社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1053553829.html
<転載開始>
【放射能を拡散させた原発事故は,どう観られるべきか?】
【疑問ばかり残る東電側の説明】
【技術の論理を歪曲し,否定する政治の論理】
①「〈東日本大震災〉福島第1原発事故 炉心溶融マニュアル,なぜ5年後『発見』? -東電第三者委調査へ-」(『毎日新聞』2016年2月29日朝刊)
★ 隠蔽なかったか焦点 ★
a) 東京電力が福島第1原発事故以降,核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判断する社内マニュアルの存在に気づかず,今月〔2016年2月〕になって「発見」したとされる問題で,東電は第三者委員会を設置して経緯を調べる方針を示している。
問題の背景には,安全神話に陥っていた意識の甘さにくわえ,「炉心溶融」との言葉に神経質だった,当時の政権の顔色をうかがう東電の萎縮ぶりがみえる。第三者委の調査は「なぜ5年もみつからなかったか」「隠蔽はなかったのか」が焦点になる。
「溶融の判断が(あったか)どうかは分からない」。震災当時,東電フェローとして事故対応に当たった,日本原子力産業協会の高橋明男理事長は2月25日の定例記者会見で,マニュアル問題への明言を避けた。当時の社内テレビ会議では炉心溶融を前提に議論していた記録が残るが「記憶にない」と言葉を濁した。
「発見」されたのは,2003年に作られた原子力災害対策マニュアル。溶融は「炉心損傷割合が5%超」と定義され,これに従えば事故3日後に判定ができたはずだが,認めたのは2カ月以上後だった。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1053553829.html
<転載開始>
【放射能を拡散させた原発事故は,どう観られるべきか?】
【疑問ばかり残る東電側の説明】
【技術の論理を歪曲し,否定する政治の論理】
①「〈東日本大震災〉福島第1原発事故 炉心溶融マニュアル,なぜ5年後『発見』? -東電第三者委調査へ-」(『毎日新聞』2016年2月29日朝刊)
★ 隠蔽なかったか焦点 ★
a) 東京電力が福島第1原発事故以降,核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判断する社内マニュアルの存在に気づかず,今月〔2016年2月〕になって「発見」したとされる問題で,東電は第三者委員会を設置して経緯を調べる方針を示している。
問題の背景には,安全神話に陥っていた意識の甘さにくわえ,「炉心溶融」との言葉に神経質だった,当時の政権の顔色をうかがう東電の萎縮ぶりがみえる。第三者委の調査は「なぜ5年もみつからなかったか」「隠蔽はなかったのか」が焦点になる。
「溶融の判断が(あったか)どうかは分からない」。震災当時,東電フェローとして事故対応に当たった,日本原子力産業協会の高橋明男理事長は2月25日の定例記者会見で,マニュアル問題への明言を避けた。当時の社内テレビ会議では炉心溶融を前提に議論していた記録が残るが「記憶にない」と言葉を濁した。
「発見」されたのは,2003年に作られた原子力災害対策マニュアル。溶融は「炉心損傷割合が5%超」と定義され,これに従えば事故3日後に判定ができたはずだが,認めたのは2カ月以上後だった。
b) マニュアルは隠蔽されたのか。作成前の1997〜2000年に福島第1原発所長を務めた二見常夫東京工業大学特任教授は「社内でまとめたものの,溶融はありえないとの思いこみで共有されず,忘れたのではないか」と指摘する。
だが,作成に関与した社員は必らずいる。事故時に存在を明かさなかった理由として考えられるひとつは,政府の意向への配慮である。
1号機が水素爆発した2011年3月12日の記者会見で,当時の原子力安全・保安院審議官〔⇒後掲するが中村幸一郎審議官〕が「炉心溶融」を明言したが,壊滅的印象を与えかねない言葉による混乱を恐れた官邸が保安院に注意し,審議官は更迭された。以後,東電も「損傷」などの表現を使うようになった。官邸を意識した東電が,マニュアル確認という基本動作をせずに放置した可能性もある。
社内の事故調査報告書(2012年)は,マニュアルには触れておらず,調査のずさんさも浮かぶ。今回の第三者委もこうした「お手盛り」に終われば,批判を浴びる恐れもあり,柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を控えた東電は追いつめられた格好である。
註記)http://mainichi.jp/articles/20160229/ddm/002/040/067000c 〔 〕内補足は引用者。
②「〈福島原発事故〉事故翌日『スリーマイル超える』震災当初の保安院広報 中村幸一郎審議官」(『東京新聞 TOKYOWeb』2012年2月22日)
福島第1原発の事故当初,記者会見で交代は発言とは無関係だと強調したしたのち,経済産業省原子力安全・保安院の広報担当を交代した中村幸一郎審議官(52歳・当時)が〔2012年2月〕21日,本紙のインタビューに応じ,その経緯などを語った。
事故は深刻で,発生翌日には,米スリーマイル島原発事故を超えると思ったと当時の認識を語る一方,交代は発言とは無関係だと強調した。
補注)「交代は発言とは無関係だと強調した」という中村幸一郎元審議官の説明は,当時からほとんど説得力が皆無であった。原発事故を原因とする混乱・恐慌(パニック)状態の惹起・発生を恐れた政府側(広義では原子力村側)が,中村の事実に関する発言を焦慮して,急遽,彼を担当から外して交替させたというのが真相ではないか。そう推測したほうが,より自然な受けとめ方であった。
なぜなら,2011年3月12日の時点では,炉心溶融現象が原子炉内のどこであれ,すでに始まっていたのである。正直に「『炉心溶融』を明言した」中村幸一郎審議官の発言(推理)が,間違っていたのではない。この発言を隠蔽しておく必要のあった側が,中村審議官を引っこめた。これが真相であった。
