社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1054234961.html
<転載開始>
【現在も「北朝鮮(国交のない朝鮮民主主義人民共和国)の国籍(?)」を朝鮮と記載する歴史的事情】
【アジア人蔑視,明治帝政的な時代のままに時計を止めていた,敗戦後における「現代日本史としての在日外国人に関する記録」】
【朝鮮総連の,奇妙だが意図された「朝鮮」(という名称の)隠し行為には用心が必要】
① 韓国籍はあっても,本来「朝鮮」籍というものは,まだありえない
「在留外国人『韓国・朝鮮籍』を分離集計へ 政府,自民議員要求受け」(『朝日新聞』2016年3月5日朝刊)という報道があった。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1054234961.html
<転載開始>
【現在も「北朝鮮(国交のない朝鮮民主主義人民共和国)の国籍(?)」を朝鮮と記載する歴史的事情】
【アジア人蔑視,明治帝政的な時代のままに時計を止めていた,敗戦後における「現代日本史としての在日外国人に関する記録」】
【朝鮮総連の,奇妙だが意図された「朝鮮」(という名称の)隠し行為には用心が必要】
① 韓国籍はあっても,本来「朝鮮」籍というものは,まだありえない
「在留外国人『韓国・朝鮮籍』を分離集計へ 政府,自民議員要求受け」(『朝日新聞』2016年3月5日朝刊)という報道があった。
政府は,日本に在留する外国人数の「韓国・朝鮮」の集計について,「韓国」と「朝鮮」を分離して公表する方針を固めた。今月中旬にも公表する2015年末在留外国人数から変更する。政府はこれまで区別せずに集計・公表してきたが,一部自民党議員らの強い求めに応じたかたちだ。『日本経済新聞』2016年3月11日夕刊に報道された関連記事をみると,見出しで「在留外国人7年ぶり最多,昨〔2015期比年末223万人 留学・実習牽引」という体裁で報道されていたが,とくに「韓国・朝鮮」の表示・区別に関する言及はない。
在留外国人を「韓国・朝鮮」として集計してきたのは,韓国と北朝鮮の分断以前から日本に暮らす人もいるためだ。朝鮮半島出身者で韓国籍などをもたない人の場合,在留カードには「朝鮮」と記載する。ここには韓国地域内の出身者も含まれるが,政府は「北朝鮮」と誤解されるおそれがあるとし,1970年代から区別なく集計してきた。2014年末時点の「韓国・朝鮮」は50万1230人。
しかし,最近になって自民党議員らが「日本に住む『北朝鮮国籍者』が実数以上に大きく見える」と主張し,分離公表を求めていた。
それに対して「在留外国人,昨年最多223万人『韓国・朝鮮籍』を分離」(『朝日新聞』2016年3月11日夕刊)は,その表示・区分に言及していた。
現在においては50万人という数値に至った「在日韓国人の人口統計」については,日本国籍取得者(帰化者)に関する情報も添えておく。この図表のなかには,敗戦後日本の政治過程において留意すべき出来事が,適切に記入されているので,これらにも注目しながら観てほしい。(画面 クリックで 拡大・可)
大韓民国外交部統計によると,2013年9月末時点で日本国籍を取得した(帰化した)韓国・朝鮮系日本人は345,774人となっている。なお,韓国は帰化した韓国・朝鮮系日本人であっても「在日同胞」と位置づけている。
註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/在日韓国・朝鮮人
② 韓国籍と「朝鮮」(籍)という表記に関する歴史的事情
1)「北朝鮮籍」はないが「朝鮮」籍はあるのか
「在日国籍の摩訶不思議--日本には『北朝鮮籍』は存在しない!」と〈叫ぶ〉かのような記述があるが,関連する事情をこう説明している。これは,現在の時点において “当面できる視野” をもって集約した説明の方法に限られており,歴史的な諸事情にまできちんとさかのぼったうえで語った,より〈適切な説明〉ではない。
しかし,現在にまで至り,置かれている時代環境のなかで,問題の基本点をどのように考えればよいのか・理解したらよいのかにかかわる説明としては,これなりに有益な記述である。ということで,しばらくこの記述を借りながら議論していきたい。途中であれこれと『補注の論及』も追加される。
--結論からいうと,日本に「北朝鮮籍」の人間はいない。なぜならば,日本は北朝鮮と国交を樹立していないからである。すなわち,「北朝鮮」国籍の人間が住んでいることは「理論上ありえない」。とくに,日本国が国交のない国籍の国民に永住権を与えることもありえない。
補注)ここまでの記述については,19世紀後半から20世紀前半にかけての両国間における〈歴史の関連〉が配慮されていない説明では,関連する事情を的確に判断できないと指摘しておく。敗戦前の朝鮮半島(韓半島)出身者=韓国人・朝鮮人は大日本帝国臣民であった。つまり「日本〔国籍〕人」であった。日本国籍を有していたのである。
在日韓国・朝鮮人の問題を論じるとき,この前提条件を抜きにして語ったのでは,問題の本質から離れてしまう議論になりがちである。ここで引照している記述にあっても,基本的にはだいぶおかしな表現である「日本に『北朝鮮籍』の人間はいない」という文句が,先出し的に登場している。
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国交が現在もないからではなく,もともと日本国内においては,昔から〈二等臣民〉であった「彼ら」が実在していた。それゆえ,いまさら「外国人としての国籍」がどうだこうだという理屈じたいが「理論上ありえないのだ」という具合に,問題の基本がまえもって確認されておくべきであった。
以下のごとき説明を聞いておく必要もある。少し長くなるが,以上の話題は実は,こうした日韓(日朝)間における歴史の経緯をきちんと理解してからでないと,大きくズレてしまい,脱線する歴史認識にはまりこむほかなくなる。
以下はしばらく,「補注内の補注」としての記述となる。
☆「在日朝鮮人の日本国籍」に関する歴史的事情 ☆
a) 現在韓国と北朝鮮に分断された朝鮮半島は,かつて日本が侵略し「大日本帝国」に併合された歴史をもつ。
1910年に日本は朝鮮(当時大韓帝国)を併合し,第2次世界大戦敗戦までその植民地支配を続けた。この間,朝鮮人は朝鮮民族を否定され,日本人,つまり「帝国臣民」の扱いを受けた。当時,植民地を「外地」と呼び,日本国内を「内地」と呼んだ。ところが,同じ「帝国臣民」でも,日本人の「内地戸籍」とはっきり区別された朝鮮人の「朝鮮戸籍」が創設された。
「外地」と「内地」の人の往来は自由だったにもかかわらず,「朝鮮戸籍」を「内地」に移動させることは禁じられていた。しかし,婚姻や養子縁組,認知などの身分変更時には戸籍が移動させられた。たとえば,日本人女性が朝鮮戸籍の男性と結婚すると,その女性は朝鮮戸籍に移った。しかし,現実には帝国臣民たる日本人に変わりはなかった。
補注内の補注1) 元大韓帝国は大日本帝国の植民地にされてから朝鮮と呼ばれることになった。そして,このとなりの「北方」に位置した「満洲〔帝〕国」(建国 1932年3月~ 廃絶 1945年8月,中国東北の広大な地域で日本の属国であった)において支配民族となっていた日本人は,この帝国じたいの国籍はもたず,日本国籍のままでこの属国を構成する〈国民〉となっていた。
しかし,それでいて,満洲国は日本とは別の国家だとされていた。この日満の「国際政治関係」は実に奇妙な中身であったが,そこには,支配国と属国の間柄に特有である矛盾した事情が介在していた。
b) 大日本帝国の朝鮮支配に伴って,朝鮮の自分の土地を奪われた人などが日本に出稼ぎにいくようになったり,とくに戦争の度合いが激しくなるに連れ,徴兵や強制連行されて来た人達で,1944年の「内地」には200万人近くの朝鮮人がいたといわれている。
この「図2-1」でみると,いかに戦争中にたくさんの朝鮮人が日本に連れた来られたかが分かる。およそ100万人もの朝鮮人がこの期間に日本に連れて来られた。しかし,日本の敗戦と同時に朝鮮は植民地支配から解放され,在日していた朝鮮人は怒濤のごとく朝鮮半島に戻っていった。
