2012年08月07日20:05
に掲載した記事です。
先ほど天理教の方が初めて訪問されました。(資料をどうぞという事でさっさと帰られましたが)
そんなわけで思い出してのコピーを再掲載します。
他にも
なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki20120806.html
<転載開始>
天理教が示す八つの「心の埃」
これから終末の大峠までに必ず清算を迫られる善くないカルマ(心の癖)とはどういうものか整理していきます。まず江戸時代に中山みき(のちの天理教の教祖)に下ろされた神示(おふでさき)を見てみましょう。そこには善くない心の癖が「ほこり(埃)」として8つが挙げられています。
中山みきが神様から教えられたとされる「人の心の中の埃」とは「①をしい」「②ほしい」「③にくい」「④かわい」「⑤うらみ」「⑥はらだち」「⑦よく」「⑧ごうまん」の8つです。この中の「③にくい」「⑤うらみ」「⑥はらだち」については既に取り上げてきました。「憎む」「恨む」「怒る」という心の使い方です。
最初に出てくる「①をしい」は「惜しい」すなわち「出し惜しむ」という心の働きです。お金や労力を惜しみ、自分が損をしないように、そしてできるだけ楽をしたいと考える気持ちは、いわゆる「我善し(自己中心主義)」の心であり、善くないカルマを貯めてしまいます。
「②ほしい」は、後の方で出てくる「⑦よく」と似ています。天理教の教本を読んでもその区別がわかりません。「②ほしい」は「いま持っていないものを欲しがること」、「⑦よく」は「既に持っているのに、それをさらに増やそうと欲を出すこと」と理解したいと思います。いずれも心の埃となるのです。
モノやお金を欲しがることがなぜいけないのでしょうか。これはカルマの法則から考える必要があります。つまり「ほしい」という気持ちが心の癖となってしまった場合を考えてみてください。ほしいモノが手に入っても、心の癖はまた次のモノを欲しがることになるのです。
「欲しがる」心の癖ができますと、次々と新しい対象を求めるようになります。欲望にブレーキが効かなくなるのです。新しいモノを欲しがる気持ちは、今持っているものでは満足していないということを表しています。現状を不満に思う気持ちが心の癖となり、マイナスのカルマとなるのです。
「③にくい」は「憎む」気持ちということで、それが心の癖になりますと、ますます憎く思う状況を引き寄せることになります。また「自分が他の人から憎まれる」という環境を作り出します。カルマの持つ「作用・反作用の法則」です。「人を憎めば人から憎まれる」ということです。
に掲載した記事です。
先ほど天理教の方が初めて訪問されました。(資料をどうぞという事でさっさと帰られましたが)
そんなわけで思い出してのコピーを再掲載します。
他にも
おふでさき
「恐怖心」と「怒り」が人生を不幸へと導く
天災が忘れたころにやってくる理由
大難は小難にすることができる
天理教「おふでさき」の超解釈
日本の国のカルマの清算が始まっている
なわ・ふみひとさんのサイトより
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki20120806.html
<転載開始>
天理教が示す八つの「心の埃」
これから終末の大峠までに必ず清算を迫られる善くないカルマ(心の癖)とはどういうものか整理していきます。まず江戸時代に中山みき(のちの天理教の教祖)に下ろされた神示(おふでさき)を見てみましょう。そこには善くない心の癖が「ほこり(埃)」として8つが挙げられています。
中山みきが神様から教えられたとされる「人の心の中の埃」とは「①をしい」「②ほしい」「③にくい」「④かわい」「⑤うらみ」「⑥はらだち」「⑦よく」「⑧ごうまん」の8つです。この中の「③にくい」「⑤うらみ」「⑥はらだち」については既に取り上げてきました。「憎む」「恨む」「怒る」という心の使い方です。
最初に出てくる「①をしい」は「惜しい」すなわち「出し惜しむ」という心の働きです。お金や労力を惜しみ、自分が損をしないように、そしてできるだけ楽をしたいと考える気持ちは、いわゆる「我善し(自己中心主義)」の心であり、善くないカルマを貯めてしまいます。
「②ほしい」は、後の方で出てくる「⑦よく」と似ています。天理教の教本を読んでもその区別がわかりません。「②ほしい」は「いま持っていないものを欲しがること」、「⑦よく」は「既に持っているのに、それをさらに増やそうと欲を出すこと」と理解したいと思います。いずれも心の埃となるのです。
モノやお金を欲しがることがなぜいけないのでしょうか。これはカルマの法則から考える必要があります。つまり「ほしい」という気持ちが心の癖となってしまった場合を考えてみてください。ほしいモノが手に入っても、心の癖はまた次のモノを欲しがることになるのです。
「欲しがる」心の癖ができますと、次々と新しい対象を求めるようになります。欲望にブレーキが効かなくなるのです。新しいモノを欲しがる気持ちは、今持っているものでは満足していないということを表しています。現状を不満に思う気持ちが心の癖となり、マイナスのカルマとなるのです。
「③にくい」は「憎む」気持ちということで、それが心の癖になりますと、ますます憎く思う状況を引き寄せることになります。また「自分が他の人から憎まれる」という環境を作り出します。カルマの持つ「作用・反作用の法則」です。「人を憎めば人から憎まれる」ということです。
「④かわい」は文字通り「可愛い」という意味です。「我が身かわいさ」はもちろん「我が子かわいさ」も、「自分と自分の愛する人間さえよければよい」という「我善し(自己中心主義)」の気持ちを育てます。子供やペットを溺愛する気持ちは執着心(煩悩)として奥の心に刻まれていく危険性が高いのです。
天理教のおふでさき(神示)の「⑤うらみ」は「怨むこと」、「⑥はらだち」は「腹を立てること(怒り)」の意味です。他を怨みに思う気持ちが奥の心に刻まれると、善くないカルマとなって運命に悪影響を及ぼします。「怒り」も同様です。運命を悪くする要因として記憶しておきましょう。
「⑦よく」は「欲」ということですが、「②ほしい」と欲望する段階よりもさらに強く求める心の癖を意味しています。既に必要なほど持っているのに、さらに欲しがる心の状態です。お金を持つとさらに増やしたくなるように、「欲の皮が突っ張る」と言われる状態を指しているのです。
おふでさきの最後の「⑧こうまん」は「高慢」のことで、新約聖書でもイエスが忠告しています。天理教の教本では、「富や地位を笠に着て人を見下し、‥‥頭の良いのを鼻にかけて人を侮り、人の欠点を探す、あるいは知らないことを知ったふりをするような心」と説明しています。周りにこのような人はいませんか?
