mikoinrpのblogさんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/mikoinrp/archives/5565463.html
<転載開始>

産経新聞電子版によると、49日に、東京都文京区で拉致被害者の家族会などが国民大集会というのを開いたそうだ。拉致問題は年々風化して、直接関係の無い一般大衆の関心は薄らいでいく一方である。近く選挙があるけれども、拉致問題について何か訴えている政党も候補者も見当たらないように思う。安保反対だの憲法を守れだのもいいけれど、拉致問題は与党も野党も無い。日本国民に突き付けられて39年間もの長きにわたって刺さったままの剣である。被害者の家族は本当に血の涙を流し続けているに違いない。家族以外の私たち国民も日本という国家に刺さったままの剣から絶えることなく日本という国の血が流れているのだと思わなければならない。こんなあからさまで明白な主権侵害行為が39年間も放置されたまま解決できないということは、国防の根幹に穴が開いているということではないのか。平和憲法を守れと叫んでいれば、拉致問題は進展するのか?現実に起きて39年間放置されている具体的問題について、何ら解決の策を考えようともしない人たちに憲法、憲法と叫ぶ資格があるのか?憲法は何のためにあるのか?政争の具になるために憲法があるわけではない。憲法は国民を守るためにあるのである。

私たちは、拉致問題を忘れてはならない。

 

マルタ文書というのがいま大きな問題になっているが、日本政府は早々に調査する気はないと宣言した。いろんな人がいろんなことを言っているが、違法ではない、脱税ではない、法の認める節税策に過ぎないという声が次第に高まっている。

違法でないのは、分かっている。違法なら国税局がマルタ文書など出てくる前に査察を開始している。日本の税務当局はそれくらいの能力とやる気を持っていると信じている。私たち庶民が大騒ぎするのは、違法だから騒いでいるのではない。

2013年にU.S. PIRGという消費者グループがタックスヘイブンの利用実態に関するレポートを発表した。

http://www.uspirg.org/reports/usp/offshore-shell-games

それによると、米巨大企業トップ100社のうち82社が、タックスヘイブンに2,686社の子会社を持ち、トップ15社だけで全体の3分の1にあたる859の子会社を持っている。バンク・オブ・アメリカ、モルガンスタンレー、ファイザーがトップ3であり、これらすべては5年間納税ゼロだという。

日本企業では、東証に上場している上位50社のうち45社がタックスヘイブンを活用し、ケイマン諸島だけでも、日本の大企業は55兆円を投資しているそうである。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/448bd63c4df892ad448550efa4cb8e3d

http://editor.fem.jp/blog/?p=675

55兆円の投資でいくらの節税になるのか知らないが、100万円、200万円という数字でないことは明白である。莫大な節税になるから、海外のべらぼうな料金を取る法律事務所に依頼して、そこに会社を作る。そしてそこに金を移しているのだということくらい私だって分かる。違法でないと言うが、それが正に問題なのである。合法的に莫大な節税が出来るということが、おかしいのだ。今回は、まだ流出文書の全貌が明らかにされていないから分からないのだが、おそらく前回判明した日本企業の投資金額55兆円を、今回は遥かに超えた額となるに違いない。

 

私は自民党を支持しています。創価学会は嫌いだし、民進党なんて金をもらっても投票したくない。共産党は論外だし、大阪維新の党は、小さすぎて頼りない。だから自民党を支持するしかないと思っているのだが、調査するつもりはないなんて早々に言わないで、せめて関心を持って成り行きを見守っている、くらいのことは言ってほしかった。アメリカでは、偉そうなことを言っても大企業から沢山金をもらってるじゃないのという庶民の反発で、有力な対立候補不在という稀有な状況に恵まれたヒラリーさんが苦戦している。今に日本もそうなってしまわないように、大企業優遇をもう少し是正するようにしないと、とんでもない政治状況になっていく恐れがないとは言い切れないだろう。

 

民進党なんて金をもらっても投票したくないと言って理由を説明しないのは無責任だから、少し補足したい。と言っても民進党の民主党時代からの失態をあげつらってもあまり意味のないことだと私は思っている。

消費税率引き上げの問題にしても、反対するならそれはそれで結構。たとえ1%の引き上げだって私のような貧乏人には小さくない。しかし民進党は、なぜ政府が引き上げを言い出したのか、そのような理由なら消費税率引き上げでなしにこのような方策をとる方がいいではないか、年金問題だって、高齢者の活用と一体的に総合的な政策の一環として考えるべきであり、それはまた移民政策にも絡んでくることである云々。そういった大きな枠組での冷静な立論を持ってほしいのである。単に消費税率引き上げに反対である、わが党は弱者救済の立場をとる、そんな掛け声ばかりのプロパガンダでは説得力は全くない。政党というのは、そういう風に各領域を得意とする知恵者のグループであって、それら各領域の知恵を総合したものが政党の政策になっていなければならない。

 

個々の政治家について言えば、単に政治意識が高いというだけでは意味がない。政党の構成単位として各政治家は、自分の得意とする分野について考え抜いた政見を持っていなければならないと私は考える。私が田母神さんを今でも支持していると述べたのは、彼が国防分野に思想と施策を持っているからである。もちろん、それが私の思想と合わないのであれば支持しないだろうが、少なくとも真面目な反対意見として自分の思考を高める材料にする。古谷某のように、陰謀論だ、と学説だと人の尻馬に乗っかって切って捨てたりはしない。自分でそれを論証的に反論することで、自分を高めることが出来る貴重な意見の提示だと、私は考える。現代の複雑な社会の諸問題の全てにエキスパートである必要はない。そんなことはもう無理な時代である。しかし、今の政治家は何でも一家言持っているようにふるまうことが要求されるのか、何でも発言する。その結果なんにでももっともらしい意見を言える器用な人が重宝されて、専門を持つ政治家が少なくなったような気がする。政治家は、テレビ番組のキャスターではない。何にでもかんにでも自分の意見を持っている必要はない。その代わり、自分の得意な領域については、反対政党の議員でも敬意を払って耳を傾けざるを得ないというレベルの見解を持ってほしい。

