株式日記と経済展望さんのサイトより
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/2d0f4f6421a38588ff547665cd433cd1
<転載開始>
2016年6月21日 火曜日

ドイツ映画『帰ってきたヒトラー』予告編


よみがえったヒトラーが、今の危うさを浮かび上がらせる 6月16日 大場正明 ニューズウィーク

<現代にタイムスリップしたヒトラーがモノマネ芸人として大ブレイク。何も変わらないヒトラーは、全てが変わった現代社会で、再び民衆の支持を集め始める...>

ヒトラーが現代に甦り、モノマネ芸人として大ブレイク

 独裁者アドルフ・ヒトラーが現代のドイツに甦り、モノマネ芸人と誤解されてテレビの世界で大スターになっていく。そんな大胆不敵な小説が2012年にドイツで出版され、ベストセラーになった。著者は大学で歴史と政治を学び、ジャーナリストやゴーストライターとして活動してきたティムール・ヴェルメシュ。日本でも2014年に『帰ってきたヒトラー』として出版された。

 デヴィッド・ヴェンド監督『帰ってきたヒトラー』は、物議も醸したこのベストセラーの映画化だ。物語は、1945年に死亡したはずのヒトラーが、2014年のベルリンで目覚めるところから始まる。通行人たちは、急変した世界に戸惑うヒトラーを、コスプレしたモノマネ芸人だと思って面白がる。

 リストラされたTVディレクターのザヴァツキは、この自称ヒトラーに目をつけ、彼をTV局に売り込んで自らも復帰を果たそうとする。バラエティ番組に登場したヒトラーは、ドイツ社会の現状を舌鋒鋭く批判して注目を浴び、さらにYouTubeで話題が広がり、大ブームを巻き起こしていく。

 タイムスリップのショックを乗り越え、現状を把握しようとするヒトラーと、彼を筋金入りの芸人だと思い込む人々の間に生じる認識のズレの数々はたまらなく可笑しい。しかし、ヒトラーがのし上がっていくに従って、こちらの居心地が悪くなり、安易には笑えなくなる。そして、作品の狙いが見えてくる

ドキュメンタリーも取り入れ、「国民の責任論」を浮かび上がらせる

 『顔のないヒトラーたち』をコラムで取り上げたときに書いたように、戦後のドイツ人は、ヒトラーという悪魔と、悪魔に利用された人の好いドイツ人の間に一線を引くことで過去を清算しようとした。しかし、事実は違った。筆者がすぐに思い出すのは、ロバート・ジェラテリーが、独裁と同時に国民の支持も望んだヒトラーと国民の関係を豊富な資料を基に検証した『ヒトラーを支持したドイツ国民』のことだ。

 なかでもここで特に注目したいのは、1933年のヒトラーによる権力の掌握だ。彼は、国際連盟脱退の賛意を問う国民投票と選挙を行い、その両方で圧倒的な勝利を収めた。ジェラテリーは、他の政党が非合法化されていたことや反対を示す無効票も踏まえたうえで、以下のように書いている。

 「それでも大多数がナチに投票したことに変わりはない。それも人びとは新聞で読んだり口伝えで聞いて、国家秘密警察や強制収容所や政府先導のユダヤ人迫害などを知ってのうえだった。この国民投票と選挙は、いみじくも『ヒトラーの正真正銘の勝利』といわれ、『巧みな操作と自由の欠如を考慮しても』、この瞬間に『ドイツ国民の圧倒的多数がヒトラーを支持した』という事実は争えない」

 『帰ってきたヒトラー』の原作者ヴェルメシュと映画の監督・脚本を手がけたヴェンドは、どちらもこの1933年の権力掌握を強く意識している。小説では、ヒトラーの秘書になった若い女性が、ある出来事をきっかけにナチスを<ブタ>と呼んだときに、ヒトラーが以下のように語る。

