仲秋の宴に於いて「魂」についてきちんと説明できてませんでしたので
「心の対話」に記載されている箇所を抜粋しました。

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/cat_49791.html
第一部  法と真理

4 魂の性質


 [問] 魂とはどのような性質を持っていますか。心と魂のちがいはどうですか。両者
    はどのような関係をもっていますか。

 魂とは、個性を持った意識です。エネルギーの支配者です。人間の意識は、一〇%の表面意識
と九〇%の潜在意識からできています。魂といわれる部分は、本当は表面意識と潜在意識の全体
をいいます。ところが、表面と潜在の意識がわかれているために、全体をあらわす魂を持った人は
少なくなりました。

 普通、魂といわれる部分は、表面意識と潜在意識の間に横たわる想念帯と、表面意識を指して
いっています。想念帯は今世の経験、教養、徳性などを含むと同時に、あの世の経験、過去世の
経験も含まれています。このため同じものを見る、聞くにしても、人それぞれによって受けとり方が
みんなちがっています。これは想念帯の影響があるからです。したがって人それぞれの魂の大小、
あり方がでてきます。魂に個性があるというのも、このためです。

 地獄に堕ちた魂を指して、迷える魂といいます。これは今世において、その生活態度が表面意識
に強く左右され、潜在意識につながる想念帯の善なる波動(自分の心にウソがいえない)を無視し
たために起こることです。偽善、怒り、そねみ、しっとなどはそのあらわれです。

 次に心とは、各人の意識の中心です。意識の中心とは、たとえば円全体を意識しますと、円の真中
の一点です。そして各人の心は、神仏に同通していますから、心はなんでも知っています。ふつうあの
人の心は美しい、汚ないとよくいいます。これは想念帯の影響によるところであって、厳格には、あの人
の想念は美しい、汚ない、といった方が適切なのです。しかし、これでは一般的に通用しませんので、
想念を心といっています。

 しかし心そのものは、神仏の心に同通しているのですから、太陽のように、慈悲と愛だけなのです。
汚ないとか、美しいということはないのです。ちょうど太陽を中心に、地球をはじめとして九惑星が自転、
公転していますが、このときの太陽は神であり、地球は私たちの想念の部分に当たるといっていいでしょう。

 さて、魂と心の関係ですが、前述のように心そのものは、神仏そのものですが、魂は、広義には心を中心
とした円全体の意識(表面、想念帯、潜在)ですから、各人の魂にはそれぞれの転生輪廻の歴史があります。
したがって、それぞれの個性を持ち、心の波動をうけながら、向上進歩してゆくものです。このように魂と心は、
個々独立したものではないのですが、ふつうは、表面意識と、表面意識側の悪い部分に左右されてしまうた
めに、心に通じた魂をあらわしていく人は、非常に少ないわけです。


8 生命の組合せ

 [問] 人間は本体一人と、五人分の分身から成り立っているといいますが、なぜ五人も
    分身が存在するのですか。全体で、なぜ、六人になるのですか。
    

 生命も物質も、三つのプロセスからできています。地球に生命が宿るのは、太陽、月、そして
地球という三位一体の構成からです。地球(地上)は気圏、水圏、岩圏から成っています。原子
は、核外電子、中性子、陽電子からできており、電気は陽性(+)中性(N)陰性(ー)から、細胞
は大きく分けて原形質、細胞質、核の三つから構成されています。

 物質の成立は、宇宙の大意識をまず出発点として、第二に熱、光、電気、磁気、重力のエネ
ルギーが組み合わさって、物質という第三の現象化が行われています。一度、物質化された
エネルギーは、ある時間だたつと、分散という過程を経てエネルギーに還っていきます。

 またエネルギーの物質化はエネルギーが集中されてできあがります。つまり、大意識(神)を
離れた五つのエネルギーは、集中、分散という過程を通して、あるときは物質化され、エネルギー
にもどってゆくという三つのプロセスを踏みながら、循環の法のなかで、永遠に、その循環をくり
かえしていくのです。

