櫻井ジャーナルさんのサイトより
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201603300000/
<転載開始>
日本経済が破綻していることを安倍晋三政権も隠しきれなくなってきたようだ。安倍政権の基本政策は庶民に資金が回るタイプの公共投資を縮小させ、規制緩和で巨大資本がカネ儲けしやすい仕組みを作る新自由主義経済が基本。この政策を推進した国では内外の巨大資本が大儲けし、政府組織の腐敗勢力と手を組んだ一部の人間が「オリガルヒ」とも呼ばれる富豪になって庶民は貧困化している。つまり、貧富の差が拡大する。これは「自己責任」でなく、政策の問題。安倍政権の場合、政策の軸は「大胆な金融緩和」だ。
その政策に基づいて日銀の黒田東彦総裁が推進したのが「量的・質的金融緩和(異次元金融緩和)」。教科書的な理屈ではインフレになるはずだが、その前提と現実が合致していない。1970年代から米英が進めた投機市場の肥大化政策の結果、資金は金融の世界へ吸い込まれ、人びとが実際に住んでいる現実世界へは回ってこないため、そうした現象は起こらないのだ。その代わり、投機市場でバブルが発生する。バブルによって富裕層の名目資産は膨らむ。日銀にも優秀な人は沢山いるはずで、こうしたことが起こることは予想していただろう。景気回復につながらないことは知っていただろうということ。
庶民にカネが回らない以上、国内で商品は売れない。商品が売れないことがわかっていれば国内の生産設備へ資金が回るはずはなく、国外へ持ち出すか、金融の世界へ回すことになる。
米英の巨大資本は現実世界から金融の世界へ資金が移動しやすくなるようにオフショア市場(タックスヘイブン)のネットワークを1970年代から整備した。そのひとつの結果として、巨大資本、富裕層、犯罪組織などは資金を隠し、課税を回避することが容易になり、庶民の負担が増えることになった。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201603300000/
<転載開始>
日本経済が破綻していることを安倍晋三政権も隠しきれなくなってきたようだ。安倍政権の基本政策は庶民に資金が回るタイプの公共投資を縮小させ、規制緩和で巨大資本がカネ儲けしやすい仕組みを作る新自由主義経済が基本。この政策を推進した国では内外の巨大資本が大儲けし、政府組織の腐敗勢力と手を組んだ一部の人間が「オリガルヒ」とも呼ばれる富豪になって庶民は貧困化している。つまり、貧富の差が拡大する。これは「自己責任」でなく、政策の問題。安倍政権の場合、政策の軸は「大胆な金融緩和」だ。
その政策に基づいて日銀の黒田東彦総裁が推進したのが「量的・質的金融緩和(異次元金融緩和)」。教科書的な理屈ではインフレになるはずだが、その前提と現実が合致していない。1970年代から米英が進めた投機市場の肥大化政策の結果、資金は金融の世界へ吸い込まれ、人びとが実際に住んでいる現実世界へは回ってこないため、そうした現象は起こらないのだ。その代わり、投機市場でバブルが発生する。バブルによって富裕層の名目資産は膨らむ。日銀にも優秀な人は沢山いるはずで、こうしたことが起こることは予想していただろう。景気回復につながらないことは知っていただろうということ。
庶民にカネが回らない以上、国内で商品は売れない。商品が売れないことがわかっていれば国内の生産設備へ資金が回るはずはなく、国外へ持ち出すか、金融の世界へ回すことになる。
米英の巨大資本は現実世界から金融の世界へ資金が移動しやすくなるようにオフショア市場(タックスヘイブン)のネットワークを1970年代から整備した。そのひとつの結果として、巨大資本、富裕層、犯罪組織などは資金を隠し、課税を回避することが容易になり、庶民の負担が増えることになった。
そのネットワークはロンドンを中心にして、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが結びついている。かつての大英帝国だ。
第2次世界大戦後、ドルが世界の基軸通貨になった。当初は金本位制を採用していたのだが、1971年にリチャード・ニクソン米大統領はドルと金の交換を停止すると発表、ブレトン・ウッズ体制は崩壊、1973年から世界の主要国は変動相場制へ移行してドルの価値は低下していく。
