宇宙のマスコミ★ゾノンネット☆さんのサイトより
http://ameblo.jp/smash310vcon/entry-12176443183.html
<転載開始>
今日は自然を育むフリーエネルギーについてお話します(^_^)

僕がフリーエネルギーという概念を信じ始めたのは自然栽培の世界に出逢った時でした。自然から學ぶ食のあり方を探求していた時に次のような問いが出てきたんです。

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・山の樹々や草原の草たちは、なぜ病氣や蟲の被害を受けないのだろう

・野菜や米など、人閒が介在する植物はなぜ病氣や蟲の被害をうけるのだろう

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上記の問いについて感じ、考え、探求する中で僕は自然と調和した生活を意識するようになりました。

”人閒が何か特別な養分を供給した時に自然界のバランスに不調和が生じる”という事に氣付いた時に自然界の扉がオープンしたんです。自然觀を養う人生のスタートですね。
皆さんもご存知のように、野山の木の實や山菜、庭先の柿なんかは特別に人間が栄養分を供給しなくても、毎年のように實をつけますよね。

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何もしなくても栄養が供給される自然界の摂理。ここにフリーエネルギーの鍵の一つがあると思うんですね。

じゃあ、自然栽培の野菜や果實はどうやってできるんでしょう?

實は自然栽培では太陽と月と地球。土と雨と光。この3つのエナジーが象徴だろうと考えて、日と水と土の3つの要素が絡んでいるんじゃないかという創始者の假說(かせつ)を今取り入れているんですね。

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それぞれ、火素エネルギーとか土素エネルギー、水素エネルギーという名前を當時つけられているので、その言葉を使っています。實は大自然の生命は全てこの3つのエネルギーに生かされているんです。それを形にすると光合成になるわけです。

そして、僕たち人閒も實はこの3つのエネルギーを巧みに取り組みながら、生きているそうです。

譬えば、火素エネルギー。太陽のエネルギーはどうやって吸収しているかと言いますと、心臓の鼓動らしいんです。この鼓動は別に意思を持って動かしているわけではないです。宇宙のエネルギーを取りこんで、實は動いています。

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そして、水のエネルギーである水素エネルギーは呼吸です。空氣中に充滿している水素エネルギーを呼吸で取込んでいるんですね。

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そして、地球の土素エネルギーというのは食材で胃が摂り込んでいます。

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だから、心臟と肺と胃がそれぞれのエネジーを吸収しながら、そして様々な臟器がそこに付随し、生成化育しているんだという說なんですよ。これはまだまだ僕も分からないです。ただ、そういう風に言われているので、そうなんだろうなと想えているだけなんです。

この3つのエナジーをいかに作物に取りこませるか。そして、僕たちの體(からだ)に摂り込ませるかという事なんです。

しかし、肥毒(肥料や農藥などで汚染された土壌)があると、土素エネルギーが潤沢に取り込めない事が大體分かっています。だから、土素エネルギーを通すために、そのエネルギーが潤沢に生命に關わるように肥毒を拔くんです。

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土素エネルギーがちゃんと潤沢に動いていれば、窒素、リン酸、カリ、カルシウム、マグネシウム、ありとあらゆる物が自動的に生産されてくるという發想なんです。

「本當なの⁉︎」て思っていいんですよ。だって今の農額や科學とは眞っ向から反對の話なんですから。だけど、iPS細胞を研究していた山中敎授がおっしゃっていましたね。

「ありえないという事を考えるやつが、これからの靈止(ひと)だ」って。「ありえてる事をいくら考えたって何も產まれませんよ。『そんなバカな!』という事に目を向けられるやつがこれからの時代を担うんだ」と。僕はまさにそうだと想います。

太陽が僕たちに與(あた)える影響は凄く分かりやすいですよね。おそらく太陽がなくなったら木端微塵だと分かるでしょう。

でも、月が水と關係しているというのはなかなか掴みにくいと想うんですが、よくよく考えたら海の干潮、滿潮、大潮、小潮。みんな月の滿ち欠けによって動いている事は知っていますよね。水と月という關係性。

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植物も同じで、月齢と樹液の關係というのは明らかなんですよ。滿月の時は凄く水分を吸い上げて、地下から引き上げているタイミングなんです。その時は成長する時なんです。

一方で、今度は新月になっていくと下がっていくんです。すると今度は生殖する時なんです。植物は月の動きで、成長作用と、生殖作用を縦分けているんですよ。

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(出典)月と農業より

實は人閒もそうだと想いますよ。月の動きで赤ちゃんが產まれる、產まれないと聞きますよね。靈止(ひと)が死ぬという事も含めて。

もっと言えば、カニなんて滿月の時に脱皮するんですから。その不可思議な仕組み。もっともっと知りたくないですか。その世界なんです。

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女性だったら生理の周期が月の周期だって、昔の靈止(ひと)はそう言っていたわけですよ。今はずれこんでいるみたいですが。

