本山よろず屋本舗さんのサイトより
http://homepage2.nifty.com/motoyama/index.htm
広島にダーチャの様なものを作りたいですね。
今はお借りしている畑で実践を積み、実績を残さないと話を聞いてもらえません。
<転載開始>
 ここ最近、当HPでは、「End of Time」に関する記事を書いてきました。
 私の最大の関心事は、「End of Time」がいつ起きるかでした。しかし同時に「End of Time」が始まったら、世の中はどうなるかというのも、大きな関心事でした。
 そして、どうすれば「End of Time」の期間中をサバイバルできるかというのも、私のテーマの一つです。

 それは地震対策のように、食糧の備蓄や救急キットを用意するという話とは次元が違うものです。
 「End of Time」が10年程度続くとなれば、食糧の備蓄では追いつきません。世界的に大規模な気候変動が起これば、深刻な食糧不足が起こることが予測されます。そうなれば、食糧を自力で確保する手段が必要となります。
 そこで私が参考になると目を付けたのが、ロシアの「ダーチャ」です。

 ダーチャと聞いて、ほとんどの方は、「なんのこっちゃ?」となると思います。
 例えば、クラインガルテンと聞けば、知っている方も多いと思います。クラインガルテンとは、ドイツで発祥した定住型の家庭菜園付きの住宅のことです。農業体験を希望する人が、年間契約で住宅と農地を借りるシステムで、1ヶ所に集合して住むので、素人でも近隣の先住者に農業のアドバイスを得られるというメリットがあります。
 ロシアのダーチャというのは、もっと意味が広いもので、発症は旧ソ連時代に政府が人々に狭い農地を格安で与えたのが始まりです。
 通常それは土地だけで、人々はそこに住めるように自力で家を建てたり、井戸を掘ったりする必要があります。都会に住む人々は週末にダーチャに行って、農作業をするというのが慣例になったそうです。そうして得られた農作物が、ロシア人を救うことになったのです。

 私は最初にロシアのダーチャというシステムを聞いたとき、とても感心しました。
 旧ソ連政府の政策で、電子レンジの禁止とダーチャの導入は、大変評価されるべきものと考えています(冗談ではなく本気でそう思っています)。
 ロシアの人々は、1991年のソ連邦崩壊と、1998年にアジア通貨危機に端を発した金融危機による国家破産で、塗炭の苦しみを味わうことになります。通貨ルーブルの暴落によって、海外からの食糧輸入が出来なくなります。それによって、食べるものにさえ事欠く生活を余儀なくされます。
 そうしたロシア人を救ったのが、ダーチャだったのです。
 少なくともダーチャから得られる農産物のおかげで、大量の餓死者が出るのを防げたからです。

 ではまず20世紀末に、ロシアがどのように苦境に追い込まれていったかと見たいと思います。
 『世界はすでに破綻しているのか?』(高城剛著、集英社)から抜粋して引用します。


 ・・・<『世界はすでに破綻しているのか?』、p46~p50から抜粋開始>・・・

 ハイパーインフレによる二極分化と、国の自転車操業

 大多数のロシア人が貧困に突き落とされる一方、こうした国家の混乱に乗じて、大金を手にした人々もいた。旧ソ連では、深刻なモノ不足を背景に闇市場が誕生し、そこでうまく商売をしていた一部の人々(いわゆる「マフィア」および、彼らも同然の人々、中には国家機関に関わっていた人々)が市場経済への移行とともに”表舞台”へと活躍の場を移し、大きな利益を上げるようになっていった。
 この状況は、東欧でも同じであり、この時期にポーランドを訪れた僕は、驚いたことがある。ある人物が「国営美術館」を個人宅にして住んでいたのであった。まさに、一部の者たちにとっては、やりたい放題の状況だったのである。
 また、民営化によって国有企業の払い下げを受け、財を成したいわゆる新興財閥(オリガルヒ)も同様だった。彼らは手持ちのルーブルをいち早くドルへと交換し、さらに巨額の富を手に入れていた。彼らは「ニューロシアン」や「ニューリッチ」などと呼ばれ、貧富の差はさらに拡大していくことになる。

 止まらないインフレと上がらない給料によって、一般の人々の生活は非常に苦しいものになっていった。そのため当時は、ダーチャでとれた野菜を売ったり、自家用車で白タクを営業するなどの「副業」をするケースもよく見られたものだった。ルーブルに対する信用は内外で地に墜ち、人々は必要なモノを物々交換で手に入れ、マルボロなどの外国製タバコを通貨の代わりに使うこともあった。「いったい、何を信じていいのか、わからない」。当時、ロシア人が話していたことを、僕は今もよく覚えている。手持ちのお金も国家も親友も、そして自分も、おそらく神すらも、多くのロシア人は信じられなくなっていた。