ドルの価値を安定させ、基軸通貨を発行する権利を巨大金融資本が握っている連邦準備制度を維持できないと現在の支配システムは崩壊してしまうため、アメリカ支配層はドルを回収する仕組みを作っていく。そのひとつがペトロダラ−。
20世紀の世界は石油を中心に動いた。その石油の取り引きをドル決済に限定し、産油国へ流れ込んだドルをアメリカ財務省証券の購入といった形で回収しようとしたのだ。これが機能すれば、アメリカ支配層はドルを発行することで際限なく購入できる。
この仕組みを作るため、ニクソン政権は最大の産油国であるサウジアラビアと協定を結ぶ。サウジアラビアを軍事的に保護し、必要とする武器を売却、支配一族の地位を永久に保証するというもので、一九七四年に調印された。これと基本的に同じ内容の取り決めを他のOPEC諸国もアメリカと結んだという。これが「ペトロダラー」。この仕組みができあがった直後、1975年3月にサウジアラビア国王が暗殺され、その後は親米色の濃い人びとがサウジアラビアで主導権を握ることになる。
国王暗殺の3年後、サウジアラビアはアメリカからF-15戦闘機を購入しようとするが、この時に国王の個人的な特使としてアメリカ議会でロビー活動をしていたのが29歳だったバンダル・ビン・スルタン王子。
バンダルは1983年から2005年まで駐米大使を務め、05年から国家安全保障会議事務局長、12年から14年にかけて総合情報庁長官を務めた。「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と親しく、イスラエルとも緊密。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された当時も駐米大使としてアメリカにいて、疑惑の目で見られている。アル・カイダ系武装集団を操る黒幕とも言われていた。
投機市場もドルを回収する上で重要な役割を果たしてきたが、その仕組みを作り上げる上で重要な役割を果たしたのがマーガレット・サッチャー英首相。フリードリッヒ・フォン・ハイエクと親しく、ミルトン・フリードマンがチリで実践した新自由主義をイギリスにも導入しようとした。
富裕層や巨大資本を富ませる一方、庶民を貧困化させることが明らかな新自由主義を導入することは本来なら難しかったのだが、1982年にフォークランド(マルビナス)諸島で勃発したアルゼンチンとの戦争で勝利、「英雄」と祭り上げられたことを利用して新自由市議的な国家改造に着手したのである。
その後、サッチャー英首相に続いてアメリカのロナルド・レーガン大統領、西ドイツのヘルムート・コール首相、そして日本の中曽根康弘首相などが次々と新自由主義経済を採用していく。
投機の過熱化と現実社会の破壊は1920年代にも起こった現象。そこで1933年に証券業務と商業銀行業務を分離させるグラス・スティーガル法が制定されたのだが、ビル・クリントン政権下の1999年11月にグラム・リーチ・ブライリー法が成立し、事実上、葬り去られた。
1980年代に本格化した「規制緩和」と「私有化」の推進で不公正な富の集中が起こっていくが、そうした中、S&L(アメリカの住宅金融)が破綻し、犯罪組織や情報機関との関係も浮上する。このスキャンダルではジョージ・H・W・ブッシュの息子、ニール・ブッシュの関係していた。後にニールはボリス・エリツィン時代に巨万の富を築いたボリス・ベレゾフスキーとビジネスで手を組むことになる。
ニールの兄、ジョージ・W・ブッシュが2001年に大統領となる。ブッシュ・ジュニアはその前から投機経済にのめり込み、「ブッシュのサイフ」とも言われたエンロンも投機で潤った会社のひとつ。
この会社は2001年の夏に破綻が発覚、10月にはSEC(証券取引委員会)が調査に着手しているのだが、重要書類は9月11日に世界貿易センターと国防総省本部庁舎が攻撃された際に焼失、関係者は何とか逃げ切れたようである。この破綻も「9/11」のため、さほど注目されなかった。
ブッシュ・ジュニア政権も庶民が潤うような政策をとる気はなく、不動産バブルを再び演出する。不動産相場は永遠に上昇するという幻想の中で庶民も不動産を購入、相場の上昇で生じた「含み資産」で物を買うというマルチ商法まがいの仕組みだ。当然のことながら破綻は時間の問題で、2008年には投資銀行のリーマン・ブラザースも破産、ほかの巨大銀行も厳しい状況に陥るが、自業自得ではあった。