しかも,1年近くも時が経ってから当人をマスコミに登場させて,前述の記事のような弁解をさせている。これは手順として観るにきわめて不自然であって,なんらかの意図の介在を推測させる。
本ブログ筆者は,2011年3月12日午前中に,NHKラジオの原発事故に関するニュースを聴いたとき感じたのは,東電福島第1原発では相当に深刻な事態になっているのではないかという1点であった。というのは,そのニュースを報じるアナウンサーが話す内容が「非常に判りにくい」表現であったが,ともかく福島では重大な事故が起きているのだという印象をもったことは,いまでも記憶に強く残っている。
素人の人間でもその程度に理解した原発事故の状況を,専門的に原子力工学を学んだ中村幸一郎審議官(当時)が,関連する情報を集めながら総合的に分析すれば,東電福島第1福島で炉心溶融の事故が発生としたと推理するのは,当然過ぎる判断であったといっていい。
〔記事本文に戻る→〕 交代の経緯は,政府事故調査・検証委員会の中間報告でも検証されているが,報道機関に詳細を語るのは初めてという。中村氏は,1号機の原子炉を覆う格納容器の圧力が上昇した昨〔2011〕年3月12日未明には「難しい状況に入ってきているなと思った」と,当時の認識を説明。
消防車で注水を始めたのに,原子炉の水位が低下している状況をとらえ「(過熱した)核燃料の溶融が始まっている可能性がある」と考えた。大学で学んだ原子力工学の知識も判断を下支えした。同日午前の会見で,「(核燃料を覆う)被覆管が一部溶け始めていることも考えられる」と,初めて溶融の可能性に言及した。
午後の会見前には,「コア(幹部)の人たちはそういう(溶融の可能性があるとの)認識をもっていた」と,寺坂信昭院長(当時)らと認識を共有していたと説明。寺坂氏の了承をえて,会見で「炉心溶融の可能性がある。ほぼ進んでいるのではないか」と踏みこんだ経緯を説明した。
その後,首相官邸側が保安院の説明に懸念を示しているとの情報をえた寺坂氏から,ほかの審議官を介して「発言に注意するように」と指示された。中村氏は同日夕の会見を最後に広報担当を交代した。その後,保安院の説明は「炉心が破損」など「溶融」を使わなくなった。
このため,溶融発言によって交代させられたと受けとられてきたが,中村氏は「一,2時間おきに計十数回,25~26時間寝ずに会見をし,長い仕事になると思ったので休もうと考えた」と,みずから願い出ての交代だったと強調した。
註記)http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012022202100005.html
以上の引用中,最後の2段落の記事における当人の説明は,かなり不自然である。これ以外に形容のしようがないほど奇妙でもある。以上の説明のなかにおいては,『寺坂信昭院長⇔中村幸一郎審議官』という安全保安院組織の上に,さらに覆い被さっている政府当局(当時の民主党政権)が,特定の機能を果たしていた事実が観取できる。
東電側がようやく炉心溶融の事実を認めるのは,事故2カ月後の2011年5月になってからであった。最近〔2015年2月下旬〕,東京電力が炉心溶融(メルトダウン)の判定基準を定めた社内マニュアルがあるのを「原発事故後5年間見過ごしていた問題」が,東電側自身の自白で判明した。
いずれにせよ,福島第1原発事故発生直後から始まっていた炉心溶融問題を,あれこれ不透明な事情経過があるなかで,さらにできるかぎり曖昧にさせつつ隠蔽してきた政治的な事実・事情は,政府も東電も「共犯的な動機」をもって絡んでいたと推認するほかあるまい。
③ 炉心溶融は圧力容器を抜け落ちてから格納容器内で収まっているのか
本ブログは,東電福島第1原発事故(第1・2・3号機の3基)においては,溶融した核燃料のデブリが格納容器も抜け落ちており,地下にまでもぐりこんでもいる可能性が大であると推測している。この点は,最近におけるつぎの2稿でその疑問点を記述していた。
☆-1 2016年03月03日「東電福島第1原発事故廃墟の後始末は半永久的に終わらない『悪魔の火』との格闘であり,そのツケは子孫に押しつけられている」
この記述中から,関連する画像資料を抜き出し,再度紹介しておく。これは『日本経済新聞』2016年3月2日朝刊。格納容器の底にデブリ(核燃料が溶け落ちて溜まったもの)が留まっているふうに描いている。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可) ☆-2 2016年03月02日「2011年『3・11』東電福島第1原発大事故から5年が経ったが,いまだに営利追求の実在と企業倫理の不在が大問題」
つぎの画像資料は,「東京電力が2015年3月期の連結決算」報告書のなかに出ていた『福島第1原発の現況』(2015年4月時点と受けとっておくが)の図解である。こちらも当然,溶融の事実を「まだ認めていない絵」である。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)
さらにつぎの2画像もかかげておく。こちらは地下にまでデブリがもぐりこんだ画像が描かれている。本ブログ筆者は,福島原発事故の現状は,こちらではないか(少なくとも左側画像である)と推測する。

出所)左側画像は,http://matome.naver.jp/odai/2142677141939417201
右側画像は,http://mak55.exblog.jp/20744348
なかでも,この2日分の記述のなかでそれぞれ利用してみた福島第1原発全基に関する,上掲のごとき「事故状況の予想図」(事実ではなく,あくまで推測図である)うち「格納容器の底にデブリが溜まっている図解」は,報道関係では頻繁に使用・紹介されているものである。
以上の図解のうちで,デブリが格納容器の底に溜まっている状態として描かれているものであっても,そこに描かれているような状態にデブリが実際に留まっているという確実な証拠はない。もちろんまた,格納容器の底からも抜けて落ちて地下にまで到達していると描いている図解のほうに関しても,その確実な証拠がない。
