geneumiのブログさんのサイトより
http://ameblo.jp/geneumi/entry-12107893878.html
<転載開始>
人が暮らす場所には道ができます。
車道のことではありません、歩道です。
道幅は5メートルもあれば充分です。
両脇に10メートル間隔で樹木を植えます。
樹木が生えるベルトの幅は任意ですが、できれば10メートル以上の余裕を持たせます。
そこに植物のコロニーをつくります。
芋やトマトやナスやカボチャ、何でもいいのです。
基本手入れをしません。
自生するかの如く育つ植物の適性は地域毎に違います。
それは公共の空間です。
四季折々、時節柄、たまたま通りかかった、何でもOK。
老夫婦の散歩道、今日はなすびを取って帰りましょう。
子どもが遊びのついでに収穫する。
なぜ、こんなことを考えたかと言うと、あるフィリピン人から相談を持ちかけられたからです。
彼の奥さんの故郷はネグロス島。
サトウキビと水田しかないモノカルチャーの島です。
財閥が大地主、その傘下に無数の中地主、小地主がいて最後に小作がいます。
搾取プランテーションとは言いませんが、このようなピラミッド構造がモノカルチャーを支えています。
1974年、砂糖の暴落で多くの餓死者がでました。
大半は幼い子どもでした。
砂糖は先物相場で売り買いされる投機産品です。
生産者とは無縁のところで巨大マネーが動きます。
以前は台風なんて滅多になかった島ですが、昨今は操作台風がかすめます。
相談者の奥さんの実家は小地主といったところでしょうか。
土地を小作に貸し出しては利益を分ける。
それが上手く機能しません。
さすがにモノカルチャーの弊害が分ってきたのでしょうか?
いやいや、そうではなかったのです。
彼は一区画に付き8000ペソの投資をしてくれと言います。
土地の作付けができれば投資額+投資額を遥かに上回る金額をバックすると言います。
長年培ったサトウキビビジネスの鉄板構造が頭の中でガチガチに凝り固まっています。
そこで、こんな提案をしました。
サトウキビを止めるなら8000ペソは差し上げる。
バックは不要。
その代わり、生活道路の周辺に多様な食用作物や果実を植えたらどうか?
別に畑にする必要はないのです。
雑草に紛れて野菜があればいいのです。
例えば住民の家々が集まった場所の共有スペースを利用する。
生活道路の脇でいい。
それは、みんなの共有管理にして、上手く収穫できたら分け合えば宜しい。
植生の多様化。
市場で野菜を買う何分の一でも、手近で間に合えばそれに越したことはない。
それをすこしづつ拡げたらどうか・・・。
ネグロス島のみならず、世界中で同じようにすれば餓死者は減ります。
心の狭い地主など放っておけばいいのです。
人々の生活圏は行政のテリトリー、行政は住民のためにあるのです。
行政は作物のある遊歩道を優先的に整備します。
誰も手入れをしなくてよい、誰も収穫しなくていいのです。
季節季節に花が咲いたり、実が勝手に落ちてそこからまた芽が出たり。
小鳥が遠くへ運んで別の場所で芽を出したり。
成り行きはお天道様に任せます。
土が合わなければ植物は枯れます。
そこにはその場所に適合した植物が育ちます。
食用植物に限ってはダメです。
何でもいいのです。
自然は連鎖です。
連鎖のあるところに循環が生まれます。
私に相談を持ちかけたフィリピン人は実際に奥さんの実家でトライしてみたいと言いました。
日本と違って、ネグロスには土地にゆとりがあります。
かつて、一度だけ訪れたことがあります。
そこで見た光景は何ともモノ寂しいモノカルチャーの風景。
サトウキビ畑に埋もれるように小さな小屋があって、そこから幼い子どもがこちらの様子を伺っています。
強烈な太陽の下、真っ黒な影の中でクリクリの目だけが見えました。
作業道路はサトウキビだけの専用道路。
専用鉄道もあります。
雲一つない星空に、今にも落っこちそうな・お・も・い・つ・き。
考えてみれば形こそ違え、日本の農業も似たり寄ったりです。
豊かさを経済指標でしか見ない人間が人の上に立っています。
今様の農業で、この星は豊かになれません。
自然循環が巡らないのに、人間が幸福になれる道理がないのです。
ネコの額ほどの土地でも、熱帯では一年中何がしか作物がとれます。
温帯の日本も熱帯化していますから、ほぼ一年中何がしかの収穫があるかもしれません。
大規模化、機械化、単位面積あたりの収穫量なんてガチガチの発想が巡りを台無しにしているのです。
近い将来、食物はお金で買うものではなくなるでしょう。
エネルギーと同じように・・・。
<転載終了>
彼の奥さんの故郷はネグロス島。
サトウキビと水田しかないモノカルチャーの島です。
財閥が大地主、その傘下に無数の中地主、小地主がいて最後に小作がいます。
搾取プランテーションとは言いませんが、このようなピラミッド構造がモノカルチャーを支えています。
1974年、砂糖の暴落で多くの餓死者がでました。
大半は幼い子どもでした。
砂糖は先物相場で売り買いされる投機産品です。
生産者とは無縁のところで巨大マネーが動きます。
以前は台風なんて滅多になかった島ですが、昨今は操作台風がかすめます。
相談者の奥さんの実家は小地主といったところでしょうか。
土地を小作に貸し出しては利益を分ける。
それが上手く機能しません。
さすがにモノカルチャーの弊害が分ってきたのでしょうか?
