へネラルうみもとさんのサイトより
http://generalumimoto.blog108.fc2.com/blog-entry-1812.html
<転載開始>
A君は、成績優秀、運動能力も抜群、担任の信望も厚い。
県下でも一二を争う進学校を卒業後一流大合格間違いなし。
将来を嘱望される生徒である。

B君は、いつもぼーっとしてる。
担任は能力は在るのにもったいないと思っている。
いまいち扱いにくく距離を置く。
この子の未来はちっとも見えない。
なにしろ今時の時流、進学とか就職とか、まるで無関心。

存外この二人は気が合う。
と、いうか、きまってA君がB君に論争を仕掛けるのである。
B君は些か食傷気味だが、決して無碍にはしない。
一生懸命考えて、必ず何らかの答えを出してみせる。

その解答はほとんどの場合、A君の常識とは全く違う。
しかし、A君も地頭が良い、自分で納得するまで考える。

ある日の教室、片隅での議論は以下のようなものだった。
A君、世間福って知ってるか?

B君、ああ、三次元ご利益世界のことだ。
今時の大人を見れば分かる、誰もが世間福を追っかけて滑ったり転んだり。

A君、いい大学へ行って、いい会社に勤めるのは世間福か?

B君、まあ、そうだ。

A君、オレは世間福じゃ物足りないと思うが、キミはどうだ?

 我が意を得たり、B君は機嫌を良くして、

B君、オレがぼーっとしてる理由を教えようか。
・・・
オレはそんなとき、形而上学的世界について考えてる。
目に見える世界がすべてだとは到底思えないからな。

A君、そうだな。
この前、爺ちゃんに聞いたんだよ。
お釈迦様はその昔、世間福と出世間福を説いたって話。

世間福 ☞ 三次元限定ご利益世界
出世間福 ☞ その上に広がる青天井の世界

修行僧は三次元ご利益世界を捨てて、その上を求める。
僧侶の出家は、世間福を追い求める生き方は止めました、という宣誓。
だから食事はあなた任せの托鉢。
経済活動なんてしないわけだ。

修行僧のくせにご利益世界で右往左往するのは宗教ではない。
まして、人様をご利益世界に縛り付ける布教なんてあり得ない。

B君、だけど、三次元ご利益世界もその上の四次元も五次元も六次元も同時にこの世界に有る。
ご利益どまりに飽き足らない人間が、高みを目指すだけのこと。
いくつになってもご利益世界がお好みならそれも自由。

それにしてもだ、世間福を独り占めにして強い経済とか言ってる連中は阿呆だね。
インテリジェンスが相当足りない。

この10世紀ほど、戦争の種を播く連中は代わり映えしない。
最初は世界三大始祖の後継者、元祖とは似ても似つかないコテコテの三次元ご利益宗教。

次に金貸しの台頭と商業家が登場、コテコテの宗教に見向きもしなくなった人々の注目を集める。

その前から統治の中心だった王族たちは金貸し台頭の時代に象徴的存在に祭り上げられて、金貸しや富豪一族との婚姻で取り込まれてしまった。

それでも、今も
戦争の種をせっせと播いては刈り取る世間福農業に余念がないのが、この連中。

最後に民主主義と言いながら奴隷経済と何も変わらない国家がしゃしゃり出る。
金貸しは一国の財政を丸呑みして、世界の支配者気取り。
だが、どこまでいっても世間福止まりの袋小路。
よく空きもせず何十世紀も続けられるものだ。

A君、戦争には甚大な副作用がある。
世間福を追い求めれば必ずどこかに歪みが溜まる。

B君、本来世界三大宗教は、歪みのバランスを回復する人間の霊性進化のためにあった。
だが、それも単なる世間福の道具に落ちぶれたということ。

キンコーン、カンコーン。
教室に担任がやって来る。

皆が席に着いても、教室の片隅でヒソヒソ、ボソボソ、議論に余念がないA君とB君。

授業が始まる気配に気づき、慌ててそれぞれの席に着く。
頭の中はまだ、先ほどの話の続き。
つまり、出世間福に軸足を置けば、自ずと世間福は整って来る。
大富豪のような豪邸でなくとも、自家用ジェットなど持たなくても、必要十分な生活はできる。
地球の人口に見合うだけの世間福をシェアできれば、誰も飢えないし、苦しまない。

人間は人間らしい暮らしをしつつ、ひとつ上の世界に軸足を置けるようになるのだ。

せっかく思考がスムースに流れているのに思わぬ邪魔が入る。

A君、何ぼーっとしてるの?
まるでB君みたいだよ、

歴史の教科書、〇〇ページ、早く教科書を開きなさい。

さて、今日は昨日の続き、鎌倉時代に開宗した大乗仏教って何だっけ?
はい、A君。

A君、えーと、えーと、S価ガッカリじゃない、降伏の化け学でもない、あれ何だっけ?
他の生徒が笑い出す。

B君は我関せず、無表情。
だが、腹の中ではこう思う。

そんなの暗記したって仕方ないじゃん。
ああ、バカらしい・・・。w


<転載終了>