geneumiのブログさんのサイトより
http://ameblo.jp/geneumi/entry-12136156986.html
<転載開始>
悪魔が跋扈する地上世界。
随所に顔を出す惨状。
大惨事世界大戦の口火が切られるかに見えるが、そうはならない。
確かに目を覆わんばかりの局所的な地獄の様相。
国や地域で言えばイスラエル、ウクライナ。
日本でも若い女性の凄惨な殺人事件。
すべての出来事が報道される訳ではないが、官制マスゴミの時代と違い、ネットでは局所の小さな出来事も伺い知ることが出来るようになった。
ざっくりとした感触でしかないが、すべては見事にシンクロする。
G8の中でも、最も長期的虐待を受ける日本民族の傷は深い。
ガバメントの自立性が高いその他のG8では、一部、出生率の好転が見られる地域もある。
日本は長期低落傾向に歯止めがかからない。
タダでさえ少ない子どもの貧困率が高いのは痔罠党的絶望社会のシナリオ通り。
犯人探しは意味がない。
悪いのは親であり、祖父母である。
悪しき慣習を受け入れたから、そうなっただけのこと。
世界中の惨劇のボルテージが上がれば、それに呼応した悲劇がシンクロする。
作用力点は何処か?
責任世代の意識である。
争わないのは正しい選択である。
右の頬を引っ叩かれても、黙って耐えるのは弱さ故ではない。
だが、日頃、漠然と世の中の仕組みに飼い馴らされることと、それとは意味が違う。
ひとえに、見守る力が足りない。
我が身のことで手一杯。
では、せめて我が身(身の回り)のことくらい、しっかり見守り、育み、愛でる意識をもったらどうか。
我が身とは己自身、家族すら対象外な大人が多過ぎる。
それはカタチを変えたDVである。
今どきの結婚は苦しみの連続、子育ては不利益のカタマリ。
老老介護、認知症同士の程度問題。
その原因を探れば、自ずと仕組みの歪みにぶち当る。
だが、それに真っ向意識を向けようとしない。
いつの間にか生活水準が低下し、可処分所得はスズメの涙。
税金だけが世界一。
それでも、だまって仕組みに従えば波風が立たない?
本人の選択によって一家親族が消滅するのは勝手である。
戦後、大量の男子を喪失した日本民族は、滅びの運命を背負った。
家族は絶家を目指して一直線。
そのための高度成長、バブル崩壊、屈辱にまみれた心の傷は闘争心を奪う。
目先の利は、モノゴトの循環を見えなくする。
単位面積あたりの農薬・化学肥料使用量を比較すると中国は1/1250だそうだ。
一般的中国人の食生活は総じてオーガニック。
日本向け輸出製品(量販店向けマスプロ/養殖事業)が酷い汚染を生み出している。
食文化の進んだ中国人(都市部の一部を除く)の味覚は日本人より遥かに優れている。
では、汚泥で育てたうなぎやエビ、カタチだけきれいな毒野菜を作らせているのは誰か?
アメリカ資本や日本の商社である。
そのほとんどは半年~1年以上前にバイヤーが買い付ける大型量販店(ファーストフードやファミレス)の店頭に並ぶ。
マトモな中国人から見れば、日本人は家畜のエサを食う民族としか見えない。
中国人の食品加工会社は家畜飼料原料をつくる感覚。
商社マンはさしずめ悪徳動物園の飼育係。
以前、フィリピンで日本食の試食会をひらいた。
奥様(比較的高齢)方が、肉じゃがなどの簡単な日本食を作り、現地スタッフにふるまった。
元コックのフィリピン人スタッフがその様子をつぶさに観察して、後でこう言った。
「ダシ、だしの素、つゆのもとは、インスタントだろ」
「日本人はインスタントしか使わないのか?」
和食はダシが命。
日本食が優れているのは、ダシにカロリーがほとんどないのに旨味がしっかりあること。
だが、今どきの家庭でダシをとるだろうか?
みそ汁ですらダシの素(いわゆる味の素入り)、あるいは、ダシ入り味噌。
何が言いたいのかといえば、大型量販店やコンビ二隆盛は、滅びの加速度。
支配構造から見れば恰好のバロメータである。
そうすると、うちの田舎にやっとイオンが出来た・・・とか、
都会だけが便利で田舎がどんなに苦労しているか分らないのか?
とか、言われる。
その通りであるが、日本はツヅ浦々までフェイクが当たり前になった。
余程恵まれた僻地でもない限り、日常的にダシをとって食彩を彩る食卓には巡り会えない。
もっとも、料亭の椀ものばかりいただいていたら、これまた健康に宜しくない。
ダシに加えて地の食材。
海の幸でも山の幸でも取れ立ての食材。
その違いを失って、子どもにどう成長しろというのか?
フェイクの味覚、工場栽培の見た目きれいな野菜。
そんなモノを喰わされる脆弱な意識体が、弱肉強食の獣の掟に弄ばれたら勝ち目はない。
そんなこと言われたって生まれたときからインスタントが当たり前の親世代。
今さら、どうしろというのか?
