Ghost Riponの屋形(やかた)さんのサイトより
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-11786765218.html
<転載開始>
天皇陛下のご感想(新年に当たり)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html
平成27年
昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。

本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています

この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。


柳条湖事件りゅうじょうこじけん
https://kotobank.jp/word/柳条湖事件-149668
1931年9月 18日夜,奉天 (瀋陽) 北部の柳条湖 (柳条溝は当時の報道機関による誤報が流布したもの) で南満州鉄道の線路が小爆破された事件で,満州事変の発端となった。爆破したのは奉天独立守備隊の河本末守中尉らで,満州での兵力行使の口実をつくるため石原莞爾,板垣征四郎ら関東軍幹部が仕組んだものであった。


去年の記事だが、「戦争の歴史を十分に学ぶ」と言う観点からも、必読の部類と思われます。
この内容は、元外務省の孫崎さんと同じ見解かな。
読むときは、先入観と感情を空っぽにして、淡々と読んでみると良いでしょう。
(自身の認識と異なる点は、検索して確認してみると良いでしょう)
文中に音声ファイルのリンクがあります。(記事の元になったインタビューかな)
最後の方に、大崎巌氏が書いた論文のリンクも載せておこう。

調査、研究すれば、このような結果に行きつくと思われます。



日本人専門家:北方領土問題は政治的神話
2014/3/3 The Voice of Russia
http://japanese.ruvr.ru/2014_02_28/129266359/

大崎巌氏 イゴリ・デニスフ

日本が隣国との関係を改善し、その一環としてロシアとの平和条約を締結するためには、何をしなければならないか?日本の領土問題研究者、大崎巌氏が自身の見解を語った。

音声ファイルをダウンロード

私はまず、日本人の意識を変えなければいけないと思います。歴史認識問題というものをまず解決しないといけない。まず、靖国神社の問題。最近、安倍晋三首相が(靖国に)行きました。日本人はやはり毎年、8月15日に敗戦の日を祝っていますが、1945年9月2日に第二次世界大戦が終わったという事実が世界の中であるわけです。鳩山由紀夫元首相も本で書いていますが、やはり9月2日に戦争が終わったということもしっかり考えなければいけない。それは、世界全体のひとつの合意として存在している。日本の人たちは9月2日という、自分たちが負けて、第二次世界大戦が終わった日に対して、もう少し意識を向けなければならないと思います。また、靖国神社の問題については、A級戦犯とよく言われますけど、B級とかC級(戦犯)と言われる人たちも(合祀されて)いて、そういう人たちが、たとえばオランダとの歴史問題を引き起こしている。オランダの女性がインドシナにいて、そこでも強制的に慰安所で働かせたという問題も存在する。だから、日本の歴史認識問題というのは、韓国・中国だけではなくて、ヨーロッパのオランダにも及んでいる。

そこで日露領土問題を考えてみます。まず、(経緯を振り返りますが、)日本側では(この問題を)北方領土問題と呼んでいますが、この名称は突然使われ始めたのです。南千島と歯舞・色丹(が問題の対象だったの)でしたが、クリル諸島の一部である国後・択捉と歯舞・色丹を(一体のものとして)、「北方領土」というふうに名称をつけて、その「北方領土」を取り戻すこと(に取り組んできた)。(この経緯をさらに詳しく言うと)、55年・56年の日ソ国交回復交渉の時、(歯舞・色丹という)二島返還で平和条約を結ぶというのが、訓令16号に記された外務省の方針であった。そこへ、1955年の6月に、ロサンゼルス総領事だった法眼晋作という人が、急遽日本側に呼び戻されて、当時の欧州局第六課長、ロシア・ソ連を担当する部署に就くと、外務省の方針が「四島返還」に変更される。1956年8月に「ダレスの恫喝」と呼ばれるものがあったが、その一年前の、1955年5月末から6月末の間にも、何かしらの米国からの働きかけがなかったかどうか。それから、法眼自身、非常な反ソ主義者・反共主義者だったということらしい。米国の圧力だけでなくて、日本の外交官・政治家の中にも、主体的に共産主義と対抗していこうという人がいたのかもしれない。その中でソ連とは平和条約を結べない・結んではいけないという流れが出来てきたと思うんです。

