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<転載開始>
天神(てんじん)の時代が終わり、皇統(こうとう)の時代の幕開け。スメラミコト(天皇)による世界統治の始まりです。
スメラミコト(天皇)のまたの名を救世主・メシアといいます。
靈止(ひと)びとは、自分たちが一大事の時には、救世主的存在の人物が助けてくれると想っていました。
日本を中心に世界を16に分割したスメラミコト(天皇)。それぞれの地域は自ら任命した天皇の弟妹ら16人を世界中に派遣し、王に任命して治めさせました。
日本のスメラミコト(天皇)の紋章「十六菊花紋」は16分割した世界を菊の花びらで表したものです。メシアの紋章は太陽が16方向に光を發している状態を表しています。
これは日の神で、太陽を丸くデザイン化したもので、今の16の光を発している十六日章です。後世の靈止(ひと)びとがこれを見て、菊の花のように見えるということから「菊花紋」となりました。
「ヒヒイロカネ」はアトランティス文明を支えたとされる謎の金属「オリハルコン」に酷似しており、スメラミコト(天皇)はこの光輝く金属「ヒヒイロカネ」で作られた鏡や剣を身につけていました。三種の神器の「鏡」と「剣」はここに由來すると考えられます。
こぞって参拝に訪れた世界の五色人。とりわけスメラミコト(天皇)自らが主宰する年に一度の大祭には多くの五色人が集い盛大に行われました。
それにしても、なぜ神々は日本を世界の中心として選んだのでしょうか。それは「日本は世界の雛形」であるから。日本の形は地球上の五大陸と同時形になっています。
例えば、九州はアフリカ大陸。四國はオーストラリア、本州はユーラシア大陸、北陸は北米、北海道は南米と南極大陸を合したもの。つまり、世界中の大陸を合わせていくと日本列島になってしまうのです。
カスピ海が琵琶湖。世界の屋根ヒマラヤが富士山。伊豆半島の島々がフィリピンあたりの島々になってしまう。日本は四季があり、國土が南北に長いことから、世界のあらゆる風土を併せ持つ稀有な國。地球の縮図なのです。
『竹内文書』(たけうちもんじょ)には「萬國巡幸(ばんこくじゅんこう)」という言葉が頻繁に登場します。これは古代のスメラミコト(天皇)が視察のため自ら世界を巡ったことをいいます。
その際に使用したのが天空を高速で移動できるUFOを連想させる「船型の天空浮船(あめのうきふね)」です。
独りで広い地球を統治しえた大きな要因が天空浮船(あめのうきふね)の存在です。有名な古代エジプトの「太陽の船」は舟形の天空浮船(あめのうきふね)を描いたもの。
そして、『竹内文書』にある一文「羽根飛登行所(はねとびのぼりゆくところ)を 羽根と名づける」。日本に数多く殘る「はね(羽根・羽)」のつく地名は實は古代の飛行場の蹟なのです。
例えば、石川県羽咋(はくい)市にある千里濱なぎさドライブウェイ。砂濱にも關わらず硬く加工された地面。ここに廣がるのは紛れもなく古代の滑走路です。
一方、日本のスメラミコト(天皇)の紋章「十六菊花紋」は、僕たちのパスポートにも付いている印ですが、これと大變よく似た紋様が世界各地に殘っています。
典型的な例がイラクの古代王朝バビロンのイシュタル門の壁に描かれた菊花紋です。
これらは全て萬國巡幸のスメラミコト(天皇)を迎えるために造られました。
國旗もまた地球國家の存在を語りかけて來ます。日の丸。太陽の國を象徴する旗として制定されたのは皇統2代の時です。中央にはいつしか失われてしまった「貴(き)」という黄色い点が入っていました。
同時に制定された「月の丸」は日本以外の地域を象徴する旗です。二枚の旗はまさに地球國家を象徴するものでした。
日本、つまり「ヒイズルクニ」が夜明けを迎える頃、諸外國、つまり「ヨモツクニ」は夜。現在でも世界の國旗に月や星のモチーフが多いのは、この頃の名殘りと言えます。
スメラミコト(天皇)は、「日出ずる國」から萬國へ向けて分け隔てなく、「文化」という光を与え續けたのです。
スメラミコト(天皇)の導きの元、農業にいそしむ靈止(ひと)びと。太古の社會制度は「神有民營(しんゆうみんえい)」という形が取られていたと『竹内文書』には書いてあります。
これは全ては神のものという前提の下、靈止(ひと)びとに土地を貸し與(あた)えるというものでした。
しかし、稅金が課せられることはなく、靈止(ひと)びとは自分の努力そのままの成果を手にする事ができました。
當時の社會には支配も搾取も存在しなかったのです。スメラミコト(天皇)は萬人を平等に扱い、その志合わせのために心を尽くし、靈止(ひと)びとはスメラミコト(天皇)を敬愛しました。
精神的なものより、物質的な充足を優先する現代と對極の世界。それは常に「感謝」を忘れず、「分け合い」、「補い合って」生きる靈止(ひと)びと。
『竹内文書』には、争いや奪い合いもなく、惡をなすものもいない。まさに「理想的な人閒國家」が描き出されています。
時空を巡る『竹内文書』の膨大な内容。それは歴史上の多くの謎とも關わっています。「ピラミッド」もその一つです。
5000年も昔、エジプトで造られたとされる「ピラミッド」。しかし、そのルーツは日本です。
これを初めて立證したのが昭和初期の古代史研究家「酒井勝軍」。日本のピラミッドが長い閒發見されなかったのは自然の山を利用して作られたものだったとして、酒井は日本こそが發祥の地と考え、研究と現地調査を重ね、京都府「日室ヶ嶽」など多くの「ピラミッド」を發見します。
青森「十三湖」、秋田「黒叉山」、宮城「五葉山」、神奈川「大山雨降利山」、静岡「愛鷹山」、長野「皆神山」、岐阜「高屋山」「位山」、富山「尖山」、奈良「三輪山」「大和三山」、京都「丹波の元伊勢 日室ヶ嶽」、徳島「劍山」、岡山「庄原の本村葦獄山」、島根「弥山」。
最低でも15か所は發見されました。なかでも富山市郊外の尖山(とがりやま)は、「皇統24代、600萬年前に造られた世界最古のピラミッド」。高さ157mの三面帯で、北側の山は人工的に積み重ねられています。
古代のスメラミコト(天皇)は困難に直面した時、天の神々に呼びかけ、様々な相談をしていました。その交信の場所が「ピラミッド」です。
『竹内文書』では太古の日本に「ヒラミット(日來神宮)なる祭殿が何ヶ所かに造營された」と書かれています。「ピラミッド」という言葉はエジプト語ではなく、日本語の「ヒラミッド」が海外に傳わり、變化したものだったのです。
(不合朝編に續く)
南海地震はあと30年間は、自然界では起こりえない。
ロスチャは、日本国を抜本から破壊するために、
天皇制と神道(天照オオミカミと八百万の神)、つまり
伊勢神宮を人工地震でヤルということなのだな?!