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<転載開始>
管理人Junna (@myremin) です。地震絡みの話題が続いたので、ここらで少し方向転換します。
昨夜、ドイツ在住の友人とスカイプ(音声通話)で話をしていました。いろんな話をしたわけですが、印象に残ったことをこちらでシェアしようと思います(本人了解済み)。
日本には余裕がないということが言われて久しいですが、ドイツでの人の在り方や生活のスタイル、仕事への姿勢、すべてにおいて日本と比較するといかに日本では余裕のない生活を強いられるかを改めて実感しました。
私自身、英国や豪州などに住んできて、そのことを痛感したことは過去にあります。が、話を聞いて久々の感覚を覚えました。
まず、日本で「生活に余裕がある」というと、何のことを思い浮かべます?
まっ先に「お金」がくるのではないでしょうか。
日本=お金
お金が第一優先なので、その他が犠牲になってしまうんです。
お金の次に、本来は不要な理不尽な非効率システム。
日本の企業は、お金を追ってる割には、お金を生むような働き方をしませんね。結果や生産性よりも、精神論やプロセスの見え方重視で、いまだに非効率な働き方、生産性を下げる長時間労働をすることが美徳のよう捉えられています。
お金という結果に繋がる働き方が見えないのです。台風など災害でもそうで、本来は自宅で勤務できるシステムが必要なところが、「頑張って会社に来ること」が善とされる。危機管理がまるでなってない。社員の危機管理ができない会社に利益を生めるわけがありません。
経済大国でもあるドイツでは、まず自分の人生や生活が第一に来るのを実感しました。
人生や生活や家庭などが充実するからこそ、良い仕事ができ、結果良い利益が生まれる。
日本ではこの事実がまるで無視されています。
日本経済がおちぶれてきても、GDPが下落しても、「これまでのシステム・姿勢」をかたくなに変えようとしません。結果重視ではなく、意味を成していない固定化されたルールが大事で優先。新しいもの・変化を強要されるものも頑なに拒否。
「生き残れるのは変化できる人」という名言がありますが、変化できない・変化を嫌う日本の企業や社会の在り方は、一斉に泥船に乗ったまま沈んでいく方向をたどるばかりです。
驚くべきドイツの生活サイクル
これはドイツ在住の友人から聞いた話です。ドイツ全土においてこうなのかはわかりませんが、ものすごい大きな差はないのではと思います。
学校は週3回は昼12時に終わり、残りの2日だけが午後3時に終わる(中学校)
現地で中学校に相当する学校では、午後3時に学校が終わるのは週2日だけなんだそうです。そして週3日は昼には終わってしまうと。
学校の先生が、勤務時間内に宿題のチェックや授業の準備や、その他の仕事がちゃんと時間内に終わるよう考慮されている、と言っていました。
家族との時間がしっかり持てるようになっていると。学校の時間が短い分、宿題はけっこうあるようです。そして日本の学校のように門や敷居がなく、オープンになっているそうです。
日本の学校の先生が置かれている、非人間的なブラック勤務環境(特に中学校)
対して、日本の中学校では学校の先生に休みがまったくありません。ブラック企業の社畜社員より酷い状況。(その友人は元中学校教員でもあります)
社畜社員でも、さすがに日曜日くらいは休めることが多いでしょう。学校の先生は部活の顧問になることが義務であり、土日も部活参加が義務、しかもそれに対する手当・報酬がまったくないというのですから驚きです。
そして平日は夕方に授業が終われば、部活も然り、その後にテスト採点や準備など他の仕事をこなします。まるで休む時間がなく1日が終わります。
企業のブラック労働にばかり焦点が当てられがちですが、学校の先生がおかれているブラック労働はそれを上回るものです。本当に非人間的な奴隷のような労働環境。ここにも焦点が当てられるべきでしょう。
うつ病で休職したり離職する先生も本当に多いんだそうです。そういえば私が中学校の時の先生もうつ病になり長期で休職しましたし、私の親戚も中学校教諭をしていましたが、うつ病になって長期休職していました。