 「一九三三年には国民はだれひとり、巨大なプロパガンダ的な行為で説得させられてはいない。そして総統は、今日的な意味で<民主的>と呼ぶほかない方法で、選ばれたのだ。自らのヴィジョンを非の打ちどころがないほど明確に打ち出したからこそ、彼を、人々は総統に選んだ」「真実は、次の二つのうちのひとつだ。ひとつは、国民全体がブタだったということ。もうひとつは、国民はブタなどではなく、すべては民族の意志だったということだ」

 この小説と映画の大きな魅力は、ヒトラーを単純に悪魔や怪物にはせず、奇想天外な設定と展開を通して、予想もしないかたちで「国民の責任論」を俎上に載せてしまうところにある。しかし映画にはさらに、原作にはない独自の発想や視点が盛り込まれている。

ひとつは、ドキュメンタリーの要素だ。ヒトラーを見出したザヴァツキは、彼を売り出すために「ヒトラーが現代のドイツを闊歩する」という企画をひねり出し、車で各地を回る。ヴェンド監督はそんな展開を利用して、ヒトラーに成りきった俳優と様々な年齢や職種の人々を対面させる。彼らのなかには拒絶反応を示す人もいるが、すんなりと受け入れ、スター扱いする人が目立つ。そんな映像には、TV的ないかがわしさと人々の本音を垣間見るような生々しさが混在している。また、エンディングには、現代の外国人排斥運動をとらえた映像なども挿入される。

 そしてもうひとつ見逃せないのが、ヴェンド監督の巧みな脚色だ。原作はヒトラーの一人称で書かれ、彼の視点が中心になるが、映画では彼に関わる人物たちが独自の動きを見せる。ヒトラーを売り出したテレビ局では、局長の椅子をめぐって水面下で醜い争いが繰り広げられ、それが原因でヒトラーも局長も共倒れになるかに見える。

ヒトラーが活躍するメディアの社会

 しかし、挫折しかけたヒトラーは、現代に甦った自身の物語を本にして復活を遂げ、映画化まで進行していく。彼は揺るぎない信念とメディアを利用する戦略によって求心力を獲得する。これに対して、ヒトラーを起用する立場にあったはずの局長や副局長は、いつしか保身のために彼に擦り寄ることを余儀なくされている。そんな展開はジェラテリーの前掲書の以下のような記述を思い出させる。

 「ナチ・ドイツは実際に現代的なメディアの社会であり、当時としては最先端をいっていた。識字率の高いドイツ人は新聞の愛読者でもあった。そのうえにヒトラー政権は、各家庭に一台のラジオを普及させるために全力をつくし、映画を活用して伝達事項をくまなく行きわたらせたのだ。映画制作はすぐに体制翼賛産業に変えられ、ジャーナリストを味方につけるのは容易いことが証明された」

 ヴェルメシュのベストセラーが映画化されたように、映画のなかでヒトラーの本が映画化される。そこには痛烈な皮肉が込められている。なぜならヒトラーが自分に起こったことを明らかにしても、誰もそれがただならぬことだと思わないからだ。では、ただならぬことだと思った人間はどうなるのか。その運命は、かつてヒトラーが権力を掌握する過程で、共産党員などが収容所に隔離されていったことを思い出させるかもしれない。



(私のコメント)

「株式日記」でも何度も書いてきた疑問なのですが、なぜ当時に日本の人々は大東亜戦争に賛成したのかという事だ。政府が勝手に国民の大多数が反対している事に対して出来るのかという事だ。国民の大多数が賛成したから大東亜戦争が起きたのであり、国民の大多数が反対していれば政府は戦争したくても出来なかったはずだ。

その事を90歳以上の人に問うても答えてはくれない。開戦当時は20歳前後であり世界情勢は分かっていたはずだ。このまま中国に深入りして行ったら米英とも戦争になる事も分かる年代だ。当時は新聞もラジオもあり本や雑誌では「日米もし戦わば」といった記事があふれていた。