 そんな中、ロシア政府は1995年以降、インフレ抑制や財政赤字縮小の名目で高利な短期国債を積極的に発行し、国内の銀行や外国人投資家の人気を呼ぶことになる。資金調達が進んだものの、皮肉なことに、高い利息の償還のため、短期国債を増発する、ある種の「自転車操業」のような状態に陥っていくことになる。まさに綱渡りだ。
 一方、市場経済のインフラが次第に整っていくとともに、ようやくハイパーインフレは鎮静化する。貿易収支と経常収支もプラスとなり、経済成長の兆しも見えはじめ、1997年頃からようやくロシア経済は、徐々に回復するかに見えた。
 ところが、再びロシアを試練が襲う。アジアで始まった通貨危機の余波が、ロシアにまで波及したのである。
 1997年7月、タイ・バーツの暴落から始まったアジア通貨危機は、アジア各国に次々と飛び火、同年10月には香港で株価が大暴落し、ロシアでも株価が一日19%と大幅に下落。それを合図としたかのように、国債価格もずるずる値下がりし、利回りは急上昇しはじめた。1997年10月に18%だった短期国債の利率は、同年12月には38%、翌1998年5月には118%まで上昇したのだ。

 1998年のデフォルトによる国民の痛手

 こうした中、再び物価は上昇しはじめ、ロシア政府はついに1998年1月、新札を発行するとともに、旧1000ルーブルを新1ルーブルと交換するデノミネーションを実施。これはつまり、1000万円の貯金が1万円になることを意味する。デフォルトを危惧した外資は、ロシア市場から一斉に引き上げはじめ、債務返済と通貨防衛に追われた当局は外貨準備を切り崩して対応するが、それにも限界があった。そして同年8月17日、ロシア政府はついに、対外債務の90日間支払い停止を宣言するに至る。これは、事実上のデフォルト、つまり国家破綻だった。

 パニックになったロシア国民がルーブルをドルに替えようとしたため、ルーブルはさらに暴落。しかし、時すでに遅かった。このような状況になることがわかっていた者だけが、裏に表に資産を少しずつ外貨に替えていたが、ほとんどの国民は、まるで大災害にあったように、すべてを失ったのだ。1ドル=6ルーブル前後だった為替は、同年末には1ドル=20ルーブル近くまで下落し、約3分の1の価値になっていった。これによってドル建てで資金を調達していた国内銀行が次々と破綻。政府は国外への資金流出を防ぐため、預金封鎖を行い、人々はすべての財産を失ったのである。

 その後ロシア経済は、1999年に入ると原油価格の上昇とともに急速に回復していくことになる。経済成長率もプラスに転じるが、国民が受けた痛手は相当なものだった。ソ連崩壊、急速な市場化、そして国家破綻の先にあったものは、一部の「ニューリッチ」が富を独占し、食べるにも事欠く大量の「ニュープア」が生まれる未来だった。
 いったい、誰がそんな未来を想像しただろうか? 旧ソ連時代、自分の国が崩壊し、全財産が紙くずとなり、失業や明日の生活に不安を抱く時代がくるなど、誰が予想できただろうか? しかし、現実にそれは起こると歴史が証明している。かつて世界の二強と呼ばれたロシアの人々が経験した過酷な「国家破綻後の世界」は、近い将来、どこかの国にも再び起こりうる「現実的な未来」なのである。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 このように二極化によって、大多数のロシア人は貧困に突き落とされます。ハイパーインフレによって虎の子の金融資産を奪われ、職も失った人々は、絶望的な状況に追い込まれます。
 しかし人間、いざとなっても水と食糧があればなんとかなるものです。
 貧困に突き落とされたロシアの人々には、ダーチャがあったのです。


