高度自給自足時代の夜明け 【先進国の未来像】さんのサイトより
http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-240.html
<転載開始>
こんにちは、今回は名無し先生のコメントが投稿出来ないので記事にしました。

FC2ブログは困った事に度々、不正投稿と判断されます。

また、皆様のコメントが私に届かずに、迷惑コメントに入っていたりします。

まじめに引っ越しを検討しています。

読者の方々にはご迷惑をお掛けいたしております。

下記はあきらさまのコメントへのお返事になります。

ヤハウェとの契約。

O’BRIEN様 名無し先生様

サムエル記下23章『ダビデの最後の言葉』の5節にヤハウエとの永遠の契約について書かれていますが(7章『ナタンの預言』が元になっている)、神との契約を明記しているのは旧約聖書全体を見ても例がなくキアスムス構造(1-7節)になっている事も含め、編集者がエッサイの息子ダビデが誰であったかをを存分主張する箇所になっています。書かれた時期については4節の「日が昇る朝、雲一つない朝の光のよう」の比喩ように太陽神的な要素もありバビロン捕囚後か、ダビデの死後よりかなり後で書かれたものの様に思います。もしサムエル記を含む旧約聖書の編集に携わった人々について何か共有できることがあれば教えてくださいよろしくお願いします。

名無し先生のお返事

聖書に係わる考察をなさっているようですが、目的が「どういった勢力が作った物であるか?」と言う事ですので、健全な学問的思考と考え、私の思う処をお答えします。


まず旧約と新約では目的が違うと言う事。その内の旧約に関するご質問ですので、イスラエル族の一神教としての統合を一義的に目指していた事は言うまでもありません。背景としては、ダビデ―ソロモン―レハベアム・・・と、イスラエル王国の治世はユダ族内で動く訳ですが、レハベアム時BC925年にエフライム族アラベアムが反乱をおこし、10氏族の支持の基サマリアを都とする北イスラエ ル王国に分裂した訳です。この分裂の種は、この時突然産まれた物ではなく、モーセに率いられエジプト脱出後、BC1250年にカナンの地をハム系カナン人エブス族から奪い取り、12氏族に分け与えたのは、エフライム族アラベアムの先祖=ヨシュアです。このエフライムはマナセの兄弟であり、父ヨセフはエジプトで高官を務めていた事に注意が必要です。つまりBC1250から925までの300年間、12氏族の中での権力闘争が潜在的に存在していたと言う事です。乗っ取ったハム系の地に存在するバール教、エジプト由来の宗教、これらをユダ族主体の一神教に統合するために、「イスラエル民族の絶対神」=ヤハウェにちなむ神話が必要になったのです。

ノアの箱舟の話は、アッシリアに伝わる『 アトラ・ハシース叙事詩』(紀元前18世紀アッカド語、粘土版3枚)に、その起源を見出すことができます。アッシリアの王宮の廃墟で見つけられ,今は大英博物館に保存されている一つの印章は,アシュル神を三つの頭を持つ神として表わしています。これが三位一体の起源です。またバベルの塔にちなんだ、神が言葉を乱しコミュニケーションを奪った話も同様です。参考に御紹介しておきます。


全地の言葉を乱す:

≪かつて、蛇も、さそりもハイエナも、獅子も、野生の犬も、狼も存在せず、恐れも、恐怖もなく、人間に敵するものはなかった。かつて、シュブール(Subur)とハマジ(Hamazi)の国には、王子の法によって治められる偉大なる地、シュメールと、同じ言葉を話す人々が住 んでいた。また、ウリ(Uri:アッカドをさす)は、すべてがしかるべくあり、マルトゥ(Martu:アムル人の国)は、安らかであった。世界全体は、『神エンリル』のもとでひとつの言葉を話し、調和のなかにあった。そのとき、多産・豊穣の主であり、知性の主であり、地を知悉する者であり、神々の指導者である『神エンキ』は、エリドゥの主に知恵を授け、ひとつの言葉を話す人間たちの口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした。 ―エンメルカル, シュメール『エンメルカルとアラッタ市の領主』より≫


大洪水から人類を護る:

≪神々の王『エンリル』は、地上に繁殖した人類の騒擾が耳に障ったため、彼らを滅ぼそうと企てた。そこで『エンリル』は人類に対し、1度目には旱魃を、2度目には飢饉を、3度目には疫病をもたらした。しかし、『エンキ』は人間のアトラハシスに灌漑農業・麦の栽培・医学の知識をもたらし、腹違いの兄弟であるエンリルの計画の実現を3度とも阻止する。こうして、人類は4たび地上に繁殖した。これに怒った『エンリル』は、神々の会議を召集した。『エンリル』は今度は、人類を絶滅させる計画を人類にもらさないよう、神々に約束させた。『エンキ』は、アトラハシスという人間の住んでいる葦の小屋の 壁を通して、彼ら人類に迫る危機を聞かせた。そして、彼にこっそりと、アトラハシスと彼の家族の乗るための舟の作り方を教えた。そして大洪水が訪れ、7日7晩続いた。洪水が引いた後、アトラハシスは、ツバメ・鴉・鳩を放して、洪水の水が引いたかどうかを確かめた。そして、水が引いて船底が地につくと、神々に犠牲が捧げられた。一方、『エンリル』は、彼の計画が再び阻止されたことに怒り、エンキに容疑が着せられ、人類への罰が検討された。それに対し『エンキ』は、『エンリル』が罪のないアトラハシスを罰するのは公平ではないと神々に弁明し、もしも人類が出生を適度に抑え、自然界のおきてを守るなら、神々も人類を滅ぼさないとの約束をとりつけた。ただし、もし人類がこの契約を尊重し ないならば、神々が再び大破壊を引き起こすことは自由であると、念押しがされた。≫


これらの記述から、エンキはより人間に近い存在とされ、その派生が紀元前2000年頃からの諸宗教発生に及ぼした影響が大きい事が分かる。エンキはウガリットのエルやカナン神話の神(エブラの)ヤハと同一視され、フルリ人やヒッタイト人の神話にも、契約の神として登場し人々に特に好まれていた。エンキが、生命を与える水を由来とされているのと同様、西部セム系民族のなかでは、エアは生命を現す「*hyy」という語に相当するとみなされていた。エンキ・エアとも、本質的には、文明・知識・文化を司る神であり、また人類の創造者・保護者、そして世界一般をも司るものであった。かかる見方は、神マルドゥク の叙事詩でエンキ・エアの偉業が称えられており、マルドゥクの宗派とエンキ・エアの宗派が近しいことなどに見ることができる。これら両宗派の関連性は、(1)バビロンにあるマルドゥクの聖域の名前がエリドゥの寺院の名と同じ「エサギラ(Esaggila)」であること、(2)マルドゥクは一般的には神エアの息子と称されており、その力は父神エアの自発的な権威放棄により息子マルドゥクのために引き継がれたこと、といった、重要な関連性があることからも生起している。マルドゥクがエアの権威を引き継いだことと関連しては、もともとはエアの宗派のものであった祈祷文・聖歌の一部が、バビロンの司祭によって書き直され、マルドゥク崇拝に適用されたことが挙げられる。