朝鮮戦争が始まる1950年には在日朝鮮人の数が55万人弱までに減った。在日朝鮮人の4分の3は朝鮮に帰ったことになる。ところがこの朝鮮戦争によって,いったんは朝鮮に帰った在日朝鮮人などが,戦災を避けるために日本に再び戻って来て,在日朝鮮人の数は60万人近くになる。(画面 クリックで 拡大・可)
これらの人びとがいまの「在日」という社会集団を形成していく。在日の人びとは,戦争を含めなんらかの理由で朝鮮に帰れなかったか,帰らなかった,帰ったが戻らざるをえなかった人びとということになる。
敗戦後の混乱期のなかで,在日朝鮮人は外国人登録が課せられたり,選挙権がなくなるなど徐々に「日本人」としての権利を失っていった。一方で,在日朝鮮人のなかで民族教育などが盛んになっていった。
c) そして,サンフランシスコ平和条約発効直前の1952年4月19日,法務省人事局長通達「平和条約発効にともなう国籍及び戸籍事務の取扱について」が出され,「朝鮮籍日本人」はサンフランシスコ平和条約の発効と共に日本国籍を喪失されることになった。およそ60万の在日朝鮮人が一夜にして,日本国籍を法的な変更も伴わず(憲法10条によれば,国籍は法に定める所となっている),単なる通達で国籍喪失させられたのだった。
このときは朝鮮戦争中であり,在日朝鮮人は朝鮮半島に帰れる状況になかった。くわえて国が分断され,日本国籍を喪失させられても,朝鮮という統一としての国がもう存在せず,事実上無国籍の状態になった。通達の該当部分は以下のとおりに書かれていた。
補注内の補注2) こういう説明を補足しておく。インドが英国より独立を果たすさい,英国在住のインド人には,国籍の選択権が与えられた。フランスのアルジェリア人にも同様の処置がなされた。ここでは,日韓関係に一番近いと思われる,ドイツとオーストリアの例が一番参考になる。敗戦後,オーストリアの独立にさいして,ドイツ在住のオーストリア人に,国籍の選択権が与えられた。
たしかに,敗戦が確定的になってから敗戦国の責任を逃れようと独立したオーストリアは,日韓関係の事例に一番近いといえるかもしれない。ただし,朝鮮は戦争戦争終結前に自力で独立できず,米軍とソ連軍の軍政下に入ったことがオーストリアとは違う。
しかし,大日本帝国の場合,朝鮮人に対して国籍選択権を与えなかった経緯が,その後における在日韓国・朝鮮人(くわえて台湾人)の『定住外国人としての権利と地位』に,重大は瑕疵・欠損を随伴させていく由来となった。
註記)http://www.han.org/hanboard/c-board.cgi?cmd=one;no=1573;id=
2) 法務官僚は職人種? -『煮て食おうと焼いて食おうと自由』-
以上のごとき歴史的事情の経過のなかで放置されてきた在日韓国・朝鮮人における「最低限の生活と基本的な権利」の問題は,日本政府による自国帝国主義の歴史に発生していた戦後責任の放擲を意味していた。
在日韓国・朝鮮人の存在をとらえて,ある法務官僚が1965年に「(在日外国人は)国際法上の原則からいうと『煮て食おうと焼いて食おうと自由』なのである」と放言し,非常な憤激を買ったことがあった(池上 務『法的地位 200の質問』京文社,昭和40年,167頁)。
この法務官僚池上 努,当時の肩書きは,法務省入国管理局参事官であった。隣国人に対する旧日帝時代の露骨な差別感情を丸出しにした,しかも非常に下品な表現を,公表される自著にわざわざ記していたのである。
国際法上の原則を守らず,在日韓国人・朝鮮人に関していえば,当時まで固有に蓄積されていた『過去からの在日史の実績』を頭ごなしに無視した池上のその発言は,法務官僚としての基礎知識(国際法)を根本から疑わせるものであった。「法規範の意識」よりも「隣国人差別の感情の横溢」を制御できなかった法務官僚の,偏見意識にまみれた精神構造が,みごとといわねばならないほどに噴出させていた一件であった。
〔ここで ② として引用・記述してきた本文であるが,☆「在日朝鮮人の日本国籍」に関する歴史的事情 ☆ の記述,赤字の a) b) c) の符号を付した「前後関係の文章」に戻り,続く。 ↓ 〕
d) さらに,朝鮮人と結婚をした日本人女性とその子までが,この通達一本で日本国籍を喪失させられた。日本で暮らし,日本人として生活している,血統的にも日本人といえる人びとからも国籍を喪失させたのだった。こうして,この通達は在日朝鮮人のみならず,日本人をも苦しめることになった。日本国籍を一方的に喪失させられた日本人女性やその子達から,国籍確認訴訟が相次ぐことになった。
一方,日本国籍喪失を受け入れ,朝鮮籍の夫とともに朝鮮半島に渡った日本人女性の数も多い。北朝鮮に渡った日本人女性だけでも6000人に上る。日本として,北朝鮮に対する拉致問題がきわめて遺憾であるならば,日本から国籍をとりあげられ,追い出されるのと等しく朝鮮半島に渡った元日本人に対しても,親族の求めに応じた身元調査なり,国籍回復の配慮が求められることになるはずである。
補注)北朝鮮に拉致された日本人の問題は,日本政府(いまの時点でいえば安倍晋三政権)の歴史意識を,端的に表現する具材を提供している。日韓(日朝)関係史を回顧すれば「量的という意味」では,単に〈小さい問題でしかない〉その拉致問題であるのだけれども,この問題が日本側では最大限にまで極大化されたうえで,あたかも明治以来に日帝が犯してきたアジア侵略史,なかでも朝鮮に対するその「歴史責任のすべてが払拭できる」かのように観念的に錯覚されている。いわば完璧ともいっていいほど〈倒錯の理屈〉が提供されている。
安倍晋三以下,政府や自民党のお歴々などが,これみよがしに上着の襟に着けているブルーリボンバッチは,北朝鮮による日本人拉致問題をけっして許さないぞという印しを表現しているつもりである。

出所)左側画像は,http://blogs.yahoo.co.jp/pandradra/55905428.html
出所)右側画像は,http://blogs.yahoo.co.jp/fivevitalstar/7890322.html
だが,それはあたかも,かの国における「金 日成・金 正日」バッチと同じ性格を,腸捻転的に共通させてもいるゆえ,いささかならずコッケイな安倍晋三政権的な時代的象徴であり,なおかつ稚戯に属する性格をも発揮させている。過去における日朝(日韓)間において歴史的に蓄積されてきた数々の記憶が,このバッチが発すると信じられるオマジナイ的な効用によって,一気に忘却できた気分になれるというのか。
歴史の問題は,加除計算によって処理しきれるものではないものであるのに,それをたかが〈バッチのひとつ〉をいつも上着に着けていれば,それなりに意味をこめたつもりの態度になれ,その意識を表示できることになると考えているらしい。
そうしていれば,現在における北朝鮮側の極悪な罪業ゆえに,大日本帝国の歴史に刻まれてきた過去における侵略史の実録に関する記憶は,いっさい抹消できる(帳消しにできる)かのように考えているつもりである。これがどうやら安倍晋三風の思考方法として確立されている。
しかし,歴史意識としてはあまりに未熟である,そうした歴史の事実を無視した国際感覚は,今日においてアジア史全体を踏まえる立場を構築しつつ,国際政治の相手国となるアジア諸国と対話をするための糸口をすら,みずからの手で断つような発想でしかない。
もっとも,対米追随の政治姿勢では卑屈な姿容をみせるばかりである安倍晋三君は,アジア全体の国際友好・善隣関係の追求・構築に対して,逆機能の働きであるならば,遺憾なく発揮しつつある様子にみえる。
〔さらにややこしいが,ここで再度,a) b) c) d) に続く「本文」に戻る ↓ 〕
e) 終戦当時,在日朝鮮人の外国人登録は「朝鮮」であった。しかし朝鮮戦争勃発と共に,国が分断され,日本が植民支配した「朝鮮」は消滅してしまった。実体としての「朝鮮」という国家は存在しなくなり,日本政府が認知する「朝鮮」は,たとえ日本が国家に準ずると認めても,それは単なる記号にしか過ぎなくなったのである。