さて、日本とロシアの領土問題を解決するためにも、歴史認識問題というものが非常に重要です。日本がサンフランシスコ講和条約を結んだときに、確かにソ連とは結ばなかった。(けれども)そこ(講和条約)で、「千島列島・クリル諸島を放棄した」ということは確かに言っているわけで、悔しいけれども、国後・択捉というのは先祖代々日本の人たちが住んでいたところだという気持ちを100%無視するわけにはいかないけれども、(それは認めないといけない)。戦争というのは(そういうものです)。日本が勝ったときには、日本は多くの国の領土を奪ってきたし、植民地化もしてきたし、ロシアとの戦いで勝ったときにはサハリン(樺太)の南部をとってきた。戦争というのは厳しいものです。日本はそれをわかった上で、明治維新のあと近代国家を作りあげてきたわけです。たしかに第二次世界大戦は事情が異なる。というのは、やはりひとつには、すでに冷戦が当時始まっていて、(講和条約に)ソ連が参加しなかったりとか、今で言う中華人民共和国が参加しなかったりとか、そういうことがある。けれども、やはり基本的には、自分たちが締結した・サインした条約には、クリル諸島を放棄すると確実に書いてあるのです。「ソ連の領土になった」とは書かれていなくても、少なくとも放棄はしたと、自分たちは手放したと書いてある。だから、そこはやはり出発点としなければならない。

「国後・択捉はクリル諸島の中に含まれない」と、外務省は新しい論理を展開しはじめたわけだけれども、それは後の話です。当初は、吉田茂元首相も含めて、「南千島は千島列島に含まれる」ということを言っていたわけです。歯舞・色丹と国後・択捉が四つ全部ひとつのものとして固有の領土だったというのは、1955年、また56年、それから60年以降、すなわち日米安保を改定して以降、日本政府が少しずつ、「政治的な作為(political artificiality)」によって、米国政府と一緒に創り上げていった、「北方領土問題」という名のひとつの<政治的神話>であると思っています。<政治的神話>というのは、「政治的なウソ」ということではない。(神話というのは)国民を統合するため、国民に集団的アイデンティティを与えるために、なくてはならないもの、必要なものであるかもしれない。けれども時には、<政治的神話>によって戦争が起こる。また<政治的神話>によって、日本の人たちがロシアの人たちに対して悪い感情を持ち、紛争心理=紛争をしているという意識を持つということは、日本の国益にもならないと思う。なので、<政治的神話>というものがどういうプロセスで出来たかということを考えなければいけないし、それをどういうふうに解体していくかも考えなければいけないと思うんです。

日本で生まれた「北方領土問題」という<政治的神話>は、それは外交問題ですから、ソ連側・ロシア側の反応を伴っていくわけです。最近ですと2009年に、衆議院・参議院で可決された「北方領土問題等解決促進特別措置法」の中に「不法」という言葉が使われ、それに対してロシアの政治家・外交官たちは反応していく。そういう中でメドヴェージェフ首相が国後島を訪問した。日本側がアクションを起こすことによって、ロシア側はリアクションを起こす。この相互作用は必ず、外交ですから、発生するのです。それを日本が、常に自分たちの論理の中だけで、「自分たちはこういうことをやりたから、新しい法律を作る」とか、ロシアを責めるとか、領土を要求するとか、そうした国内論理だけの発想で外交問題を扱っていくと、とんでもなく大きな問題になってしまう。それを日本人は分からないといけないと思う。

メドヴェージェフは2010年、国後島を訪問するという、ソ連・ロシアの指導者が誰もやったことのないことをやってしまう。続いてロシアの閣僚たちも行く、ということになった。いま、ナショナリズムが高まっているロシア社会の中で、それ自体はただちに反日とか、日本が嫌いだからということではないと思うが、少しずつ、ロシアの若者たちのなかにも、日本に対して「領土要求止めろ」と主張するような運動に参加したりだとか、日本に対しての意識が少しずつ悪くなっているとうい世論調査もある。