サムエル記下に関す る考察:

ここで扱われている期間はBC1077年から1040年ごろにまで及びます。しかしダビデの死に関する記述がない為BC1040年より少し前に書かれた物であろうと言うのが一般的解釈です。太陽賛美に関する記述からミトラ教との関連を類推する事には必ずしも賛同しかねます。シュメールの時代にも既に灌漑事業は行われていた訳で、農耕と太陽の関連性は必然的な物が在ります。預言者ナタンはユダ族であり、神の啓示が必ずしもレビ族に限定されていない事を示唆しております。彼はダビデに永遠の王国のための契約を知らせた反面、「ヒッタイト人ウリヤをあなたは剣で討ち倒し,その妻(ソロモンの母)を自分の妻として取り,彼をアンモンの子らの剣で殺したのだ。」とダビデに告げています。つまり、こ の時期ハム系であるヒッタイトとダビデは同盟関係に在り駐屯先をダビデが支持出来た訳です。その状況下に於いてもヒッタイト側にヤハウェへの信仰を強制する記述がない事から、バビロン捕囚以降の様な世界の唯一神という指向性は見受けられません。あくまでイスラエル族の唯一神の位置付けです。


バビロン捕囚に関する考察:

BC607年南イスラエル王国はエホヤキムを王としていた時期にバビロン捕囚されました。BC598年に王位はエコニヤに移りBC536年に帰還を許されます。そしてBC516年に神の宮を再建した事がエズラ記第3章7節に記されています。この当時のエラム州の首都がスサで、この王を称してスサの王=スサノウという日本の神話に繋がっているようです。エホヤキムの一代 前の王ヨシヤの時代の預言者がエゼキエルでエズラと並ぶバビロン捕囚時前後の南イスラエルに大きな信仰上の影響を与えた人物です。両者ともにアロンの家系、先祖にはサドカイ派の元であるサドクが居ます。ちなみにヨシヤから10代遡った南イスラエル王ヨラムの子がウジヤとアハジヤです。王位はアハジヤが継ぎますが、ウジヤはサドクの娘エルシャを妻にしています。こちらの子孫にイエスの父ヨセフが居る訳です。処女懐妊を前提とすればイエスをこの血筋と言えるかどうかは疑問ですが・・・。一方前出のサムエルはアロン&モーセの父アムラムの兄弟イズハルの血筋です。モーセの父の代は当然エジプトに居た事になります。このエジプトにおける影響が強く見られるのが、名前にエルが頻出するイズ ハル、サムエルの家系なのです。エジプトはハム系ミツライム人を祖とする事は御存知ですね。レビゾク内にも派閥が在り、必ずしも神からの啓示優先では無かった様ですね。もっとも8人の妻に20人の子を産ませたダビデの後を継いだソロモンの母はハム系であるヒッタイト人で、夫をダビデに殺されたバテ・シバです。バビロン捕囚の400年前にも強くハム系の影響を受ける事案が発生しているのです。これらに加え、袂を分かったはずの北イスラエル10氏族とハム系カナン人ぺリシテ族の係わりを調べてみれば、面白い事実が分かってきます。日本に辿りついて浅草寺を建立した坊さんは、実はぺリシテ人であったと言う話です。コーヒールンバは彼を歌った物と聞いております。

御参考に成れ ば・・・

それでは

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浅草寺-ぺリシテ‐コーヒールンバ

浅草寺-ぺリシテ‐コーヒールンバについて優れた考察をしていブログを見つけましたので御紹介しておきます。

煩悩くんフルスロットル『コーヒールンバとペリシテ人』http://aioi.blog6.fc2.com/ 

No title

ありがとうございます。
「山海経」も初めて知りました。
コフヨとカフトルの音韻もコプト教も近い感じです。
「エデンの園」を音韻でたどると、聖書からの後付なのかつながりなのかが連想できそうですね。

エデン
  エディンバラ(スコットランド)
  スウェーデン(バルト海沿岸)
  エド(東京湾沿岸)
他にもたくさんありそうですね。大洪水前130m近く海面が低かった頃にエラムの南方、現海面下であるティグリス・ユーフラテス川下流説もあります。与那国の海底遺跡や、スマトラ沖地震の時大津波発生前に潮が大きく退いてスリランカやインド半島沖合に顔をのぞかせた遺跡を地元住民が目にしていることも興味深いところです。  

美保子 様

ありがとうございます。
私もまだまだ勉強中で曖昧な部分は否めませんが、ご理解ください。

バルト海を出た一派は確かに列島に辿り着いていたと思います。
「史記」と世界最古の地理書「山海経」の内容を対比しても流れが正反対で
文化文明の本流が観点によって変わってしまうのです。
「山海経」では縄文期迄は列島をコフヨ国(胡不與)と呼び、
四ケ国に分割して弥生期に入ったとあるので、この説を受け入れるとすると
この辺りで異文化流入があったのかもしれません。

神話から当て字で幾つか痕跡らしきものは確認出来ているのですが、
「エデンの園」ーエ・ディン(原野)だけは、まだ確証出来ていません。

★タガーマ州ハランー高天原(タカマガハラ)小谷部全一郎説
★スサの王ースサノオ
★神武天皇ー記紀別称、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)
ヤコブはハランに居る身内に身を寄せていたとの事、
イスラエルは「神に挑む」の意味があるそうなので
ヤコブの系統を神武とした神話上の当て字は妥当と感じます。
ヤコブーヤアコブ(人を出し抜くの意味有り)
エフライム族の系図が神武に繋がる日本神話の皇統と酷似していても
何ら不思議では無い気がします。

神武の兄ーエサウ?御毛沼命(みけぬのみこと)はミケーネを想起させ
ミケーネ文明ではミツライム系カフトル人が介在しましたが、
文明崩壊後、アナトリアで勢力を振い、同族ヘテ人の導きで東征した逸話が、
神武東征のモデルになったのかな?などと妄想したりも出来ます。
ミツライムとエフライムはハムとセムで他種族の筈ですが、
この繋がりは隠せないのでは?と思ったりします。

カフトルの後裔がペリシテ人になるそうなので、浅草寺にベリシテ人の痕跡があり、
俸公衆のペリシテ起源を教えて頂いたので、記紀に盛り込まれても不思議では無いと感じてしまいました。

ノアの洪水の舞台でもあるアナトリアは後のアレキサンダー大王を生んだ地域でもあり、
この偉人の東征物語もダブります。
マケドニアの後裔が文明の流れを創作した?