遺伝子消滅の片道切符を断ち切るつもりなら、みそ汁のダシくらいとったらどうか。
地獄の裂け目がシンクロして、日本民族の遺伝子撲滅作戦も佳境に入っている。
子どもがあろうがなかろうが一人の日本人が家畜ではなく、人間として人生を全うする意識を持たなければモノゴトは始らない。
上から目線で理屈を言うのはその後である。
<転載終了>
ガバメントの自立性が高いその他のG8では、一部、出生率の好転が見られる地域もある。
日本は長期低落傾向に歯止めがかからない。
タダでさえ少ない子どもの貧困率が高いのは痔罠党的絶望社会のシナリオ通り。
犯人探しは意味がない。
悪いのは親であり、祖父母である。
悪しき慣習を受け入れたから、そうなっただけのこと。
世界中の惨劇のボルテージが上がれば、それに呼応した悲劇がシンクロする。
作用力点は何処か?
責任世代の意識である。
争わないのは正しい選択である。
右の頬を引っ叩かれても、黙って耐えるのは弱さ故ではない。
だが、日頃、漠然と世の中の仕組みに飼い馴らされることと、それとは意味が違う。
ひとえに、見守る力が足りない。
我が身のことで手一杯。
では、せめて我が身(身の回り)のことくらい、しっかり見守り、育み、愛でる意識をもったらどうか。
我が身とは己自身、家族すら対象外な大人が多過ぎる。
それはカタチを変えたDVである。
今どきの結婚は苦しみの連続、子育ては不利益のカタマリ。
老老介護、認知症同士の程度問題。
その原因を探れば、自ずと仕組みの歪みにぶち当る。
だが、それに真っ向意識を向けようとしない。
いつの間にか生活水準が低下し、可処分所得はスズメの涙。
税金だけが世界一。
それでも、だまって仕組みに従えば波風が立たない?
本人の選択によって一家親族が消滅するのは勝手である。
戦後、大量の男子を喪失した日本民族は、滅びの運命を背負った。
家族は絶家を目指して一直線。
そのための高度成長、バブル崩壊、屈辱にまみれた心の傷は闘争心を奪う。
目先の利は、モノゴトの循環を見えなくする。
単位面積あたりの農薬・化学肥料使用量を比較すると中国は1/1250だそうだ。
一般的中国人の食生活は総じてオーガニック。
日本向け輸出製品(量販店向けマスプロ/養殖事業)が酷い汚染を生み出している。
食文化の進んだ中国人(都市部の一部を除く)の味覚は日本人より遥かに優れている。
では、汚泥で育てたうなぎやエビ、カタチだけきれいな毒野菜を作らせているのは誰か?
アメリカ資本や日本の商社である。
そのほとんどは半年~1年以上前にバイヤーが買い付ける大型量販店(ファーストフードやファミレス)の店頭に並ぶ。
マトモな中国人から見れば、日本人は家畜のエサを食う民族としか見えない。
中国人の食品加工会社は家畜飼料原料をつくる感覚。
商社マンはさしずめ悪徳動物園の飼育係。
以前、フィリピンで日本食の試食会をひらいた。
奥様(比較的高齢)方が、肉じゃがなどの簡単な日本食を作り、現地スタッフにふるまった。
元コックのフィリピン人スタッフがその様子をつぶさに観察して、後でこう言った。
「ダシ、だしの素、つゆのもとは、インスタントだろ」
「日本人はインスタントしか使わないのか?」
和食はダシが命。
日本食が優れているのは、ダシにカロリーがほとんどないのに旨味がしっかりあること。
だが、今どきの家庭でダシをとるだろうか?
みそ汁ですらダシの素(いわゆる味の素入り)、あるいは、ダシ入り味噌。
何が言いたいのかといえば、大型量販店やコンビ二隆盛は、滅びの加速度。
支配構造から見れば恰好のバロメータである。
そうすると、うちの田舎にやっとイオンが出来た・・・とか、
都会だけが便利で田舎がどんなに苦労しているか分らないのか?
とか、言われる。
その通りであるが、日本はツヅ浦々までフェイクが当たり前になった。
余程恵まれた僻地でもない限り、日常的にダシをとって食彩を彩る食卓には巡り会えない。
もっとも、料亭の椀ものばかりいただいていたら、これまた健康に宜しくない。
ダシに加えて地の食材。
海の幸でも山の幸でも取れ立ての食材。
その違いを失って、子どもにどう成長しろというのか?
フェイクの味覚、工場栽培の見た目きれいな野菜。
そんなモノを喰わされる脆弱な意識体が、弱肉強食の獣の掟に弄ばれたら勝ち目はない。
そんなこと言われたって生まれたときからインスタントが当たり前の親世代。
今さら、どうしろというのか?
遺伝子消滅の片道切符を断ち切るつもりなら、みそ汁のダシくらいとったらどうか。
地獄の裂け目がシンクロして、日本民族の遺伝子撲滅作戦も佳境に入っている。
子どもがあろうがなかろうが一人の日本人が家畜ではなく、人間として人生を全うする意識を持たなければモノゴトは始らない。
上から目線で理屈を言うのはその後である。
<転載終了>