だが,同じ具合に証拠のないもの同士ではあるが,デブリが「格納容器の底」に溜まっているか,それとも「地下にまで到達している」かという,重要な,まだ未確認でもある〈事実〉に関していえば,そのどちらでもある可能性をともに否定できない。
このさいあえて理屈として言及しておく。ただし,デブリが「地下にまで到達」が確認できるときには,「格納容器の底」も当然含まれる。このときは「格納容器の底」≦「地下にまで到達」になるゆえ,その違いは問題になりえない。
東電側にしても政府側にしても,福島第1原発1・2・3基が炉心溶融を起こしていても,まだデブリが「地下にまで到達」しているとはけっしてみなさず,ともかく「格納容器の底」に留まりえている,ここにデブリが〈象の足〉として固まっているとのみ,観察しているつもりである。
要は,デブリはいまもなお「格納容器の底にある」といった「立場=観方」が保持されたままである。それにしても,いずれにせよ「原子炉:格納容器・圧力容器」の内部は,確認すらできていない現状にあるから,その点はどこまでも「仮想の認識」である。
以上のごとき関連事情のなかにあって,デブリが「格納容器の底」に留まりえているとしか新聞報道がなされない事実は,きわめて異様に偏った「事故現場に対する認識」である。そこには,国家側の意図されたなにかが含まれていると観察するほかない(⇒「原発事故の事態を過小に表現したい」という点)。
問題の核心は,福島原発事故の破損・壊滅状態はもちろんのこと,地域に対する被害状況が「炉心溶融によって大量の放射能が撒き散らされた」事実によって,重大にかつ深刻に発生してきたところにあるはずである。
文科省の発表資料。 〔2011年〕3月17日に線量測定が始まったが,当初,浪江町赤宇木の測定ポイントは……とだけ表記された。地名が明らかにされたのは,4月11日からであった。
文部科学省が福島第1原発事故直後の3月17日以降,現在は計画的避難区域に指定されている福島県浪江町山間部の赤宇木(あこうぎ)地区で放射線モニタリング調査を実施し,当初は毎時150マイクロシーベルト以上の高線量であることを把握しながら,1カ月間も具体的な地名を公表していなかったことが分かった。政府の隠蔽体質が多くの被曝者を生んだ可能性がある。
同省は,所管する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)で,原発から北西の赤宇木や飯舘村方面に放射性物質が流れている事実を察知。これらの情報にもとづき,赤宇木地区の調査を開始した。
3月17日の放射線量は毎時158~170マイクロシーベルト。だが,文科省ホームページで公表された資料では,赤宇木の地名は明らかにされず,「……(約30キロ北西)」とだけ記された。
文科省が,地名を明らかにしたのは,約1カ月後の4月11日分から。測定データは,経済産業省原子力安全・保安院などに送られたが,一帯が計画的避難区域に設定されるまでは,ほとんど住民の避難に活用されなかった。
--要するに,政権側(いまの自民党)当局も東電側関係者も,福島第1原発事故現場の事実=真実を正直に説明し,情報を公開しているなどと信じる国民・市民・住民・庶民はいない。
前段の記述には「住民の問い合わせが多くなったから」その「地名を明らかにした」という理屈が登場していたが,これこどは,国民・市民・住民たちを人間扱いしていない国家・官僚側の姿勢・目線をみごとに表現している。
④ 小出裕章「福島溶融燃料除去は事実上不可能 溶融物は至る所に広がり貫通 石棺に数世紀かかる」
(出典は『ENE News』2015年4月27日 16:03,引用は http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/700.html,2015 年5月2日 14:37:31,ナルト大橋の投稿記事から。なお,引用のさい文章は文語体などに補正し,文意を崩さない範囲で意訳・引用)

日本の原子力専門家(小出裕章など脱・反原発派の原子力工学研究者)は,事故を起こした『福島原発から溶融燃料を除去することは,事実上不可能』だと指摘していた。
出所)画像は,http://chikyuza.net/archives/20026
すなわち「炉心溶融物は至る所に広がっている」し,「実際には格納容器の床を貫通している可能性」がある。そこでできることといえば,「危険な放射能を放出するこれらの原子炉に対処する唯一の方法はコンクリートで覆うことで」あるが,これは「何世紀もの作業になる」。
私〔小出裕章〕が説明する対象は,非常に深刻な問題に直面している。それは,東電福島第1原発1・2・3号機で溶融している原子炉の炉心のことであるが,東京電力は,その溶融した燃料の塊があると「信じている」。彼らは,なんとかして,これらの塊すべてを摘出したいと考えている。
彼らは,自分たちがおこなう最初のステップは,なんらかのかたちで格納容器の穴にプラグをすること〔配管系でいうプラグとは流体配管などの末端にするフタを意味し,いわゆるメクラ栓のこと〕ことだといっている。けれども,提示されたその計画の実現は,事実上不可能である。
われわれはいまだに,その穴がどこにあるかを決定するための技術や能力をもっていない。仮にその穴がどこにあるかを特定できたとしても,いったいどうやったら,それらを修復できるのかどうか疑問がある。そもそも,そのように実現するための手段をもっていない。
けれども,発生した爆発に原因するダメージを考慮するに,その溶融燃料の小片すべてがひとつの小さな塊になってうまく座っていると想像することは,けっして現実的な理解ではない。むしろそれは,あらゆる場所に広がっているし,ただ水平に広がっているだけでなく,実際には,燃料の一部が格納容器の床を貫通している可能性がある。
以上の説明は,原子力工学や原子力エネルギーを十分に理解した人なら,誰にとっても論理的な筋書である。そして,ここ数カ月のあいだに,それは一般市民にも理解されて来ている。実は,これは私がいま説明したものについての記事を印刷した地元福島の新聞のコピーである(その絵があるが,ここでもその現物は参照できない)。