こうして,在日朝鮮人は従来の「朝鮮」か「韓国」かの選択を迫られることになった。「韓国」を選んだ人びとにとっては,それは実体的な国籍取得に結びついた。しかし「朝鮮」を選んだ人びとにとって,それは実体的な国家ではなく,実質的な無国籍の状態を強いられることになった。現在,外国人登録に「朝鮮」とある人びとには,ふたつの違った帰属意識をもつ人びとが含まれる。そのひとつは,あくまでも統一した朝鮮に帰属意識をもつ人びとであり,もうひとつは北朝鮮に帰属意識をもつ人びとである。
統一した朝鮮に帰属意識をもつ〔その実質はないゆえ「もちたい」と記述してもおくが〕人びとは,実質的に無国籍を強いられる。残念ながら,朝鮮(日本の併合前の国号は,大韓帝国)はもはや存在していない。北朝鮮に帰属意識をもつ人びとも,〈北朝鮮国籍をもつ可能性〉がありながら,現状無国籍の状態にある。というのは,日本と北朝鮮は国交がないため,北朝鮮国籍が認められていないからである。
このように,在日朝鮮人のなかで〔ふたとおりのかたちで〕「朝鮮」籍にあるものは,実質的に無国籍である。だから,朝鮮籍の在日朝鮮人が日本に帰化する場合は,朝鮮籍の放棄を強要すべきではない。
帰化の求めに応じて日本国籍を取得させ,将来的に朝鮮が統一され,朝鮮籍が実体をもつに至った時点で国籍選択を求めればそれに足りる。また,北朝鮮に帰属をもつ人びとも,北朝鮮との国交が回復され,この人びとに北朝鮮籍が付与された時点から,国籍選択を求めるべきであろう。
註記)http://www.kouenkai.org/ist/docf/zainichinokokuseki.htm
この見解〔 a) b) c) d) e) として記述した段落〕は最後で,在日韓国・朝鮮人が二重国籍を有する権利〔あるいはこれに相当するなんらかの権利〕を,歴史的に有してきた事情に触れている。日本政府は基本的に,自国人に対して二重国籍の保有を認めていないが,とはいってもそれは相手国もあっての話であるので,その保有の排除を徹底できていない。
3)せこかったアルベルト・フジモリの日本亡命騒ぎ
有名な話があった。--以前,ペルーの大統領(第91代ペルー大統領に在職:1990年7月28日~2000年11月17日)であったアルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ(Alberto Kenya Fujimori Fujimori,現日本名,片岡謙也(かたおか・けんや)は,日本国籍を保有していたのを頼り(つて)に「悪用」し,「日本に亡命」していた。その便法は,実に奇妙〔巧妙・絶妙〕な使いわけであった。ウィキペディアは,こう解説している。
補注)この事情は最近,制度が変更されている点もあるが,ここでは触れない。以下の記述内容もその旨,諒解して読んでほしい。関連する最新の事情について,とりあえずは,http://www.immi-moj.go.jp/newimmiact_1/pdf/zairyu_syomei_mikata.pdf を参照されたい。
また「2012年7月9日から 新しい 在留管理制度が開始」されており,従来の外国人登録証明書の代わりに「在留カード」または「特別永住者証明書」が交付されている。

戦前・戦中からの在留関係の事情を考慮すれば,けっして特別でもなんでもない永住者(本来ならば日本国籍をもっている旧植民地出身者およびその子孫たち)に対して,「オマエたちだけには」「特別に在留させてあげている」という語感があるのが,この「特別永住者証明書」という表記(名称)である。
登録をすると,外国人登録証というカードが発行され,そこには国籍も記載される。仮に「アメリカ」と書かれていれば,その人は100%アメリカ人だ。ところが,在日コリアンだけは「韓国」もしくは「朝鮮」(北朝鮮ではない)の二種類の書き方があり,これが話をややこしくしている。
「韓国」と書かれている人は韓国籍であり,「朝鮮」の人は北朝鮮籍だと思いがちである。実際,市町村役場の職員ですら漠然とそう思いこんでいる人も多い。しかし,それは最初に述べたように勘違いである。外国人登録証に「韓国」「朝鮮」と2種類の書き方がある理由。それは,第2次大戦前までさかのぼる。
4)大日本帝国統治下の朝鮮戸籍事情を振りかえる
当時,朝鮮半島は大日本帝国を構成する「朝鮮」というひとつの地域だった。一方,日本では住民登録制度や外国人登録制度はまだなく,戸籍が唯一の台帳制度。在日コリアンは「朝鮮戸籍」に登録されていた。そして戦後,外国人登録令が施行され,在日コリアンの国籍は全員「朝鮮」として登録された。
補注)なお「在日コリアン」という呼び方(概念?)は,韓国と朝鮮を共約させる表現として使用されているようである。だが,ときにこの呼称は,意図的に「朝鮮」(⇒「北朝鮮」の意味や「朝鮮総聯」の関係)を隠すために使用される場合も多くあり,要注意である。
要は『韓国+朝鮮=コリアン』という含意らしいが,このコリアンという用語を無制限に使用する段となれば,在日問題をとりあつかうさい,不要かつ不適切な誤解を生むことが多いゆえ,気をつけて接する必要がある。
その後,半島が二国に分断されて「大韓民国」が誕生。日本国内にも民団(在日本大韓民国民団)が創設されると,韓国政府は民団を通して在日コリアンに韓国籍を取得するように働きかけ,その結果,多くの在日コリアンが韓国籍を取得し,登録証の国籍も「韓国」に書き換えられた。
しかし,なかには「朝鮮」のままにした人もいた。その理由は,北朝鮮の国家体制を支持していたという人もいれば,両国の統一を夢みて,あえてそのままにしているのだ」と主張する人もいる。つまり,在日コリアンに限っては,登録証の国籍欄が必らずしも国籍を表わすものではなく,ある種の「記号」としての役割しかもたないということになってしまった。それが現状に至る歴史的経過といえる。
さて,ここで問題となるのが,韓国籍を取得していない在日コリアンとその子孫の国籍は,はたしてどこになるのかという点であるだ。韓国籍を取得していないのだから韓国人ではない。しかし,北朝鮮籍ということも理論上ありえない。では無国籍という解釈になるのか?
註記)本文段落の引用部分は,http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/426.html
つぎに紹介しておくのは,遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史-民族・血統・日本人-』(明石書店,2013年)のある頁を,画像で入れておく。(画面 クリックで 拡大・可)
③『統一日報』2016年3月16日の関連報道
1)「朝鮮籍が激減-法務省『韓国』と『朝鮮』を区分-」(1面)
法務省は3月11日,昨〔2015〕年12〔月〕末時点での日本在留外国人数を公表した。1970年以降,ひとつにまとめていた韓国籍と朝鮮籍を区分しての公表だった。日本当局は長い間,区分していないとしてきた。今回の公表で,急速な朝鮮籍の減少が明らかになった。公表は,日本当局による,対北制裁の一環でもある。
法務省によると,朝鮮籍は前年より 1814人減少した3万3939人。韓国籍は45万7772人だった,ともに前年より減少しているが,朝鮮籍の減少幅(マイナス 5.1%)は韓国籍(マイナス 1.7%)より大きい。
今回の発表は,日本政府の対北制裁の一環といえる。法務省が韓国・朝鮮とまとめて公表してきたのは,韓国が朝鮮を上回ったという事実をしられたくなかった平壌と朝総連が当時,日本の政界などに働きかけたためといわれる。
平壌側と朝総連は,在日同胞事業は首領が直接指導してきたと宣伝してきた。金 日成・金 正日・金 正恩の3首領は同胞事業を領導してきたが,1970年から毎年平均約6000人減っていたという実態が明確になった。
そのなかには国籍だけを韓国に変更した “便宜上の韓国人” もいるだろうが,安倍政権は,北の「最高尊厳」や「首領唯一指導体系」そのものに制裁をくわえたといっていい。
2)「消滅に向かう朝総聯-分離公表が明らかにした首領たちの無能-」(4面)
朝総連を支える朝鮮籍の同胞が,組織の結成以来持続的かつ大幅に減ってきたのは歴史の必然だ。韓半島では植民地支配からの解放後,人民は共産独裁から自由のある方に向かって大挙移動してきた。それが分断70年の歴史だ。
