http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/57d50077b1d14f49abeec664a2906fd4
<転載開始>
介護の現場からは「ご本人の終末期の対処法が曖昧なので困る」
という声はよく聞かれる。やっと、終末期に焦点が当たり出した
2015年6月24日 水曜日
◆日本はなぜこれほどまでに「病院死」比率が高いのか 6月24日 浅川澄一
■「終末期」の対応が大きく遅れている日本
「東京圏の高齢者は地方に移住を」と提言して物議を醸している日本創生会議の座長、増田寛也・元総務相が、「延命治療の議論を」と呼び掛けている。昨年「消滅可能性都市」を挙げ、その後、名指された自治体が少子化対策に熱を入れだすなど、政策へ大きな影響を及ぼしているだけにその発言に注視したい。
?増田さんは、5月24日の産経新聞のコラムで「終末期医療のあり方」を論じた。そのなかで、「終末期の人工栄養による延命は、世界的にみると必ずしも当たり前のことではない」「むしろ非倫理的であるとさえ認識されている国がある」と、穏やかな表現ながら、延命治療への再考を喚起している。
?介護の現場からは「ご本人の終末期の対処法が曖昧なので困る」という声はよく聞かれる。やっと、終末期に焦点が当たり出した。「素人」なだけに直感が働くことは多く、増田さんの発言は正鵠を射ている。死というゴールを見据えて初めて、高齢者の医療と介護は成り立つはずである。
?日本の病院や施設では、口から食べられなくなったので鼻や静脈からチューブを通じて、あるいは胃に穴を開けて栄養を与えられている高齢者をよく見かける。手足の関節が固まって寝返りを打てない寝たきりの人も。自分で呼吸できなければ人工呼吸器が装着される。気管切開されているため、痰の吸引やチューブの交換の際に苦しみもがく姿も見られる。認知症などを抱え、全く言葉を発しないままの人も。
?無理に栄養分を注入するため、消化されず、体中がむくんで目も当てられない様子になってしまうこともある。人間としての自然な死とは縁遠い、こうした延命治療が終末期に待ち受けている状況には、ぞっとさせられる。
?高齢者ケアへの取り組みは先進諸国の共通の課題である。それは、(1)「終の住処」を何処に求めるか?(2)認知症ケアの手法?(3)終末期・看取りのあり方―――という3つの課題に集約されるだろう。
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?国際的には「Ageing in Place」と言われる。即ち「年老いても同じ地域で住み続けましょう」という意味だ。同じ内容を日本では、「地域ケアシステム」と名付けた。これは、Community-based Care System(地域住民のためのケア体制)とIntegrated Care System(包括的なケア体制)を合体させたCommunity-based Integrated?Care Systemの日本語訳である。
「包括」は日常用語でなく分かり難いが、「総合」「まるごと」のこと。異なる要素が一緒になって、という意味で、異業種連携であり、高齢者だけでなく障害や子育てなどを大きく含んで一緒に、と理解すればいいだろう。
?それから(2)は、先ごろ東京で認知症ケアの国際サミットが開催されたように、先行組に追い付こうとの意気込みが表れ、政策として結実しつつある。精神科病院問題など、まだ出遅れた分野を抱えてはいるが、欧米諸国と同じ方向に舵を切りつつあるのは確かだ。
?つまり、(1)と(2)は国際レベルへの引き上げを目指して、一応路線は敷かれてきた。ところがである。(3)になると日本だけが大きく取り残されている。日本の常識が世界の非常識、とみても過言ではないほどの状況だ。
■日本は80%が「病院死」
?それを端的に示しているのが、死亡場所の数値だ。病院と施設(欧州では実質的にケア付き住宅)、自宅の3ヵ所に分けた比率を見ると、欧州諸国では病院死が50%前後である。最も低いのは30%台のオランダだ。
?病院死が少ないのは、訪問診療や訪問介護が充実していて、入院しなくても自宅や近辺のケア付き住宅で最期まで過ごすことができるからだ。各国の共通施策である「在宅重視」の成果が、病院死比率の多寡で判定できる。