 生命もこれと同様に、まず第一に宇宙の大意識から、第二に個としての生命が、あの世すなわ
ち実在界に誕生し、第三に現象界に姿を現わす。一度、現象界に出た生命体は、この世とあの世
の転生をくりかえし、この世に生まれ出るときは、両親という媒体(縁)を経て、姿を現わします。つ
まり、大意識から離れた生命は、あの世、両親、この世という三つのプロセスを踏みながら、循環
の法のなかで生きるように仕組まれています。

 さて問題の人間の生命体である一本体、五分身についてですが、人間の生命体は三つの系列
からできています。

一の系列=男本体一、男分身五
二の系列=女本体一、女分身五
        男本体一、男分身二、女分身三
三の系列
        女本体一、女分身二、男分身三
 三つの系列においても、生命、物質の仕組みである前述の構成要素が、人間の生命にも当然
あてはまっています。大宇宙は三つの構成からでき上がっていますので、人間だけが例外という
わけにはゆきません。

 次に、本体一と分身五の理由は、この大宇宙が、神の大意識を母体に熱、光、電気、磁気、重
力という五つのエレメントからできていますので、人間の生命体もこれに合わせて、本体一(大意
識)分身五(エレメント)の組み合わせになっているのです。人間を称して、小宇宙というのも、生命
の成立が、このように大宇宙の構成と同じようにできているからです。

 一つの系列から三の系列を含めて、男女の数は同じです。もしも、一と二の系列、二と三の系列
のみとすれば、この地上の男女の均衡は破れる恐れがでてきます。地上の歴史が証明するように、
人間は六根に支配されるようにできています。戦争、災害によって男が減り、女ばかりになったらど
うでしょう。一から三までの系列があってはじめて、男女の均衡がたもたれるように仕組まれている
のです。また三つの系列があるために、人類の目的が調和にあるといえるのです。


9 魂のグループとその活動

 
[問』 一、魂のグループの組み合わせは永遠に変わらないのですか。
   二、魂のグループは深い因縁に結ばれるため、地上の家系も似たようなところに生
     まれるのですか、それとも、全然ちがうものなのですか。
   三、人それぞれ使命があるということですが、その使命は神から分かれた時から生
     じたのですか、それとも、時々の環境によって変わるものですか。
   四、魂のグループをつくる六人の天上界の位置はみな同じですか、二人が地獄にお
     ちた場合は、グループのバランスはどうなりますか。修行によって徐々に向上する
     のですか、それとも最初から定まっているのですか。

 一、魂のグループは永遠に変わりません。変わったら人格が変わり、分裂してしまいます。
金や銀、銅などの原子番号をみてみて下さい。分子の数がそれぞれ決まっていて、その決
まっている数によって金をつくり、銀という鉱物を形成しています。私たちの人格もそれと同
じように、六人の組合わせは変わらないし、変わらない人格が永遠の転生をつづけているわ
けです。

 二、このように六人は、神の摂理で結ばれ離れることはできません。地上の家系と六人の
魂との関係はほとんどありません。地上の家系は肉体の家系であり、魂とは直接関係がない
ばかりか、前生の魂のあり方によって、環境(家系を含めて)を選んで出生するので、同じグル
ープでも全然違ったところに出てくるわけです。たとえば、その時々の状況によって、僧侶の
家庭に生まれたり、サラリーマンであったり、経営者の家に生まれたりします。また、日本で
生まれたり、中国に生まれたりしますので、家系は関係ありません。この意味から魂のグル
ープは天上界でのみつながっているといえます。