ところが、その巨大銀行をアメリカ政府は救済、ツケを庶民に回した。司法長官だったエリック・ホルダーによると、問題の金融機関は巨大すぎて潰せず、重役たちを起訴することもできないらしい。庶民には厳しく、富裕層には甘く、が新自由主義流だ。法の下での平等などは存在しない。
リーマン・ブラザーズが倒産する前年、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたとニューヨーカー誌に書いている。そして2011年に中東/北アフリカでアル・カイダ系武装集団とNATOを組み合わせて侵略戦争を開始、2013年11月にはウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを始めている。
安倍政権の政策は日米の支配層を儲けさせることが目的で、戦争は略奪するため(その2:財宝)
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201603300001/
日本には「戦争特需」という表現がある。戦争は儲かるということなのだろうが、第2次世界大戦の終わりに日本の諸都市がどのようになったのか、沖縄で何があったのかを忘れてしまったようだ。
アルゼンチンの大統領だったネストル・キルシュネルに対し、大統領時代のジョージ・W・ブッシュは「経済を復活させる最善の方法は戦争」だと力説、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」と話していたという。この証言はオリバー・ストーンが制作したドキュメンタリー、「国境の南」に収められている。
しかし、ベトナム戦争はアメリカを衰退させる大きな要因だった。戦争が儲かる、あるいは経済成長を促進させるという主張には、戦争で勝利するという前提がある。歴史を振り返ると、戦争に勝った国は領土を拡大し、資源を奪うことができ、賠償金を要求したり、その国にある財宝を奪ったりしてきたが、負ければ無惨。「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということであり、それを熟知している日本人は「強そうな」勢力や人物につき、必然的に多数派となる。
日本の場合、1917年11月にロシアで「十月革命」が成功した後、翌年の8月にイギリス、フランス、アメリカと一緒に軍隊を派遣している。「二月革命」はイギリスなどの資本家にとって都合の良いものだったが、その直後にドイツが戦争に反対していたボルシェビキの指導者を亡命先からロシアへ帰国させ、社会主義の看板を掲げる体制が出現、慌てたわけだ。その時にイギリス、フランス、アメリカは約7000名の規模だったが、日本は1万2000名を送り込み、10月には7万2000名まで増やしている。
その年の11月に大戦は終了するが、日本軍は1922年まで留まった。憲政会の中野正剛が質問して広く知られるようになったが、この干渉戦争で日本軍は1万2000キログラムの金塊(177箱)を持ち帰ったと言われている。そのうち143箱は旅順の火薬庫に保管した後、朝鮮銀行の下関支店に運ばれ、そこから大阪造幣局へ移され、またルーブル金貨は朝鮮銀行か横浜正金銀行で日本の通貨に換金されたと推測されている。
中国を侵略した際には「金の百合」という財宝略奪プロジェクトが実行され、その一部は日本へ運ばれたが、残りはフィリピンに隠されたと言われている。戦後の混乱期、日本国内でも宝石や金塊などが発見されて話題になり、ナチス時代のドイツが行った金塊略奪(ナチ・ゴールド)との絡みで日本の略奪財宝の話が出てくることもあった。
大戦後、「山下兵団の宝物」に関する詳しい情報を最初に聞き出したのはエドワード・ランズデール大尉(当時)だと言われている。この人物は戦時情報機関OSSに所属、つまりウイリアム・ドノバンやアレン・ダレスの下で活動していた。後にランズデールはCIAの秘密工作に参加することになる。
財宝に関する情報を上官へ報告するため、ランズデールは東京へ向かう。そこでダグラス・マッカーサー元帥、チャールズ・ウィロビー少将、コートニー・ホイットニー准将に報告、さらにワシントンへ飛び、ジョン・マグルーダー准将や大統領のスタッフに説明した。マグルーダー准将はドノバンOSS長官の部下だった人物。
ランズデール中佐(当時)は1950年に「テロ部隊」OPCの責任者としてフィリピンに戻り、フクバラハップ(抗日人民軍)の制圧を指揮したとされているが、実際は日本軍が隠した略奪財宝を回収することが目的だったという見方もある。