縄文期の「胡不與」は三皇五帝の高陽帝が紀伊半島に都を置いていたと
ありますので、那智の滝の存在もうなずけてしまいます。
東アジアの何処かに高度な先史文明があり、列島もその圏内にあった
と考えるのは誇大妄想なのでしょうか。

五帝には鬼神崇拝があったそうなのでエデンから人々を追い出した神との
関連性も気になるところです。

話が飛び過ぎたかもしれませんが、何らかの痕跡からヒントを得て
点を線で結ぶ事で何か意外な真相が見えてくるかもしれません。

toshi様

こんにちは。
文明の移転説では、流れや動きが逆転しているようなので、考察する上でとても貴重な見解を提示して下さっていると思います。
私たちは一方的に西方から全てがもたらされたとの前提から解釈しようとしていますが、途中で混乱してしまいがちです。ここから発した人たちが宗教理念や理論、様式儀式を持って帰還したと捉えた方がすっきりいくのですが、断定できないもどかしさを感じます。
たとえばスーサ(スサノウ語源)についても、ここはどこかといえば現イラン南部ペルシャ湾沿いのフーゼルスターン州にあります。メソポタミアのティグリス、ユーフラテス川の対岸になります。ここにエラムがあったようです。
あるペトログラフの研究者、吉田信啓氏(英語教師から出発)が言語学の視点から岩刻図、岩刻文字を研究されており、国際的には文化人類学などと相互考察を進めてきています。私が読んだ書籍は昨年学生に貸し出していて詳細は述べれませんが、九州北部に封印の岩窟遺跡がありこれがエジプトの壁画によく似ているとの分析でした。

先生が仰るバルト海を出た方たちが1次渡来してこの列島にいろいろな痕跡を残して一部が去り、また新たな宗教という力を付けて渡来してきた、あるいは海洋民としてもっと往来が頻繁だったと解釈する方がスッキリするし、大陸交易路も私たちが認識しているよりももっと盛んだったと捉える方が合点がいきます。つまり地球は小さかったかな?

アナトリアと接点

ミタンニの王名はサンスクリット語で意味を成すものが多いそうです。
ヒッタイトとの同盟を結ぶ際はインド諸神に誓約があったそうで
アナトリアはインド周辺の文化風習が散見されます。

以前、この足跡を少し追った事があるのですが、
インダス文明圏モヘンジョダロ遺跡から神官王の胸像が発掘されていて
その衣服の紋様とファラオ・アイの衣服の紋様とが酷似しているのを
見つけて、エジプトとインダスとの関わり合いを感じました。
丁度インダス衰退期とBC2000年~の流れと合致しそうです。

他方、ヒッタイトですが、原住民のハッティは製鉄民であり
ハム系のヘテ人が合流、隣国ミタンニの高度な文化や政治的影響?
で隆盛して行ったのかもしれません。
因みに戦でチャリオット(戦車)が登場し始めた時期が、
インダスのハラッパー(インド北西部)とヒッタイトのアナトリアで
ほぼ同時期であった事から関連性は濃厚だと思います。

エジプトーインダスーアナトリアの三角構造の中に
文明発祥と言われるメソポタミアが存在したのは
エジプトのメソポタミアへの介入と無関係では無い筈で
アナトリア方面からヒクソスが流入してエジプトでの奴隷階級である
ヘブライ人の待遇改善になった?のかもしれません。
これらを仮定するとアブラハムがハランの地で平伏したヘテ人とは
後にヒクソスと言われるハム系ヘテ人(ヒッタイト)かもしれません。
主と仰いだ存在は僭主(せんしゅ)的な存在であったヘテ人に
自らの境遇にとって救世主的な存在に映ったのかもしれません。

僭主(シニョリーア)と言えば、
その最たる例はイタリアの共和制下で隆盛した
ミラノのヴィスコンティ家、フィレンツェのメディチ家などです。
最後まで共和制の伝統が残ったのはヴェネツィア共和国になります。
この伝統が未だにうごめいているのですね・・・

アイ

123様が書いていらっしゃるアイですが、ミタンニにルーツを持ち、アクエンアテンの妻ネフェルティティの父という説もあります。

ネフェルティティは出自が不明なのですが、ミタンニ王女タドゥキパ(Tadukhipa)を彼女に比定する説があるようで、ミタンニはフルリ人が紀元前16世紀頃メソポタミア北部のハブル川上流域を中心に建国した王国で、現在のシリアです。

ミタンニは、長きにわたってシリアの支配権を巡ってエジプトと対立を続けていたのですが、アナトリアで勢力を拡大するヒッタイトがシリアへ侵入する動きを示したため、エジプトとミタンニは長年の対立を収束させて同盟関係が結ばれ、エジプトとミタンニの同盟を軸にシリア地方の政治情勢は安定することになったとのこと。

フルリ人(Hurrians)は、前2000年頃メソポタミアに侵入した異民族で、その言語(フルリ語)の研究から、セム族ではなく、またインドヨーロッパ語族かどうかは微妙な問題のようです。彼らはコーカサス近辺で民族として形成され、その後南下してメソポタミアに入り、前1500年頃~前1370年に北部メソポタミアにミタンニ王国を作ったそうです。

フルリ人の文書の中には明らかにサンスクリットで解釈できる単語が多く、ヒッタイトとミタンニとの間の条約ではインドのヴェーダの神ミトラ、ヴァルナ、インドラやナーサティヤ(アシュヴィン双神)に誓いが立てられているそうです。

ミタンニ碑文には、西アジアにおけるミスラ(ミトラ)についての最古の記述があり、ミトラ神とは、契約・約束の神とのことだそうで、ゾロアスター教のミスラは司法神であり、光明神であり、闇を打ち払う戦士・軍神だそうです。

そもそもネフェルティティがアテン神を信仰していて、妃の影響もあってアクエンアテンもアテン神を信仰していたとのことなのですが、ミタンニでのミトラなどの信仰が、夕日を神格化したアテン神信仰につながったのでしょうか。

アイとネフェルティティがミタンニ出身の親子だとすると、アイとネフェルティティの信仰の違いが気になりますが、アイは、両親が神官で、自身も神官として経歴を積み、アクエンアテンの死後、神殿勢力が勢いを復活させてアメン信仰に戻し、王位についたアクエンアテンの息子のトゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)の早急な死後(アイによる暗殺説あり)、アメン大神官の地位にあったアイがツタンカーメンの妻だったアンケセナーメンと結婚してファラオの位に登ります。ミタンニの信仰よりも、神殿勢力のアメン神信仰をしていたのは大人の事情でしょうかw

