へネラルうみもとさんのサイトより
http://generalumimoto.blog108.fc2.com/blog-entry-1816.html
<転載開始>
分かりやすいのはゲーム産業だが、表層意識操作産業の裾野は広い。
俗にいう教育産業もそのひとつ。
そして世の中のつまはじき、カルトも例外ではない。

ハイハイして喜び、つかまり立ちして喜び、よちよち歩きに感動。
やがて言葉を覚え、3歳で英語をしゃべる?

純粋生命核が肉体を得てこの世に生を受ける。
成長とともに物理世界に適応する課程を利用して子どもをミスリード。
ついでにお金も儲ける仕組みは星の数。

目出たく我が子を物欲人間に育てるために、親は身銭を切る。
だが、そんな親世代が眉を顰めるゲーム産業は諸刃の剣。

なぜなら、ゲームの基本構造は二次元と四次元を使った意識操作だからである。

ゲーム産業の黎明期、知り合いにゲームプログラマーが何人かいた。
彼らも50代を過ぎ、花形産業で高給を貰う立場にいる。
だが、そうでない人も居る。


売れっ子プログラマーがある日パタっと制作を止める。
どんな仕事でもいい、人の役に立ちたいと一念発起。

不特定多数でなく、顔の見える人の役に立つ。
収入は激減、なかには離婚した人も居る。

彼は、長年、二次元と四次元を行ったり来たりしながら「面白さ」「反復衝動」「ある種の病気と言わせるだけの求心力」「異常なのめり込みトリガー」などを起動させる意識グリッドを探っているうちに、フッと上位次元の片鱗に触れたのではないか?

彼は遊ぶ側から作り手に変わったが、さらに物事を俯瞰する目線になって人間の意識のパラダイムを見せられるのである。
当ブログ管理者は何となくそんな情景が見える。

これは人間の特性「反省」に似た意識。
「反省」は結構高度な主体と客体のパズルである。

主体は「主観」。
反省するには、一旦「主観」を棚上げして自分自身を客観視しなければいけない。
このとき、意識は四次元的な空間で自分自身と対峙する。

「反省だけならサルでも出来る」というが、自分を客観視できない意識に反省は無理である。
そのかわり、サルは群れの一匹が覚えた能力は、やがて全体の能力に伝播する。

人間もそうだろうか?
クラスに超絶頭の良い人が居たとする。
サルのように、いずれ誰もがその頭の良さを身につける・・・ことはない。

人間には人間の数だけ、固有の生命核が存在する。

時々、誰しも反省できない傲慢な人格になるが、そうではなく、全く反省できない部類の人間が存在する。

正真正銘の犯罪者は例外無く「反省できない人」である。
彼は主観でしか世界を見ない。
これは病気ではないが、表層意識操作産業の犠牲者とは言えるかも知れない。

ちなみに偽総理はどうか?
ペケ?
と、いうか、今時の日本の支配層は全員失格である。

つまりサル並。w

では、そんな連中の支配下に居るその他大勢はどうすればいいのか?

人生の曲がり角、40歳前半まではどっぷり表層意識操作産業で糊口を凌いだ当ブログ管理者も「反省」が足りない。
とは言え、反省ばかりしても前には進まない。
未だ現役の人はどこかで区切りを付けないとズルズル伸ばしは身を滅ぼす。

今時の表層意識操作産業は、どんな優れた素材でも事業化して販売して初めて成り立つ。
そう思わせる仕組みもある種の刷り込み。

大志を抱き、国家レベルの大改革をやってやる!
大物政治家、財力にモノを言わせる実力者、強大な実業家になって世の中を変えてやる!
ま、若者は一度はそんな夢をみるが、これも表層意識操作産業の刷り込みである。

仏に匹敵する霊能力を持って衆生を救う誓約。
いわゆる大乗仏教的勝ち組歓迎論も表層意識操作産業の刷り込みである。

知り合いの元ゲームメーカーは、顔の見える人の役に立ちたいと心から望んだ。
人間、40を過ぎたら身の程を知り、顔の見える人の役に立ちたいと考えるのは極めて順当。

だが、これではお金にならない。
事業化して金が儲からないことはしても仕方がない。
別の言い方をすれば勝ち組になれない。

そうだろうか?
順当な意識的成長(進化)をしたら「負け組」になるのは、世の中の仕組みが逆さまな証拠。

逆さまの仕組みを変えるのは、元ゲームメーカーの彼のように実際に行動に移す人である。
そうして表層意識操作産業の様変わりが始まる。
元来、人間の意識活動としてはハイレベルな領域を扱う仕事である。

表層意識操作産業が様変わりすれば、世界はちったあ風通しが良くなるのである。


<転載終了>