?では、日本はどうか。なんと病院死は80%近い。欧州諸国とこれほどに大差がついた「生活指標」は珍しい。出産と死亡は、あらゆる生物が同様に体験する自然な現象だろう。決して「病」ではない。ライフスタイルの一環でもある。
?パソコンや携帯電話のICTをはじめ、スポーツや音楽、映画、食文化、ファッション、インテリアなど日々の生活を彩り、欠かせない生活諸要素のひとつが、出産であり死亡・看取りであろう。日本人は、パソコンやレストランなど他の要素はほぼ世界レベルの水準を持ち、その便宜性や快適性を共有している。だが、死の文化だけが、日本は他国とまるっきり異なり、それが数字に表れている。
「歴史や文化が地域や国によって異なるのだから、違いがあっても不思議はない」という指摘がよくある。確かに、地域性は欠かせない。生活の潤いには必要である。だが、方言を使う場が時にはあっても、ほとんど標準語で会話が成り立っているのが現実だろう。大きな流れは、一定の方向への収斂だ。快適性や合理性、それに一定の倫理観に基づいて希求すべき方向が地球規模で絞られていく。
?では、死についてはどうか。なぜ、日本だけが病院死比率が高いのか。
■医療や病院、医師への盲目的な受け入れは日本の特徴
?医療提供者だけにその理由を問うのは当たらないだろう。医療だけでなく国民一般の意識が大きな影響を与えている。それを辿ると、日本の今の急激な「豊かさ」をもたらした多くの要素と重なってくる。
?医療や病院、医師への盲目的な受け入れは、「信仰」に近い。欧州諸国には見られない信頼であり、すがりようだ。モノの獲得を通じて豊かな生活を目指してきた発想そのものに通じる。家電製品やマイカー、新幹線など最新技術への礼賛は、病院や医療にも通じる。
?豊かさは、総中流意識を醸成して全国民が加入する皆保険システムも誕生させた。医療が低価格で使える手近な存在になったことも、医療信仰に拍車がかかった。
?心身に少しの支障が生ずると、すぐに診療である。通院から入院への回路は短い。日本人の受診率や入院期間はずば抜けて高く長い。
?受け入れる医療の側では、治療には熱心ではあるが、ほぼ治療を終えたに近い慢性期の高齢者には別の手立ては持ち合わせない。年齢にかかわりなく、受診に来た高齢者には病名を付け、診療報酬を受け取る。
?老衰による細胞劣化が全身で進行していても、高齢者は病名を求め、薬を欲しがる。これまでの医療のメカニズムに、高齢者と医療側がたやすく乗ってしもまう。老衰を「古いもの」「役に立たたないもの」として認めたがらない。新しいモノが「豊かさ」を生み、それを一心に追い求めてきた。老衰を嫌うのはその弊害であるが、自身は気付かない。
?患者の刻印を押されれば、手術や薬で手を打ち、また元の状態に戻ることができると願う。その「錯覚」に手を貸す医療側の責任は当然問われる。
だが、日本の医療教育では、「死」は教科書の対象になっていない。死への自然のプロセスを学ぶことはない。ギリシャのヒポクラテス以来の「医療者にとって死は敗北」という信条に絡め取られたままだ。
?生物は必ず死ぬ。人間も生物に過ぎない――そんな当たり前の事実から目を背けたいのだろうか。(後略)
(私のコメント)
介護の問題は何度か書いてきましたが、出産と死は誰にでも必ず体験する事だ。特に自分の死については若いうちから考えるべき問題ですが、ほとんどの人は死を身近な問題として考えない。死にたいと思う事はよくあるのでしょうが、病気や老衰でいつかは死ぬことはあまり考えたくない事だ。
私自身も、死んだらどうなるかと考えたら憂鬱になる。やりたい事をやりつくして死にたいものですが、体の衰えがあちこちに現れ始めると死ぬことがだんだん怖くなってくる。やがては病気か老衰で死ぬのでしょうが、私としては病院で死にたくはない。
誰もが自宅で家族に見守られながら死にたいと思うのでしょうが、小家族化の時代では息子や孫に囲まれて死ぬことなどテレビのホームドラマでも最近は無い。昔は出産ですら自宅でしたのですが、最近では出産から死まで病院で行われる。
出産などは病院でなくても、出産所などの所でもいいと思うし、同じように死ぬ時も自宅が無理なら介護施設で死ぬのが良いと思う。そうでなければ病院がパンクしてしまう。出産や老衰は病気ではなく生理現象であり、問題があれば病院が対応すればいい。