6・25南侵戦争の前後に 150万人以上が北韓を脱出して南にきた。北送事業は住民の大挙脱出で労働力が不足した北側が,朝総連を動員して在日同胞を騙し,生き地獄に連れていった「反人道的犯罪」だった。
金 日成と朝総連にだまされた在日同胞の憤怒は,韓日国交正常化と協定永住権取得,墓参団事業を契機に爆発し,朝鮮籍者の大量離脱と,大韓民国国籍の選択に帰結した。こうした在日同胞の “復讐” により,朝総連は急速に勢力を失っていった。これは,在日同胞も自由に向けた民族移動に参加したことを意味する。
補注)「在日同法」「をだました」のは,なにも金 日成と朝総聯だけではない。日本国側の公私各機関・各組織も大いに,その「だまし帰国(?)事業」(韓国側は「北送」と称していた)に対しては力を貸していた。
1990年代の大規模脱北が起きる前に,日本でまず巨大な “脱北” が先行したのだ。北送された肉親が金 日成体制の人質になっているにもかかわらず金氏王朝を裏切ったのと,北に血縁者を残して南に来た脱北者の事情は同じだ。
1990年代半ば以降,韓国に入国した脱北者は約3万人にのぼるが,過去半世紀間,朝総連を離脱した在日同胞はその10倍以上だ。朝総連は首領ではなく,日帝時代よりも悲惨な境遇にいる北韓同胞たちを助けねばならなかった。独裁の肩をもった朝総連が憎まれるのは当然だ。もう朝総連に未来はない。
最近4年間の統計だけを見ても,朝鮮籍者は2012年末の4万617人から2015年末には3万3939人と,6678人も減った。朝総連はこれまで脱北した同胞を「裏切り者」と呼んできたが,昨年韓国に入国した脱北者は1277人だが,朝鮮籍はそれ以上の1814人減っている。
金 正恩は昨〔2015〕年5月,朝総連結成60周年の書簡で,「白頭山絶世偉人たちの賢明な領導と愛のなかで朝総連が栄光の発展の道を歩んできた」と自画自賛した。朝総連を尊厳高い海外公民団体と称し,金 日成が朝総連の創建者,金 正日は朝総連と在日同胞の守護者とした。偉大な将軍様の遺訓を守り,社会主義祖国と生死運命をともにするよう指示したが,首領たちが育てた朝総連は消滅しつつある。(以上『統一日報』からの引用)
--在日本朝鮮人総聯合会(略称:朝鮮総聯ないし総聯)は,いまでは,在日する民族団体組織として観るとき,その勢力は衰退しており,風前の灯火である。この総聯を支持する在日「朝鮮」人であっても,多くの者たちが以前から韓国籍に変更している。
もとはといえば,既述の説明にもあったように,朝鮮籍とは仮称であり,国際法上その実体の定かでないけれども,旧日本帝国とは「歴史的に切っても切れない因縁のあった」国籍の名称であった。なかんずく,それは日本政府側に歴史的な責任のある〈あいまいな国籍〉であり,いわばその仮り置き的な名称であった。
それゆえ,韓国政府側の要求もあったとはいえ,朝鮮「籍」と記入していたこの国籍名を「韓国」籍に「訂正させる」ことは,なんら法的に支障のない手続となっていた。いまだに朝鮮総聯を熱心に支持する在日朝鮮人であっても,早くから,いつの間にか「韓国籍」に変更していた人たちもいる。
大韓民国に対する忠誠心(所属意識)など,わずかもないはずの在日朝鮮人が,いまでは隠れ蓑的に悪用するための韓国籍に変更している者もいる。この現実の問題は,前段で説明したような,敗戦後における日本政府の国際法上きわめて不適切かつ不当な在日韓国・朝鮮人に対する処遇から,その後になって発生してもきた《奇妙な出来事》としての一現象である。
「南・北の韓国」(朝鮮)においてはいまだに,政治イデオロギー的に対立がはげしい両国間の政情にある。1958年から今日まで両国はまだ休戦状態を継続させている。そうした韓国と北朝鮮の間柄であるにもかかわらず,ともかくも,いちおう北朝鮮を支持する人であっても,こちら側の朝鮮籍の人たちがいきなり「韓国籍」に変更できてきた経緯もあった。日本政府側がこの種の〈歴史の特殊な具体的展開〉を実際に許すほかなかった事情は,いいかえれば,敗戦後において恣意的でありつづけてきた在日外国人政策のために,必然的に生まれるほかなかったのである。
④ 朝鮮籍の学識者の不勉強
以上までを記述したのち,ネット上に,日本映画大学准教授(社会学)の韓 東賢が「『朝鮮・韓国籍』分離集計の狙いとは?--3月公表の2015年末在留外国人統計から」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/hantonghyon/20160307-00055137/ 2016年3月7日 21時39分配信)という記述をみつけた。
出所)画像は韓 東賢,http://www.shingakunavi.ne.jp/
この執筆者は,完全に朝鮮総連の支持者であるせいか(朝鮮学校卒業後,朝鮮新報記者を経て立教大学大学院・東京大学大学院で学び,現職),偏見でなければいいのだが,結局のところは「かなり偏向のめだつ内容」(⇒金 正恩を支持する政治的な立場にならざるをえないイデオロギーでのそれ)を執筆するほかない様子が濃厚に感じとれる。(画面 クリックで 拡大・可)
またとくに,在日韓国・朝鮮人の人口統計については,以前より〔何十年も昔に〕訂正されている事項について,そのまま間違えた数字を提示するなど( ↑ 上掲で赤線を付けた箇所が間違い,正しい数値はすでに前掲の図表に戻って,1945年のあたりを観てもらえれば,すぐに判る点である),学識のあり方に関して即座に疑問の出るような〈粗雑な見識〉を晒している。さらにくわえて,朝鮮総聯を支持する人間として,自身の側に都合の悪い事実にはいっさい触れていない。
補注)この段落の指摘については,学術的に参照を必要とするつぎの文献を挙げておく。
☆-1 森田芳夫「在日朝鮮人処遇の推移と現状」『法務研究』報告書第43巻第3号,昭和30〔1955〕年7月(本ブログ筆者が古書で入手した〈冊子本〉には,表紙に《部外秘》と赤鉛筆で記入されていた)。のちに「単行本」として公刊された本書は,湖北社が1975年に復刻・再刊していた。
☆-2 森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店,1996年。
☆-3 金 英達著作集Ⅰ『在日朝鮮人の歴史』明石書店,2003年。
最近まで,日本の大学院が院生に対して教育できている学的水準は,顕著に低下してきた。その事態が嘆かれるほどにも劣化し,非常に憂慮されてもいるのだが,ここにもまた,その実例1件が露呈している。残念ながらそういっておくほかない。
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【追 記】 本日におけるこの記述内容に関しては,参考文献の専門書がたくさんあるが,ここではあえて挙げないでおく。ここで最後に,大沼保昭(前東京大学・現明治大学)が1979年から1980年
にかけて執筆した論稿を1冊にまとめて公刊した著作,『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』(東信堂,2004年)の〈まえがき〉に書かれていた,つぎの文章(段落)を紹介しておく。
出所)画像は大沼保昭,http://brief-comment.com/blog/prostitute/28328/
日本に定住して5世代にもなるのに国籍の上では外国人という,世界に類をみない(おそらくフランスにおけるアルジェリア人のみが在日韓国・朝鮮人のあり方にやや類似する)かたちを戦後半世紀以上定着させてきた……。
……1952年の民事局長通達による元植民地出身者の国籍「喪失」は,サンフランシスコ平和条約に存在しない国籍条項をあたかも存在したかのようなフィクションにもとづき,法律によらずに50万に呼ぶ人びとの国籍を剥奪する不法な措置であった。
これを合意とした1961年の最高裁判決も,最高裁という日本の最高の法律家たちが下したとは思えないほど,法論理上無理のある判決であった。数ある最高裁判決中,この判決はその論理の杜撰さにおいて最高裁判例史上最悪の判決のひとつといえるのではないか(まえがき,ⅵ頁)。
--前段中に出ていた法務官僚のいいぐさ,在日韓国・朝鮮人は『煮て食おうと焼いて食おうと自由』だといってのけた〈残酷な理屈〉は,当時の最高裁判事たちもごく自然に共有していたわけであった。