以下の記事でも触れられています。
金曜日は大人も会社の仕事が昼には終わる
また、金曜日はほとんどの人が昼に仕事を終えるといいます。金曜の午後は、自分の時間を持ったり、家族と過ごすための時間だそう。
これは私も経験があるのですが、ドイツほど早くなくとも、金曜日は早くに仕事を終えて帰ろうとする傾向がありますね。もう3,4時になると、もう仕事をほぼ終えてお茶しながらお喋りモード・わくわく週末モードなのです。
友人の夫は、時短勤務の人のカバーをしているため平日の帰りは若干遅いそうで、帰りは夜7時とかになるそうです。
いやちょっと待って、夜7時帰宅って日本では「遅い」ではなく、通常、もしくは「早い」部類…。ここからしても違います。
父親のパタニティーリーブ(育休)は1年間
もちろん母親でなくとも父親でも育休が取れます。友人の夫は1年間取っていたそうです。それは普通に認められている権利です。
日本では、育休を取った男性がそれを理由に降格されたり飛ばされるというハラスメント的な話を目にしました。
これって雇用契約の違反行為であり、人権侵害でもあるのですが、それが公然とまかり通っているのが日本。はっきり言って後進国なのです。雇用契約で約束され保証された権利は行使することができるから権利なのですが、多くにおいてまったく守られていません。
有給も1ヶ月など、きちんと認められている
これは前述友人の話ではなく、私のドイツ人友人の話ですが、ドイツでは1ヶ月などの長い有給が取れるそうなんですね。ほとんどの人が1ヶ月の休みを取りますし、東南アジアなどのビーチリゾートへ旅行する人も少なくありません。
これに関しては、ネットでも同様の話がたくさん出てきており、そこでも様子がわかります。
■ドイツは休暇が大好き。4週間のバカンスも珍しくない
ドイツに来て、真っ先に覚えるドイツ語のひとつに、休暇を意味する「ウアラウプ」という単語があると思う。この前のウアラウプでどこどこへ行って来た、今度のウアラウプではどこどこへ行くの……。頻出単語のひとつである。
ドイツでは、連邦休暇法で社員に対して最低24日間の年次有給休暇を義務づけている。しかし、多くの会社では連邦休暇法より6日多い年間30日に設定している。有給を取得する際は、日曜を挟むので、連続で休む日はさらに長くなる。ドイツでは、4週間続けてバカンスを取るのは珍しくない。(中略)
■部下の休暇は上司が管理「仕事が残っていても社員は有給をとります」
ドイツ・ベルリンのシュターディーさんは、コンピューター部品製造会社で働いている。人事部門を統括する彼女も、30日の年次有給休暇を毎年消化しているという。
「日本では仕事が多くて30日の有給休暇などとても無理」と話したところ「もし私の部下が、仕事が多すぎて休めないという状況にあったとしたら、観察して、その理由を考えます。仕事量が多いのか、それとも経験や能力が足りないのか。
仕事が残っていても、社員は有給を取ります。やりきれない分は、休暇後でも間に合うか、それとも他の人がやるか、いずれにせよ解決策を考えます」という返事が返ってきた。
部下の管理は、上司の役目。部下が休暇を取れないと、上司の管理が悪いことになるのだ。
ドイツでの教育費は大学を含め無料
ドイツでは教育費が無料なので、貧困であるから教育が受けられないという問題もないし、日本の奨学金とは名ばかりの学生から搾取する国によるサラ金行為もありません。
自国民の大学の教育費も無料ばかりでなく、外国人にも無料といいます。それでいて授業のレベルは高いというのです。
(途中中略有)ドイツの大半の大学は、国の資金で運営されており、学生の大半は、学費が無料、または、年間の学費が500ユーロ以下に抑えられてる国立大学で学んでいる。
全ての国立大学での学費が無料であったが、これは、1968年に学生達が「社会的弱者に教育の機会を」のスローガンを掲げて運動し、1972年から無料化が実現したもの。
