るいネットさんのサイトより
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=305333
<転載開始>
中核となる八咫烏は12人――「十二烏」といい、このメンバーに欠員が出るとそのつど補充されるようになっているのです。これら12烏のさらに上に八咫烏の大ボスが3人います。これら3人が12烏の中の3人か別の3人かは分かりませんが、彼らは他の八咫烏から「大烏」と呼ばれています。「三羽烏」というのはここからきています。
(RAPT註:基本的に、キリスト教の世界では烏「からす」は不吉な鳥、サタンを象徴する鳥と考えられています。)
この三羽烏は、造化三神(三神にして一神/絶対神)に対応しているのですが、裏天皇というのはこの三羽烏のことをいっているのです。つまり、表の天皇は1人ですが、裏の天皇は3人で1人なのです。絶対三神が唯一神を形成するように3人で裏天皇を務めているのです。
(305029)
八咫烏を考察するにあたり、烏と縁の深いものを捉えてみる。
鳥居には、どんな鳥が住んで居るのでしょうか?
八幡宮とかなら、鳩とか似合いそうなもんですけど、、、
実際は鳥居に住む鳥は、鳩ではない。
リンクより以下転載。
古代の中国を考えてみる。
例えば、湖南省長沙の馬王堆の「帛」には、月の中のヒキガエルと対をなすように、太陽の中に、烏(カラス)が描かれているのが分かります。
したがって、"カラスは太陽神の使い"である事が分かります。
一方、日本の神社を見て見ましょう。
日本の神社は、ご神体が鏡です。
「この鏡が何を意味するか?」と言えば、、、
古事記の中で、下記のように書かれているのが、鏡を信仰する由来になっています。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、
この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下された。
鏡に映ったのは太陽神です。
したがって、天照大神を祀る日本の神社は、基本的に太陽神を祀る神社なのです。それで、古代中国においては、"カラスは太陽神の使い"でした。
したがって、太陽神である天照大神の使役する鳥も、またカラスなのです。
だからこそ、鳥居は、カラスの住む場所と言えるのです。
そして、大事な事ですが、太陽に住む烏(カラス)は、
古代中国の時代から"3本足のカラス金烏(きんう)である"と信じられてきました。
3本足のカラスには、熊野の八咫烏がありますが、元々は、金烏だったのが、日本において八咫烏となっています。
日本にも幾つか、3本足の鳥居が残されている神社が見られます。
▼木島坐天照御魂神社の三柱鳥居 等
他にも、あちこち見られますが、実は、これらのような3つの足のある鳥居が、、、本来の鳥居の形なのです。
(中略)
その3本足が2本足に変わったのは、
その昔、藤原不比等の治世の時、唐の高宗の皇后であった武則天が、
★景教(ネストリウス派キリスト教)弾圧を始めたからだ、、、とも言われています。
そのため、唐の弾圧を恐れた日本は、国家ぐるみで、仏教に転身することになり、3本足だった鳥居も、消されていったと屋外の神域を守る門の役割を果たしているのが、鳥居であり、屋内の神域を守る門の役割を果たしているのが、鴨居です。
鳥居も鴨居に共通する「居」には、「くぐる」という意味があり、鳥居も鴨居も、その中を人が通行するものです。
このようにして見ると、「鳥居の烏」と「鴨居の鴨」は、それぞれ対応しており、烏(=八咫烏)と鴨(=賀茂氏)は表裏一体の関係にある事が暗示されています。
なお、賀茂氏は、後に述べる秦氏とは古代に婚姻関係で結ばれた氏族です。
秦氏本系帳には、「鴨氏人を秦氏の聟(むこ)とし、秦氏、愛聟(あいむこ)に鴨祭を譲り与う。故に今鴨氏禰宜として祭り奉るのはこの縁なり」と書かれています。
■三井家のルーツ
ところで、少し話は変わりますが、日本の財閥で三井グループというのがあります。
実は、木島坐天照御魂神社の三柱鳥居や、三囲神社(みめぐりじんじゃ)の三柱鳥居など、これら三柱鳥居の幾つかは、三井グループの三井氏と関係があります。
この三井氏のルーツについては、一般的には元々は藤原道長で、道長の六世孫が、大和の三井村に所領を持った所から、三井家と名乗っていると言われています。
しかし、この三井家は、その15代目の時に近江佐々木氏から養子を迎えています。
この影響は、三井家の家紋にも見られます。
三井氏は、養子を迎えた近江佐々木氏の四つ目結紋を、そのまま使っています。
この近江佐々木氏一族の住む近江南部は、 依知秦氏(えちはたし)など、渡来人である秦氏が多く住んでいる地域です。
さらに、近江佐々木氏(佐々木六角氏)の拠点とも言える繖山(きぬがさやま)には、観音正寺がありますが、これまた秦氏と縁の深い聖徳太子の創建とされています。
(※昨今は、聖徳太子は架空の人物で、その正体は秦河勝であると言われています)
こういった所から察すると、近江佐々木氏は秦氏と縁の深い一族であって、三井家も秦氏である可能性が非常に高いように思われます。
例えば、管理人は当サイトで常々、「君が代の謎」について書いていますが、君が代の策定には、随所に秦氏の影響が見られます。
①「君が代」の和歌を詠んだ人物は、近江佐々木氏の支配地域に近い"君ヶ畑"出身
②君が代を国歌として詠まれるきっかけになったのは島津氏で、島津氏は秦氏
③君が代の作曲に関わった、宮内省の林広守は、秦河勝の三男の末裔
<転載終了>
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=305333
<転載開始>
中核となる八咫烏は12人――「十二烏」といい、このメンバーに欠員が出るとそのつど補充されるようになっているのです。これら12烏のさらに上に八咫烏の大ボスが3人います。これら3人が12烏の中の3人か別の3人かは分かりませんが、彼らは他の八咫烏から「大烏」と呼ばれています。「三羽烏」というのはここからきています。
(RAPT註:基本的に、キリスト教の世界では烏「からす」は不吉な鳥、サタンを象徴する鳥と考えられています。)
この三羽烏は、造化三神(三神にして一神/絶対神)に対応しているのですが、裏天皇というのはこの三羽烏のことをいっているのです。つまり、表の天皇は1人ですが、裏の天皇は3人で1人なのです。絶対三神が唯一神を形成するように3人で裏天皇を務めているのです。
(305029)
八咫烏を考察するにあたり、烏と縁の深いものを捉えてみる。
鳥居には、どんな鳥が住んで居るのでしょうか?