政府は,日本に在留する外国人数の「韓国・朝鮮」の集計について,「韓国」と「朝鮮」を分離して公表する方針を固めた。今月中旬にも公表する2015年末在留外国人数から変更する。政府はこれまで区別せずに集計・公表してきたが,一部自民党議員らの強い求めに応じたかたちだ。現在,約50万人が居るという在日韓国人(朝鮮人)は,大日本帝国の敗戦を機に,占領されていたこの国とこれを囲む複雑な国際政治の情勢・経緯に巻きこまれていく運命をたどっていった。
在留外国人を「韓国・朝鮮」として集計してきたのは,韓国と北朝鮮の分断以前から日本に暮らす人もいるためだ。朝鮮半島出身者で韓国籍などをもたない人の場合,在留カードには「朝鮮」と記載する。ここには韓国地域内の出身者も含まれるが,政府は「北朝鮮」と誤解されるおそれがあるとし,1970年代から区別なく集計してきた。2014年末時点の「韓国・朝鮮」は50万1230人。
しかし,最近になって自民党議員らが「日本に住む『北朝鮮国籍者』が実数以上に大きくみえる」と主張し,分離公表を求めていた。
現在においては50万人という数値に至った「在日韓国人の人口統計」については,日本国籍取得者(帰化者)に関する情報も添えておく。この図表のなかには,敗戦後日本の政治過程において留意すべき出来事が,適切に記入されているので,これらにも注目しながら観てほしい。(画面 クリックで 拡大・可)
大韓民国外交部統計によると,2013年9月末時点で日本国籍を取得した(帰化した)韓国・朝鮮系日本人は345,774人となっている。なお,韓国は帰化した韓国・朝鮮系日本人であっても「在日同胞」と位置づけている。
註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/在日韓国・朝鮮人
② 韓国籍と「朝鮮」(籍)という表記に関する歴史的事情
1)「北朝鮮籍」はないが「朝鮮」籍はあるのか
「在日国籍の摩訶不思議--日本には『北朝鮮籍』は存在しない!」と〈叫ぶ〉かのような記述があるが,関連する事情をこう説明している。これは,現在の時点において “当面できる視野” をもって集約した説明の方法に限られており,歴史的な諸事情にまできちんとさかのぼったうえで語った,より〈適切な説明〉ではない。
しかし,現在にまで至り,置かれている時代環境のなかで,問題の基本点をどのように考えればよいのか・理解したらよいのかにかかわる説明としては,これなりに有益な記述である。ということで,しばらくこの記述を借りながら議論していきたい。途中であれこれと『補注の論及』も追加される。
--結論からいうと,日本に「北朝鮮籍」の人間はいない。なぜならば,日本は北朝鮮と国交を樹立していないからである。すなわち,「北朝鮮」国籍の人間が住んでいることは「理論上ありえない」。とくに,日本国が国交のない国籍の国民に永住権を与えることもありえない。
補注)ここまでの記述については,19世紀後半から20世紀前半にかけての両国間における〈歴史の関連〉が配慮されていない説明では,関連する事情を的確に判断できないと指摘しておく。敗戦前の朝鮮半島(韓半島)出身者=韓国人・朝鮮人は大日本帝国臣民であった。つまり「日本〔国籍〕人」であった。日本国籍を有していたのである。
在日韓国・朝鮮人の問題を論じるとき,この前提条件を抜きにして語ったのでは,問題の本質から離れてしまう議論になりがちである。ここで引照している記述にあっても,基本的にはだいぶおかしな表現である「日本に『北朝鮮籍』の人間はいない」という文句が,先出し的に登場している。
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国交が現在もないからではなく,もともと日本国内においては,昔から〈二等臣民〉であった「彼ら」が実在していた。それゆえ,いまさら「外国人としての国籍」がどうだこうだという理屈じたいが「理論上ありえないのだ」という具合に,問題の基本がまえもって確認されておくべきであった。
以下のごとき説明を聞いておく必要もある。少し長くなるが,以上の話題は実は,こうした日韓(日朝)間における歴史の経緯をきちんと理解してからでないと,大きくズレてしまい,脱線する歴史認識にはまりこむほかなくなる。
以下はしばらく,「補注内の補注」としての記述となる。
☆「在日朝鮮人の日本国籍」に関する歴史的事情 ☆
a) 現在韓国と北朝鮮に分断された朝鮮半島は,かつて日本が侵略し「大日本帝国」に併合された歴史をもつ。
1910年に日本は朝鮮(当時大韓帝国)を併合し,第2次世界大戦敗戦までその植民地支配を続けた。この間,朝鮮人は朝鮮民族を否定され,日本人,つまり「帝国臣民」の扱いを受けた。当時,植民地を「外地」と呼び,日本国内を「内地」と呼んだ。ところが,同じ「帝国臣民」でも,日本人の「内地戸籍」とはっきり区別された朝鮮人の「朝鮮戸籍」が創設された。
「外地」と「内地」の人の往来は自由だったにもかかわらず,「朝鮮戸籍」を「内地」に移動させることは禁じられていた。しかし,婚姻や養子縁組,認知などの身分変更時には戸籍が移動させられた。たとえば,日本人女性が朝鮮戸籍の男性と結婚すると,その女性は朝鮮戸籍に移った。しかし,現実には帝国臣民たる日本人に変わりはなかった。
補注内の補注1) 元大韓帝国は大日本帝国の植民地にされてから朝鮮と呼ばれることになった。そして,このとなりの「北方」に位置した「満洲〔帝〕国」(建国 1932年3月~ 廃絶 1945年8月,中国東北の広大な地域で日本の属国であった)において支配民族となっていた日本人は,この帝国じたいの国籍はもたず,日本国籍のままでこの属国を構成する〈国民〉となっていた。
しかし,それでいて,満洲国は日本とは別の国家だとされていた。この日満の「国際政治関係」は実に奇妙な中身であったが,そこには,支配国と属国の間柄に特有である矛盾した事情が介在していた。
b) 大日本帝国の朝鮮支配に伴って,朝鮮の自分の土地を奪われた人などが日本に出稼ぎにいくようになったり,とくに戦争の度合いが激しくなるに連れ,徴兵や強制連行されて来た人達で,1944年の「内地」には200万人近くの朝鮮人がいたといわれている。

朝鮮戦争が始まる1950年には在日朝鮮人の数が55万人弱までに減った。在日朝鮮人の4分の3は朝鮮に帰ったことになる。ところがこの朝鮮戦争によって,いったんは朝鮮に帰った在日朝鮮人などが,戦災を避けるために日本に再び戻って来て,在日朝鮮人の数は60万人近くになる。(画面 クリックで 拡大・可)
出所)https://ja.wikipedia.org/wiki/在日韓国・朝鮮人
これらの人びとがいまの「在日」という社会集団を形成していく。在日の人びとは,戦争を含めなんらかの理由で朝鮮に帰れなかったか,帰らなかった,帰ったが戻らざるをえなかった人びとということになる。
敗戦後の混乱期のなかで,在日朝鮮人は外国人登録が課せられたり,選挙権がなくなるなど徐々に「日本人」としての権利を失っていった。一方で,在日朝鮮人のなかで民族教育などが盛んになっていった。
c) そして,サンフランシスコ平和条約発効直前の1952年4月19日,法務省人事局長通達「平和条約発効にともなう国籍及び戸籍事務の取扱について」が出され,「朝鮮籍日本人」はサンフランシスコ平和条約の発効と共に日本国籍を喪失されることになった。およそ60万の在日朝鮮人が一夜にして,日本国籍を法的な変更も伴わず(憲法10条によれば,国籍は法に定める所となっている),単なる通達で国籍喪失させられたのだった。
このときは朝鮮戦争中であり,在日朝鮮人は朝鮮半島に帰れる状況になかった。くわえて国が分断され,日本国籍を喪失させられても,朝鮮という統一としての国がもう存在せず,事実上無国籍の状態になった。通達の該当部分は以下のとおりに書かれていた。