 三、使命というと、なにか特別な目的を連想しがちですが、この地上界で生活する者で使命
のない者は一人もおりません。誰も彼もが、それぞれの使命を持っているから地上に出生して
いるのです。その使命とは全体の調和に役立つためです。他を生かし、協調協力の奉仕の生
活は、とりもなおさず使命にもとづいた生活です。使命にもとづかない生活とは自己本位の生
活です。人はどうでも自分さえよければよいというエゴ、執着、足ることを知らぬ欲望ーこれで
は人間本来の目的と使命からはずれることになります。

 あなたは人には特別な使命があるように思い、そう願っているようですが、もちろんそれもあ
りますが、人びとと明るく調和した生活をすること以外に人間の目的も使命もあるわけはない
のです。人間が神からわかれたときからそう決められており、職場や性別、老若の別によって
差別があるものではないのです。カン違いしないようにしてください。

 四、グループの六人の全体の位置は徐々に向上します。ある一定の段階にとどまる人もあり
ますが、長い目で見ると誰も彼もが向上しています。最初から決まっていて、それ以上は向上
しないというものではありません。地獄に二人とも堕ちるということはあり得ません。一人が地
上に出て失敗するから地獄に堕ちるのです。残り五人は天上界で生活しています。地獄に堕
ちた魂は、時が経てばやがて悟って五人のいる天上界にのぼって行きます。

 六人のグループは悩み、なんとかして地獄に堕ちた一人を助けたいと願います。しかし、地獄
に堕ちた魂は、その過ちに気付くまではグループのもとに戻ることができないのです。

 このため、天上界の五人は、いつも地獄の一人が気になり、天上界での活動が制約されてき
ます。一家の中で誰か一人病人が出たり、家庭の調和を乱す人がいると、親でも子どもでもそ
のことで悩みつづけ、精神的に苦痛を背負うのと同じ理屈なのです。


10 人間以外の魂

 [問] 人間の生命(魂)は本体一、分身五の六体から成立っているといいますが、では
    人間以外の動物、植物、鉱物の場合はどうなっているのですか。また、転生輪廻はど
    ういう順序で行われるのですか。

 本体、分身の関係は、なにも人間だけに限らず、動、植、鉱物全部についていえます。人間
を含めた動、植、鉱物の物理的な見分け方をまず説明しますと、動物の場合は、細胞の要素
が大きく分けて六つに分類されます。

 核、原形質膜、ミトコンドリア、ゴジル体、中心体、脂肪粒の六つ。この六つの要素が、たがい
に補い合って細胞という組織をつくっています。この細胞の六つの要素が、いうなれば、本体一
(核)、分身五(原形質膜、ミトコンドリア、ゴルジ体、中心体、脂肪粒)の構成の反映といえるでし
ょう。ですから人間以外の動物についても、細胞がこのようにわかれる場合は、一本体、五分身
ということになります。

 植物もこの例にそって、核(本体一)があり、そうしてその周囲に原形質膜、液胞、色素体、細胞
膜(分身四)の五つから構成されます。ですから植物は、動物よりも一つだけ構成要素が少ない
ことになります。

 鉱物の場合は、原子番号に核を加えた数が本体、分身の数になります。たとえば炭素の原子
番号は6です。6とは、核外電子の数。これに核の一つを加えると七になります。つまり本体一
、分身六の関係になります。このようにして、水素は二、金は八十、銀四十八、塩素十八、亜鉛
三十一、鉄二七、銅三十が本体、分身数を合わせた数となります。

 このように、物質の構成は、そのモトである生命の構成にしたがって形作られているといえる
でしょう。

 形の世界は心の反映であり、このため、本体、分身の関係も、生命の組織をそのまま形の上
に反映し、細胞も、素粒子の世界も同じような構造となってあらわれるものなのです。

 不思議といえば不思議ですが、生命と物質というものは、そのようにできています。

 色心は不二  、物質と生命について追究すると科学的にも理解されてくるといえましょう。太陽
系のそれも、太陽(核)と惑星(分身)が相互に作用し合っています。そうして太陽系全体を形成し
ています。一つでも欠けたら太陽系は分解してしまいます。