 ・・・<『世界はすでに破綻しているのか?』、p42~p44から抜粋開始>・・・

 モノ不足を救ったロシアの人の知恵「ダーチャ」

 市場経済への移行が加速する中、ソ連ではモノ不足とインフレがより深刻になっていった。これは1988年から企業による独立採算制が導入されたことで、安易な値上げが横行したことや、生産者がより高値でモノが売れる闇市場や自由市場に商品を流すようになったことが原因といわれている。1990年を皮切りに、僕は毎年のようにソ連を訪れていた。当時、欧州へ向かう便はモスクワ経由が多く(特にアエロフロートが安価だったこともあり)、せっかくなので僕は、モスクワの街に出て社会主義国家や変わりゆく国家の姿を感じようと考えていた。
 人々は石けんや洗剤、ノートや鉛筆、乳製品や砂糖といった生活必需品はもとより、安定して手に入っていたはずのパンやタバコまで入手困難な状態になっていた。まったく知らない人に街角で声をかけられ、石けんやシャンプーを分けてほしいと頼まれたことが何度もある。モノの値段はどんどん上がり、庶民の生活がどんどん苦しくなっていくのを、僕は目の当たりにした。いわゆる強度のインフレ状態である。朝100円だったパンが夕方には500円になることもあった。

 このように食べるものにも事欠くような状態を、ロシアの人々はどのように凌いだのだろうか? そのヒントは、「ダーチャ」と呼ばれる家庭菜園付きの別荘にある。
 ソ連時代には、労働者への福祉の一環で、国や職場から安価でダーチャのための土地を買うことができ、多くの市民は郊外にダーチャを保有していた。ただ、いわゆる別荘とは趣が違って、水道やガスなどのインフラが整備されていないことも多く、人々は自分で家を建て、自力で井戸を掘ったりしなければならないのが常識だった。当時のソ連の人々は週末になるとダーチャを訪れ、そこで野菜や果物を育て、ブタなどの家畜を飼い、自給自足の生活を送っていたのである。ダーチャの存在とそこでとれた食料は、結果的にモノ不足に苦しむ人々の生活を支えることになる。

 僕も何軒かのダーチャを訪れたことがある。街の混乱を避け、ここで自給自足的に暮らす人もいれば、都市部で働き、週末だけダーチャで農作業に従事する人もいた。ダーチャといってもいろいろなタイプがあって、掘っ立て小屋のようなものもあれば、高級別荘のようなものもあった。しかし、どのダーチャにもそれなりの家庭菜園がついており、これがソ連崩壊時に多くの人々を救ったのである。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ダーチャをスピリチュアル的に解釈した意見も紹介したいと思います。
 シベリアのタイガの森に裸同然で暮らすアナスタシアという女性の意見です。
 アナスタシアは、寒い時には野生の熊が添い寝してくれたり、お腹が減るとリスなどの小動物が木の実を運んでくれるそうです。私は、最初はアナスタシアは実在しない、フィクションだと思っていました。しかし千さんのお爺ちゃんセッション(注0)で聞いたら、アナスタシアは本当にシベリアに住んでいる美しい女性だというのです。
 『響きわたるシベリア杉』(ウラジーミル・メグレ著、ナチュラルスピリット)から引用します。
 アナスタシアが意見を言い、それに対しウラジーミル(男性)が質問するという会話形式になっています。
 なおアナスタシアは、ダーチャで農作物を育てている人のことをダーチュニクと呼んでいるようです。


 ・・・<『響きわたるシベリア杉』、p88~p90から抜粋開始>・・・

「すでに地球上のいくつかの地点に不安定な地域がある。人間はこれまでずっと、自らを滅亡に導く準備を、十分すぎるほど、あらゆる手を尽くしてやってきた」
「でも、それはいつ地球規模になるんだい? いつその大災害は起こる?」
「それはだいたい2002年頃に起こる可能性がある。でも、1992年のときのように、回避されるか、延期されるかもしれない」
「1992年に起こっていたかもしれないって言ってるのかい?」
「そう、でも、彼らはそれを遅らせた」
「『彼ら』って誰? 誰がそれを遅らせたんだい?」
「1992年の地球規模の大災害は、ダーチュニクのおかげで回避できた」
「何だって?」
「世界中で、それぞれ異なる立場にいる多くの人々が、大災害から地球を守っている。1992年の大災害は、主に、ロシアのダーチュニクの働きで発生をくいとめられた」
「そしてきみは……ということは、つまりきみだ……きみは6歳という年齢で彼らの存在の意味を理解したのかい? 危機を予見していたのかい? きみはこつこつと働きつづけて彼らを助けた」
「ウラジーミル、私はダーチュニクの重要性を知っていたのよ」