「朝鮮および台湾は,条約の発効の日から,日本国の領土から分離することになるので,これに伴い,朝鮮人および台湾人は,内地に在住しているものを含めて,すべて日本の国籍を喪失する。もと日本人であった者でも条約発効前に朝鮮人または台湾人との婚姻,養子縁組等の身分行為により内地戸籍から除籍せられるべき事由の生じたものは,朝鮮人または台湾人であって,条約発効とともに日本の国籍を喪失する」。日本国内に生活している「過去における被植民地の人びと」からなんの選択権も与えず,一方的に国籍を剥奪するというのは,植民地支配をした宗主国として国際的に非難されるべき措置であった。しかし,不幸にも世の中は朝鮮戦争に目が向いており,日本の少数民族の非人道的な処遇に注目が集まらなかった。
補注内の補注2) こういう説明を補足しておく。インドが英国より独立を果たすさい,英国在住のインド人には,国籍の選択権が与えられた。フランスのアルジェリア人にも同様の処置がなされた。ここでは,日韓関係に一番近いと思われる,ドイツとオーストリアの例が一番参考になる。敗戦後,オーストリアの独立にさいして,ドイツ在住のオーストリア人に,国籍の選択権が与えられた。
たしかに,敗戦が確定的になってから敗戦国の責任を逃れようと独立したオーストリアは,日韓関係の事例に一番近いといえるかもしれない。ただし,朝鮮は戦争戦争終結前に自力で独立できず,米軍とソ連軍の軍政下に入ったことがオーストリアとは違う。
しかし,大日本帝国の場合,朝鮮人に対して国籍選択権を与えなかった経緯が,その後における在日韓国・朝鮮人(くわえて台湾人)の『定住外国人としての権利と地位』に,重大は瑕疵・欠損を随伴させていく由来となった。
註記)http://www.han.org/hanboard/c-board.cgi?cmd=one;no=1573;id=
2) 法務官僚は職人種? -『煮て食おうと焼いて食おうと自由』-
以上のごとき歴史的事情の経過のなかで放置されてきた在日韓国・朝鮮人における「最低限の生活と基本的な権利」の問題は,日本政府による自国帝国主義の歴史に発生していた戦後責任の放擲を意味していた。
在日韓国・朝鮮人の存在をとらえて,ある法務官僚が1965年に「(在日外国人は)国際法上の原則からいうと『煮て食おうと焼いて食おうと自由』なのである」と放言し,非常な憤激を買ったことがあった(池上 務『法的地位 200の質問』京文社,昭和40年,167頁)。
この法務官僚池上 努,当時の肩書きは,法務省入国管理局参事官であった。隣国人に対する旧日帝時代の露骨な差別感情を丸出しにした,しかも非常に下品な表現を,公表される自著にわざわざ記していたのである。
国際法上の原則を守らず,在日韓国人・朝鮮人に関していえば,当時まで固有に蓄積されていた『過去からの在日史の実績』を頭ごなしに無視した池上のその発言は,法務官僚としての基礎知識(国際法)を根本から疑わせるものであった。「法規範の意識」よりも「隣国人差別の感情の横溢」を制御できなかった法務官僚の,偏見意識にまみれた精神構造が,みごとといわねばならないほどに噴出させていた一件であった。
〔ここで ② として引用・記述してきた本文であるが,☆「在日朝鮮人の日本国籍」に関する歴史的事情 ☆ の記述,赤字の a) b) c) の符号を付した「前後関係の文章」に戻り,続く。 ↓ 〕
d) さらに,朝鮮人と結婚をした日本人女性とその子までが,この通達一本で日本国籍を喪失させられた。日本で暮らし,日本人として生活している,血統的にも日本人といえる人びとからも国籍を喪失させたのだった。こうして,この通達は在日朝鮮人のみならず,日本人をも苦しめることになった。日本国籍を一方的に喪失させられた日本人女性やその子達から,国籍確認訴訟が相次ぐことになった。
一方,日本国籍喪失を受け入れ,朝鮮籍の夫とともに朝鮮半島に渡った日本人女性の数も多い。北朝鮮に渡った日本人女性だけでも6000人に上る。日本として,北朝鮮に対する拉致問題がきわめて遺憾であるならば,日本から国籍をとりあげられ,追い出されるのと等しく朝鮮半島に渡った元日本人に対しても,親族の求めに応じた身元調査なり,国籍回復の配慮が求められることになるはずである。
補注)北朝鮮に拉致された日本人の問題は,日本政府(いまの時点でいえば安倍晋三政権)の歴史意識を,端的に表現する具材を提供している。日韓(日朝)関係史を回顧すれば「量的という意味」では,単に〈小さい問題でしかない〉その拉致問題であるのだけれども,この問題が日本側では最大限にまで極大化されたうえで,あたかも明治以来に日帝が犯してきたアジア侵略史,なかでも朝鮮に対するその「歴史責任のすべてが払拭できる」かのように観念的に錯覚されている。いわば完璧ともいっていいほど〈倒錯の理屈〉が提供されている。
安倍晋三以下,政府や自民党のお歴々などが,これみよがしに上着の襟に着けているブルーリボンバッチは,北朝鮮による日本人拉致問題をけっして許さないぞという印しを表現しているつもりである。


出所)左側画像は,http://blogs.yahoo.co.jp/pandradra/55905428.html
出所)右側画像は,http://blogs.yahoo.co.jp/fivevitalstar/7890322.html
だが,それはあたかも,かの国における「金 日成・金 正日」バッチと同じ性格を,腸捻転的に共通させてもいるゆえ,いささかならずコッケイな安倍晋三政権的な時代的象徴であり,なおかつ稚戯に属する性格をも発揮させている。過去における日朝(日韓)間において歴史的に蓄積されてきた数々の記憶が,このバッチが発すると信じられるオマジナイ的な効用によって,一気に忘却できた気分になれるというのか。
歴史の問題は,加除計算によって処理しきれるものではないものであるのに,それをたかが〈バッチのひとつ〉をいつも上着に着けていれば,それなりに意味をこめたつもりの態度になれ,その意識を表示できることになると考えているらしい。
そうしていれば,現在における北朝鮮側の極悪な罪業ゆえに,大日本帝国の歴史に刻まれてきた過去における侵略史の実録に関する記憶は,いっさい抹消できる(帳消しにできる)かのように考えているつもりである。これがどうやら安倍晋三風の思考方法として確立されている。
しかし,歴史意識としてはあまりに未熟である,そうした歴史の事実を無視した国際感覚は,今日においてアジア史全体を踏まえる立場を構築しつつ,国際政治の相手国となるアジア諸国と対話をするための糸口をすら,みずからの手で断つような発想でしかない。
もっとも,対米追随の政治姿勢では卑屈な姿容をみせるばかりである安倍晋三君は,アジア全体の国際友好・善隣関係の追求・構築に対して,逆機能の働きであるならば,遺憾なく発揮しつつある様子にみえる。
〔さらにややこしいが,ここで再度,a) b) c) d) に続く「本文」に戻る ↓ 〕
e) 終戦当時,在日朝鮮人の外国人登録は「朝鮮」であった。しかし朝鮮戦争勃発と共に,国が分断され,日本が植民支配した「朝鮮」は消滅してしまった。実体としての「朝鮮」という国家は存在しなくなり,日本政府が認知する「朝鮮」は,たとえ日本が国家に準ずると認めても,それは単なる記号にしか過ぎなくなったのである。
こうして,在日朝鮮人は従来の「朝鮮」か「韓国」かの選択を迫られることになった。「韓国」を選んだ人びとにとっては,それは実体的な国籍取得に結びついた。しかし「朝鮮」を選んだ人びとにとって,それは実体的な国家ではなく,実質的な無国籍の状態を強いられることになった。現在,外国人登録に「朝鮮」とある人びとには,ふたつの違った帰属意識をもつ人びとが含まれる。そのひとつは,あくまでも統一した朝鮮に帰属意識をもつ人びとであり,もうひとつは北朝鮮に帰属意識をもつ人びとである。
統一した朝鮮に帰属意識をもつ〔その実質はないゆえ「もちたい」と記述してもおくが〕人びとは,実質的に無国籍を強いられる。残念ながら,朝鮮(日本の併合前の国号は,大韓帝国)はもはや存在していない。北朝鮮に帰属意識をもつ人びとも,〈北朝鮮国籍をもつ可能性〉がありながら,現状無国籍の状態にある。というのは,日本と北朝鮮は国交がないため,北朝鮮国籍が認められていないからである。
このように,在日朝鮮人のなかで〔ふたとおりのかたちで〕「朝鮮」籍にあるものは,実質的に無国籍である。だから,朝鮮籍の在日朝鮮人が日本に帰化する場合は,朝鮮籍の放棄を強要すべきではない。