そして、警視庁なんかは滿月の日に警備員を多くしますよね。一番事件が多い事をデータで分かっていますから。エキサイトしちゃうんですよ。

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本當は手出すつもりじゃなかったんだけど、燃えちゃって出しちゃったみたいな。想わずやっちゃったみたいな。そんな要素も自分の力以外の何かが及んでいるという事ですよね。そういったジャンルかもしれません。

生命に關しては太陽も結構大事ですけど、月というのは凄く重要で切っても切れないという認識です。だって昔は、新月が1日だったわけですよね。だから、舊曆(きゅうれき)で言ったら1日が3日だったりするわけです。

そうやって1日という曆を見たら、「あ、今日は水が下がってるな」と。だとしたら、今の内に越冬できるカボチャを取っておかなくちゃって昔の靈止(ひと)は想ったでしょう。

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何で越冬できるカボチャと言ったのかと言いますと、今のカボチャは越冬できないです。國產の物は11月にみんな腐ります。でも、ちゃんと自然の理を知って、自然栽培で新月の日に切ったカボチャは越冬します。腐らないです。なぜかと言いますと、あらかじめ水分が少ないからです。

5月、6月になって玉ねぎを食べる時に、保存用ではなくて、美味しく食べたいなら滿月の時に切ればいいんです。昔の靈止(ひと)にとってはこれは當たり前の話なんですよ。冷蔵庫もなければ、保存の設備もなかったので、自然の知惠を應用していたんです。現代人は冷蔵庫があるからそんな事は考えないです。

自然と調和した建築屋さんでは、その建材・建築關係も、新月の邊りに木を伐採して、乾燥させる木という物に着目しています。何でかと言いますと、自然と調和しているので木が强いんですよ。だから、蟲食いが少ないので、防腐劑や防蟲劑を塗らなくて濟むんです。そういう建築で家を作ったら心地良いですよね。藥漬けじゃないんですよ。

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そういうのも全部軸が、自然のルールという物を中心にした商品開發だったり構成だったりするわけですね。僕たちは本當に靈止(ひと)から學ぶんじゃなくて、自然から學ぶことがいっぱいあると思うんですね。

植物と水の關係は意外でしょ。もちろん僕たちも70%以上が水分で出來ていますから。どれだけ月と影響を受け合っているか。それを自分はないと想っているだけなんですよ。

だから、もう1囘近づけましょう。月という自然と自分を。太陽曆で生きているのは仕方ないし、それは世の流れですけど、そこに月の曆も入れてあげましょう。そうすることによって、太陽と月と地球、この3つの星と共存していくという意味が見えて來ると想うんです。

そして、それぞれの天體(てんたい)の働きが僕たちに大きく關與(かんよ)しているというリアリティをどんどん感じてください。そうすると養分とか榮養とかは机上の論理で、端っこの枝葉末節の問題であるという事が見えて來ます。幹はどこと言うのが見えて來ます。そしたら問題解決はさほど難しくないです。

自然界で生命力を育むフリーエネルギーとは一體(いったい)何なんでしょうね?

火素、水素、土素。これはもっと言えば、太陽とか月とか地球の靈的なるエネルギーと言っても過言ではないかもしれません。

靈的と言うと、日本人はついつい退くかもしれません。でも、この地球上の物事には全て表と裏があって、體(からだ)や物體だけがそこに存在するのではないですよね。

人間だったら人間として心があり、魂があります。いわゆる肉體と、また別のものが同居して生きているということは誰しもが實感として分かると思うんです。

その目に見えないゾーンはまだ科學的には捉えられていないと思うんですが、おそらくこの火素、水素、土素というのは、そういう部類に入る、そういうエネルギーではないかなと、僕は思っているんです。

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この図で分かるように、太陽から來る、その無限なる靈的エネルギーである火素エネルギー。そして、月のエネルギーとしての水素エネルギー。そして、地球の土素エネルギーが3つ、三位一体になった時、そこに生命力Xというものが發生すると自然栽培の論文には書かれてるんですよ。

Xなんて何ともわからない感覚ですけど、これはマニュアルですから。まずそのXなるものがすべての生命を育む素であると彼らは信じたんです。そして、そのXを生成していく上で、それぞれのエネルギーが3つ合わさらないとダメだというのがミソだと思うんですね。

太陽と月、いわゆる火素と水素に関しては人間の力ではいかんともしがたいですが、土素エネルギーは地球の奥からどんどん放出されているとは言われているものの、どうやら人為的に造られた異物においては、それを透過できにくいという性質があるらしいんです。

いわゆる化学肥料だとか、農藥がそうです。後は動物の糞尿等も自然界の物なんでしょうけど、そこに大量に存在することそのものが自然界にとっては異物と判断し、透過しにくくなっていくっていうことが謳われていたんです。