それは,政府と東京電力が示していた,1個の素敵な団子状にある燃料に関した描写の代わりになる〈絵〉である。これがおそらく,あらゆる場所に広がっていることが示されている。実際は,これが政府の分野別専門家によるいくつかの発表の結果であった。もっとも彼らは,そのすべてをとり出すための方法をもちあわせていない。それゆえ,なんとかしてでも溶融した核燃料を除去するという考えは,事実上,根本的に実現不可能である。
最終的にこの事故に対処しうる唯一の可能な方法は,チェルノブイリでおこなわれた方法を使うことである。それは,原発施設に対して,コンクリート棺や石棺を建造することである。4号機での使用済燃料プールのように,1・2・3号機にも使用済燃料が充填されており,除去されなければならないプールももっている。

出所1)左側画像は以前の石棺,http://sipsik.cocolog-nifty.com/eesti/2011/04/--tsement-ja-be.html
出所2)右側画像は新規の石棺,http://genron.co.jp/chernobyl_3.html
使用済み核燃料棒をわずかにでも危険が少ない場所に除去するためには,どのくらいの時間がかかるのか? このように問うた小出裕章は「自分としてはその考えを思いつかない」といっていた。小出はまた,東京電力と日本政府はその手順を完遂・終了させるためにかかる所要時間が分っていない,とも語っていた。
石棺を建造するとしたら,いまから何年かかるか? この「予測を始めること」すら,どだい困難な作業(目算)なのである。小出裕章は,実際にそのプロジェクトが始まるときまで,自分はおそらく生きていないと断わってもいる。
チェルノブイリ事故はひどい事故であったけれども,原子炉1基を巻きこんだだけであった。ところが,福島では,少なくとも危険な放射能を放出している3つの原子炉が存在する。この事故に対処するために必要な作業は,何十年,何百年もかかる。
註記)http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/700.html
⑤ なぜ東電・政府は炉心溶融が「格納容器で収まっているかのように」説明しているのか-マスコミも同じ姿勢である-
細見 周『熊取六人組-反原発を貫く研究者たち-』(岩波書店,2013年3月)のなかには,小出裕章の見解であるが,東電・政府側に立場による論理:「原子力における確率論的安全評価」に対する,以下の批判が紹介されていた(111-112頁)。
a) 日本の原発立地指針は「重大事故」と「仮想事故」の2つを仮定して,災害評価をおこなっている。
b) しかし「重大事故」と同じ事故で,炉心が冷却できずに全燃料が溶融したとする「仮想事故」でも,格納容器は健全であるとしている。
c) 発電炉は1960年代後半から急速に大型化され,それに伴う崩壊熱の巨大化により,もし炉心溶融が生じれば格納容器の健全性が保てない可能性が出てきた。
d) したがって,炉心が冷却できずに全燃料が溶融したとしても格納容器は健全であるという従来の災害評価の立場は根拠を失っている。
e) 災害評価で仮定されている「仮想事故」は科学を離れて,文字どおり “仮想” 事故になっている。
ここまで説明を聴けば,現在もなお「東電福島第1原発」事故現場における原子炉1・2・3号機について,「格納容器」「内の底」に炉心溶融〔メルトダウン〕した核燃料が滞留しているとする「仮想の状態」(そうであってほしいと期待しているが,現実には確認のしようもないその「仮想の状況」)は,けっして事実を確認したうえでとか,あるいは事故の実状をできうるかぎり分析し,より正確に推定したうえでの理解ではない。
それは,単なる思いこみ的な思考回路に誘導された断定であり,事実にもとづいてはいない,万事が皆目不明のなかでの〈希望的な観測〉でしかない。
③ の途中ではその関連画像(格納容器の底にデブリが落ちて,それもひとつに固まった状態で溜まっている図解)をいくつか例示しておいたが,このような図解がすでにいままで,あたかも事実であるかのようにあつかわれながら,新聞紙上でも盛んに掲載され,公表されつづけてきた。
そうかといって,この図解が東電福島第1原発1・2・3号機の現状を,ありのままに表現しているとはいえない。そうであるとは,誰にも請けあえないのである。それはまだ誰にも確認できていない対象である。
つぎの図解は,2012年7月29日の『日本経済新聞』朝刊に掲載された東電原発事故調査委員会の作成・公表した図解である。これをみると圧力容器内にデブリが滞留している図解になっている。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)
問題の焦点は,なぜそのように,現実的に「事実とはみなせない図解」を,絶えずマスコミに報道させつづけているのか。あるいはマスコミ側も,本日の記述のごとき以上に指摘した内容であれば,科学部の記者もきっと知悉しているはずの〈原発関連の情報知識〉であると思われる。
なお,直前に前掲した図解での話となる。圧力容器内で溶融した〔とされる〕デブリの後始末は,最長期間でみるに,2012年の45年後だから2057年になる。本ブログの筆者は間違いなく生きていない年である。子どもたちが生きているかもしれないほどに〈先の話〉になる。実際のところでは,その年月で確実に終わるだけの根拠は与えられていないが……。
ともかく,デブリが格納容器まで抜け落ちているし〔この点は確定済み〕,さらに地下まで溶け落ちていることになると〔おそらくここまで到達している〕,いったいぜんたいに,何十年どころか,あと何百年と何十年もかかるとまで,廃炉に必要な工程については「想像を逞しくして」予想しておく必要がある。
前述における小出裕章は,廃炉工程に関する具体的な年数まで,あえて言及していなかった。途方もない話になっていたのである。
問題は,原子力工学に固有である技術の領域に属するところにではなく,政界・官界・財界・学界・言論界などが政治的に複雑に入りくんで機能する〈権力・支配・利害構造〉を色濃く反映させた次元の論点にみいだせる。

