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<転載開始>
世界天皇の時代であった皇統(こうとう)は25代で終わりを告げ、不合朝(ふきあえずちょう)の時代へ移っていきます。300萬年前です。
『神代の萬國史』には不合朝第三代の項で「三種の神器」について次のように記されています。
「日向津媛天皇(ひむかいつひめすめらみこと)、詔して鏡・玉・剣を三種神器と名付け、忍穂耳尊ひ譲る」。
天疎日向津媛天皇は上古第二十二代の天皇、つまり「天照大神(あまてらすおおかみ)」です。
しかし、日向津媛天皇は獨身でしたので、蹟繼ぎがいません。
そこで弟の須佐之男尊(すさのおのみこと)と櫛名田姫尊(くしなだひめのみこと)の皇子、忍穂耳尊(おしほみのみこと)を養子に迎えられました。
つまり、日向津媛天皇(天照大神)は忍穂耳尊に天皇の位と「三種の神器」を譲ったことになります。
「三種の神器」は日向津媛天皇の命により、玉は生玉命(いくたまのみこと)が、鏡と剣は天日眞浦尊(あまひまうらのみこと)が製作にあたりました。
「三種の神器」は以前に存在した天皇御作の「十種の神宝(とくさのかんだから)の中の「八咫の鏡・八尺の曲玉・剣」をお手本にしてつくったものと想われます。
しかし、長く續いた繁榮も永遠のものではありませんでした。「萬國土(どろ)の海となる」と表現される大規模な天變地異によって、地球の姿は變わっていったと『竹内文書』は記しています。
プラトンはアトランティスは一夜にして海中に没したと語りましたが、太平洋にあった「ミヨイ」「タミアラ」、つまり「ムー」や「アトランティス」という二つの大陸が海底に沈むのもこの時期です。
中でも神武天皇の父の時代、不合朝78代に起きた大地震。200mに達する大津波を引き起こし、日本に壊滅的な被害を與(あた)えました。
何が天變地異を引き起こしたのでしょう?
それは靈止(ひと)びとの心の荒廢に他なりません。神と結ばれた御魂(みたま)の持ち主「スメラミコト(天皇)」の統治の下、豐かな自然と高度な文明を享受していた人類。
しかし、いつしか「感謝」に變わって溢れた「驕り」。それが神の怒りに触れます。
『竹内文書』の後半にあたる、不合朝(ふきあえずちょう)と神倭朝(かんやまとちょう)の時代。世界が混乱する中「宗教」が生まれました。
この頃、歴史上、聖人と謳われた人物が數多く登場します。
ユダヤ教の預言者モーゼ・ロミュラス、イエス・キリスト、釈迦、中國の傳説的皇帝神農(しんのう)、伏 羲(ふくぎ)、さらには老子、孟子、孔子、イスラム教の偉大な預言者ムハンマド(マホメット)。
さまざまな宗教で聖者、開祖と言われる靈止(ひと)びとは、こうした受難の時期に日本の皇租皇太神宮を訪れ、神の教えを學び、自分たちの國に戻って教えを廣めた靈止(ひと)たちです。
この時、多くのユダヤ人が日本に入って來ました。ヘブライ語が日本語の中にたくさん含まれているのはこの時の名殘なのです。特にカタカナはヘブライ語と見た目はそっくりです。
とりわけユダヤ人を約束の地「カナン」へ導いた大指導者「モーゼ」は日本と縁(ゆかり)の深い聖人の一人です。
シナイ山で「十戒石」を授かり、アカバ湾からインド洋を経て、船で能登の「宝達水門(ほうだつすいもん)」に到着したモーゼ。
ただちに皇祖皇太神宮に参拝し、スメラミコト(天皇)に『十戒』を交付する許可を得て、「十戒石」を奉納します。
『十戒』は皇統(こうとう)時代のスメラミコト(天皇)の教えを基本に作り上げたもので、ユダヤ人のみならず、全ての五色人をその教えの道に戻すためのものでした。
▼表十戒
一、天國本家の神を礼拝せよ
二、他人の物盗るなよ
三、他人の男女を横取りするなよ
四、他人に虚言吐くなよ
五、他人を騙かすなよ
六、他人の榮を挫くなよ
七、天國の神に逆くなよ
八、我の教法に逆くなよ
九、他人を困らすなよ
十、五色人の法、ムオゼ
このときの十戒石が皇租皇太神宮に表十戒石、裏十戒石、眞十戒石、縞瑪瑙(おにつくす)石、モーゼ魂の形石という5種類の形で現存しています。
そのモーゼの十戒石と遺言状も發見されています。モーゼが12年閒住んだ石川県(能登)の寳達(ほうだつ)山。その麓にある三つ子塚(モーゼの墓)。
モーゼは538歳という天寿を全うし、ここに葬られました。
寳達神社の狛犬はエジプトのファラオの頭巾をかぶったような姿をしています。エジプトで育ったモーゼとの繋がりを感じさせます。
