世界と日本の真実さんのサイトより
http://ameblo.jp/kissy-seed/entry-12196826284.html
<転載開始>
日本の首都はどこ?



明治維新

明治天皇は都を移す遷都宣言をしていません。

天皇の居る所が首都、と明治政府が勝手に決めました。





 → 
http://spotlight-media.jp/article/320756611374379991


------------- 転載 -----------


「日本の首都はどこ?」、と聞かれれば、ほとんどの方が「東京」だと答えるでしょう。小学校の授業でも出てくる世界の首都についての知識。

あるTwitterユーザーのツイートをきっかけに、誰もが「当然でしょ?」と考える、常識を覆すような事実が判明することになりました。


あるTwitterユーザーの女の子(以後Aさんと呼ばせていただきます)が、

「弟しんどい...」

「OK.Googleして、日本の首都は?ってききよんけど。(爆笑)」

「日本に首都とかねーよ。(爆笑爆笑)」

と、ツイートしたところ、



「え?東京やないと」と返された仲間同士の会話。
おそらく、多くの方が同じコメントを返すのではないでしょうか。筆者も東京だと思っていました。

A:「え、それって首都っていうん、、??」

「いや、それいがいなにかあるのか」

A:「日本に首都とか存在するん?海外限定じゃないの?...え、日本よ?日本よ???(笑)日本に首都とか存在するん???(笑)」


などと会話が続きました。



これに対し、

「アホすぎるやろ」

「バカぶってるだけでしょ」、

「日本の首都も分からないようじゃ、幼稚園からやり直した方がいいかも...」と、

Aさんに対して嘲笑するツイートが多い中、こんなコメントを返す人も。




元々、日本には首都を東京と定める公文書は存在しないため、彼女はこれを知って指摘しているのではないか...、
というツイートが。




え!?...日本の首都=東京と思ってるのが非常識?


究極のツイート。「みんな勝手に思ってるだけ」



このような議論が交わされ、
極めつけに、参議院法制局の「首都を定める法律」のスクリーンショットを投稿するユーザーも現れました。




*首都を定める法律



上記のサイト「参議院法制局」を調べてみました。




日本の首都はどこでしょうか。また、それはどこで決まっているのでしょうか。
実は、首都を定める法律は、現在ありません。しかし、「東京が日本の首都であるというそういう確信は、これは日本国民だれもが疑いなくそう信じていることであろうと存じます。」

(昭和54年6月5日参議院内閣委員会における内閣法制局長官答弁)。


ただ、法律上「首都圏」という文言はあり、
「東京都の区域及び政令で定めるその周辺の地域を一体とした広域」(首都圏整備法第2条第1項)あるいは「埼玉県、東京都、神奈川県その他政令で定める県の区域を一体とした区域」
(国土形成計画法第9条第1項第1号)と定められています。


出典
http://houseikyoku.sangiin.go.jp

実は、「首都」を定める法律はない。ただ「首都圏」という文言はあり、「埼玉県・東京都・神奈川県その他政令で定める県の区域を一体とした区域」、と定めているとのこと。


※「首都圏」とは、首都圏整備法に基づき整備・建設された関東地方1都6県を含む(茨城県・栃木県・群馬県・神奈川県・埼玉県・千葉県・山梨県・東京都)の区域とすると定められています。






参議院法制局

http://houseikyoku.sangiin.go.jp


そもそも首都ってなに?





鎌倉時代や江戸時代には、武家政権が関東に所在していたため、平安京遷都以降は、京都・鎌倉・江戸が複数の首都として機能していたという「複都政」を主張する人もいたようです。




「明治2年に明治天皇が東京に移り住んでからは、東京が首都でいいのでは?」と考えるのが普通のようにも思われますが、現在も法律上では「どの都市が首都であるか」という明確な定義がなされていないのです。


かつては、「首都建設法」(昭和25年法律第219号)という法律が、東京都を首都と解していたのですが、同法は1956年に廃止されてしまっていて、なんと現行の法令で「首都」について直接的な表現を用いて定めるものはないのです。


出典
http://barbarossa.red


法律に明記されなかった理由とは?


遷都反対の声を考慮。東京を首都とする声明は出されなかった



元号が『明治』に定められ、「江戸」が「東京」と改称された頃、日本の首都を法律に明記することは検討されなかったのでしょうか?






1867年、王政復古の大号令が発せられ、明治新政府が発足した当時は、首都をどこにするかについての合意はできていなかったようです。その後、新国家の首都を「東京」(当時は「江戸」)にしようという構想が持ち上がります。

その理由としては、新政府の国内統一に向けて、戊辰戦争により政情不安が続く東北や蝦夷地・樺太の支配のために全国の中央に位置する必要があること等が考慮されたようです。


この構想を受ける形で、明治元年、「江戸」を「東京」と改称し、東西同視の下に天皇が親臨するという表明がなされ、明治天皇は江戸城に入城し、これを皇居とする旨の宣言をされます。


これに伴い太政官は東京に移され、留守官が京都に置かれました。そのうちに、政府機関も次々東京に移され、事実上の遷都がなし崩し的に実行されてしまいますが、京都の市民をはじめとする遷都反対の声を考慮し、東京を首都とする旨の声明は出されず、まして法律に明記されることもなかったそうです。


出典 http://houseikyoku.sangiin.go.jp


「遷都」とは言わず、「東京奠都(てんと)」という言葉が使われていた




昭和 16年に文部省がつくった「維新史」という現代にも十分使える高い水準の本がありますが、そこでは「東京奠都(てんと)」という言葉が使われていて、「遷都」とはいっておりません。

現在の高校の教科書では「1869年(明治2年)には、古い伝統のまつわる京都から東京に首都を移した」という表現がされています。

ここでも実は「遷都」とはいっていないのです。


おもしろいことに、日本の近代において「首都」という言葉を使いだしたのがいつ頃なのかはっきりしません。

「首都」という言葉は少なくとも近世から明治の初年には使われていません。文久2年(1862年)の英和辞典で「capital」の訳語として首都という言葉が出てきますが、これも辞書に出てくる言葉であって、政府の首脳部も一般の人も使っていないのです。首都という言葉はかなり新しい言葉であり、新しい概念なのです。




出典
http://www.mlit.go.jp

「遷都」という言葉には深い意味が込められているようです。気軽に使ってはいけないようですね。「首都」という言葉がいつから使われるようになったのかを調べてみましたが、明確な情報はありませんでした。


さいごに



Twitterユーザー”Aさん”のツイートが拡散され、多くの方たちの目に触れることになり、「日本の首都は東京に決まってるじゃん!」、という常識を覆す事実が判明。


ちなみにツイート主の方はアカウントを削除されているようですが、彼女の意見はある意味間違ってはいないようです。

「首都」という言葉を使うのも、「日本の首都は東京」というのも、多くの方が常識だと思っていたのではないでしょうか。

ちなみに、筆者が調べたところでは、中学校の社会科・地理の教科書ワークには、「多くの人が集まる首都・東京」と掲載されていました。


この意味も、国会議事堂や多くの中央官庁などが集まる、という意味の「首都」であり、法律で定められた意味ではないようです。


(※権利者の許諾を得て掲載しています。)


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祭祀と政治の

祭政分離

そういう意味では、首都は今も平安京と言ってもいい。



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