⑥【追 補】絶望的に映る廃炉工程の長期化問題
a)「核燃料取り出し遅れ 東電追認 実体なき『廃炉工程』鮮明」(『東京新聞 TOKYOWeb』2014年10月31日)
註記)http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2014103102100003.html 右側画像もここから。
b)「F1〔福島第1原発の1号機〕は石棺にするしかないともいわれている。デブリの取出しとなると,未知のゾーンだ。ただし,費用は想像すらつかない,が本当のところだ」。
註記)http://lituum.exblog.jp/2307375
だが,作成に関与した社員は必らずいる。事故時に存在を明かさなかった理由として考えられるひとつは,政府の意向への配慮である。
1号機が水素爆発した2011年3月12日の記者会見で,当時の原子力安全・保安院審議官〔⇒後掲するが中村幸一郎審議官〕が「炉心溶融」を明言したが,壊滅的印象を与えかねない言葉による混乱を恐れた官邸が保安院に注意し,審議官は更迭された。以後,東電も「損傷」などの表現を使うようになった。官邸を意識した東電が,マニュアル確認という基本動作をせずに放置した可能性もある。
社内の事故調査報告書(2012年)は,マニュアルには触れておらず,調査のずさんさも浮かぶ。今回の第三者委もこうした「お手盛り」に終われば,批判を浴びる恐れもあり,柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を控えた東電は追いつめられた格好である。
註記)http://mainichi.jp/articles/20160229/ddm/002/040/067000c 〔 〕内補足は引用者。
②「〈福島原発事故〉事故翌日『スリーマイル超える』震災当初の保安院広報 中村幸一郎審議官」(『東京新聞 TOKYOWeb』2012年2月22日)
福島第1原発の事故当初,記者会見で交代は発言とは無関係だと強調したしたのち,経済産業省原子力安全・保安院の広報担当を交代した中村幸一郎審議官(52歳・当時)が〔2012年2月〕21日,本紙のインタビューに応じ,その経緯などを語った。
事故は深刻で,発生翌日には,米スリーマイル島原発事故を超えると思ったと当時の認識を語る一方,交代は発言とは無関係だと強調した。
補注)「交代は発言とは無関係だと強調した」という中村幸一郎元審議官の説明は,当時からほとんど説得力が皆無であった。原発事故を原因とする混乱・恐慌(パニック)状態の惹起・発生を恐れた政府側(広義では原子力村側)が,中村の事実に関する発言を焦慮して,急遽,彼を担当から外して交替させたというのが真相ではないか。そう推測したほうが,より自然な受けとめ方であった。
なぜなら,2011年3月12日の時点では,炉心溶融現象が原子炉内のどこであれ,すでに始まっていたのである。正直に「『炉心溶融』を明言した」中村幸一郎審議官の発言(推理)が,間違っていたのではない。この発言を隠蔽しておく必要のあった側が,中村審議官を引っこめた。これが真相であった。
出所)http://nanachang.seesaa.net/archives/20110311-1.html
しかも,1年近くも時が経ってから当人をマスコミに登場させて,前述の記事のような弁解をさせている。これは手順として観るにきわめて不自然であって,なんらかの意図の介在を推測させる。
本ブログ筆者は,2011年3月12日午前中に,NHKラジオの原発事故に関するニュースを聴いたとき感じたのは,東電福島第1原発では相当に深刻な事態になっているのではないかという1点であった。というのは,そのニュースを報じるアナウンサーが話す内容が「非常に判りにくい」表現であったが,ともかく福島では重大な事故が起きているのだという印象をもったことは,いまでも記憶に強く残っている。
素人の人間でもその程度に理解した原発事故の状況を,専門的に原子力工学を学んだ中村幸一郎審議官(当時)が,関連する情報を集めながら総合的に分析すれば,東電福島第1福島で炉心溶融の事故が発生としたと推理するのは,当然過ぎる判断であったといっていい。
〔記事本文に戻る→〕 交代の経緯は,政府事故調査・検証委員会の中間報告でも検証されているが,報道機関に詳細を語るのは初めてという。中村氏は,1号機の原子炉を覆う格納容器の圧力が上昇した昨〔2011〕年3月12日未明には「難しい状況に入ってきているなと思った」と,当時の認識を説明。
消防車で注水を始めたのに,原子炉の水位が低下している状況をとらえ「(過熱した)核燃料の溶融が始まっている可能性がある」と考えた。大学で学んだ原子力工学の知識も判断を下支えした。同日午前の会見で,「(核燃料を覆う)被覆管が一部溶け始めていることも考えられる」と,初めて溶融の可能性に言及した。
午後の会見前には,「コア(幹部)の人たちはそういう(溶融の可能性があるとの)認識をもっていた」と,寺坂信昭院長(当時)らと認識を共有していたと説明。寺坂氏の了承をえて,会見で「炉心溶融の可能性がある。ほぼ進んでいるのではないか」と踏みこんだ経緯を説明した。
その後,首相官邸側が保安院の説明に懸念を示しているとの情報をえた寺坂氏から,ほかの審議官を介して「発言に注意するように」と指示された。中村氏は同日夕の会見を最後に広報担当を交代した。その後,保安院の説明は「炉心が破損」など「溶融」を使わなくなった。
このため,溶融発言によって交代させられたと受けとられてきたが,中村氏は「一,2時間おきに計十数回,25~26時間寝ずに会見をし,長い仕事になると思ったので休もうと考えた」と,みずから願い出ての交代だったと強調した。
註記)http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2012022202100005.html
以上の引用中,最後の2段落の記事における当人の説明は,かなり不自然である。これ以外に形容のしようがないほど奇妙でもある。以上の説明のなかにおいては,『寺坂信昭院長⇔中村幸一郎審議官』という安全保安院組織の上に,さらに覆い被さっている政府当局(当時の民主党政権)が,特定の機能を果たしていた事実が観取できる。