 魂の転生輪廻は、それではどういう順序で行われるかといえば、原則的に順ぐりです。Aが出れ
ば次がB、Bの次はCというように、A(核)BCDEF(分身)が順次、現象界に出て修行する。という
のが原則です。ただし転生輪廻の過程で修行を積む者と、横道にそれてしまう者もあって、全体の
バランスを崩すことがあるので、そうした場合は、あの世で話し合い、前記の原則にこだわらず、A
ならAが短期間に二度、三度現象界に出て修行することもあります。しかしこういうケースは比較的
少ないようです。大半は順ぐりに現象界に出て修行することになるわけです。


12 業(カルマ)

 [問』 人間の業はどうしてつくられ、どういうものを業というのか、業想念について
    説明してください。
     
 業を称してカルマともいっています。カルマとは強い力でグルグルと回り続ける性質をいい、
これに足をすくわれると、人間はなかなかここから離脱できなくなります。業のとりこになると、
その人生は灰色になってくるでしょう。

 人間の業はどうして生じたかといえば、それは転生輪廻の過程において生じたものです。
最初の人類は、神の意を体していましたから、こうした業は身につけていません。ところが
現世に生まれては死に、生まれては死んでゆくにしたがって、人びとは心に黒い想念をつけ
ていったため、人間は、まずその黒い想念を払うことが人生の目的となり、その目的を果たす
ことが仏国土をつくる大きな前提になってきたのであります。

 では黒い想念とはどういうものかといえば、それは執着です。五官六根に左右された自己
保存の執着が、それぞれの業をつくっていったのです。したがって、業とは、人びとの想念と
行為における執着が、つくり出したものといえるでしょう。

 この意味で業は悪です。非常にせまい意味では、善と思えるものも業となります。教育者
の家庭に想像もつかないような悪が芽生えるのも、善という名の執着の意識が強く働きすぎ、
家庭の人びとをしばりつけてしまうからです。「ああしてはいけない」「こうしなければならない」
というように、善の執着も業をつくります。善にとらわれると、四角四面な心になっていきます。

 要するに業とは、五官六根にもとづく執着の想念がつくり出した黒い循環の想念ー観念、
換言すれば、とらわれた心、これを業というのです。

 このために、善にしろ、悪にしろ、業をつくってゆきますと、それに心がひきまわされます。
悪いと知りつつ悪を犯してしまう。人の意見が正しいと思っても、その意見にあえてさからい
、逆な方向に自分を持っていってしまいます。奇癖、頑固、優柔不断など、すべて業の作用
であります。

 業想念というのは、地上の相対観念に自分の意識、魂がふりまわされている状態をいいま
す。金銭は絶対であり生命の次に大事なもの、地位が高ければ人びとから尊敬される、働く
のはバカバカしい、人生は面白くおかしく過ごすほうが得だ・・・・・といったようにです。

 したがって業想念は、やがて業をつくってゆき、来世に生まれても、その業にひきづられる
要因を生み出してゆきます。

 業にしろ、業想念にしろ、私たちは、大なり小なりその影響をうけながら生活しており、転生
輪廻を続けているというのが現実です。

 そこで、こうした業からぬけ出すにはどうすればよいかといえば、中道にそった想念行為を
することが大事なわけです。なぜ大事かといえば、とらわれが多ければ悩みも多いはずだか
らです。悩みが多ければ人生は灰色になってくるでしょう。心に安らぎは出てきません。真の
安らぎは物事に対する執着から離れることにあるからです。

 一切の執着が去った姿を涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)ともいい、これは絶対安心の釈迦の
境涯をいったものです。また、解脱という言葉がありますが、これは、人間の宿命的な業から
離れたことをいうのであります。

 相対的な業想念にふりまわされず、中道にそう生活に意をそそぎ、安らぎのある自分をつく
っていきたいものです。