ヨセフが仕えた王と、一神教の始まり

はじめまして。こちらのブログを興味深く読ませていただいております。

歴史や地理や世界状況に疎い私では、咀嚼できない情報ばかりなのですが、それでも読まずにはいられずにおり、私にもちょっとわかることが話題になったので参加させていただきます。

私は311以降、なぜ世界が現状のようになっているのか興味がわき、私的には分離主義の一神教の普及が要因のひとつで、一神教の始まりは、エジプトの異形の王アクエンアテン(アメンヘテプ4世)とその妻ネフェルティティに行き着いています。


まずはヨセフが誰に仕えたか調べてみたのですが、

こちらの「ヨセフの出世の背景」を参考にしています。
http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/mutoku/20_05kyuuyaku%20%203.html

エジプト王国が前1670年代から100年にわたってヒクソスに支配されていて、ヒクソスはカナン系のセム語を使うため、セム語が使える有能な人材としてヨセフを雇い、ヨセフも持ち前の能力を発揮してたちまちファラオに次ぐ第2の地位の宰相に登り詰めたとのことです。

外国人が大臣になるということはありえなそうですが、このような事情から、ヨセフがエジプトの大臣になることが可能だったようです。

ヨセフが仕えた王ですが、こちらのサイトでは、「ヒクソスのファラオはアベビ1世、アベビ2世、アナテル、ヤコブアテムと4代続いたようですが、ヨセフが仕えたのがどのファラオであったかは分かりません。」となっています。

ヒクソスはセム系の民族で、イスラエルとはいわば同系統、創世記のヨセフ物語に登場するパロは、このヒクソスの王であったとも考えられていて、親戚関係の民族であったゆえに、ヤコブ一族のエジプト移住も優遇されたとのこと。

その後、エジプト第18王朝の王イアフメス1世が第15王朝(ヒクソス)を滅ぼしてエジプトを再統一し、ヒクソスはエジプトから追放されたそうです。

エジプト人は非常に早くから自国の歴史を書き残していて、第一王朝から第三十王朝に至る各王朝の歴史の王の名前を一人も抜かさずにたどっていくことができるほど。その間にヒクソスの王が入っているのは彼らにとって屈辱的なことで、ヒクソスを追放して国を奪回した後のイスラエル民族に対する酷使、虐待政策はよく理解できると述べているサイトもありました。

その後エジプトは空前の繁栄の時代を迎え、王達は国家神であるアメンに戦勝を謝するためテーベにあるアメン神殿に多数の寄進を行うのが慣例となり、やがてアメン神殿はエジプトにおいて比類無い有力勢力となって、アメン神官団の動向は時として王位すら左右するようになります。

第18王朝半ば頃に王達は、アメン神官団の勢力をそぎ落としにかかり、アクエンアテン王は、アマルナ改革でアテン神を崇拝し、新都アケトアテン(現アマルナ)を建設して王朝発祥の地テーベを放棄し、前1343年に遷都しました。

ヒクソスによるエジプト侵略 → アメン神官団の勢力増強 → アクエンアテンが宗教的権力を王権と一本化することを狙ってアテン神信仰を導入 という流れで一神教が興ったようです。

ちなみにアテン神は、もともとは夕日を神格化した神で、マイナーな地方神の一つにすぎなかったそうです。

また、アテン信仰がエジプト人全般へと広まることはなく、アテン神信仰は実際にはアクエンアテンと、取り巻きの少数の官吏の間に広まっただけで、アクエンアテン王が死去するとアテン信仰は激しい逆風に晒されることとなり、後のホルエムヘブ王によって、アクエンアテンの名と存在、その事績がすべて抹消されたそうです。

123様

正解です。12氏族の末子であったヨセフが、他の兄弟に売られエジプトに辿りつき高官となった際に仕えたのが誰であったか、アメンヘテプ4世の関係を調べれば更に詳細が分かるでしょう。ヨセフの子であったエフライムが北イスラエルを率いる訳です。そして、この時代を更に4~5世紀遡った時代に、アトラ・ハシース叙事詩に於いて全地の言葉を乱す神話が存在したと言う事です。

小野田寛郎さん

1月16日91歳で他界されました。
自然塾で青少年にサバイバル技術を教えていました。
和歌山県出身で、陸軍中野学校二俣分校(静岡県)卒業。特殊任務に就かれ終戦後31年経ってフィリピンルバング島より生還。賢そうな良い顔をされた国士でした。
ご冥福をお祈りします。

複眼でみる

マゴ族からマグダラ(マグダレーナ)が派生して、キュベレーやデメテルの女神崇拝と融合してマリア信仰が生まれたのかなと調べていて辿り着いたサイトがありました。聖書はベドウィンの一派から生まれた一神教にすぎないと認識していますが、ノアの洪水伝説は9500年くらい前にスンダ列島(ジャワ島とスマトラ島の間)の現海底火山クラカトウ火山の大噴火によって地球全体が火山灰に覆われ大異変を来し、太陽もあたらず氷ついて行き氷河期の後、太陽光線が届くようになって大洪水に至ったようです。(気象、地質学的にはもっと複雑に変化していますが省略)
一宗教民族の話ではなく、ハム、セム、ヤペテは大洪水を生き延びた各地の人々を象徴した表現だと考えます。
『ダヴィンチ・コード』はマリア・マグダレーナに光を当てましたが、誘導傾向を強く感じます。
カルタゴ由来のマゴ王家の分派が福建や日本に渡来したなら、きっと他にも分散しているはずで、エチオピア(マゴ公園に名を残している)にひとつ、ハンニバルの息子(ハンニバル・マーゴ)にひとつ、マリアに近い表音のマルタ島(聖ヨハネ騎士団)にもヒントがあるのではないかと考えています。アレーナあるいはアラのマグ家、マゴ家のマリア。
マルタ島にも巨石遺跡があり、神殿らしき遺跡の居室に通路のような窓が多くこれがダリ、トリイなのかどうか?まだマリア関連はわかりません。

そこからモロッコのベルベル人に行き着き、「日の没する大地」マグリブがありました。「日いずる国」と表現が対称的です。
マグリブのユダヤ人(セファルディ)女性の正装装飾が見事です。ゴテゴテ!
一見の価値ありです。フランス人の研究者が撮影した白黒写真です。

日の没する大地 マグリブに生きたユダヤ女性のポートレート(26枚)
付録部 blog-b-u
http://blogbu.doorblog.jp/archives/52383933.html