だから、いかにその土の中の異物、不純物、または人間の思惑で投入した物をを廃除するか。そして、その3つのエナジーが三位一体で働くような場をいかに創るかということが、多分基本形です。

そして、そのXなるものが實際にこの植物を育てる素になります。それがなければ微生物もミネラルも様々な栄養素も派生してこないんですね。この素があるがゆえに、様々な展開が起き、そして結果、僕たちの體(からだ)なり、物質化という形に現れてくると思うんです。

その物質化された植物を僕たちは日々の糧として食べるわけです。その食していく結果何が起きてくるかと言いますと、この自然界のシステムやメカニズムが自分の中で構築されていく。

まさにXが體(からだ)の中に供給されていく。自分の體の中がこの大自然の条件を満たしていく。人間の體は小宇宙なんていうことも言われるますよね。體内の中でもこのメカニズムは實は本來靈止(ひと)として持ち合わせたものだと思うんです。

自然界の山々がこの原理を使って生きているように、人間も汚れていなければ、このメカニズムを本來持ち合わせていて。そして、それが發動すれば、自分が生きていく上で必要な栄養分は體(からだ)の中で自ずと創られていく。そして、その量もその靈止(ひと)に適切なものが創られていくと僕は感じるんです。

だとしたら、これはめちゃくちゃ樂チンな話ですよね。やれあれが足りないんじゃないかとか、または人間ドックとかでいろいろ調査して、あれがどうだら、これが多いだの、これが低いだのとかっていうことで、右往左往してても、いつまで経っても誰かの思惑に踊らされてるだけじゃないですか。

自分の中で適切な栄養が創られていくなら、こんないい話はないと思いませんか?もう自動的に健康で生きていく仕組みがそこに備わっていく。そもそも人間はそのような器なんだと自然栽培の創始者である岡田茂吉氏は説かれているんです。

僕も凄く単純な人間なので、いかに樂に、いかに樂しく健康に、ここが一番重要なことなので、この發想は何と樂なんだろうと。いちいち記憶しなくてはいけないこともないし、もう左腦をめいっぱい働かせる必要もないし。そもそも左側の腦使うの苦手だし(*^^*)

だとすれば、日々の食材を本當に自然と調和したものをちゃんとチョイスして、それを日々食べていくだけでいいなら、こんないい話はないですよね。

自然栽培農家さんや自然栽培の流通に携わっていらっしゃる方はそうやって、頭で考えずに五感で食していらっしゃいます。そういう知り合いが何人もいますが、彼らは凄く心身ともに健康でいらっしゃるんですね。

例えば、ペットボトルのお茶なんかが出されて飲んでしまったら、そこには多分ビタミンCとかが入っています。そういったものを入れないために自然と調和した方々は普段は飲まないんです。だけど、提供されたら喜んで頂いていらっしゃるようです。

普段そのように生命力Xなるものがちゃんと活動していれば、多少それくらいの物が入っても、きちんと排泄ができるはずだから大丈夫だと考えてそうしていらっしゃるようです。

でも、そうじゃない靈止(ひと)たちはXが發動することもなく、いろんな栄養を摂りこんでいくという結果、またはこういった化學物質をどんどん摂りこんでいった結果、もう人體は機能不全に陥って、悲鳴を上げています。

それが現實であり、現代人は大體(だいたい)がみんなそうなんですよ。だから、生き方のチョイス一つで、もう全く歩みが變わっていくということが明らかだと、僕の目に映っています。とにかく医療費もこれ以上増えちゃったら、もう國は破産するだろうし。もう税金もこれ以上どんどん増えても困るでしょうしね。

やっぱり医療に関わらなくてもいいような、そしていちいち栄養剤なんか飲まなくてもいいような、自分の中で自動的に栄養が創られるような、そんな體(からだ)に戻していこうよと。

まさに自然栽培の農地、汚していた農地を様々な方法で汚れを解除し、温かくて柔らかくて、水はけ・水持ちのよい土に戻していこうと自然栽培農家さんたちは日夜汗水垂らして活動していらっしゃるんですから。

僕たちの體(からだ)も戻していきましょう。そうすれば、大宇宙のフリーエネルギーが僕たちに無限の喜びを與(あた)えてくれるに違いないと感じるんです。

だから、僕はそういった意味では靈止(ひと)としての自然と調和した生き方と、自然栽培の在り方というのは共通認識として捉えていまして、多くの方々にお傳えさせていただきたいと思っているんです。

自然栽培という一つの栽培方法を通じて、凄く面白い世界をいろんな角度で學ぶことができるんです。だから、皆様もぜひ、ただの農業スタイルだけにとどめないで、感じ合っていただきたいと想います(^_^)


<転載終了>