東電側がようやく炉心溶融の事実を認めるのは,事故2カ月後の2011年5月になってからであった。最近〔2015年2月下旬〕,東京電力が炉心溶融(メルトダウン)の判定基準を定めた社内マニュアルがあるのを「原発事故後5年間見過ごしていた問題」が,東電側自身の自白で判明した。
いずれにせよ,福島第1原発事故発生直後から始まっていた炉心溶融問題を,あれこれ不透明な事情経過があるなかで,さらにできるかぎり曖昧にさせつつ隠蔽してきた政治的な事実・事情は,政府も東電も「共犯的な動機」をもって絡んでいたと推認するほかあるまい。
③ 炉心溶融は圧力容器を抜け落ちてから格納容器内で収まっているのか
本ブログは,東電福島第1原発事故(第1・2・3号機の3基)においては,溶融した核燃料のデブリが格納容器も抜け落ちており,地下にまでもぐりこんでもいる可能性が大であると推測している。この点は,最近におけるつぎの2稿でその疑問点を記述していた。
☆-1 2016年03月03日「東電福島第1原発事故廃墟の後始末は半永久的に終わらない『悪魔の火』との格闘であり,そのツケは子孫に押しつけられている」
この記述中から,関連する画像資料を抜き出し,再度紹介しておく。これは『日本経済新聞』2016年3月2日朝刊。格納容器の底にデブリ(核燃料が溶け落ちて溜まったもの)が留まっているふうに描いている。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可) ☆-2 2016年03月02日「2011年『3・11』東電福島第1原発大事故から5年が経ったが,いまだに営利追求の実在と企業倫理の不在が大問題」
つぎの画像資料は,「東京電力が2015年3月期の連結決算」報告書のなかに出ていた『福島第1原発の現況』(2015年4月時点と受けとっておくが)の図解である。こちらも当然,溶融の事実を「まだ認めていない絵」である。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)
出所)http://www.tepco.co.jp/ir/tool/setumei/pdf/150428setsu-j.pdf
さらにつぎの2画像もかかげておく。こちらは地下にまでデブリがもぐりこんだ画像が描かれている。本ブログ筆者は,福島原発事故の現状は,こちらではないか(少なくとも左側画像である)と推測する。


出所)左側画像は,http://matome.naver.jp/odai/2142677141939417201
右側画像は,http://mak55.exblog.jp/20744348
なかでも,この2日分の記述のなかでそれぞれ利用してみた福島第1原発全基に関する,上掲のごとき「事故状況の予想図」(事実ではなく,あくまで推測図である)うち「格納容器の底にデブリが溜まっている図解」は,報道関係では頻繁に使用・紹介されているものである。
以上の図解のうちで,デブリが格納容器の底に溜まっている状態として描かれているものであっても,そこに描かれているような状態にデブリが実際に留まっているという確実な証拠はない。もちろんまた,格納容器の底からも抜けて落ちて地下にまで到達していると描いている図解のほうに関しても,その確実な証拠がない。
だが,同じ具合に証拠のないもの同士ではあるが,デブリが「格納容器の底」に溜まっているか,それとも「地下にまで到達している」かという,重要な,まだ未確認でもある〈事実〉に関していえば,そのどちらでもある可能性をともに否定できない。
このさいあえて理屈として言及しておく。ただし,デブリが「地下にまで到達」が確認できるときには,「格納容器の底」も当然含まれる。このときは「格納容器の底」≦「地下にまで到達」になるゆえ,その違いは問題になりえない。
東電側にしても政府側にしても,福島第1原発1・2・3基が炉心溶融を起こしていても,まだデブリが「地下にまで到達」しているとはけっしてみなさず,ともかく「格納容器の底」に留まりえている,ここにデブリが〈象の足〉として固まっているとのみ,観察しているつもりである。
要は,デブリはいまもなお「格納容器の底にある」といった「立場=観方」が保持されたままである。それにしても,いずれにせよ「原子炉:格納容器・圧力容器」の内部は,確認すらできていない現状にあるから,その点はどこまでも「仮想の認識」である。
以上のごとき関連事情のなかにあって,デブリが「格納容器の底」に留まりえているとしか新聞報道がなされない事実は,きわめて異様に偏った「事故現場に対する認識」である。そこには,国家側の意図されたなにかが含まれていると観察するほかない(⇒「原発事故の事態を過小に表現したい」という点)。
問題の核心は,福島原発事故の破損・壊滅状態はもちろんのこと,地域に対する被害状況が「炉心溶融によって大量の放射能が撒き散らされた」事実によって,重大にかつ深刻に発生してきたところにあるはずである。
◆ 原発事故直後 文科省 浪江町の高線量把握 ◆
=『東京新聞 TOKYOWeb』2011年7月6日 06時59分=
=『東京新聞 TOKYOWeb』2011年7月6日 06時59分=
文科省の発表資料。 〔2011年〕3月17日に線量測定が始まったが,当初,浪江町赤宇木の測定ポイントは……とだけ表記された。地名が明らかにされたのは,4月11日からであった。
文部科学省が福島第1原発事故直後の3月17日以降,現在は計画的避難区域に指定されている福島県浪江町山間部の赤宇木(あこうぎ)地区で放射線モニタリング調査を実施し,当初は毎時150マイクロシーベルト以上の高線量であることを把握しながら,1カ月間も具体的な地名を公表していなかったことが分かった。政府の隠蔽体質が多くの被曝者を生んだ可能性がある。
同省は,所管する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)で,原発から北西の赤宇木や飯舘村方面に放射性物質が流れている事実を察知。これらの情報にもとづき,赤宇木地区の調査を開始した。
