心に青雲さんのサイトより
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/420844726.html
<転載開始>
《2》
 そうした川の生態がわかってくると、さらに興味深い事実が明らかになってきた。
 鮭が海から遡上してくると、川にはそれを食うために熊がたくさんやってくる。水に入り込んでは鮭を捕らえて食う様子はよくテレビでも見られる風景である。

 さらによく観察すると、熊は大きいシャケを取ったら川の中では食べずに、森の中に運んで行く。小さいシャケは川の中で食べるけれど、大きいのは森に運んでからゆっくり食べるそうだ。
 熊は、まずイクラを食べ、柔らかい腹を食べ、頬肉を食べ、ある程度食べるとほったらかしにして、次の鮭を捕らえにいく。
 
 だいたいシャケの体の6割は森に棄てられる。一頭の熊が1年で平均700匹のシャケを森に棄てる。
 そういう時期に森に入ると、すごい腐臭がただよっている。
 森中に白いコメがまいてあるようになっているが、それは腐ったシャケの死骸にウジがうごめいているのだ。

 それをさらに鳥が来て食う。鮭の死骸は10日間で白骨化し、翌年にはそれも消えてなくなる。ネズミが食べ、鹿がかじり、昆虫がたかり、微生物が分解する。
 熊がいて鮭が登ってくる川がある森はとても元気だそうだ。
 鮭が海の栄養素を運んで来て、その死骸は山に還元されていくからだ。

 樹木をサンプリングしてみると、海にあるのと同じ栄養素はたくさんあるが、安定した元素はないか調べると、N15という窒素の安定元素が、鮭の登ってくる川ではたっぷりあり、鮭のいない川がある森の樹木には出なかった。年輪の太さも鮭が登る川の樹木は2倍半も大きい。

 川が元気で魚も繁殖できるようなら、森も元気で、植物も動物もみな元気になるわけだ。大量の海の栄養を山の奥までは運んだのは鮭鱒だったのだ。
 作家の田中康夫氏が長野県知事をやっているとき、「脱ダム宣言」と言って、砂防ダムを廃止する運動が起きたが、今はどうなったのだろう。結局、林野庁のアホ役人がほくそ笑んでいるのだろうか。
 原則、あれは田中康夫が正解だったのに、ダム推進の木っ端役人どもの妨害にあい、田中自身も不真面目な行動をとって潰れてしまったようだった。

 国土交通省の木っ端役人どもは、砂防ダムをせっせと造っては、テメエの将来の天下り先のゼネコンを儲けさせてきて、川を、そして森を破壊してきた。多くの日本の川が「喪中」という目には見えない立て看板が置かれる事態に至ってしまった。

 話を戻すが、鮭が“海”を陸地に運んで相互浸透させている、という話は感動である。
 そしてなにより〈生命の歴史〉に思いを馳せる。
 C・W・ニコル氏は、窒素元素が…と語っている。それは事実であるが、事実レベルの話である。

 「学城」12号、瀬江千史先生の論文「医学原論講義(10)」にこうあった。
     *    *    *

 人類は、生命体の最も発展した段階であるだけに、一人一人の人間は、地球上に初めて生命体が誕生して人類まで発展した歴史性を、自らの内に把持し続けていなければ生きられず、そのためにはそれを可能にするように、自然的外界の変化性との相互浸透をし続けていなければならない、ということである。 (中略)

 人間にとって必要な自然的外界の変化性との相互浸透とは、まずは先程説いたように、そもそも生命体が誕生し生き続ける条件であった、太陽、月、地球(大地と大気)、水との相互浸透である。
 しかしそれだけではない。
 人間はさらに、生命体が人類にまで発展してきた全過程を、自らに把持するための相互浸透を必要とする。それは何かと言えば、発展してきた各段階の生命体との相互浸透である。

 では人間はこれらをどのようにして行っているかと言えば、「食」として取り入れているのである。つまり人間は、海草、魚、木の実、肉といった形で、「生命の歴史」の発展段階にあった生命体のそれぞれを、食として取り入れることによって、自らの内に、生命体の歴史性を把持することができているのである。