美保子様

こちらこそ持論を含めあくまで推測域でしかありませんが、
同じく日々勉強で精度を上げるべく探求しております。
美保子様の鋭い指摘をコメント拝読して啓発されています。

養蚕の起源は、約五千年前に黄帝の正妃嫘祖が民衆に伝えた逸話が伝承されているそうですが、過去に調べた限りでは、「黄帝が九黎を破ったのち、蚕神が黄と白の二匹の蚕を黄帝に献じた。嫘祖は啓示を受けて、桑を採り、蚕を育て、繭を取り、糸を紡いで、精美な絹の衣料を織りあげた。」とあり、九黎は三苗の先祖らしく長江文明側ですね。嫘祖は西陵氏の娘であるところまでは判りましたが、九黎の氏族なのかは宿題になったままです。征服者側の方便と仮定するなら蚕神である被支配者側から妃を娶ったとも考えられ、ルーツは更に古く長江流域の温暖で桑の生育に適した地域ではないかと推測しています。
苗族は倭族とも称されたそうですから、倭繋がりになりますね。

toshi様

政、宗教の発生のみでなく、人間の経済活動=衣食住に関わる視点をご指摘ありがとうございます。コメ、麦生産の食生活、綿花、羊毛、絹生産の衣生活、幕屋皮、ワラ、茅、樹木生産、石材産出の住生活は人類が生き抜くための根幹であり、火=エネルギーと水が重要となりますね。
養蚕はいつどこで始まったのでしょうか?鎖国時代も蚕幼虫を求めてヨーロッパ人はやってきていたようですが、門外不出の禁断のものだったようです。えさの桑の葉。桑の実もおいしい黒いベリーで黒スグリやグロゼイユと同種なのでしょうか。
コメ粉(ビーフン)、麦粉(パン、麺、パスタ)による分析も食物史の観点から重要ですね。
ロシア、ポーランド、ハンガリーでは食体験からの印象ですがコメは野菜扱いだったと記憶しています。現地ではポテトやキャベツ(発酵させたもの)、コメ(ピラフ)が野菜として肉料理に必ず添えてありました。
コメは湿潤な温暖地帯が生産最適地ですが、熱帯のバリ島などでは3期作が普通で田植えした田んぼの隣りでは黄金の実りの収穫を迎えている光景を見ました。
水路など灌漑技術や技能がヒントなのかもしれません。
王侯貴族制度と宗教政治の発生による人類の支配システムがどのように変遷してきたのかまだまだ勉強です。よろしくお願いします。

Re:超古代ドルイド神官団

美保子様、ありがとうございます。

ご指摘のサイトは過去に辿りついて読みました。
良く調べ上げ、纏められていましたが、
ドルイドに偏り過ぎ?な感覚を受け精読はしませんでした。

ドルイドの扱いはオカルト好きが脚色、
後出し感を凄く感じるのですが、如何でしょうか?
ドルイド教の派生は北方ペルム文化の別れだと認識しています。
自然共生型文化であったであろう事は想像つきますが、
古代インドバラモン文明を含む、南方ツラン文明文化圏の伝播による
侵略や侵食を嫌って僻地に追いやられ生き残った一派なのではないかと考えています。

ツラン文明はインド周辺から各地に拡散して行き、
その内の一派であるアブラム技能集団がメソポタミアの地に
シュメールの前身であるウバイド文明を産んだ可能性があると思います。
言語学的にもトラヴィタ語系の変遷が認められるそうです。
ウバイドは「ウワイト」、漢字を当てると「倭人」になります。
この当て字説は書籍の記憶なのですが、何らかの繋がりを感じました。

それよりも始期が古いとされる長江文明との関連性も考えられそうです。
一般に黄河文明の方が正当化される風潮がありますが、
天皇の祀り事に米の水田生産、養蚕が継承されています。
長江文明の流れであって、侵略系後発の黄河文明の麦粉の流れではありません。
話しが逸れましたが、「中原」の文化圏一つとっても
地政学的におかしくなっているので、痕跡である点を何とか繋げたいものです。

半分、眠りそうになりながら書いたので乱文はお許しください。

超古代ドルイド神官団

こんにちは。toshi様の見解と私の到達した把握は合致しています。うまくまとめられていると思います。
バルト海沿岸にいた遊牧生活の人たちから精霊信仰のベドウィン、後のフェニキア人が発祥したようで、古代ドルイド神官団が生まれ世界各地へと広がったようです。
信仰対象(順不同) 太陽、牡牛、蛇、山岳、樹木、月、巨石、洞窟、精霊

フェニキア人(福建でビン人)は日本では多氏、菅原氏などです。カルタゴ由来のフェニキア人でマゴ族、マゴ王家です。
勢力図のサイトがありますのでご参考にどうぞ。
勢力図 中原年代勢力圏神官団内情 BC5000年~河姆渡文化
http://empirex.web.fc2.com/1seiryoku1.html
表示されない場合検索して下さい。

バイブルの根っこ

コミュニストの根がエッセンでありエッセネ派であったと教えてもらいましたが、更に遡るとミツライムのエジプトにオシリスと聖牛を合わせたセラピス信仰に行き着きます。ヘレニズム時代にギリシャでも重用されたようですが、BC3000年頃には存在した教団が後のエッセネ派~クムラン教団と風習的な類似をいくつも継承している様に思えます。医療を始め特殊技能集団が時代を彷徨いながら、自分達の信ずるものを守る為の行動だったとも取れますが、ヤハウェの「ありてあるもの」はエジプト神オシリスを当て嵌めたものとも取れます。ヨハネやイエスはこの教団に関わりがあり、信徒に救世主的な役割を求められた結果が新約を産むきっかけになった可能性はあるかと思います。各時代に圧政から逃れ、信ずるものを新たな形として創造する欲があったのだと言う事なのでしょうか?旧約と新約では闇と光の扱いが相反するのでそう感じました。

キュベレー続き

不正投稿になったので肝心の言葉を削除しました。
OOOとOOの創世神話、マリアのOO懐胎もここから想像したと思われます。

大地母神キュベレー

アナトリア地方(小アジア)のフリギアで崇拝され古代ギリシア、古代ローマにも広がった女神。フリギア語ではクババ、オババじゃないですよ。ヒッタイト帝国カルミケシュの守護神。ライオンを従えたキュベレー像は土偶仕様をはじめ数々あります。アッティスはキュベレーの夫でもあり息子でもあります。???
神殿の両性具有女王です。キョセイした宦官制度は、アナトリア、後にビザンチンやオスマントルコの宮廷と支那の宮廷に長く継承され、女神信仰はカトリックのマリア偶像崇拝に継承されたようです。現トルコは古代ヒッタイトやアルメニア、ビザンチンが帝国を築いていたところで後にギリシア正教の中心になり、聖書編纂やローマ帝国がキリスト教を導入するニケイア会議を開いたところです。
キュベレーを調べてみよう。ギリシアではデメテル。ライオンの紋章はユダ族。