帰化の求めに応じて日本国籍を取得させ,将来的に朝鮮が統一され,朝鮮籍が実体をもつに至った時点で国籍選択を求めればそれに足りる。また,北朝鮮に帰属をもつ人びとも,北朝鮮との国交が回復され,この人びとに北朝鮮籍が付与された時点から,国籍選択を求めるべきであろう。
註記)http://www.kouenkai.org/ist/docf/zainichinokokuseki.htm
この見解〔 a) b) c) d) e) として記述した段落〕は最後で,在日韓国・朝鮮人が二重国籍を有する権利〔あるいはこれに相当するなんらかの権利〕を,歴史的に有してきた事情に触れている。日本政府は基本的に,自国人に対して二重国籍の保有を認めていないが,とはいってもそれは相手国もあっての話であるので,その保有の排除を徹底できていない。
3)せこかったアルベルト・フジモリの日本亡命騒ぎ
有名な話があった。--以前,ペルーの大統領(第91代ペルー大統領に在職:1990年7月28日~2000年11月17日)であったアルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ(Alberto Kenya Fujimori Fujimori,現日本名,片岡謙也(かたおか・けんや)は,日本国籍を保有していたのを頼り(つて)に「悪用」し,「日本に亡命」していた。その便法は,実に奇妙〔巧妙・絶妙〕な使いわけであった。ウィキペディアは,こう解説している。
フジモリは日系人であり,ペルーと日本の二重国籍者である。日本政府は,フジモリが日本人夫婦のもとに生まれ,出生時に日本国籍を留保していることを理由に,彼が現在も日本国籍を保有していることを認めており,フジモリの二重国籍を事実上容認している(1984年以前から日本国籍と外国籍の双方を保持している者は,1985年1月1日の改正国籍法施行の日に外国籍を取得したものとみなされるので,成人の場合2年以内(1986年12月31日まで)に国籍の選択をしなければ自動的に,日本国籍の選択の宣言をしたとみなされる。それでは,在日コリアンの国籍はどのように定義づけられているのだろうか。まず基本的なルールとして,日本に在住するすべての外国人は,居住する市町村に外国人登録をしなければならない。これは日本人でいうところの住民登録に相当する。したがって,A市からB市へ引っ越せば,B市で再度,外国人登録をしなおすことになる。
出所)http://blog.goo.ne.jp/unordinarydays/e/ddc2c065be2dcf19a710fa323de0b1f8
同法第16条には,国籍の選択宣言をした日本国民が自己の志望で外国の国籍の必要な公務員になった場合に,その就任が日本の国籍を選択した趣旨にいちじるしく反すると認めるときは,法務大臣は聴聞を経て日本国籍を喪失させることができる旨の規定があるが,フジモリは「みなし選択宣言者」で「実際に選択宣言を届け出た者」とは区別されるため,この第16条は適用されない。
ただ「一国の国家元首が二重国籍者であることを隠していた」という点はペルーで大きな批判の対象になった。また,フジモリ自身,政敵が二重国籍者であることを理由に資産没収や国外追放などの弾圧をおこなってきたという経緯もあり,その行動が「二重基準である」と批判する人もいた。
出所)http://bund.jp/modules/news/index.php?page=article&storyid=151
ペルーの法律は二重国籍者が大統領になることを禁じており(とはいうものの,そもそも,スペインの植民地であったことからスペインとの二重国籍であれば容認される,という二重基準の内容であるが),フジモリは大統領選挙運動中に「日本国籍をもっていない」と宣言していた,という。フジモリは大統領当時に資金援助のために訪日のさいも,日本人ではなくペルー人であるから,として日本語を話すことを拒否し,スペイン語のみで会見していた。
なお,日本の亡命したフジモリを個人的にかくまった日本人がいる。曾野綾子夫妻である。本ブログ内では,2015年02月17日「文学少女だった曾野綾子の人種差別観,問われる『悪しき日本人』の『外国人:黒人をみる目線』」も参照されたい。
補注)この事情は最近,制度が変更されている点もあるが,ここでは触れない。以下の記述内容もその旨,諒解して読んでほしい。関連する最新の事情について,とりあえずは,http://www.immi-moj.go.jp/newimmiact_1/pdf/zairyu_syomei_mikata.pdf を参照されたい。
また「2012年7月9日から 新しい 在留管理制度が開始」されており,従来の外国人登録証明書の代わりに「在留カード」または「特別永住者証明書」が交付されている。

出所)これは東京都北区役所HPでの見本提示,画像の密度(画素)
の割りには画像そのものが粗い。偽造防止への配慮か?
http://www.city.kita.tokyo.jp/koseki/kurashi/koseki/gaikokujin/zairyu.html
の割りには画像そのものが粗い。偽造防止への配慮か?
http://www.city.kita.tokyo.jp/koseki/kurashi/koseki/gaikokujin/zairyu.html
戦前・戦中からの在留関係の事情を考慮すれば,けっして特別でもなんでもない永住者(本来ならば日本国籍をもっている旧植民地出身者およびその子孫たち)に対して,「オマエたちだけには」「特別に在留させてあげている」という語感があるのが,この「特別永住者証明書」という表記(名称)である。
登録をすると,外国人登録証というカードが発行され,そこには国籍も記載される。仮に「アメリカ」と書かれていれば,その人は100%アメリカ人だ。ところが,在日コリアンだけは「韓国」もしくは「朝鮮」(北朝鮮ではない)の二種類の書き方があり,これが話をややこしくしている。
「韓国」と書かれている人は韓国籍であり,「朝鮮」の人は北朝鮮籍だと思いがちである。実際,市町村役場の職員ですら漠然とそう思いこんでいる人も多い。しかし,それは最初に述べたように勘違いである。外国人登録証に「韓国」「朝鮮」と2種類の書き方がある理由。それは,第2次大戦前までさかのぼる。
4)大日本帝国統治下の朝鮮戸籍事情を振りかえる
当時,朝鮮半島は大日本帝国を構成する「朝鮮」というひとつの地域だった。一方,日本では住民登録制度や外国人登録制度はまだなく,戸籍が唯一の台帳制度。在日コリアンは「朝鮮戸籍」に登録されていた。そして戦後,外国人登録令が施行され,在日コリアンの国籍は全員「朝鮮」として登録された。
補注)なお「在日コリアン」という呼び方(概念?)は,韓国と朝鮮を共約させる表現として使用されているようである。だが,ときにこの呼称は,意図的に「朝鮮」(⇒「北朝鮮」の意味や「朝鮮総聯」の関係)を隠すために使用される場合も多くあり,要注意である。
要は『韓国+朝鮮=コリアン』という含意らしいが,このコリアンという用語を無制限に使用する段となれば,在日問題をとりあつかうさい,不要かつ不適切な誤解を生むことが多いゆえ,気をつけて接する必要がある。
その後,半島が二国に分断されて「大韓民国」が誕生。日本国内にも民団(在日本大韓民国民団)が創設されると,韓国政府は民団を通して在日コリアンに韓国籍を取得するように働きかけ,その結果,多くの在日コリアンが韓国籍を取得し,登録証の国籍も「韓国」に書き換えられた。
しかし,なかには「朝鮮」のままにした人もいた。その理由は,北朝鮮の国家体制を支持していたという人もいれば,両国の統一を夢みて,あえてそのままにしているのだ」と主張する人もいる。つまり,在日コリアンに限っては,登録証の国籍欄が必らずしも国籍を表わすものではなく,ある種の「記号」としての役割しかもたないということになってしまった。それが現状に至る歴史的経過といえる。
さて,ここで問題となるのが,韓国籍を取得していない在日コリアンとその子孫の国籍は,はたしてどこになるのかという点であるだ。韓国籍を取得していないのだから韓国人ではない。しかし,北朝鮮籍ということも理論上ありえない。では無国籍という解釈になるのか?