軍事専門家ならアメリカと戦争しても勝てない事はシュミレーションでも分かっていた。2,3年もすれば石油が無くなって軍艦も飛行機も飛べなくなるからだ。それでも当時の人は戦争の拡大に反対しなかった。だから戦後になって大敗北して焼け野原になっても、国民はだれも政府に責任を問えなかった。

これはナチスドイツと同じように日本でも普通選挙で戦争に賛成したからだ。確かに戦争で不景気から抜け出せたが国際的には日本は孤立して行って、ドイツの勝利を当て込んで日本も同盟を組んで戦争に踏みこんで行った。しかしそのような大博打で負けて日本はスッテンテンになってしまった。

ドイツにしても、ユダヤ人の迫害や強制収容所の存在を誰もが知っていたはずなのに、戦後のドイツ人たちはナチスに責任をおっかぶせて自分たちは知らなかったと知らん顔をしている。しかし「帰ってきたヒトラー」でも示唆しているが、「国民はブタなどではなく、すべては民族の意志だったということだ。」

その点では日本は事情が異なり、「大東亜戦争はアジアの植民地解放のためであり人種差別撤廃の為の聖戦だ」とラジオで宣言している。しかしこれはアメリカが認める訳には行かないから徹底的に弾圧された。終戦直後の日本人は敗戦で腑抜け状態になってしまったから、デタラメな東京裁判に対しても何も言えなかった。

今でもアメリカに留学している日本人留学生が、アメリカ人学生に対して「太平洋戦争はアジアの植民地解放と人種差別撤廃の為の聖戦だった」と主張する日本人留学生はおそらく皆無だろう。しかし私が若い留学生で英語に達者ならアメリカ人学生を論争で勝てる自信がある。それは歴史年表を見れば明らかだからだ。

むしろ当時はアメリカこそ人種差別国家であり、日本人はゲットーに強制収容された。その事をユダヤ系のアメリカ人学生に意見を聞いてみるべきだ。先月オバマ大統領が広島を訪問したが、原爆を用いた謝罪ではなく核兵器廃絶のための訪問だった。

しかし原爆は日本人と言う有色人種を絶滅させるための兵器であり、ルーズベルトは本気で日本人を絶滅させるつもりだった。つまりルーズベルトもヒトラーも人種差別主義者であり、アメリカもナチスドイツも白人優越主義国だったのだ。しかしこの事をアメリカで言える日本人は皆無だ。

イギリスではEUからの離脱が国民投票にかけられますが、イギリスには中東からの難民が押し寄せようとしている。中東はかつてはイギリスの植民地であり、植民地から移民が押し寄せるのは必然であり、日本でも朝鮮半島から移民が押し寄せて来た。決して強制連行されてきたわけではないが多くは戦後の朝鮮戦争を逃れて来た人たちだ。

「帰って来たヒトラー」は、ナチスに責任を被せたドイツ人を、本当にそうなのと言う警告を与える映画であり、ユダヤ人への迫害は当時のドイツ人自身が日ごろからしてきた事だ。だから日本人にも同じような嫌疑がかけられていますが、日本軍はホロコーストは行っていない。南京大虐殺も東京裁判で出てきた事ですが、実態は戦争俘虜の大量殺害であり、司令官が逃げてしまったので大量の捕虜を殺害したのが実態のようだ。一般市民も巻き添えを食った面があるから松井大将は有罪になった。しかし軍服を脱ぎ捨てて一般市民に成りすます事はスパイとみなされて殺されても違法ではない。

いずれにしても日本軍の中国侵略はマイナスばかりであり何のプラスも無い。朝鮮半島併合も間違いであり、朝鮮は歴史も文化も異なる民族であり日本と同化する事など最初から無理だったのだ。当時はロシアの南下が脅威だったが中国や朝鮮がロシアの領土になったとしても放置しておくべきだった。日清日露戦争はすべきではなかったと考えている。


<転載終了>