エサギラ

本記事を繰り返し眺めていると、浮き上がってくる言葉があります。自分の理解度や認識に応じて変化していますが、エンキとマルドゥクについてのパラグラフでエサギラが気になります。聖域の地名です。

イスラエル王国を統一したダヴィデの父はエッサウですが、語源的なつながりがありそうですね。この流れにイエスがいます。

結論を求めるのは簡単かもしれませんが、人間の精神を操る宗教や哲学、思想がどのように生じ、どこでどういう勢力がそれを文字や儀式、習慣で残したのか知ることは大切です。自分が何のために生まれ存在しているのか根源までつきとめるためにも、ネット社会でより賢くなっているような気がして嬉しいです。何度もリメイクされる映画や歌、文学も意識の根底にある何かを呼び覚ましているからではないかと思います。

浅草寺の勝海上人を歌ったコーヒールンバがリカバーされながら発信されているのはどういうことなのか?忘れてしまっていた歌だけど、「むかしアラブのえらいぼうさんが~」のフレーズが始まると思い出します。東京オリンピックまでテレビのない家庭で育っているので、ラジオや夕暮れ時田舎町の映画館が流す流行歌(帰宅の合図)を聞いて覚えていたのでしょう。

エンキの項で出てくるマルドゥクもおもしろい。太陽系第5惑星(木星ではないですよ)、破壊されて小惑星帯になってしまったかつてあった地球のような惑星の名も同じでSF小説の題材になっています。またエジプトで奴隷解放の勇者も同名で実在しました。

ということでエサギラを意識にとどめておきたい。

123様

こんにちは。
今年もよろしくね。
ペリシテ人に関して情報が薄すぎますが、昨今ガトという遺跡発掘がイスラエルで多国調査団によって進んでいるようですし、土師氏関連が興味深いところです。浅草寺の開山者は土師氏でした。
若い頃リリアン・ヘルマン著『Pentimento』を読んだことを思い出します。短編集ですが、自己の作家生活で老いてから記憶の底に沈殿していたものが蘇ることを、油絵でキャンバスに前に描いたものの上に別のものを描いたけど、時の経過と共に前の絵が浮き上がってくる現象を指します。
読んだもの、見聞や体験したことも記憶の彼方から同様の現象が生じるようです。ジョーン・バエズはこれを『Phenomenon』で歌っています。

ヴェネチアの「黒い貴族」は、シェークスピア『ヴェニスの商人』の影響もあり魅力的なテーマですが、ここは自由貿易都市として開け、後にハプスブルグ家の支配権(領地ではないがウィーンに近い)の及んだところであり、イタリア半島のフィレンツェやジェノヴァ、パドヴァなどの貴族や豪商が別邸を構えていたので、交易と遊興の都市だったと私は認識しています。むしろ古式薔薇十字団やイエズス会に傾倒した与太者や娼家(娼婦は乳房をあらわにした衣装を身につける義務)の集まる都市でイベリア半島からもカサノヴァのように多くを吸収していたようです。

ジョルジュ・サンドは愛人で天才詩人アルフレッド・ミュッセとこの街で過ごしていますが、ミュッセは放蕩の限りを尽くし死の淵をさまよいました。
断定してしまわないで深く考察してみましょうね。
フェニキア人についても同様と考えています。

シビュラの託宣

紙幣の父ジョン・ローやラテラノ会議についてメモしながら調べていた時、PCがおかしくなってWikipediaホームに行ってしまいそこにあった記事がおもしろいものだったので別にメモしてあったのを紹介します。

「シビュラの託宣」(ラテン語 Oracula Sibyllina)

シビュラとは恍惚状態で神託を伝えた古代の巫女。
「シビュラの書」は託宣とは別もので、名声にあやかる形で紀元前140年以降、数世紀にわたりユダヤ教徒たちやキリスト教徒たちによって段階的にまとめられてきた偽書である。歴史的事件に関する予言の多くは、単なる事後予言にすぎない。

神との契約、旧約新約の聖書の由来を示唆してくれるエピソードですね。

二重スパイ

ありがとうございます。
戸山学校と中野学校は諜報活動の一連の流れにあったのですね。
小野田少尉がルバング島から帰還した時、中野学校出身ということで光があたりましたが、戸山学校のことは世間に報じられていませんでした。江戸時代の大名屋敷とその後を調べていた時、現早稲田大学理工学部から文学部にかけて陸軍練兵場があったと教えてくれた方がいて、それなら徳川家所有地だったに違いないとの問題意識から出発しました。それぞれ諜報企画調査部隊と実行部隊と認識しました。
冷戦下の英国諜報部隊サーカスを描いたイギリス映画『裏切りのサーカス』、舞台は’70年代ハンガリーブダペスト。通商活動を通して諜報活動をしており、内部にソ連側に通じたモグラ(二重スパイ)がいるのだが、証拠を挙げられない。モグラ首謀者を演じたのはコリン・ファース。
何かと深入りするとベルベット側に取り込まれやすいのですね。現金、女、麻薬、夢のような生活提供話。ハニートラップ要注意。
給水部隊は新たな調査項目です・・。

美保子様

コメントありがとうございます。

いつもすばらしいコメント、また、今回は先生からの賞賛。

いや・・・直接先生からお話を聞いている自分が恥ずかしくなります。

今年もよろしくお願いいたします。

123さま

コメントありがとうございます。

昨年同様、良質なコメントありがとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

海軍系は?

陸軍系のお話はときどき出てきますが、海軍系はどうなのでしょうか。

現在においても、旧軍は陸軍系・海軍系とも自衛隊と、『完全同一化』している訳ではないということですね。
このことには、一昨年くらいから、個人的には気がついていましたが、改めて驚きに値します。

レビ族

レビ族は祭祀を司るので12氏族に数えない。代わりにエジプトに売られ後にファラオに次ぐ高官になったヨセフの子マナセとエフライムを入れて12氏族としている。一族が大飢饉に見舞われエジプトに逃れヨセフを頼った。ヨセフの死後ヒクソス人を駆逐、ヘブライ人の勢力を恐れたファラオが彼らを奴隷にしてしまった。レビ族のモーセは赤ちゃんの時川に流され王女に拾われ王子として育てられた。

B.C.925年イスラエル王国が南北に分裂した時、レビ族は両陣営に分かれたようだ。

美保子様(中野学校と戸山学校)