イエス・キリストも布教を始める前、日本で修行を積んだ事が『竹内文書』に記されています。青森県三戸群にはイエスの墓があります。
様々な宗教も元を正せば源流は一つ。日本だったのです。
眞理を求め、聖人たちが相次いで來日した時代。大地震によって日本の國力は衰え、スメラミコト(天皇)の権威は失墜。
五色人の王たちは、スメラミコト(天皇)への畏敬の心を失っていきました。
聖人たちはそれを憂い、靈止(ひと)のあるべき道を説く事を「使命」と考えたのです。
しかし、時代の軋みは止まらず、スメラミコト(天皇)の世界統治は終わりを告げます。
そうして、世界の統治者だったスメラミコト(天皇)が日本一國の天皇に立場を變えたのが、續く「神倭朝(かんやまとちょう)」の時代です。
『古事記』や『日本書紀』はこの時點(じてん)からの歴史しか綴っていません。
いかがでしたか。『竹内文書』の世界。こうしてはるかな古代文明の記録は歴史の闇に埋もれていきました。
現代人が歴史そのものと捉えている「有史」と呼ばれる期閒は、この天變地異の後の「争いに満ちた世界」のことなのです。
僕たちが今、『竹内文書』から學ぶべきこと。それは「未來への新たな秩序創りの指針」に他なりません。
「世界全體(ぜんたい)をひとつの國と考える。見えないものがこの世を動かす」。
太古の昔より天皇(スメラミコト)が指導されて來た、自然や動物、他人を敬愛する日本民族の感性。そして、大和魂。
例えば、太古よりスメラミコト(天皇)は自然や動物を敬愛することを人民に指導されておりました。
『竹内文書(たけのうちもんじょ)』「上記(うえつふみ)」にはこんな記述が出てきます。
天皇が東北に巡行された時のことです。動物の肉を食べている地元の靈止(ひと)びとの姿を見た天皇は「神國日本の神民たる者、四つ足の動物の肉を食うことは、天津罪に触れるから、食べてはならぬ」と指導しました。
すると、民は「冬の暖をとるために肉を食べなければならないのです」と答えました。
それでも天皇は「それでもならぬ。暖をとるなら、米の中にカヤやトチ、シイなどの木の實を入れ、混食せよ。また、そこから脂肪をとり、身體を暖めるように」とお答えになりました。
このことから地元の靈止(ひと)たちは栗を人工栽培し、動物の肉を食べなくなりました。5500年前、天皇の言われた教えを守っていたのです。
『日月神示』にも「神國日本の神民は肉食ならん・・・・」と書いてあります。それが神代・縄文時代の靈止(ひと)びとが行っていた生活です。
精神的なものより、物質的な充足や我慾を優先する現代とは對極の世界。それは常に「感謝」を忘れず、「分け合い」、「補い合って」生きる靈止(ひと)びと。
『竹内文書』には、争いや奪い合いもなく、惡を為すものもいない。まさに「理想的な人閒國家」が描き出されています。
もう一度僕たちは神國日本の神民たる感性を取り戻し、物質的な充足や我慾を優先する”當たり前”の生き方を改めるべき時なのかもしれません。
そして、一人ひとりが常に”いまここ”を生かしていただいていることへの「感謝」を忘れず、「分け合い」、「補い合って」生きる。
まさに『竹内文書』で描かれる「理想的な人閒國家」へ向けて「既存の価値體系の”破壊”と自然と調和したライフスタイルの”創造”」を一人ひとりが愚直に行っていく必要があると感じます。
「日月神示」の中には「最後の一厘のしくみとは、イシヤとしかと手を組むことぞよ」という言葉があります。
「イシヤ」というのは、石工職人のギルド(組合)が起源といわれる「近代フリーメーソン」=世界の先頭を走っておられるユダヤの方々です。
現在、日本の神道は形骸化していますが、「イシヤ」にとってもっとも恐ろしいのは、この大和魂の復活なのです。
「日の丸」日本は世界の雛形。だから、この國は世界に對して責任があるんです。
その責任を果たさずに踊り狂っているような、ただ何も考えないで、文句だけたれてる靈止(ひと)とか、そういう靈止(ひと)はこの國にいる資格はないと神が判断した時は一掃されてしまう、厳しく裁かれる可能性があります。
そういう事が「日月神示」でも予言されています。良いも惡いも日本とはそういう國に僕たちは住んでいます。
では、日本はどのように動いていかなければならないか。
世界の神國であり、親國であるというところから全てを愛し、許し、包み込む。
そういう立場を取るのが良いのではないでしょうか。それが『竹内文書』からはっきりと見て取れるわけです。
いつも、ありがとうございます(^_^)