 (中略)
 このように人類は、最初の生命体から発展することによって、もともと生命体を生み出し育ててきた地球から、大きく相対的に独立してしまったのであるが、それだけに、そのような環境を自らの内に、できるだけ把持する仕組みを有している。

 その一つの現象形態が、腸内細菌の存在である。健康を維持するために腸内細菌を整えることの重要性は、現代では常識というものであるが、それが一体どのような意味を持つのかを、みなさんは考えたことがあるだろうか。

 端的に言うならそれは、体内に「生命の歴史の水」を保持するということである。細菌叢が存在するのは、大腸であるが、大腸が果たしている重要な役割は、水の吸収である。

 そしてその水というのは単に水ではなく、腸内で細菌即ち単細胞と充分に相互浸透した水なのであり、これは生命体の発展段階の歴史性を、体内にしっかり保持している、保持しなければならないということである。

 だからこそ、町内細菌叢を整えて、生命体を維持するのに必要な質を持った水を生み出し吸収することが、人間の健康にとって極めて重要となるのである。

     *    *    *

 これを読んでいただければわかるように、C・W・ニコル氏がカナダの森の生態系の謎を解いてみせたことの現象論ではなく、構造論が見て取れるであろう。
 森の生態系は、まさに人体の生命の保持と同じ論理で、シャケや熊やウジや昆虫や藻や…といったものが〈生命の歴史〉の歴史性を相互浸透しあっているということなのである。

 N15という窒素元素が、海から鮭によって運ばれるというのは、現象であって、論理構造としては、瀬江千史先生が明らかにしたような歴史性の把持にある。

 作家に言ってもしょうがないが(学者ではないから)、C・W・ニコル氏の解き方には過程性(生命の歴史)を踏まえた論理がないのが残念である。過程性を無視すると、結局、生命誕生の謎が解けないし、なぜシャケが川と海を行き来する生命体となったかの謎が解けず、鮭の死骸が森を育てる意味も解けないことになる。

 森林が海との相互浸透をしないと成り立たないのは何故なのか、それも〈生命の歴史〉が明らかにすることなのである。
 森林や森林に生息する動物類が、「生命体の発展段階の歴史性を、体内にしっかり保持している、保持しなければならないということ」を、鮭の遡上によって行っているのである。

 では、鮭が“海”を運んできてくれない川、森林はどうするか。
 それはおそらく雨が役目を果たしているのではないか。陸地で生命体の活動で汚された水は、海に流れ込んで海の微生物によって浄化というか、「生命体を維持するのに必要な質を持った水に戻され、それが蒸発して雲となり、再び雨となって地上に降り注いで、植物や動物に戻される。

 水が生命体の活動で汚れれば(腐れば)、それをクリーンにして循環させ、言うなれば生きた水に戻す(戻る)のは、生命体が海から生まれたのではなく、生命体は水と直接に誕生したからなのである。

 ここから考えなければいけないことは、私たちは食生活のなかで、海のものを必ず食べなければいけないのである。海藻、魚、貝、それに海水からとった粗塩。
 
 余談ながら、理学研究者の川田薫が、無機物から有機物を生成させたとか言っているようだが、間違いである。
 彼は、生命誕生のとき地球上にあったのは、陸と海と太陽光と大気だから、ミネラルである岩石(陸)と水(海)の相互作用に、大気が溶け込み、太陽が当たると「有機物が発生する」という仮説を立て、実験を重ねたら、それが人工的にできたとのたまう。

 それでは、どうやって水ができ、陸地ができ、大気ができたのかの説明ができるのか? できはしまい。初めからあると思っている。それにその何百億年も前の地球にあった元素が、今と同じ元素だと思っているようだが、それは笑止であって、弁証法の否定である。

 元素も年をとるのだ。地球誕生のころは元素もいわば若かったのであり、可塑性、運動性があったが、今の地球上の元素は運動性は弱くなっている。だからもう生命体の誕生は実験できないのだ。
 さらに、周期表はなぜあの順番になっているのか川田薫は解けまい。


<転載終了>