001年には、准組合員資格はさらに拡大され、地域の住民でなくても農協から継続的に物品を購入したりサービスの提供を受けたりしている個人も、准組合員となれることになった。

 

「組合員」の”拡大解釈”を経て、広大な「耕作地」を手にしたJA農協は、もはや「農業協同組合」とは全く異質の組織体へと変容していった。


■脱農業化が向かった先は、金融・保険業

ヨーロッパの農協は、酪農、青果等の作物ごと、生産資材購入、農産物販売等の事業・機能ごとに自発的組織として設立された専門農協である。これに対し、戦前の統制団体である農業会を引き継いだJAは、作物を問わず全農家が参加し、かつ農業から信用(金融)・共済(保険)まで多様な事業を行う「総合農協」となった。

>米価の引き上げで兼業農家が滞留したため、兼業収入も農地の転売収入もJAの口座に預金された。その預金は農業と関係のない准組合員の住宅ローン等に融資される。他の協同組合に認められていない准組合員と信用事業の二つの特権は、相乗的に作用し、脱農業化によるJA発展の基礎となった。

JAの貯金残高はどんどん拡大し、2012年度は88兆円にまで達した。我が国第二を争うメガバンクである。ここからJAが貸し出している金の比率は3割程度に過ぎない。それ以外の金額は海外での有価証券投資などで運用されている。世間を騒がせた住専問題は、この金が住専に流れたものである。しかも、JAが貸し出している金のうち農業に融資されているのは、全貯金額の1~2%程度で、ほとんどは准組合員向けの住宅ローンや自動車ローン、農家が農地から転用した土地に建設するアパート建設資金などである。

>信用事業とならんでJA農協のドル箱となっている共済事業は、保険業界の強い反対もあり、戦前の産業組合には存在しなかったものだ。戦後、農業協同組合法を制定する際に、農作物被害を受けた農家に見舞金を与えるなど、農家が救済しあう趣旨の規定を設けたものが、生命保険と損害保険の双方を行う事業に肥大化したものである。現在ではその総資産は51兆円で、生命保険最大手の日本生命の55兆円と肩を並べる。

 

JA農協は、銀行業、生命保険、損害保険と、日本のどの法人組織にも与えられていないオールマイティの権限を利用し、着々と「脱農業化」の事業を拡大させてきた。

 

>資本主義の矛盾を解決するために作られたはずの協同組合が、不動産バブルに資金を融通したり、我が国を代表する機関投資家となって、ウォール街の有価証券取引で利益をあげたりするなど、グローバリズムを利用した、最も資本主義的な組織体に変化するという皮肉な現象が起きている。

 

そして現在、この膨れ上がったJAマネーが、改めて外資に狙われているのである。

 

<転載終了>