この無償化は、外国人にも適応され、学費を無料にして、国内の学生の質を上げると共に、国外からも優秀な人材をどんどん受け入れ、それを経済力へと変えてきたのが現在のドイツの姿。
ところが、2005年に連邦憲法裁判所が、学費徴収を全国一律に禁じる法律を無効とし、授業料を徴収するかどうかは、16の州・特別市の判断に任せるとした。 このため、保守のキリスト教民主・社会同盟や自由市場に重きを置く自由民主党が与党の州では、2006~2007年に掛けて、学費の徴収を開始した。
ドイツ国内では、親の経済力によって、進学への可能性が絶たれる事に対して、根強い反対運動が続けられてきたが、2014年末、再度全ての国立大学の学費が無料となる事が政府により発表された。
先進国の中でも、ドイツの大学だけが、特別な優遇を受けていると思われてしまいそうだが、ヨーロッパでは、イギリスを除いて、基本的に国立大学の学費は、全て無料か、500ユーロ程度となっている。
日本の国力の低下は、元々、学力の低下から来ており、学校教育をドイツのように根本から見直さない限り、国力は落ちるばかり。
町内会も、自治会も、PTAもなく、個人の時間とスペースが尊重される
またドイツでは、日本にある町内会、自治会、班長、PTA、保護者会といったものがないそうです。それらに自分の時間を裂く必要がありません。本当に楽だと友人は言っていました。
私は以前、「町内会は本来行政がやる仕事を町民に負担を押し付けるシステム」「戦時中の隣組の名残であり相互監視システム」「本来は町民がそのような義務を背負う必要がない」といったことをツイッターで書きました。
そうしたら、「草取りや電球を変えるのはじゃ誰がやるんだ」「町内会は必要」「助け合いなのだから」という反論をいくつもいただきました。
これは本来、税金を得ている行政がやるものです。日本は特に税金が高いのだから当然です。
私が住んだ英国でも豪州でももちろん行政の仕事でした。税金払ってるんですから。
「行政がやるもの」と私は知っていたけれど、あえてドイツ在住の友人に同じ質問を投げかけました。
「町内会がないなら、では道路の電球変えや草取りは誰がやるの?」と。
「公共の道路なのだから、電球も草取りももちろん市の専門の職員がやる」と。
もちろん当然の、予想通りの答えでした。それが本来です。
日本は、税金だけがっぽり取っておきながら、国や行政など公が本来やるべきことを町民に押し付けているだけなのです。そして肝心の町民・国民側も「それが当然」と疑うこともなく洗脳され、自らを犠牲にするシステムに縛り付けているのです。
今回の熊本大分大地震でもそうですが、ボランティアで助けることはとても素晴らしいことです。しかしなぜ、国の支援金がたった23億円なのですか?パナマには3000億円、複数の他国にも数千億円を拠出する中で。
これも、日本が出すべきお金を削り、ボランティアの美徳になすりつけている構図です。それでも災害ならまだしも、観光立国化や東京オリンピックにも、それを適用させようとしています。
高いお金をかけて技能を習得した通訳ガイドやITプログラマーさえも、国は払うべきコストを払いたくがないために、それらをボランティア化させようとしているわけです。
自分たちの犠牲を持って支えようとする思想も、災害時など時と場合によっては必要ですが、「その影でお金を懐に入れている存在がいないかどうか?」をチェックし、安易に無償労働を差し出すことは避けるべきでしょう。でないと権力側が私服肥やしをすることに繋がります。
日本と違い、国民や人々の「権利」が当たり前にきちんと守られる国ドイツ
福島第一原発事故での惨状もドイツのメディアはどこの国よりもきちんと報じました。
ドイツという国は本当に意識が高い。
もちろん完璧な国はありませんし、ドイツはドイツでの問題はあります。高い税金、移民問題、冬の厳しい気候等…。
しかし日本と比べて、
「人間らしい生き方ができる国」
「お金だけでない、心の余裕が持てる国」
「休養や休暇をきちんと得られる国」
「権利がきちんと守られる国」
「貧困状態にかかわらず国民の誰もが教育をきちんと受けられる国」
であることは間違いのない事実です。
<転載終了>