単なる生理現象を病気扱いするのは、医師会の陰謀だと思うのですが、出産も安産なら自宅でしても昔は当然だった。最近は家族の介護が当てに出来なくなったので自分で介護施設に入る用意はしなくてはいけないのでしょうが、行政の対応が遅れている。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/160531
>有識者らでつくる「日本創成会議」がまとめた提言が物議を醸している。東京と周辺3県で高齢化が進み、2025年には介護施設が13万人分不足する見込みで、高齢者に対し医療・介護に余力のある全国41の地域への移住を促すというのだ。
>この提言、要するに、「高齢者は介護施設にあぶれる前に地方へ出ていけ」ということなのか。介護問題に詳しい全国介護者支援協議会の上原喜光理事長はこう言う。
「地方の介護施設や病院などのベッドがあいているからと、縁もゆかりもない土地に行けというのはあまりにも乱暴すぎます。家族や親戚のいない土地へ急に移住して、それまで通りの生活ができるとは思えません。これではまるで“姥捨て”です。そもそも、国は高齢者に住み慣れた地域で充実した医療・介護を提供する『地域包括ケアシステム』を提唱している。今回の提言とは明らかに矛盾しています。菅官房長官にしても『地方創生につながる』と言いますが、地方経済を活性化させるのなら、若年層が地方に行って働ける環境を整えるのが先決でしょう」
1.十分に手を尽くしていないと、警察が家族や医療関係者を逮捕するから。
2.十分に手を尽くしていないと、患者の死後に、家族が豹変するから。
3.十分に手を尽くしていないと、患者の死後に、一度も見舞いに来なかった
親族と称する連中が登場し、医療過誤だのなんだのと因縁をつけて騒ぐから
(たいていは遺産目当てである)。
4.90~100歳に対して可能な限りの延命措置を望む家族が10~15%程度いるから。
4.については減少傾向であるが、1~3についてはあまり変化していない。
国民への啓蒙だけでは不十分で、法律制定を含む制度の整備が必要である。
>「お上は国民の健康を守ってくれない!~ 医者は家族自分には抗がん剤を使わない!
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/07/3725.html
>飯山一郎医療語録
今どきの医者は触診も打診もせず、聴診器も形だけ。ロクな問診もせず症状を訊くだけ。
問診の奥義=ムンテラ(言葉で患者を癒す療法)を知る医師は皆無になった。患者を癒やそうとせず、患者を脅しまくる医者だけになった。
医者に脅されれば、そのストレスで病状は悪化するに決まっている。そうして次は必ず検査だ。検査データを見なければ、医者は何も分からないからだ。実際は、見ても分からない医者ばかりなのだが…www
その検査データは、体調が悪くなったときの検査データなので、悪い数字が並ぶのは当たり前なのに…、 「良くないです!精密検査が必要です!」などと言われれば、誰だって不安になり、恐怖感とストレスで本当の病気になってしまう。
さよう! 今どきの医者は、病状を悪化させ、病気をつくる存在でしかない。さらに言えば…、病気を治せる医者は、いない!もっと言えば…、人間は病気では死なない!医者の治療で死ぬ!と。
よく学校で「命の大切さ」教えてるけど結局「生に執着」がうまれるか、一度の人生といって好き勝手無責任な生き方するか。
命には限りがある。という事が伝えれば良いと思ってます。今のとこ。
あと長寿県や沖縄など田舎などは高齢者の認知症、介護必要な人少ないみたいです。
都会はいろんな面で変化が激しい。
若いうちは刺激的でいいけど年取ったら負荷多いと思う。
家族が自宅で亡くなった時に救急車を呼ぶと、遺族はさらに辛い目に遭う
ttp://www.mag2.com/p/news/17813
サンダカン
ttp://frequent.soragoto.net/261.html
東南アジア方面は実質華人系がつよい。
華人系墓地は手入れがされているが、日本人墓地は・・・。
2人目を産んだら保育園退園ってどういうこと?