だから、歴史認識を見直さなければならない。日本は1945年8月15日あるいは9月2日の時点で、「軍国主義国家であった」「軍国主義国家としてドイツ・イタリアと同盟を組んで、世界で戦争していた」という事実を、認めないといけなかった。その事実を、つまり、敗戦を認めないといけなかった。

いまロシアと領土問題を抱えているけれども、この問題は、第二次世界大戦後、冷戦の中で、ソ連と日本を一緒にさせたくなかった米国が、日本と一緒に創り上げていったところもある。その米国のアプローチや、当時の国際情勢も考えなければいけない。1989年に冷戦が崩壊して、西・東の枠組みでのみ物事が語られるという時代は終わった。にも関わらず、日本の外交は全然、変わらなかった。今でも日本の政治家・外交官は冷戦的な思考方法でしか考えられない。ここには重要なエピソードがあるんです。1989年にマルタ会談で、ブッシュ・シニアとゴルバチョフが会談した。その後、米国が日本に、「ソ連と領土問題があったけど、どうなってるの」と聞いてきた。そのときに、日本外務省は、「米国は日本とロシアが仲良くなるのを警戒してわざと聞いてきた」と思ったという。けれども、実はそうではなかったんじゃないか。米国側は、「日本とソ連に領土問題があるんだったら、解決してもいいんじゃないの」ということで聞いてきたのだと、これは長谷川毅さんというカリフォルニア大学の先生が言っています。また、当時の米国国務省の機密文書を読んでみても、私が発見したマルタ・ブルースという文書(1989年)の中でも、日本外交を馬鹿にしているんですね。いま、冷戦が終っていく、東側・西側ということも劇的に変わっていくという中で、日本の外交官は、自分たちの頭では何も考えることが出来ない、と。いつも米国に聞いてきて、米国と一緒にはやるけれども、やはりそれは米国にとっても大変だから、自分たちで考えてやらなければいけない。でも、日本の外交官はうろたえて、どうしたらよいかわからない、混乱している、と。北方領土問題に関しても、冷戦的な発想の中だけで物事が語られている。米国自身がそういう文書を書いている。米国は非常にプラグマティックな国家であって、日本が作った<政治的神話>にずっとくっついてやろうというよりは、その時々で米国の国益にとって一番望ましいことをやろうとしている国です。ですから、冷戦が終わったころ、1990年・1991年とか、それから1997年のクリントン大統領のときに、米国のほうから「日ソ・日露の問題を解決するといいんじゃないの」という働きかけというものがあったと思う。これはwikileaks情報ですが、2008年に米国の下院議員がロシアに来て、北方領土の解決策を言ったということもあったようだ。ですから、(少なくとも)米国が、いま、日本とロシアの関係を邪魔するためにこの問題を利用しているというふうには考えられないんじゃないか。これは日本とロシアの問題であって、もっと重要なのは、特に日本の問題である、日本の国内論理の問題、日本の歴史認識の問題なのです。

要は、日本がどういうふうに、第二次世界大戦に敗北したということを受け止めることが出来るか。それは、日本が戦後歩んできた道を全否定するということではありません。私の祖父母たちが戦後一生懸命働いたことによって日本がこれほど経済的に豊かな国になったという、これは大きな財産です。この財産をこれからどう活用していくのか。それを考えた時に、ロシアとケンカする、韓国とケンカする、中国とケンカする、ただ米国とだけ仲良くするというのではなくて、北東アジアとかアジア太平洋地域の中で、大切な隣国、ロシア、韓国、中国、それから北朝鮮や台湾とも、一緒に経済共同体、地域共同体、政治的・経済的枠組みで協力しあっていかなければならない。アジア太平洋地域の中で、ASEANとも、ロシアや米国やオーストラリアとも、一緒になってやっていかなければならない。