 ダーチュニクと全地球の日

「でも、どうしてダーチュニクのおかげなんだい? そしてよりによってロシアなんだ? どういう関係があるんだい?」
「あのね、ウラジーミル、地球は大きいけど、とてもとても敏感なの。
 あなたも蚊よりずっと大きいけれど、その一匹が皮膚の上に着地しただけで敏感に察知するでしょ。地球もすべてを感知する。自分がコンクリートやアスファルトに閉じ込められるとき、自分の上で生きている森が伐採され燃やされるとき、自分の中に深く穴を掘られて、粉状の化学肥料がまき散らされるとき。
 地球は痛みを感じる。それでも地球は、母が子どもたちを愛するように、人々を愛している。地球は人間のすべての悪意を、地中深く埋めようとする。地球が力を使い果たし、力尽きたときだけ、その悪意は火山の噴火や地震となって爆発する。
 私たちは地球を助けないといけない。やさしさと思いやりに満ちた地球への接し方は、地球に力を与える。地球は大きいけれど、本当に敏感で繊細。たったひとりの人の手がやさしく触れただけで、それを感知する。ああ、どれほど地球が、そのやさしい接触を敏感に感じ取り、待ち焦がれていることか!
 長い間、ロシアの人々は、大地は万民の財産であり、誰か特定の人のものではないと考えていた。自分のものだと考える人はいなかった。ところがそのロシアで、事態が変わった。政府が小さな地所をダーチャとして人々に分け与えはじめた。
 与えられた地所がとても狭くて、大きな機械など使えなかったのは、偶然ではない。地球とのふれあいを切望していたロシアの人々は、お金持ちも貧しい人も一様に、とても喜んでその地所を受け取った。なぜなら、人間と地球とのきずなは深く、それを断ち切れるものは何もないから。
 小さな地所を受け取ったあと、人々は直観的にそのきずなを感じはじめていた。何百万という人間の両手が、愛をもって地球に触れた。その小さな地所で人々は、機械ではなく自分たちの両手で、地球にやさしく触れた。
 そして地球はこれに気づいた。地球はひとりひとりの人間の手の接触を感知して、そこに、身が持ちこたえる力を見出した」

 ・・・<抜粋終了>・・・


 私もダーチャとやらを、やってみようかと考えています。
 場所は、週末に気楽に農作業をやれるということで、今住んでいるところから2時間程度で通えるところを考えました。
 その候補の場所として富士五湖周辺を調べることにしました。
 下の左側の写真は、今年の3月末に河口湖に行ったとき撮った、河口湖天上山公園カチカチ山ロープウェイから臨んだ富士山です。
 右は5月に行った富士本栖湖リゾート「富士芝桜まつり」の会場から撮った富士山です。
 箱根もそうでしたが、平日だというのに、ものすごい人の多さでした。そしてかなりの割り合いを外国人観光客が占めていて驚きました。日本も変わったものです。



    



 以下の2つは、実際に訪れた物件の写真です。
 不動産屋に物件を見たいと言ったら、案内できないので、勝手に行ってくれと言われました。そこでレンタカーを借りて、見てきました。
 左の写真は6000坪という広大な農地を含んだ物件です。価格は、家屋と農機具も付きで3150万円です。
 ビンボー人の私に払える金額ではありませんが、見るだけならタダです。人が住んでいるとのことですが、不動産屋は敷地内に入ってもらって見学して構わないとのことでした(私が行った時には、住人は居ませんでした)。
 右の物件は900坪の土地で、850万円です。


    


 やはり物件は実際に見てみないとわかりません。
 左の物件は6000坪と広いのですが、物件の真ん中にかなり急峻な崖があり、土地が完全に2つに分かれていました。平坦な土地ではないので、かなり使いずらいという印象でした。
 右の物件は高台にあって、たしかに見晴らしは最高です。
 その分、周りに風を遮る森がないので、強い台風が来たら農作物はいちころにやられてしまいます。私はこの土地は危険過ぎると感じました。
 千さんのお爺ちゃんセッションで、この2つの物件のうち、将来どちらかに私が暮らしているビジョンが見えますかと聞いたら、どちらもないとのことです。

 私のダーチャ探しは、今後も続きそうです。



(注0:千さんのお爺ちゃんセッション)

 当HPを以前から読まれている方はご存じだと思いますが、千さんのお爺ちゃんセッションとは、千さんという方が行うチャネリング・セッションのことです。5人の霊的な存在であるお爺ちゃん(実際には女性もいるので全員がお爺ちゃんではないのですが)と呼ばれるマスターが千さんを介してクライアントである私達の質問に答えてくれます。


(2015年5月27日)

<転載終了>