「山下兵団の宝物」が世界的に知られる切っ掛けは、フェルディナンド・マルコスの失脚。1986年2月、ネオコンの大物であるポール・ウォルフォウィッツの指示でフィリピンを支配していたマルコスがアメリカ軍によって連れ出され、文書や証言が出始めたのである。マルコスがいなくなった宮殿から財宝に関する文書が出てきたほか、「マルコスの資産」やその源泉をめぐる裁判が起こされたことが大きい。裁判にはジョン・F・ケネディ政権で司法次官補を務めたノーバート・シュレイが弁護士として関わる。
シュレイが1991年1月7日に書いた覚書によると、当初は吉田茂とダグラス・マッカーサーが資金を管理し、警察予備隊(自衛隊の前身)を組織する際に200億円が使われたという。憲法の問題があるため、資金的な問題を解決するために闇資金を利用したというのである。平和条約と安保条約が発効した後、闇資金(いわゆるM資金)は日米両国で管理することになる。(Norbert A. Schlei, “Japan’s “M-Fund” Memorandum”, January 7, 1991)
この覚書が書かれた翌年の1月、シュレイの依頼主が囮捜査で逮捕され、シュレイ自身も巻き込まれてしまう。1997年に控訴審でシュレイは無罪になるが、この裁判でシュレイは弁護士活動を封じられ、破産状態に追い込まれた。
日本では政府だけでなく、「アカデミー」の世界も有力マスコミもこの問題はタブーだが、世界的には広く知られている。戦争は略奪で儲かるのである。中東/北アフリカやウクライナの戦闘で石油の話が出てくる理由と同じだ。そうしたことを庶民はよく知っている。だからこそ、日露戦争で勝利したと信じる庶民は講和条件に対する不満を爆発させ、内相官邸、警察署、交番などを焼き討ちし、戒厳令が敷かれるという事態に発展したわけである。安倍政権が従属するネオコンは弱く、ロシアや中国に勝てないということを知られたなら、戦争に反対する意見が大きく増えるかもしれない。
<転載終了>
第2次世界大戦後、ドルが世界の基軸通貨になった。当初は金本位制を採用していたのだが、1971年にリチャード・ニクソン米大統領はドルと金の交換を停止すると発表、ブレトン・ウッズ体制は崩壊、1973年から世界の主要国は変動相場制へ移行してドルの価値は低下していく。
ドルの価値を安定させ、基軸通貨を発行する権利を巨大金融資本が握っている連邦準備制度を維持できないと現在の支配システムは崩壊してしまうため、アメリカ支配層はドルを回収する仕組みを作っていく。そのひとつがペトロダラ−。
20世紀の世界は石油を中心に動いた。その石油の取り引きをドル決済に限定し、産油国へ流れ込んだドルをアメリカ財務省証券の購入といった形で回収しようとしたのだ。これが機能すれば、アメリカ支配層はドルを発行することで際限なく購入できる。
この仕組みを作るため、ニクソン政権は最大の産油国であるサウジアラビアと協定を結ぶ。サウジアラビアを軍事的に保護し、必要とする武器を売却、支配一族の地位を永久に保証するというもので、一九七四年に調印された。これと基本的に同じ内容の取り決めを他のOPEC諸国もアメリカと結んだという。これが「ペトロダラー」。この仕組みができあがった直後、1975年3月にサウジアラビア国王が暗殺され、その後は親米色の濃い人びとがサウジアラビアで主導権を握ることになる。
国王暗殺の3年後、サウジアラビアはアメリカからF-15戦闘機を購入しようとするが、この時に国王の個人的な特使としてアメリカ議会でロビー活動をしていたのが29歳だったバンダル・ビン・スルタン王子。
バンダルは1983年から2005年まで駐米大使を務め、05年から国家安全保障会議事務局長、12年から14年にかけて総合情報庁長官を務めた。「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と親しく、イスラエルとも緊密。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された当時も駐米大使としてアメリカにいて、疑惑の目で見られている。アル・カイダ系武装集団を操る黒幕とも言われていた。
投機市場もドルを回収する上で重要な役割を果たしてきたが、その仕組みを作り上げる上で重要な役割を果たしたのがマーガレット・サッチャー英首相。フリードリッヒ・フォン・ハイエクと親しく、ミルトン・フリードマンがチリで実践した新自由主義をイギリスにも導入しようとした。