良く調べましたね。御褒美と言っては失礼ですが、かねてよりの貴女の懸案にお答えします。中野学校と戸山学校は、かつて一つの流れの中に存在しておりました。諜報活動において、諸外国に後れを取っていたと思われがちな日本国陸軍ですが、実際は群を抜いた諜報能力を有しておりました。それを担当したのが陸軍東部第33部隊=中野学校です。その諜報に基づき工作活動の任に当たったのが戸山学校です。この流れは現在も存続しておりますが、弱体化したという現実を認めざるを得ません。戸山学校の流れは正当派国士としてのカラスさんが存在します。中野学校の流れは独立して存在しています。しかし一部はベルベット側に取りこまれ、反目になってしまったのが真実です。給水部隊として発足した側がそれに当たります。

フェニキア

カナーン地方でヘブライ人とフェニキア人は融合して暮らしていたのかもしれない。先住民のエブス族を追いやりエジプトでの奴隷体験やイクナートン時代の太陽信仰も双方交易上容認していたのかもしれない。
ダビデがイスラエル統一王国を築き、85年後に分裂し約200年後に北イスラエル王国はアッシリア帝国によって滅亡した。(ニネベの捕囚)
南ユダ王国も145年後に新バビロニア王国によって滅亡した。(バビロン捕囚)B.C.587ソロモン神殿破壊。

年代記を書いて不正投稿になりかけたので書き直し、それぞれ年代は調べてね。カナーンとフェニキアを調べていて遭遇したのが、マゴ族マゴ王家。カルタゴらしいがフェニキア人も王家があったようです。10氏族が陸路東方を目指しソグドやスキタイと融合?もっと以前のシュメールが先発隊かも?
ペルシャの侵入で10氏族のうち何氏族は海洋民族フェニキア人と共に海路東方を目指した?
マゴに漢字を充てて孫族→天孫族
詳しく書けないのでご興味のある方はマゴ族、マゴ王家で検索してみて下さい。
コーヒールンバはモカコーヒー、モカはイエメンやエチオピア産。イエメンはサバ王国シバの女王、エチオピア皇帝メルキゼデクの母上。ソロモン王を訪ねている。

図書館を利用

『ジャパニース・コネクション 海運王K.スガハラ外伝』
ハワード・B・ションバーガー 文芸春秋
ISBNー16-350920ー8

Amazonで中古本も扱っていませんね。
近隣の図書館で検索したら、市の中央図書館にあり取り寄せました。
各自治体の中央図書館には開架書庫だけでなく地下書庫などに保管しているものも多いので、データベースが充実していれば検索して取り寄せられます。県庁所在地の中央図書館や国の施設なども地元の図書館から申し込めます。その場合書籍に記されているISBN番号が必要な場合があります。わざわざ現地に出向かなくても住民の知る権利に対応してきているようです。

カナンの森

以前図書館で見つけて、砂漠の民ベドウィンの導入部分に惹かれて読んだ書籍です。
『フェニキア人―古代海洋民族の謎』
ゲルハルト・ヘルム著 河出書房新社
ISBNー10:4309223419
ISBNー13:978-4309223414

ドイツ人歴史家による読み応えのある内容でした。
ナポレオンによるエジプト遠征で発見されたロゼッタストーンは有名ですが、この時彼は考古学者、発掘人、歴史家、地質学者など投入して中東の大調査を行いました。現レバノン、シリア、ヨルダンなどで、地中海に面したカナン地方でティロス(チュロス)やビブロス、タルトゥースのフェニキア都市国家の遺跡を発掘したのです。

海岸に迫るレバノン山脈は3000m級の山々が続きレバノン杉の原生林だった。海岸では紫色の染色に使われるホネガイが豊富で、紫に染めた羊毛や布、切り出したレバノン杉の巨木の需要の大半と交易の相手は主にエジプトだった。レバノン杉は船舶建造に使われた。
後にはギリシャ都市国家やキプロス、シチリア、カルタゴまで拡大していきます。カナンは呪われた地などではなく、地中海諸地域に繁栄と文字や数字などオリエントの文化をもたらした人々フェニキア人の発祥地だったのです。


川向こうの人々

こんにちは。

紀元前2000年頃、古代バビロニア王国が隆盛を誇っていた時代メソポタミア地方にひとつの家族が住んでいた。家長の名はアブラム。メソポタミアの平原を羊と共に移動しながら暮らしていた。地元の人は彼らのことを「移動する人々」ハビル人と呼んだ。ユーフラテス川地域から、パレスチナ地方、エジプトへと移動したため「川の対岸からやってきた」ハビル人→ヘブル人→ヘブライ人と呼んだ。
アブラムはアブラハムに改名した。

   



糸巻き様

糸巻き様

いいえ、お気になさらずに。私も頑張っているつもりなのですが、名無し先生の期待する成長スピードでは無いので、先生に直接コメントを入れていただている次第です。

特に最近の先生は多忙です。今年は勝負の年になるそうです。

単なるサラリーマンの私は、中途半端な記事がたまる一方です。

ブログ主様へ御礼とお詫び

ブログ主様

断りもなく闖入致しまして失礼致しました。
一言ご挨拶をしてから質問をすべきでしたのに。
スミマセンでした。
お答え有難うございました。
今年も時々お邪魔して勉強させて頂きます。
お体をお大事にされてブログでの啓蒙のお仕事
よろしくお願い致します。

123様

>人類は、カナン人の呪いから逃れることが出来るのでしょうか。

お伝えした主旨は、『カナン人の呪い』どころか、カナンの地に暮らしていたハム系カナン人エブス族は農耕を中心とした、比較的平和主義的生活をしていた処を、エフライム族のヨシュア率いるイスラエル(ヤコブ)人に襲われ領地を奪われたと言う事です。勿論そこで混血して行った訳です。エブス族の、農耕で使役する水牛(バール神)を崇めていた信仰が混在した時期があるが、イスラエル族の権益がユダ族側になるにつれヤハウェの一神教に人心を集中させたがった。エフライム&マナセは、父ヨセフがエジプトで高官をしていた事もあり、エジプト由来の多神教的傾向が強かった、こうした混沌とした時期の後に士師時代が訪れ王制を引きヤハウェの一神教が確立され、エフライム族を中心に10氏族は分裂した、と言う話です。そこに在るのは、少数民族であるイスラエル族がエブス族を巻き込んでの権力闘争に過ぎなかっただけで、現代の侵略戦争後の利権争いと何ら変わりがないと考えます。こうしたカナンの地のやり取りでも、ハム系との混血は進んでいた訳で、聖書に言われるような純血主義をイスラエル族に見出す事は出来ません。従ってヤハウェを主体とする排他的一神教を操ったのは、神の名代となるレビ族主導が大きかったのでしょう。

No title

糸巻きさま

コメントありがとうございます。名無し先生ではなく、もし分け有りませんが、以前、名無し先生から、勝海上人の事を謳った歌です。と教わりました。

浅草寺

名無し先生様

日本に辿りついて浅草寺を建立した坊さんは、実はぺリシテ人であったと言う話です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%AF%BA

このウイキの記事の何処にペリシテ人を当て嵌めれば良いのか恐れ入りますがご教授をお願い致します。

これが人類史上、最古の美人局になるのかな?