根本的に、いま日本がやらなければいけない問題というのは、歴史と、過去と真摯に向き合うということです。日本がかつて軍国主義国家であって、自分たちが加害者であったということ。日本の人たちは原爆とか、北方領土問題とか、シベリア抑留とか、被害者意識が強い。一般の人たちがそう思ってしまったのは仕方がないところもあって、政治的なリーダーたちや米国が何をしたかということもあるし、もちろん天皇責任という微妙な問題もあった。米国が天皇を利用して日本の人たちをまとめていくということをやろうとした。ですから、一般の人たちが被害者意識をもったのは仕方ないというところもあった。でもすでに、来年2015年は戦後70年。第二次世界大戦が終わってもう70年たつわけです。ロシアでも5月9日(「大祖国戦争」戦勝記念日)や9月2日にフェスティバルがあるだろうし、米国でもあるだろう。日本人は終戦70周年を、どのような気持ちで迎えることが出来るのか。

安倍首相が靖国神社に行ったとき、彼は「平和」ということを言ったけれども、A級、それからB級、C級(戦犯)の人たち、本当に大きな問題を直接やったような人たちも(合祀されて)いるようなところに、あえて日本の首相が行かなければいけない理由がどこにあるのか。それ(参拝)によって隣国がどう思うのかということを考えて日本の政治家・外交官は動かないといけない。日本の一般の人たちも、70年間いろんなことがあったけども、ここで、(認めなければならない)。日本は戦争に負けたということ。どんなに口惜しくても、負けたということ。しかも無条件降伏だったということ。千島列島を放棄したということ。たしかに、サンフランシスコ講和条約に、千島列島の範囲は書いてありません。それは米国が、わざと決めなかった。ですが、「千島列島には国後・択捉は入っていた」ということは皆、言っているわけです。日本の首相も昔言っていますし、西村熊雄という外務省条約局長も言っています。ならば、そこは、日本も詭弁を使わずに、自分たちは放棄したんだと、認めなければならない。歯舞・色丹に関しては、1956年の日ソ共同宣言があるから、そこを基本に、ロシアと話し合いを始めるということしかない。

そして実は、来年2015年は、日ソ国交回復交渉、ソ連と日本が交渉を開始したとき(55年)から60年が経つんですね。1955年から1956にかけて日ソがどういう交渉をしてきたか、そこに米国がどうからんできたか、当時の二つの大国・米ソの対立、日本の吉田派たちがどういうふうに米国の圧力を利用してソ連と「ケンカ」しようとしたか、そうしたことを今、研究者たちが、明らかにし、新たな光を当て、一般の人たちにも理解してもらいたい。

第二次世界大戦という大きな悲劇のあと、国際社会は前に歩んで行こうとした。冷戦が始まり、米国とソ連はケンカしたが、1989年にそれも終わった。ロシアは新しい民主主義国家としてやっている。そこを日本の人たちは認めなければならない。第二次世界大戦は終わった、日本は敗北した、冷戦は終わった、そして全く新しい世界が今ここに存在している。さらに、今はウクライナの問題もあって、また国家が崩壊するかもしれない。世界が混沌として、何が起こるか分からない中で、日本とロシアはお互いに助け合う関係にならなければならない。もちろん米国ともいい関係をずっと続けていく。米国とロシアだって、戦略的にやれるところは一緒にやるだろう。こうした中で、日米露三国が、戦略的に、軍事的にも経済的にも政治的にも、協力し合えるところはたくさんあると思う。そしたら、北東アジアやアジア太平洋地域全体での地域協力が、もっとやっていけるようになると思います。