富裕層や巨大資本を富ませる一方、庶民を貧困化させることが明らかな新自由主義を導入することは本来なら難しかったのだが、1982年にフォークランド(マルビナス)諸島で勃発したアルゼンチンとの戦争で勝利、「英雄」と祭り上げられたことを利用して新自由市議的な国家改造に着手したのである。
その後、サッチャー英首相に続いてアメリカのロナルド・レーガン大統領、西ドイツのヘルムート・コール首相、そして日本の中曽根康弘首相などが次々と新自由主義経済を採用していく。
投機の過熱化と現実社会の破壊は1920年代にも起こった現象。そこで1933年に証券業務と商業銀行業務を分離させるグラス・スティーガル法が制定されたのだが、ビル・クリントン政権下の1999年11月にグラム・リーチ・ブライリー法が成立し、事実上、葬り去られた。
1980年代に本格化した「規制緩和」と「私有化」の推進で不公正な富の集中が起こっていくが、そうした中、S&L(アメリカの住宅金融)が破綻し、犯罪組織や情報機関との関係も浮上する。このスキャンダルではジョージ・H・W・ブッシュの息子、ニール・ブッシュの関係していた。後にニールはボリス・エリツィン時代に巨万の富を築いたボリス・ベレゾフスキーとビジネスで手を組むことになる。
ニールの兄、ジョージ・W・ブッシュが2001年に大統領となる。ブッシュ・ジュニアはその前から投機経済にのめり込み、「ブッシュのサイフ」とも言われたエンロンも投機で潤った会社のひとつ。
この会社は2001年の夏に破綻が発覚、10月にはSEC(証券取引委員会)が調査に着手しているのだが、重要書類は9月11日に世界貿易センターと国防総省本部庁舎が攻撃された際に焼失、関係者は何とか逃げ切れたようである。この破綻も「9/11」のため、さほど注目されなかった。
ブッシュ・ジュニア政権も庶民が潤うような政策をとる気はなく、不動産バブルを再び演出する。不動産相場は永遠に上昇するという幻想の中で庶民も不動産を購入、相場の上昇で生じた「含み資産」で物を買うというマルチ商法まがいの仕組みだ。当然のことながら破綻は時間の問題で、2008年には投資銀行のリーマン・ブラザースも破産、ほかの巨大銀行も厳しい状況に陥るが、自業自得ではあった。
ところが、その巨大銀行をアメリカ政府は救済、ツケを庶民に回した。司法長官だったエリック・ホルダーによると、問題の金融機関は巨大すぎて潰せず、重役たちを起訴することもできないらしい。庶民には厳しく、富裕層には甘く、が新自由主義流だ。法の下での平等などは存在しない。
リーマン・ブラザーズが倒産する前年、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたとニューヨーカー誌に書いている。そして2011年に中東/北アフリカでアル・カイダ系武装集団とNATOを組み合わせて侵略戦争を開始、2013年11月にはウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを始めている。
安倍政権の政策は日米の支配層を儲けさせることが目的で、戦争は略奪するため(その2:財宝)
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201603300001/
日本には「戦争特需」という表現がある。戦争は儲かるということなのだろうが、第2次世界大戦の終わりに日本の諸都市がどのようになったのか、沖縄で何があったのかを忘れてしまったようだ。
アルゼンチンの大統領だったネストル・キルシュネルに対し、大統領時代のジョージ・W・ブッシュは「経済を復活させる最善の方法は戦争」だと力説、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」と話していたという。この証言はオリバー・ストーンが制作したドキュメンタリー、「国境の南」に収められている。
しかし、ベトナム戦争はアメリカを衰退させる大きな要因だった。戦争が儲かる、あるいは経済成長を促進させるという主張には、戦争で勝利するという前提がある。歴史を振り返ると、戦争に勝った国は領土を拡大し、資源を奪うことができ、賠償金を要求したり、その国にある財宝を奪ったりしてきたが、負ければ無惨。「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということであり、それを熟知している日本人は「強そうな」勢力や人物につき、必然的に多数派となる。