 

 

ヘイトスピーチについてこのところずっと考え続けているけれども、そしてある程度の全体像はつかんだけれども、この問題についての私の考えをまとめることはやめようと思った。その理由を下に述べる。

初めに私は、この問題について表現の自由の限界という側面からアプローチした。それが法律を学んだことのある私にとっては最も慣れ親しんだやり方だからある。その場合まず浮かぶのは、明白で現在の危険を作出する表現でない限りは、表現の自由として許されなければならないという考え方である。ウィキペディアなど見ると、人種差別事案に関するアメリカの判例の多くがこういうアプローチをしている。これは、表現が表現の範囲にとどまる限りは規制できないが、表現が行動と評価されるような段階に踏み込んだ場合には、もはや表現とは言えず、表現の自由の外になるという考え方と似ている。

そういうアプローチをとると、個々の具体的な表現毎に問題性を判断していくことになる。

 

ところが私は、イスラム原理主義から現在のISISに至るまでのイスラム勢力の運動は、キリスト教徒との宗教戦争の面があるとともに、有色人種と白人との戦いという側面もあるという石原慎太郎の説をふと思い出した。そこで私は、ヘイトスピーチ問題は表現の自由いう側面からのアプローチ以外に、人種差別問題という側面からのアプローチもあり得ることに気付いた。そして、このようなアプローチを採ると、問題の様相はかなり変わってくることが分かってきた。

 

現在のヘイトスピーチ問題は、日本人と在日、即ち日本にいる韓国人・朝鮮人との間の人種差別問題として浮上している。しかし、人種差別の問題は、日本人と在日との間にだけあるわけではない。そこで、人種差別一般について少し調べてみた。すると、日本は、1919年、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会で人種差別撤廃提案をしている。それは国際会議で人種差別撤廃を訴えた世界で初めての試みなのだそうだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88

 

日本は石原慎太郎が喝破する通り、古くから白人支配の世界の中で戦ってきたのである。中国と韓国は侵略戦争、侵略戦争と声高に言うけれども、中国と韓国以外のアジアの国々はすべて日本に対して敬意を払う。それは、侵略戦争であったかなかったかの問題をさて置いて、日本が白人の支配する世界に果敢に挑んだ姿勢を、どの国も認めて敬意を払っているということなのである。

 

そういう世界の歴史上初めて人種差別に対して問題を提起した日本という国において、なぜ朝鮮人・韓国人に対する人種差別が起きるのだろうか?この問題が実は根本問題で、ヘイトスピーチというのはそこから派生した末梢的な事象に過ぎない。私はそういうことに気付いた。

日本人は、本来人種差別意識のあまり強い民族ではない。ヨーロッパではイスラムのヒジャブに対してさえ反感が強く、フランスでは公立学校の生徒が校内でヒジャブを着用することを法律で禁止している。ヒジャブというのは真知子巻きにした長いスカーフのことだが、今の若い人には真知子巻きと言っても分からないだろう。要するに、顔は隠さずに、顔の側面から頭をスカーフで巻くやり方である。日本にはイスラム教徒がほとんどないに等しいくらいだし、女性のイスラム信者はもともと外出に対して消極的だということもあり、日本まではるばる旅行してくる人は少ない。だからヒジャブ姿は日本ではほとんど見られないが、仮にそういう女性が増えたところで、日本人が違和感や嫌悪感を感じることはあまり考えられない。何しろ、イスラム教徒のほとんどいない日本なのに、イスラム教徒向けの料理を出す店が増えてきているという国柄である。

 

アメリカでは今でも黒人差別意識が全くなくなったわけではないらしい。何とやら言う映画祭で、黒人がいずれの賞にも全くノミネートされなかったと騒いでいたのはつい最近のことである。アメリカに黒人の水泳選手がほとんどいないのは、白人が黒人と同じプールに入るのを嫌がるかららしい。しかし、日本では黒人差別というのはあまり聞いたことがない。

 

私は日本の近現代史については特別の知識を持っていない。だから、これから勉強してこの問題を解こうというのは、少し手に余る。ただ、以下の点だけを指摘しておきたい。

日本人と在日との間にある差別問題は、白人と有色人種間の差別問題とはかなり異なる面がある。日本人を含むアジア人も、また多くの宗派に分かれて複雑な様相を示しているアラブ世界も、いずれも白人の支配する地域に進出して権利主張しているわけではない。もともと自分たちが先祖の時代から住んでいる地域で白人から受ける支配と戦ってきた。在日はそうではない。

 

ブラジルにもペルーにも、また規模は小さいだろうがアメリカにも日本人が進出して日本人社会を築いている。しかし、彼らがその国において人種差別を受け、ヘイトスピーチの対象になっているという話は聞かない。いずれの国においても入植した日本人は現地に溶け込み、迎え入れてくれたその国のために恩返ししたいという思いで尽力している。それが日本人の国民性である。その結果、日本人はむしろ地元の人たちの敬意の対象になっていると聞く。しかし在日はそうではない。

 

今回は、勉強した成果をデータとともに示して論文のように書いているというのとは違うから、つぶやきにすぎないということにしたい。しかし反論のコメントをしないでくれと予防線を張っているわけではない。何か異論、反論がある方は大いに歓迎します。コメントを残してください。


<転載終了>