「高慢」が心の癖にやっている人は、謙虚を装っていても必ず自慢話をします。自分の交友関係、持ち物、地位、収入、財産などなどを、さりげなくではあっても自慢する態度を隠せないものです。「自分をよくみせたい。他の人に評価されたい」という弱い心の裏返しと言えます。
以上、江戸時代に中山みき(のちの天理教の教祖)に伝えられた神示(おふでさき)の中から、善くない心の癖として挙げられている「八つのほこり(埃)」をご紹介しました。おふでさきではこれに加えて「⑨うそ(嘘)と⑩ついしょ(追従)」がよくないとされています。
「⑨うそ」は「自分をよく見せたい」「人からよく見られたい」「自分の立場を守りたい」などといった「我善し(自己中心主義)」の気持ちの反映です。他の人を欺き、不利な状態に陥れるという意図を持つ場合もあるでしょう。結果は、「騙せば騙される」というカルマとなります。
天理教の教祖に伝えられた神示(おふでさき)で善くないとされている最後の項目は「⑩ついしょ(追従)」でした。「ついしょ」は自分の心を偽って、権力や地位のある人に媚びることを言います。媚びることによって自分の立場を有利にしようという「我善し」の心なので善くないのです。
<転載終了>
天理教のおふでさき(神示)の「⑤うらみ」は「怨むこと」、「⑥はらだち」は「腹を立てること(怒り)」の意味です。他を怨みに思う気持ちが奥の心に刻まれると、善くないカルマとなって運命に悪影響を及ぼします。「怒り」も同様です。運命を悪くする要因として記憶しておきましょう。
「⑦よく」は「欲」ということですが、「②ほしい」と欲望する段階よりもさらに強く求める心の癖を意味しています。既に必要なほど持っているのに、さらに欲しがる心の状態です。お金を持つとさらに増やしたくなるように、「欲の皮が突っ張る」と言われる状態を指しているのです。
おふでさきの最後の「⑧こうまん」は「高慢」のことで、新約聖書でもイエスが忠告しています。天理教の教本では、「富や地位を笠に着て人を見下し、‥‥頭の良いのを鼻にかけて人を侮り、人の欠点を探す、あるいは知らないことを知ったふりをするような心」と説明しています。周りにこのような人はいませんか?
「高慢」が心の癖にやっている人は、謙虚を装っていても必ず自慢話をします。自分の交友関係、持ち物、地位、収入、財産などなどを、さりげなくではあっても自慢する態度を隠せないものです。「自分をよくみせたい。他の人に評価されたい」という弱い心の裏返しと言えます。
以上、江戸時代に中山みき(のちの天理教の教祖)に伝えられた神示(おふでさき)の中から、善くない心の癖として挙げられている「八つのほこり(埃)」をご紹介しました。おふでさきではこれに加えて「⑨うそ(嘘)と⑩ついしょ(追従)」がよくないとされています。
「⑨うそ」は「自分をよく見せたい」「人からよく見られたい」「自分の立場を守りたい」などといった「我善し(自己中心主義)」の気持ちの反映です。他の人を欺き、不利な状態に陥れるという意図を持つ場合もあるでしょう。結果は、「騙せば騙される」というカルマとなります。
天理教の教祖に伝えられた神示(おふでさき)で善くないとされている最後の項目は「⑩ついしょ(追従)」でした。「ついしょ」は自分の心を偽って、権力や地位のある人に媚びることを言います。媚びることによって自分の立場を有利にしようという「我善し」の心なので善くないのです。
<転載終了>
まずは自分自身に、大切なモノを入れて。
自分の周りから始めたらいい。
その流れを受けて、社会は変わり始める。
そして、社会は国を変え、そして世界を変える。
そう思うんだよね。
だからこそ、今の自分が出来ること。
そこから始まる。
どんな生き方をするか?
それによって未来は変わる。
自分は1つ1つ積み上げてこそ、サニースポットへの可能性が生まれると思う。
本当に多くの方に感謝します。
サニースポットが出来たなら、その時はまた宜しくお願い致します。
自分の持ってるモノで、誰かを照らせる。
そういうサニースポットが実現出来るようにも、希望は持ち続けていきます。
希望は生きる意味と、力を与えてくれますし。
自分の意味はそこにあると思うので。