3月17日の放射線量は毎時158~170マイクロシーベルト。だが,文科省ホームページで公表された資料では,赤宇木の地名は明らかにされず,「……(約30キロ北西)」とだけ記された。
文科省が,地名を明らかにしたのは,約1カ月後の4月11日分から。測定データは,経済産業省原子力安全・保安院などに送られたが,一帯が計画的避難区域に設定されるまでは,ほとんど住民の避難に活用されなかった。
ここで途中になるが,群馬大学工学部早川由起夫教授の作成になる放射線汚染地図を参照しておく。(画面 クリックで 拡大・可)赤宇木の〔2011年〕今〔7〕月4日午前の測定値は毎時17~36マイクロシーベルト。20キロ圏外の測定ポイントのなかでもっとも高い値を示している。文科省の担当者は「現地の住所表示が粗いので,測定ポイントを記した地図を公表した。地名を明らかにしたのは住民の問い合わせが多くなったからだ」と話している。
【付 言】 原発事故直後から『SPEEDI』により予測された放射性物質の拡散被害を表わす「積算放射線量試算マップ(2011年3月12日-4月24日)」 (2011年4月25日公表 / 文科省 PDFファイル)が記録されていた。
ところが,120億円以上の税金をかけたこの SPEEDI がはじき出していたこの種の情報は,住民のパニックを恐れる政府と福島県により隠蔽され,避難指示に生かされることはなかった。原発事故の被災者に無用の被曝被害をもたらしていた。
--要するに,政権側(いまの自民党)当局も東電側関係者も,福島第1原発事故現場の事実=真実を正直に説明し,情報を公開しているなどと信じる国民・市民・住民・庶民はいない。
前段の記述には「住民の問い合わせが多くなったから」その「地名を明らかにした」という理屈が登場していたが,これこどは,国民・市民・住民たちを人間扱いしていない国家・官僚側の姿勢・目線をみごとに表現している。
④ 小出裕章「福島溶融燃料除去は事実上不可能 溶融物は至る所に広がり貫通 石棺に数世紀かかる」
(出典は『ENE News』2015年4月27日 16:03,引用は http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/700.html,2015 年5月2日 14:37:31,ナルト大橋の投稿記事から。なお,引用のさい文章は文語体などに補正し,文意を崩さない範囲で意訳・引用)

日本の原子力専門家(小出裕章など脱・反原発派の原子力工学研究者)は,事故を起こした『福島原発から溶融燃料を除去することは,事実上不可能』だと指摘していた。
出所)画像は,http://chikyuza.net/archives/20026
すなわち「炉心溶融物は至る所に広がっている」し,「実際には格納容器の床を貫通している可能性」がある。そこでできることといえば,「危険な放射能を放出するこれらの原子炉に対処する唯一の方法はコンクリートで覆うことで」あるが,これは「何世紀もの作業になる」。
私〔小出裕章〕が説明する対象は,非常に深刻な問題に直面している。それは,東電福島第1原発1・2・3号機で溶融している原子炉の炉心のことであるが,東京電力は,その溶融した燃料の塊があると「信じている」。彼らは,なんとかして,これらの塊すべてを摘出したいと考えている。
彼らは,自分たちがおこなう最初のステップは,なんらかのかたちで格納容器の穴にプラグをすること〔配管系でいうプラグとは流体配管などの末端にするフタを意味し,いわゆるメクラ栓のこと〕ことだといっている。けれども,提示されたその計画の実現は,事実上不可能である。
われわれはいまだに,その穴がどこにあるかを決定するための技術や能力をもっていない。仮にその穴がどこにあるかを特定できたとしても,いったいどうやったら,それらを修復できるのかどうか疑問がある。そもそも,そのように実現するための手段をもっていない。
ここでも途中になるが,つぎの画像のようにして,格納容器の底にあるはずのデブリの状態を確認するといっている。私は,溶融燃料が「団子状に素敵な小さな塊になって底に座っている」という「東京電力と政府の基本的な前提」は,『不可能な命題(想定)だ』と思っている。東電側の想定(その絵があるが,ここでその現物は参照できない。前掲の画像資料のことではない)によれば,使用済燃料のすべてが2つの小さな塊にうまく置かれている〈小ぎれいな状況〉のようにみえる。出所)『福島民報』2015/09/28 11:32,http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2015/09/post_12225.html
けれども,発生した爆発に原因するダメージを考慮するに,その溶融燃料の小片すべてがひとつの小さな塊になってうまく座っていると想像することは,けっして現実的な理解ではない。むしろそれは,あらゆる場所に広がっているし,ただ水平に広がっているだけでなく,実際には,燃料の一部が格納容器の床を貫通している可能性がある。
以上の説明は,原子力工学や原子力エネルギーを十分に理解した人なら,誰にとっても論理的な筋書である。そして,ここ数カ月のあいだに,それは一般市民にも理解されて来ている。実は,これは私がいま説明したものについての記事を印刷した地元福島の新聞のコピーである(その絵があるが,ここでもその現物は参照できない)。
それは,政府と東京電力が示していた,1個の素敵な団子状にある燃料に関した描写の代わりになる〈絵〉である。これがおそらく,あらゆる場所に広がっていることが示されている。実際は,これが政府の分野別専門家によるいくつかの発表の結果であった。もっとも彼らは,そのすべてをとり出すための方法をもちあわせていない。それゆえ,なんとかしてでも溶融した核燃料を除去するという考えは,事実上,根本的に実現不可能である。
最終的にこの事故に対処しうる唯一の可能な方法は,チェルノブイリでおこなわれた方法を使うことである。それは,原発施設に対して,コンクリート棺や石棺を建造することである。4号機での使用済燃料プールのように,1・2・3号機にも使用済燃料が充填されており,除去されなければならないプールももっている。