≪創世記第20章1節~≫
アブラハムはそこからネゲブの地に移って、カデシとシュルの間に住んだ。彼がゲラルにとどまっていた時、アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人をつかわしてサラを召し入れた。ところが神は夜の夢にアビメレクに臨んで言われた「あなたは召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は夫のある身である」。アビメレクはまだ彼女に近づいていなかったので言った、「主よ、あなたは正しい民でも殺されるのですか。彼はわたしに、これはわたしの妹ですと言ったではありませんか。また彼女も自分で、彼はわたしの兄ですと言いました。わたしは心も清く、手もいさぎよく、このことをしました」。神はまた夢で彼に言われた。「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯させず、彼女にふれることを許さなかったのです。いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。そこでアビメレクは朝早く起き、しもべたちをことごとく召し集めて、これらの事をみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。そしてアビメレクはアブラハムを召して言った。「あなたはわれわれに何をするのですか。あなたに対してわたしがどんな罪を犯したために、あなたはわたしとわたしの国とに、大きな罪を負わせるのですか。あなたはしてはならぬことをわたしにしたのです」。

これが人類史上、最古の美人局になるのかな?

≪創世記第12章9節≫
アブラムはなお進んでネゲブに移った。さて、その地にききんがあったのでアブラムはエジプトに寄留しようと、そこに下った。ききんがその地に激しかったからである。エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言った、「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう」。アブラムがエジプトにはいった時エジプトびとはこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられた。パロは彼女のゆえにアブラムを厚くもてなしたので、アブラムは多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷および、らくだを得た。 ところで主はアブラムの妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその家に下された。パロはアブラムを召し寄せて言った、「あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください」。パロは彼の事について人々に命じ、彼とその妻およびそのすべての持ち物を送り去らせた。

あきら様

>フェニキアの人々に対する”政治的”配慮はあったのか?

この質問にお答えするには「フェニキア人とは何者か?」を定義しておく必要があります。聖書の記述に没頭すると、イスラエル族が広域に渡り世の中を見渡していた錯覚に陥りますが、旧約に登場する世界は限定地域に発生した事案を世界全体の様に書いているだけです。その意味ではハム系、ヤぺテ系に関する考察を著しく阻害します。ハム系とは小競り合いを含む接触が頻繁にありましたから、多少は状況掌握に役立ちますが、ヤぺテ系に至っては聖書記述から係わりを見出せるのは新約以降でしょう。しかし実際には地中海を中心にしたヤぺテ系の活動は旧約の時代から盛んであり、特にサルディーニャ島を中継基地とした海洋民族として聖書記述の裏側で一大勢力となっていたのです。こちら側の影響を大きく受けた民族としてフェニキア人が居るのですが、聖書的に言えば彼らはハム系カナン人シドン族です。

ここで貴殿の真理追求の為、ヤぺテ系に関する解説を少し加えておきましょう。

ヤぺテの子は①ゴメル:キムメリオス人の祖(ゲールorゴール族、ケルト族、ブリトン族、チューハン族)②マゴク:スキタイ人③マダイ:メディア人―>メディア・ペルシア人―>ゲルマン(インドにも広がった)アーリア人④ヤワン:ギリシア人⑤トバル:グルジア共和国(ソ連)⑥メセク:モスコイ人(ロシア共和国)⑦テラスエントラシア人(エーゲ海周辺)

①ゴメルの子は、 A.アシケナズ:ハザール人の祖 B.リパテ:パフレゴニア人 C.トガルマ:フルギア人(アルメニア人の祖)後のウィグル、ドゥルス、アバール、フン、バシリイ、タルニアフ、カザール、ザゴラ、ブルガル、サビル となります。

④ヤワンの子は、 D.エリシャ:ギリシア、キプロス E.タルシン:スペイン移住 F.キッテム:キプロス占領 G.ドダニム:ローデア人(エーゲ海の東側)、ドーリア人、ダルダネア人、北方ギリシア人

ヤぺテ側の海洋族の影響を受けていたのが、ハム系のシドン族=フェニキア人で、更にその影響下に在ったのがイスラエル族という解釈です。従って、配慮される側に在ったのがイスラエル族の立場と考えます。勿論彼らが占有する限定地域に於いては、配慮したと言う言い方も成り立ちますが、冷静に全体のバランスを見渡せば、受け入れざるを得ない状況であった事でしょう。

前述の内容からお分かりの通り、限定地域の少数民族に過ぎなかったアブラハム族が婚姻を繰り返し、ハム系、ヤぺテ系の主体となっていた地域に勢力拡大を図っていった歴史を正当化した書が聖書と考えます。旧約の中にもアブラハム及び息子イサクが、ぺリシテ人の王に対し度重なる美人局を行った記述が目につきます。その後の『王制』に対するこだわり、手法等は、これらを踏襲するものと感じています。なぜなら、聖書自身がこれらの行為を肯定する方向で書かれ、ヤハウェの御心に叶うものとしているからです。

No title

(不正と判断されたため、分けています。)


疑問ばかりで申し訳ないです。最後に、イスラエル民族が今日の問題までにも繋がるような『王制』を敷くきっかけとなったのは、サムエル記にあるようにサムエルの警告にも関わらずイスラエルの民が諸外国の脅威を恐れ、王を求めた(求めざるえなかった)ためなのか、それともそこには何かその他の意図があったのか。名無し先生の『王制』についての考えを共有できうる範囲で教えていただければ幸いです。


お返事ありがとうございます。

名無し先生様

各時代を貫く全理解的なコメント本当にありがとうございます。

Astra-Hasisのお話でエンキはヤハウェと同様人間味がある所、とても興味深いです。三位一体の起源はギリシャだと思っていました。

旧約聖書は「ユダ族主体」でバール教や族長達の神々をも含むイスラエル民族の一神教(ヤハウェ神)としての統合を目指して書かかれたということですね。(フェニキアの人々に対する”政治的”配慮はあったのか?)

史実的観点ではありませんが、「バビロン捕囚以降の様な世界の唯一神という指向性」これはそうならざる得なかった疑いのない信仰が持つ神との『関係性』が重要な要素となったようにも思います。(信仰と史実、折り重なって今日に至っているように感じます。)


<転載終了>