http://woman.president.jp/articles/-/383
アラサー女性を少女漫画の洗脳から解き放て! - 『東京タラレバ娘』
http://news.mynavi.jp/articles/2015/06/15/tarareba/
東村アキコが「作中にビタイチ嘘はない」と宣言、マンガ大賞2015授賞式
ttp://natalie.mu/comic/news/141771
> やっと、終末期に焦点が当たり出した
> 病院がパンクしてしまう
かなり前に『丹波哲郎の大霊界』というのが有名になりましたが、あの頃はまだ日本人の多くが若くて、終末について“真剣”に考える人は少なかったですねぇ…。
↓さすがにこうなって来ると真面目に考えざるを得ないのかも…。(苦笑)
http://homepage3.nifty.com/joharinokagami/220001.html#221376
http://homepage3.nifty.com/joharinokagami/sanriku.html#034835
> 日本はなぜこれほどまでに「病院死」比率が高いのか
> 今どきの医者は、病状を悪化させ、病気をつくる存在
↓ネットではかなり有名な話ですが…。
■お年寄りを殺す毒殺マニュアル
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1785069.html
『薬漬けにする』『「そろそろ殺すか」という段になると、肺炎ということで提携病院に送り込む』
そして病院で死ぬ…。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe600.html
『ユダヤ人は伝統的に、金融・流通・知的職業(医師・弁護士・学者・芸術家など)には強い』
東アジアにおけるユダヤ的存在は朝鮮人…。
> 最近では出産から死まで病院で行われる
少子化の一因として、病院が出産をコントロールしている可能性も考えられますが…。伝統的日本人の子供は流産させ、ニセ日本人(朝鮮・中国系)の子供は無事出産させるとか…。最近の日本の子供の顔つきや体型って、私が子供の頃とはかなり違いますし…。どう見ても、今の子供は朝鮮・中国系DNAが濃い…。
家で死のうものなら、変死扱いになり警察沙汰だ。
検死が行われ誰が殺したかという所jから話が始まる。
一方病院で死ねば後の処理は安らかなものだ。
家族の誰もが病院で死なせたがる。
簡単なことだ。法律が悪いんだよ。そしてそれに
安住する儲け主義に徹する医者たちが。
敗戦の、おきな影響はそれで、東宮一家を見れば十分でしょう。
戦前は家と言うもを基準に動き、明治の文学はこれとの抗争で、漱石鴎外、二葉亭、樋口一葉斉藤緑雨、中島敦といった人々以外は,遊郭文学を作ったに過ぎない。
藤村操の寝言もその一部分にすぎない。
先日も遺産相続で話になったが、その場にいた全員が、
戦前と同じ戸主というものをつくって、その人が相続して、その代わり、前の戸主の面倒はみる。それにしないとわが国の家族は壊れる、少子化もなくならない。それだといわゆる年金問題もなくなり、その領域の政府政策および人員もいらなくなるなあ。戦争に負けたことはおおきい。
となった。
この点朝鮮人の家族観は一応参考にはなるが、わが国独自の思想、家のほうがはるかに近代的で、問題解決の思想としては強力です。
事はそれです。
もうひとつ肝心なことでわが国の姥捨ては子供が親を捨てるのではなく、親が自ら姨捨へ行くということです。
ここをまちがえてはいけない。ここにわが国の独特の親子観があり、学校で保護者というわけのわからない言葉を使うからなおさらです。親がいる子といない子との違いはわが国ではきわめておおきい。
この文化を我々日本人は明快に自覚して、行動をすることです
、父母が 頭かきなで はく(幸い)あれと
いいしけとばせ(言葉のこと) 忘れかねつる
万葉集の和歌だがこれにたいして
父母が 花にしあれば 草枕
旅にゆかば ささごて行かん(携えていくこと)
で答えた。
大東亜戦争におけるいろいろな文書を読むとこの精神が息づいている。
それを失ったことが敗戦のメインです。三島由紀夫の
などて すめらぎは人となりたまいし
も同じ事で、昭和14年だったか萩原朔太郎が<絶望からの逃走>に、学校で<うそを教えられた>とかいたことも同じことです。
崩御された昭和天皇はこの敗戦の回復には200年はかかると述べられたというが、もっとかかるようです。
目を覚ませ、日本人よ、
ソウル、上海、北京、モスクワ、ニュウヨーク、ワシントンパリ、ロンドン、ベルリン、ローマ アムステルダム、その他を攻撃する気概を持て。