註記)本文段落の引用部分は,http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/426.html
つぎに紹介しておくのは,遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史-民族・血統・日本人-』(明石書店,2013年)のある頁を,画像で入れておく。(画面 クリックで 拡大・可)
③『統一日報』2016年3月16日の関連報道
1)「朝鮮籍が激減-法務省『韓国』と『朝鮮』を区分-」(1面)
法務省は3月11日,昨〔2015〕年12〔月〕末時点での日本在留外国人数を公表した。1970年以降,ひとつにまとめていた韓国籍と朝鮮籍を区分しての公表だった。日本当局は長い間,区分していないとしてきた。今回の公表で,急速な朝鮮籍の減少が明らかになった。公表は,日本当局による,対北制裁の一環でもある。
法務省によると,朝鮮籍は前年より 1814人減少した3万3939人。韓国籍は45万7772人だった,ともに前年より減少しているが,朝鮮籍の減少幅(マイナス 5.1%)は韓国籍(マイナス 1.7%)より大きい。
今回の発表は,日本政府の対北制裁の一環といえる。法務省が韓国・朝鮮とまとめて公表してきたのは,韓国が朝鮮を上回ったという事実をしられたくなかった平壌と朝総連が当時,日本の政界などに働きかけたためといわれる。
平壌側と朝総連は,在日同胞事業は首領が直接指導してきたと宣伝してきた。金 日成・金 正日・金 正恩の3首領は同胞事業を領導してきたが,1970年から毎年平均約6000人減っていたという実態が明確になった。
そのなかには国籍だけを韓国に変更した “便宜上の韓国人” もいるだろうが,安倍政権は,北の「最高尊厳」や「首領唯一指導体系」そのものに制裁をくわえたといっていい。
2)「消滅に向かう朝総聯-分離公表が明らかにした首領たちの無能-」(4面)
朝総連を支える朝鮮籍の同胞が,組織の結成以来持続的かつ大幅に減ってきたのは歴史の必然だ。韓半島では植民地支配からの解放後,人民は共産独裁から自由のある方に向かって大挙移動してきた。それが分断70年の歴史だ。
6・25南侵戦争の前後に 150万人以上が北韓を脱出して南にきた。北送事業は住民の大挙脱出で労働力が不足した北側が,朝総連を動員して在日同胞を騙し,生き地獄に連れていった「反人道的犯罪」だった。
金 日成と朝総連にだまされた在日同胞の憤怒は,韓日国交正常化と協定永住権取得,墓参団事業を契機に爆発し,朝鮮籍者の大量離脱と,大韓民国国籍の選択に帰結した。こうした在日同胞の “復讐” により,朝総連は急速に勢力を失っていった。これは,在日同胞も自由に向けた民族移動に参加したことを意味する。
補注)「在日同法」「をだました」のは,なにも金 日成と朝総聯だけではない。日本国側の公私各機関・各組織も大いに,その「だまし帰国(?)事業」(韓国側は「北送」と称していた)に対しては力を貸していた。
1990年代の大規模脱北が起きる前に,日本でまず巨大な “脱北” が先行したのだ。北送された肉親が金 日成体制の人質になっているにもかかわらず金氏王朝を裏切ったのと,北に血縁者を残して南に来た脱北者の事情は同じだ。
1990年代半ば以降,韓国に入国した脱北者は約3万人にのぼるが,過去半世紀間,朝総連を離脱した在日同胞はその10倍以上だ。朝総連は首領ではなく,日帝時代よりも悲惨な境遇にいる北韓同胞たちを助けねばならなかった。独裁の肩をもった朝総連が憎まれるのは当然だ。もう朝総連に未来はない。
最近4年間の統計だけを見ても,朝鮮籍者は2012年末の4万617人から2015年末には3万3939人と,6678人も減った。朝総連はこれまで脱北した同胞を「裏切り者」と呼んできたが,昨年韓国に入国した脱北者は1277人だが,朝鮮籍はそれ以上の1814人減っている。
金 正恩は昨〔2015〕年5月,朝総連結成60周年の書簡で,「白頭山絶世偉人たちの賢明な領導と愛のなかで朝総連が栄光の発展の道を歩んできた」と自画自賛した。朝総連を尊厳高い海外公民団体と称し,金 日成が朝総連の創建者,金 正日は朝総連と在日同胞の守護者とした。偉大な将軍様の遺訓を守り,社会主義祖国と生死運命をともにするよう指示したが,首領たちが育てた朝総連は消滅しつつある。(以上『統一日報』からの引用)
--在日本朝鮮人総聯合会(略称:朝鮮総聯ないし総聯)は,いまでは,在日する民族団体組織として観るとき,その勢力は衰退しており,風前の灯火である。この総聯を支持する在日「朝鮮」人であっても,多くの者たちが以前から韓国籍に変更している。
もとはといえば,既述の説明にもあったように,朝鮮籍とは仮称であり,国際法上その実体の定かでないけれども,旧日本帝国とは「歴史的に切っても切れない因縁のあった」国籍の名称であった。なかんずく,それは日本政府側に歴史的な責任のある〈あいまいな国籍〉であり,いわばその仮り置き的な名称であった。
それゆえ,韓国政府側の要求もあったとはいえ,朝鮮「籍」と記入していたこの国籍名を「韓国」籍に「訂正させる」ことは,なんら法的に支障のない手続となっていた。いまだに朝鮮総聯を熱心に支持する在日朝鮮人であっても,早くから,いつの間にか「韓国籍」に変更していた人たちもいる。
大韓民国に対する忠誠心(所属意識)など,わずかもないはずの在日朝鮮人が,いまでは隠れ蓑的に悪用するための韓国籍に変更している者もいる。この現実の問題は,前段で説明したような,敗戦後における日本政府の国際法上きわめて不適切かつ不当な在日韓国・朝鮮人に対する処遇から,その後になって発生してもきた《奇妙な出来事》としての一現象である。
「南・北の韓国」(朝鮮)においてはいまだに,政治イデオロギー的に対立がはげしい両国間の政情にある。1958年から今日まで両国はまだ休戦状態を継続させている。そうした韓国と北朝鮮の間柄であるにもかかわらず,ともかくも,いちおう北朝鮮を支持する人であっても,こちら側の朝鮮籍の人たちがいきなり「韓国籍」に変更できてきた経緯もあった。日本政府側がこの種の〈歴史の特殊な具体的展開〉を実際に許すほかなかった事情は,いいかえれば,敗戦後において恣意的でありつづけてきた在日外国人政策のために,必然的に生まれるほかなかったのである。
④ 朝鮮籍の学識者の不勉強

出所)画像は韓 東賢,http://www.shingakunavi.ne.jp/
この執筆者は,完全に朝鮮総連の支持者であるせいか(朝鮮学校卒業後,朝鮮新報記者を経て立教大学大学院・東京大学大学院で学び,現職),偏見でなければいいのだが,結局のところは「かなり偏向のめだつ内容」(⇒金 正恩を支持する政治的な立場にならざるをえないイデオロギーでのそれ)を執筆するほかない様子が濃厚に感じとれる。(画面 クリックで 拡大・可)
またとくに,在日韓国・朝鮮人の人口統計については,以前より〔何十年も昔に〕訂正されている事項について,そのまま間違えた数字を提示するなど( ↑ 上掲で赤線を付けた箇所が間違い,正しい数値はすでに前掲の図表に戻って,1945年のあたりを観てもらえれば,すぐに判る点である),学識のあり方に関して即座に疑問の出るような〈粗雑な見識〉を晒している。さらにくわえて,朝鮮総聯を支持する人間として,自身の側に都合の悪い事実にはいっさい触れていない。
補注)この段落の指摘については,学術的に参照を必要とするつぎの文献を挙げておく。
☆-1 森田芳夫「在日朝鮮人処遇の推移と現状」『法務研究』報告書第43巻第3号,昭和30〔1955〕年7月(本ブログ筆者が古書で入手した〈冊子本〉には,表紙に《部外秘》と赤鉛筆で記入されていた)。のちに「単行本」として公刊された本書は,湖北社が1975年に復刻・再刊していた。
☆-2 森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店,1996年。
☆-3 金 英達著作集Ⅰ『在日朝鮮人の歴史』明石書店,2003年。
最近まで,日本の大学院が院生に対して教育できている学的水準は,顕著に低下してきた。その事態が嘆かれるほどにも劣化し,非常に憂慮されてもいるのだが,ここにもまた,その実例1件が露呈している。残念ながらそういっておくほかない。
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【追 記】 本日におけるこの記述内容に関しては,参考文献の専門書がたくさんあるが,ここではあえて挙げないでおく。ここで最後に,大沼保昭(前東京大学・現明治大学)が1979年から1980年

出所)画像は大沼保昭,http://brief-comment.com/blog/prostitute/28328/
日本に定住して5世代にもなるのに国籍の上では外国人という,世界に類をみない(おそらくフランスにおけるアルジェリア人のみが在日韓国・朝鮮人のあり方にやや類似する)かたちを戦後半世紀以上定着させてきた……。
……1952年の民事局長通達による元植民地出身者の国籍「喪失」は,サンフランシスコ平和条約に存在しない国籍条項をあたかも存在したかのようなフィクションにもとづき,法律によらずに50万に呼ぶ人びとの国籍を剥奪する不法な措置であった。
これを合意とした1961年の最高裁判決も,最高裁という日本の最高の法律家たちが下したとは思えないほど,法論理上無理のある判決であった。数ある最高裁判決中,この判決はその論理の杜撰さにおいて最高裁判例史上最悪の判決のひとつといえるのではないか(まえがき,ⅵ頁)。
--前段中に出ていた法務官僚のいいぐさ,在日韓国・朝鮮人は『煮て食おうと焼いて食おうと自由』だといってのけた〈残酷な理屈〉は,当時の最高裁判事たちもごく自然に共有していたわけであった。