日本の場合、1917年11月にロシアで「十月革命」が成功した後、翌年の8月にイギリス、フランス、アメリカと一緒に軍隊を派遣している。「二月革命」はイギリスなどの資本家にとって都合の良いものだったが、その直後にドイツが戦争に反対していたボルシェビキの指導者を亡命先からロシアへ帰国させ、社会主義の看板を掲げる体制が出現、慌てたわけだ。その時にイギリス、フランス、アメリカは約7000名の規模だったが、日本は1万2000名を送り込み、10月には7万2000名まで増やしている。
その年の11月に大戦は終了するが、日本軍は1922年まで留まった。憲政会の中野正剛が質問して広く知られるようになったが、この干渉戦争で日本軍は1万2000キログラムの金塊(177箱)を持ち帰ったと言われている。そのうち143箱は旅順の火薬庫に保管した後、朝鮮銀行の下関支店に運ばれ、そこから大阪造幣局へ移され、またルーブル金貨は朝鮮銀行か横浜正金銀行で日本の通貨に換金されたと推測されている。
中国を侵略した際には「金の百合」という財宝略奪プロジェクトが実行され、その一部は日本へ運ばれたが、残りはフィリピンに隠されたと言われている。戦後の混乱期、日本国内でも宝石や金塊などが発見されて話題になり、ナチス時代のドイツが行った金塊略奪(ナチ・ゴールド)との絡みで日本の略奪財宝の話が出てくることもあった。
大戦後、「山下兵団の宝物」に関する詳しい情報を最初に聞き出したのはエドワード・ランズデール大尉(当時)だと言われている。この人物は戦時情報機関OSSに所属、つまりウイリアム・ドノバンやアレン・ダレスの下で活動していた。後にランズデールはCIAの秘密工作に参加することになる。
財宝に関する情報を上官へ報告するため、ランズデールは東京へ向かう。そこでダグラス・マッカーサー元帥、チャールズ・ウィロビー少将、コートニー・ホイットニー准将に報告、さらにワシントンへ飛び、ジョン・マグルーダー准将や大統領のスタッフに説明した。マグルーダー准将はドノバンOSS長官の部下だった人物。
ランズデール中佐(当時)は1950年に「テロ部隊」OPCの責任者としてフィリピンに戻り、フクバラハップ(抗日人民軍)の制圧を指揮したとされているが、実際は日本軍が隠した略奪財宝を回収することが目的だったという見方もある。
「山下兵団の宝物」が世界的に知られる切っ掛けは、フェルディナンド・マルコスの失脚。1986年2月、ネオコンの大物であるポール・ウォルフォウィッツの指示でフィリピンを支配していたマルコスがアメリカ軍によって連れ出され、文書や証言が出始めたのである。マルコスがいなくなった宮殿から財宝に関する文書が出てきたほか、「マルコスの資産」やその源泉をめぐる裁判が起こされたことが大きい。裁判にはジョン・F・ケネディ政権で司法次官補を務めたノーバート・シュレイが弁護士として関わる。
シュレイが1991年1月7日に書いた覚書によると、当初は吉田茂とダグラス・マッカーサーが資金を管理し、警察予備隊(自衛隊の前身)を組織する際に200億円が使われたという。憲法の問題があるため、資金的な問題を解決するために闇資金を利用したというのである。平和条約と安保条約が発効した後、闇資金(いわゆるM資金)は日米両国で管理することになる。(Norbert A. Schlei, “Japan’s “M-Fund” Memorandum”, January 7, 1991)
この覚書が書かれた翌年の1月、シュレイの依頼主が囮捜査で逮捕され、シュレイ自身も巻き込まれてしまう。1997年に控訴審でシュレイは無罪になるが、この裁判でシュレイは弁護士活動を封じられ、破産状態に追い込まれた。
日本では政府だけでなく、「アカデミー」の世界も有力マスコミもこの問題はタブーだが、世界的には広く知られている。戦争は略奪で儲かるのである。中東/北アフリカやウクライナの戦闘で石油の話が出てくる理由と同じだ。そうしたことを庶民はよく知っている。だからこそ、日露戦争で勝利したと信じる庶民は講和条件に対する不満を爆発させ、内相官邸、警察署、交番などを焼き討ちし、戒厳令が敷かれるという事態に発展したわけである。安倍政権が従属するネオコンは弱く、ロシアや中国に勝てないということを知られたなら、戦争に反対する意見が大きく増えるかもしれない。
<転載終了>