出所1)左側画像は以前の石棺,http://sipsik.cocolog-nifty.com/eesti/2011/04/--tsement-ja-be.html
出所2)右側画像は新規の石棺,http://genron.co.jp/chernobyl_3.html
使用済み核燃料棒をわずかにでも危険が少ない場所に除去するためには,どのくらいの時間がかかるのか? このように問うた小出裕章は「自分としてはその考えを思いつかない」といっていた。小出はまた,東京電力と日本政府はその手順を完遂・終了させるためにかかる所要時間が分っていない,とも語っていた。
石棺を建造するとしたら,いまから何年かかるか? この「予測を始めること」すら,どだい困難な作業(目算)なのである。小出裕章は,実際にそのプロジェクトが始まるときまで,自分はおそらく生きていないと断わってもいる。
チェルノブイリ事故はひどい事故であったけれども,原子炉1基を巻きこんだだけであった。ところが,福島では,少なくとも危険な放射能を放出している3つの原子炉が存在する。この事故に対処するために必要な作業は,何十年,何百年もかかる。
註記)http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/700.html
⑤ なぜ東電・政府は炉心溶融が「格納容器で収まっているかのように」説明しているのか-マスコミも同じ姿勢である-
細見 周『熊取六人組-反原発を貫く研究者たち-』(岩波書店,2013年3月)のなかには,小出裕章の見解であるが,東電・政府側に立場による論理:「原子力における確率論的安全評価」に対する,以下の批判が紹介されていた(111-112頁)。
a) 日本の原発立地指針は「重大事故」と「仮想事故」の2つを仮定して,災害評価をおこなっている。
b) しかし「重大事故」と同じ事故で,炉心が冷却できずに全燃料が溶融したとする「仮想事故」でも,格納容器は健全であるとしている。
c) 発電炉は1960年代後半から急速に大型化され,それに伴う崩壊熱の巨大化により,もし炉心溶融が生じれば格納容器の健全性が保てない可能性が出てきた。
d) したがって,炉心が冷却できずに全燃料が溶融したとしても格納容器は健全であるという従来の災害評価の立場は根拠を失っている。
e) 災害評価で仮定されている「仮想事故」は科学を離れて,文字どおり “仮想” 事故になっている。
ここまで説明を聴けば,現在もなお「東電福島第1原発」事故現場における原子炉1・2・3号機について,「格納容器」「内の底」に炉心溶融〔メルトダウン〕した核燃料が滞留しているとする「仮想の状態」(そうであってほしいと期待しているが,現実には確認のしようもないその「仮想の状況」)は,けっして事実を確認したうえでとか,あるいは事故の実状をできうるかぎり分析し,より正確に推定したうえでの理解ではない。
それは,単なる思いこみ的な思考回路に誘導された断定であり,事実にもとづいてはいない,万事が皆目不明のなかでの〈希望的な観測〉でしかない。
③ の途中ではその関連画像(格納容器の底にデブリが落ちて,それもひとつに固まった状態で溜まっている図解)をいくつか例示しておいたが,このような図解がすでにいままで,あたかも事実であるかのようにあつかわれながら,新聞紙上でも盛んに掲載され,公表されつづけてきた。
そうかといって,この図解が東電福島第1原発1・2・3号機の現状を,ありのままに表現しているとはいえない。そうであるとは,誰にも請けあえないのである。それはまだ誰にも確認できていない対象である。
つぎの図解は,2012年7月29日の『日本経済新聞』朝刊に掲載された東電原発事故調査委員会の作成・公表した図解である。これをみると圧力容器内にデブリが滞留している図解になっている。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)
問題の焦点は,なぜそのように,現実的に「事実とはみなせない図解」を,絶えずマスコミに報道させつづけているのか。あるいはマスコミ側も,本日の記述のごとき以上に指摘した内容であれば,科学部の記者もきっと知悉しているはずの〈原発関連の情報知識〉であると思われる。
なお,直前に前掲した図解での話となる。圧力容器内で溶融した〔とされる〕デブリの後始末は,最長期間でみるに,2012年の45年後だから2057年になる。本ブログの筆者は間違いなく生きていない年である。子どもたちが生きているかもしれないほどに〈先の話〉になる。実際のところでは,その年月で確実に終わるだけの根拠は与えられていないが……。
ともかく,デブリが格納容器まで抜け落ちているし〔この点は確定済み〕,さらに地下まで溶け落ちていることになると〔おそらくここまで到達している〕,いったいぜんたいに,何十年どころか,あと何百年と何十年もかかるとまで,廃炉に必要な工程については「想像を逞しくして」予想しておく必要がある。
前述における小出裕章は,廃炉工程に関する具体的な年数まで,あえて言及していなかった。途方もない話になっていたのである。
問題は,原子力工学に固有である技術の領域に属するところにではなく,政界・官界・財界・学界・言論界などが政治的に複雑に入りくんで機能する〈権力・支配・利害構造〉を色濃く反映させた次元の論点にみいだせる。

⑥【追 補】絶望的に映る廃炉工程の長期化問題
a)「核燃料取り出し遅れ 東電追認 実体なき『廃炉工程』鮮明」(『東京新聞 TOKYOWeb』2014年10月31日)
註記)http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2014103102100003.html 右側画像もここから。
b)「F1〔福島第1原発の1号機〕は石棺にするしかないともいわれている。デブリの取出しとなると,未知のゾーンだ。ただし,費用は想像すらつかない,が本当のところだ」。
註記)http://lituum.exblog.jp/2307375