一国一文明国家わが国。
日米同盟は危ういものがあるが、ひざをおってでも私は堅持することを主張しまた実行するものだ。。それがわが国の相対的な繁栄の元ですが、去れどもである。
ことこれは自分の命に関わることなので、誰も声を大にして語りたがらないが、2050年になると、現在より若者人口(労働人口)は半減し、老人(要介護人口)は倍増する。これがどういう世界になるか分かる? 老人のために北朝鮮並みの貧しい国に日本はなるということです。
いくら少子化対策を打っても効果は無い。というのはは、若者が結婚にそれほど価値を見いださなくなった事でも分かる。未婚女性のなんと3割は子供を生み育てることに消極的なのである。なぜか。今のままが幸せであり、未来に希望も期待も持てないから。これ以上、老人のために給料から天引きが増えることを喜ぶ人はいないでしょう。
まず、長生きすることが絶対善であるという倫理観を改めること。私は75をメドに自分のデスノートを描いています。具体的には、自分で用便も果たせないような立場になったら、国家のために死のうと思っています。これは老人全てがそうするべきと思うんですが、国家に対して「遺書」を書く習慣を持たねばダメですね。自分で下の世話も出来なくなったら、潔く国のために死を選んだらどうですか。
健康なうちに、「リビングウィル」を書いて、認知症、植物人間になったら、尊厳死をお願い致しますと一筆を書いておく。これだけでも、医療費はだいぶ助かるでしょう。人間、人の世話になるようになってまで生きていてはいけない。そういう新たな倫理観を打ち立てねば、老若男女、共倒れで国家は破滅です。それでも長生きしますか?
多額の手術にかかる医療費の支払と身内の協力を強いる事になるからね。(自己負担額は、それほどでも無くても公的保険への請求額は、数百万円にもなるからね。老人は、若い人の事も考えてね。)
癌、栓塞、卒中のような病気ならば、治療しなければ死にいたるけど、骨折では中々死なないし、今の時代にギブスを装着しての自宅療養という「放置状態」にしておくこともできない。そんなことをすれば、要保護遺棄致死罪に問われかねないからね。
警告しておくと、ダイエットに熱心な女性は、即ダイエットなぞ止める必要があるよ。閉経後に骨粗しょう症になって、ちょっとした衝撃で骨折しやすい体(硬い盤面の椅子に勢いよく座っただけでこ骨折するような)になりたくなければね。
時間外や休みは当番医。知ってるけど、休みはどっかへ旅行してる。かかりつけ医とか言うけど、どういうものがかかりつけ医かわからないし。
だから救急車を呼んで病院のお世話になる。
解決策は、個人医なんてやめて病院管轄の診療所を作って年中無休でやればよい。医師は交代制。
■大塚ひかり/著『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』
http://www.soshisha.com/book_wadai/books/2117.html
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七十過ぎても婚活!七十爺と八十爺が出世争い!……昔の老人はヤバかった!!
「昔(前近代)の老人」というと、子や孫に囲まれ茶などをすすって隠居暮らしをする老人像を思い浮かべがちですが、実態はまるで違います。
介護してほしくて三、四十歳年下の尼と同棲したものの財産を強奪され殺されそうになる七十歳の僧侶(『沙石集』鎌倉時代)。
貧しさから七十歳を過ぎても行商と婚活に明け暮れる老尼(『おようの尼』室町末期~江戸初期)。
老いてなお出世したくて八十過ぎの寺の長官を猛毒キノコで殺めようとする七十歳の次席僧(『大鏡』平安後期)。
認知症だったかもしれないのに息子に「鬼婆」扱いされ見棄てられる老母(『今昔物語集』平安末期)。
じつは八十歳の老母と二人暮らしだった四十代初老独身の浦島太郎(香川に伝わる「浦島太郎」)などなど。
どれも超高齢社会の現代日本にいてもおかしくない人たちばかりです。
そんな老人たちを生んだ社会背景についても、学術文献を援用しつつ易しく解説。
たとえば、奈良・平安時代の官僚は七十歳が定年だったので超高齢老人同士の出世争いもありえたとか、結婚率の低かった十七世紀以前は独居老人が多く老いてなお婚活に迫られることが多々あった、などなど。
物語を楽しみつつ歴史を学べる仕立てになっています。
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