一番重要なのは、日本が歴史にどう向き合うことが出来るかです。ドイツという国がどうして今あれだけ、欧州の中で政治的にも経済的にも大きな力を持って、認められて、ドイツの軍隊がフランスにも駐留することが出来るという状況を作ることが出来たのか。それは、西ドイツのブラント首相が、ユダヤの人たちに対して、ひざまずいて謝罪をしたということがあったのです。歴史問題は一回やはり解決しなければならない。そこからスタートしてやっていかなければいけない。歴史問題の中で身動きがとれなくなって、何も出来ない、政治もできない、経済的にもロシアともっともっと協力していけない、米国ともぎくしゃくする、これは日本の人たちにとって非常によくないことです。ならば、ここは、日本人の意識として、日本はやはり、かつて軍国主義国家で、戦争に負けて、千島列島は、クリルは放棄したと、そこを理解しなければならない。その上で、それでも56年日ソ共同宣言があるから、歯舞・色丹(を取り戻す)。それから、それ以上のプラスアルファのところで経済の協力など色々なことは、信頼関係がなければ出来ない。まずはお互いに不信というものを取り払って、信頼して、共同宣言という法律にもとづいて交渉をはじめていって、その中で信頼を作って行く、経済協力もしながら作って行く。国後・択捉を返してほしいという条件で話すのではありません。ひとつの経済ゾーン、協力ゾーンで、何か一緒にやっていくことが出来る。それは国後・択捉だけでなくて、全部のクリルで出来るかもしれない、サハリンでもシベリアでも極東でもウラジオストクでも、いろんなところで一緒にやっていけるかも知れない。第二次世界大戦のあと、冷戦時代に創られた<政治的神話>で、日露関係が人質になってしまっている。こういう状態をいま、解決しなければいけない。日本人が、靖国も含めて、歴史と真摯に向き合う。それをまずしたうえで、ロシアと問題を解決しなければいけない。韓国とも、中国とも、領土問題を、それは棚上げでもいいかもしれない、だけれども、少なくともそういう形で領土問題を解決して、未来に向けて歩んでいくと。そういうことが大切だと思います。

 ※インタビュー音声をもとに、編集部が適宜、字句を加筆・修正しています。


結局、やりたい放題やって負けた加害者が「あれは戦争で仕方なかった」と、言っている限り相手に付け込まれる。(奴らにハメれらた部分も当然あるのだが。それはドイツも同じ)
責任回避ばかりするので、南京虐殺や慰安婦問題など毎度仕掛けられる・・・と言いわけですね。
事実を直視せず「仕方なかった」と逃げる姿勢が、無責任体質につながると。
(無責任体質というのは、ある時点で加害者から被害者に成り代わるテクニックのことか)
やってることの本質(精神性)は、被害者ユダヤの仮面をつけてやりたい放題やっている、ユダ金やシオニストと同じに見える。(規模の大小はあるが)
要は、原発&基地問題などにみられる「姑息さ」「卑劣さ」「冷酷さ」「高慢さ」「横暴さ」から、日本の支配層(現在の主流派)も外見こそ白人(正確には灰色)ではないが、その中身(精神性)は偽ユダヤと何も変わらないと判定できるのであった。
そして歴史教育などから洗脳されている、被害者意識を植え付けられている日本国民も同様と言うことか・・・
類は友を呼ぶのかどうなのか。
重要なのでメモ。



大崎 巌(オオサキ イワオ)
立命館大学若手研究者
http://ri-search.ritsumei.ac.jp/field/004/26/073/0000000116/profile.html
立命館国際関係論集 
第7号(2007年度)「『北方領土』問題」に関する先行研究の到達点とその限界[23ページから]
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/kokusaino7.pdf


勘違いで戦争開始した可能性・・・

ハル・ノートに関する勘違い
http://netakirigaryu.blogspot.jp/2010/06/blog-post_07.html
ハル・ノートについても、筆者は三つほど、勘違いを見たことがある。
ひとつは、それが最後通牒であるという勘違い。
もうひとつは、それが日本軍の即時撤退を要求しているという勘違い。
そしてもうひとつは、それがソ連の陰謀であるという勘違いである。
ここでは、それらについて論じてみたい。

「ハル・ノート」の原文
http://www.chukai.ne.jp/~masago/hullnote.html


関東軍と同じDNAなのかどうなのか・・・(笑)

○国会事故調 (原発事故調査報告書)
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-11297455690.html
福島原子力発電所事故は終わっていない。
この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった。
関係者に共通していたのは、およそ原子力を扱う者に許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセット(思い込み、常識)であった。

<転載終了>