るいネットさんのサイトより
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=317288
<転載開始>
 実際に試された10の無政府主義社会を紹介する記事を紹介。

私権原理と市場社会に対するアンチテーゼは、過去何度もアナーキズムという名の共同体構築へ向かったが、結局のところ、私権の制覇力である武力と、市場の制覇力である資力に敗北してきた。(現存しているデンマークのクリスチャニアは観光地化している)

共認社会における制覇力は共認力。制覇力を獲得しない限り、時代を生き抜くことはできない、という反証として紹介する。

以下、カラパイア(リンク)より。

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10. カタルーニャ
 1936年7月にスペインで起きたクーデターの結果、カタルーニャの無政府主義政党、全国労働者連合=イベリア・アナーキスト連盟(CNT-FAI)は民兵を組織してナショナリスト派への反乱を指揮した。民兵を構成するのは1万8千人の労働者だった。一致団結しナショナリスト派を倒すと、カタルーニャの独立を勝ち取る。各民兵は選挙で選ばれた代表者によって指揮されていた。

 CNT-FAIが人民戦線政府に加わると、社会主義統一労働者党などの社会主義グループと協調しなければならなくなる。これは批判を集めたが、その目的はスペインでの戦争に勝つことであった。また、これによって土地と資源を集産化するというCNT-FAIが支持していた政策を推進することも可能となった。
 
 自主的な集産主義政策の下で、労働者は物資を共同出資し、集会を開いた。また工場は労働者委員会によって没収され、管理された。だが1938年にはフランコ軍に敗北する。
9. パリコミューン
 1871年、普仏戦争の結果発足したパリ・コミューンは、労働者階級が権力を握った初の事例と見られることも多い。ドイツに敗れた後、フランス軍はパリの奪還を試みる。しかし軍から離れた国民衛兵は市民の味方をして、選挙によって街の統治者を決めることになった。

 コミューンは職場を共同組合に変えるなど、無政府主義的な政策を実施する。当時の無政府主義者ミハイル・バクーニンの言によれば、「明確に策定された国家の否定」であった。しかし、代表政府の概念を維持していたため、コミューンは長く保たないと考える無政府主義者もいた。

 後にコミューンは公安委員会を組織し、恐怖によって革命の理想を守ろうとした。これに対して無政府主義者たちは反発を覚えるようになる。結局、5月28日、フランス政府がコミューンを打倒し、パリを奪還した。

8. 自由地区
 1918~1921年にかけて存在した自由地区は、ネストル・マフノがウクライナに作った無政府主義国家である。自由地区は無政府主義イデオロギーに基づいた幾つかの国家の一つとして傑出しており、おそらくは史上最高にイカした国旗を持つ。骸骨の絵柄が描かれたそこには、「労働者の自由を阻む者には死を!」という言葉が添えられている。

 10万人の黒軍を率いるマノフはウクライナ南東部を制圧。無政府主義コミューンを実現した。自由地区は労働者と農民のソビエト(評議会の意)で構成され、定められた事項をメンバーによる投票で決定した。

 マノフは一切の中央集権的政府に反対していた。そうした中央政府を設けないかわりに、ソビエトの大会を招集し、国家的事項について議論を交わして行政を行った。結局、赤軍が自由地区に侵攻し、黒軍は1921年に敗れた。皮肉にもトロツキーはその回顧録の中で、彼とレーニンが国のない社会を実験するために無政府主義社会の設置を真剣に検討していたことを告白している。
 

7. クリスチャニア
 1971年に作られたクリスチャニアは、ここで紹介する中では数少ない現存するコミュニティだ。40年以上も自治を続けてきたことは注目に値する。作ったのはデンマーク、コペンハーゲンの廃棄された軍所有地に住みついた無断居住者。彼らはここをすみやかに占領すると、自由都市の建立を宣言した。住人は税金を払う義務もなく、大麻を公然と売ることもできる。

 無政府主義の精神を掲げるクリスチャニアでは私有財産が否定されており、住民は個人で車を所有することも禁止されている。一方で、独自のルールによって暴力や犯罪が禁止される。

 2012年、デンマーク政府は占領された土地を住民に売却する旨の提案をし、クリスチャニア住民はこれを受け入れた。土地購入のための基金が設置され、ここはコミュニティの所有となった。