八幡宮とかなら、鳩とか似合いそうなもんですけど、、、
実際は鳥居に住む鳥は、鳩ではない。
リンクより以下転載。
古代の中国を考えてみる。
例えば、湖南省長沙の馬王堆の「帛」には、月の中のヒキガエルと対をなすように、太陽の中に、烏(カラス)が描かれているのが分かります。
したがって、"カラスは太陽神の使い"である事が分かります。
一方、日本の神社を見て見ましょう。
日本の神社は、ご神体が鏡です。
「この鏡が何を意味するか?」と言えば、、、
古事記の中で、下記のように書かれているのが、鏡を信仰する由来になっています。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、
この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下された。
鏡に映ったのは太陽神です。
したがって、天照大神を祀る日本の神社は、基本的に太陽神を祀る神社なのです。それで、古代中国においては、"カラスは太陽神の使い"でした。
したがって、太陽神である天照大神の使役する鳥も、またカラスなのです。
だからこそ、鳥居は、カラスの住む場所と言えるのです。
そして、大事な事ですが、太陽に住む烏(カラス)は、
古代中国の時代から"3本足のカラス金烏(きんう)である"と信じられてきました。
3本足のカラスには、熊野の八咫烏がありますが、元々は、金烏だったのが、日本において八咫烏となっています。
日本にも幾つか、3本足の鳥居が残されている神社が見られます。
▼木島坐天照御魂神社の三柱鳥居 等
他にも、あちこち見られますが、実は、これらのような3つの足のある鳥居が、、、本来の鳥居の形なのです。
(中略)
その3本足が2本足に変わったのは、
その昔、藤原不比等の治世の時、唐の高宗の皇后であった武則天が、
★景教(ネストリウス派キリスト教)弾圧を始めたからだ、、、とも言われています。
そのため、唐の弾圧を恐れた日本は、国家ぐるみで、仏教に転身することになり、3本足だった鳥居も、消されていったと屋外の神域を守る門の役割を果たしているのが、鳥居であり、屋内の神域を守る門の役割を果たしているのが、鴨居です。
鳥居も鴨居に共通する「居」には、「くぐる」という意味があり、鳥居も鴨居も、その中を人が通行するものです。
このようにして見ると、「鳥居の烏」と「鴨居の鴨」は、それぞれ対応しており、烏(=八咫烏)と鴨(=賀茂氏)は表裏一体の関係にある事が暗示されています。
なお、賀茂氏は、後に述べる秦氏とは古代に婚姻関係で結ばれた氏族です。
秦氏本系帳には、「鴨氏人を秦氏の聟(むこ)とし、秦氏、愛聟(あいむこ)に鴨祭を譲り与う。故に今鴨氏禰宜として祭り奉るのはこの縁なり」と書かれています。
■三井家のルーツ
ところで、少し話は変わりますが、日本の財閥で三井グループというのがあります。
実は、木島坐天照御魂神社の三柱鳥居や、三囲神社(みめぐりじんじゃ)の三柱鳥居など、これら三柱鳥居の幾つかは、三井グループの三井氏と関係があります。
この三井氏のルーツについては、一般的には元々は藤原道長で、道長の六世孫が、大和の三井村に所領を持った所から、三井家と名乗っていると言われています。
しかし、この三井家は、その15代目の時に近江佐々木氏から養子を迎えています。
この影響は、三井家の家紋にも見られます。
三井氏は、養子を迎えた近江佐々木氏の四つ目結紋を、そのまま使っています。
この近江佐々木氏一族の住む近江南部は、 依知秦氏(えちはたし)など、渡来人である秦氏が多く住んでいる地域です。
さらに、近江佐々木氏(佐々木六角氏)の拠点とも言える繖山(きぬがさやま)には、観音正寺がありますが、これまた秦氏と縁の深い聖徳太子の創建とされています。
(※昨今は、聖徳太子は架空の人物で、その正体は秦河勝であると言われています)
こういった所から察すると、近江佐々木氏は秦氏と縁の深い一族であって、三井家も秦氏である可能性が非常に高いように思われます。
例えば、管理人は当サイトで常々、「君が代の謎」について書いていますが、君が代の策定には、随所に秦氏の影響が見られます。
①「君が代」の和歌を詠んだ人物は、近江佐々木氏の支配地域に近い"君ヶ畑"出身
②君が代を国歌として詠まれるきっかけになったのは島津氏で、島津氏は秦氏
③君が代の作曲に関わった、宮内省の林広守は、秦河勝の三男の末裔
<転載終了>
そういや隼人族も狗吠(犬の鳴き真似)行為をしていたのを思い出しました。