いやいや、そうではなかったのです。
彼は一区画に付き8000ペソの投資をしてくれと言います。
土地の作付けができれば投資額+投資額を遥かに上回る金額をバックすると言います。
長年培ったサトウキビビジネスの鉄板構造が頭の中でガチガチに凝り固まっています。
そこで、こんな提案をしました。
サトウキビを止めるなら8000ペソは差し上げる。
バックは不要。
その代わり、生活道路の周辺に多様な食用作物や果実を植えたらどうか?
別に畑にする必要はないのです。
雑草に紛れて野菜があればいいのです。
例えば住民の家々が集まった場所の共有スペースを利用する。
生活道路の脇でいい。
それは、みんなの共有管理にして、上手く収穫できたら分け合えば宜しい。
植生の多様化。
市場で野菜を買う何分の一でも、手近で間に合えばそれに越したことはない。
それをすこしづつ拡げたらどうか・・・。
ネグロス島のみならず、世界中で同じようにすれば餓死者は減ります。
心の狭い地主など放っておけばいいのです。
人々の生活圏は行政のテリトリー、行政は住民のためにあるのです。
行政は作物のある遊歩道を優先的に整備します。
誰も手入れをしなくてよい、誰も収穫しなくていいのです。
季節季節に花が咲いたり、実が勝手に落ちてそこからまた芽が出たり。
小鳥が遠くへ運んで別の場所で芽を出したり。
成り行きはお天道様に任せます。
土が合わなければ植物は枯れます。
そこにはその場所に適合した植物が育ちます。
食用植物に限ってはダメです。
何でもいいのです。
自然は連鎖です。
連鎖のあるところに循環が生まれます。
私に相談を持ちかけたフィリピン人は実際に奥さんの実家でトライしてみたいと言いました。
日本と違って、ネグロスには土地にゆとりがあります。
かつて、一度だけ訪れたことがあります。
そこで見た光景は何ともモノ寂しいモノカルチャーの風景。
サトウキビ畑に埋もれるように小さな小屋があって、そこから幼い子どもがこちらの様子を伺っています。
強烈な太陽の下、真っ黒な影の中でクリクリの目だけが見えました。
作業道路はサトウキビだけの専用道路。
専用鉄道もあります。
雲一つない星空に、今にも落っこちそうな・お・も・い・つ・き。
考えてみれば形こそ違え、日本の農業も似たり寄ったりです。
豊かさを経済指標でしか見ない人間が人の上に立っています。
今様の農業で、この星は豊かになれません。
自然循環が巡らないのに、人間が幸福になれる道理がないのです。
ネコの額ほどの土地でも、熱帯では一年中何がしか作物がとれます。
温帯の日本も熱帯化していますから、ほぼ一年中何がしかの収穫があるかもしれません。
大規模化、機械化、単位面積あたりの収穫量なんてガチガチの発想が巡りを台無しにしているのです。
近い将来、食物はお金で買うものではなくなるでしょう。
エネルギーと同じように・・・。
<転載終了>