6. ツインオークスコミュニティ
 1967年、小さな共同体主義グループが平等主義と持続可能性を理念に掲げ、アメリカ、バージニア州の1.6km2の土地で菜園やハンモック作りなどを始めた。そして農業やハンモックの販売から得た資金で、コミュニティの備品を購入。自転車、バイク、コンピューター、娯楽施設などすべてがコミュニティが所有しており、どれも通常の目的であれば自由に利用できる。

以下、(2)へ


実在した10のアナーキスト(無政府主義者)たちの社会(2)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=317290
以下、(1)の続き

5. ストランジャコミューン
 ブルガリアのストランジャコミューンは1903年8月18日にミハイル・ゲルジーコフによって設立された。彼は内部マケドニア革命組織でゲリラを指揮した人物だ。ゲルジーコフの軍は2,000名強程度しかいなかったが、10,500名のトルコ軍と対峙しながらストランジャ山脈に臨時政府を設立することに成功した。

 コミューン内では共同体主義的なシステムが実施され、物資は必要に応じて均等に配分された。しかしコミューンはごく短命に終わる。設立から1ヶ月後の1903年9月8日、オットマン軍の前に壊滅した。

4. シンミン自治区(Shinmin Autonomous Region)
 1924年、朝鮮アナキスト共産主義連合(Korean Anarchist Commmunist Federation/KACF)は労働組合の設立を目指し、中国で反帝国主義を推進し始めた。5年後、シンミン県の中国からの独立を宣言。即座に脱中央集権的な統治を推し進める。

 他の無政府主義コミュニティと同じく、KACFも緩やかな評議会方式を採用し、これが地域や村ごとに設立された。評議会は協力しつつ、農業、財政、教育といったコミュニティの重要事項を個別に決定していった。しかし日本帝国が同地域の制圧に乗り出し、さらにスターリンまでもが転覆を企てたため、1931年に崩壊した。

3. ロジャヴァ
 厳密には無政府主義社会ではないが、2013年の自治宣言以来、シリア政府から独立して行政を行う事実上の自治区である。ロジャヴァの公式の政治システムは自由主義的社会主義に区分されるが、無政府主義の影響も受けている。

 ロジャヴァが掲げる理念は、アメリカ、バーモント州の無政府主義者ムレイ・ブクチンが提唱したものだ。すなわち理想の国家を自由主義的地方自治主義であるとする。本質的に、これは議会を開き、地域レベルの問題について投票を行い、それぞれのコミュニティ内で実施するというシステムにつながる。クルド労働者党の要人アブドゥッラー・オジャランは自身の支持者に市議会を開き、最終的にそうしたシステムへ移行するよう指示している。

2. ゾミア
 ベトナムの高地やチベット高原からアフガニスタンへ広がるゾミアと呼ばれる地域には1億人が暮らしている。ゾミアという名称は、2002年にアムステルダム大学のウィレム・ファン・スヘンデルが提案したものだ。政治学者の中には、近代的な国家を拒否する現在進行形の無政府主義社会の実例であるとみなす者もいる。

 ここは中国やベトナムから遠いため、その影響が及びにくく、結果として大きな自治を享受できている。文化的には極めて非階層的であり、例えばワというルールは、人が見せることができる富や権力に制限を加えている。

 イェール大学の政治学者ジェームズ・スコットは、ゾミアは人々が伝統的な国家構造から逃れ、より大きな自由を手にしようとした結果として形成されたと論じている。彼は、ゾミアに文字が存在しないのは、そこから官僚主義が発生することを懸念した先住民の意識的な選択であると主張する。

1. ビル・タウィール
 ビル・タウィールは厳密には国家でも社会でもない。そうではなく、既存の国家によって領有権が主張されていない数少ない地域である。それゆえに法もなく、政府も存在しない。こうした稀な状況が発生したのは、イギリスがエジプトと協定を交わし、英埃領スーダンとエジプトとの国境を22度線に定めたことが発端となっている。

 同時にイギリスは行政境界線を引き、ハライブ一帯(22度線以北)がスーダンに組み込まれる。そしてビル・タウィールはエジプトの管理下に置かれた。

 1956年、スーダンが独立を果たすと、この行政境界線を国境として主張。他方、エジブトは22度線を国境に主張した。こうして両国がより利用価値のあったハライブ地域の領有を主張する一方、ビル・タウィールの領有はどちらも主張しないという状況が生じる。

 その結果、この一帯はいかなる政府も管理しない文字通りの無法地帯となった。おそらく無政府主義者にとっては、自らの理念を実現するうえで政府からの邪魔が入らない理想的な土地に思えることだろう。

 

<転載終了>